ワルキューレの微笑 ~ある地球環境学者の鎌倉日記~ 作:古屋 力

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2022.8.23 掲載

25. 春よ来い

今日は、小春日和で暖かかった。なぜか、松任谷由実の『春よ、来い』を、心中で、口ずさんでいた。この詩に触れるたびに、心が温かく、切なく、そして、ほんのりと明るくなる。

淡き光立つ 俄雨
いとし面影の沈丁花
溢るる涙の蕾から
ひとつ ひとつ香り始める

それは それは 空を越えて
やがて やがて 迎えに来る
春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに
愛をくれし君の なつかしき声がする

実は、この『春よ、来い』を、じっくり聴いていると、この「春」には、実際の春と、思い出の春、そして、未来の春の3つの春があることが、わかる。

春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき
夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く

それは それは 空を越えて
やがて やがて 迎えに来る
春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに
愛をくれし君の なつかしき声がする

春よ来い01

コロナ禍の時代、多くの人々が、きっと、心の中で、思い出の春を追憶すると同時に、未来の本当の春の到来を待ち望んでいるに違いない。はたして、本当の春は、来るのであろうか。

ちなみに、山岡は、松任谷由実の曲を、学生時代から好きだった。当時は、まだ、荒井由実と呼んでいた。大学に入学した1年生の時。山岡は、同郷出身の出版会社の創業社長の国領の広大な豪邸に、「書生」として、住み込みで働きながら、都心の大学に通っていた。ありがたいことに、学費と生活費を支給してくれた。大学があるときは登校し、授業がない時は、広大な庭の掃除や、果樹園の手入れ等をして働いた。よく働いた、苦学生であった。あの書生部屋で、1人聴いていたのが、荒井由実の『やさしさに包まれたなら』であった。

小さい頃は神さまがいて、
不思議に夢をかなえてくれた

そしてその後、2年生からは、文京区にあった同郷の篤志家が作ったオンボロ木造建築の学生寮に3年間住んだ。この学生寮時代の3年間は、また、実に刺激的で面白かった。いまとなっては、もはや死語かもしれないが、都下の女子学生寮の女子学生と「ゴーハイ(合同ハイキング)」や「ゴーコン(合同コンパ)」さらには、「ダンパ(ダンスパーティ)」もあった。至れり尽くせりであった。おかげで、ここで、多くを学んだ。当時は、相部屋が原則で、相部屋の友人がよく、中島みゆきの『時代』や、荒井由実の『卒業写真』や『あの日にかえりたい』を部屋でかけいた。

悲しいことがあると 開く皮の表紙
卒業写真のあの人は やさしい目をしてる

この荒井由実の曲を、ふとしたきっかけで耳にすると、あの、大昔、多感だった、オンボロ木造学生寮時代の、仲間たちの懐かしい顔が脳裏に浮かぶ。いまや、コロナ禍で、多くの人々が、不条理に、直面し、先行きが不透明な閉塞感に紋々としている。そして、おそらく、この荒井由実の『あの日にかえりたい』や、松任谷由実の『春よ、来い』の気持ちに共振しているのだろう。

ふと、山岡は、そんな、懐かしい青春時代の曲の追憶の派生か、カミュの63年まえの1957年12月のノーベル文学賞受賞式の感動的なスピーチを思い出した。カミュは、以下のような、彼の恩師ジェルマンにささげるしていた。

「おそらくどの時代も、自分たちは世界を作り直すことに身を捧げているのだと、それぞれに信じていることでしょう。ところが私の世代は、自分たちが世界を作り直すことはあるまいと知っているのです。たぶん、私の世代に課せられた任務はもっと大きなものです。それは世界の解体を防ぐことにあるのです。堕落した革命、狂気の沙汰と化した技術、死んだ神々、衰弱したイデオロギーが入り混じる腐敗した歴史、さまざまな凡庸なる権力が、こんにち、すべてを破壊することはできても、説得するすべは、もは忘れてしまい、知力が下落して憎悪と弾圧の奴婢にまでなり下がったような腐敗した歴史、―そんな歴史の相続人である私の世代は、否定のみから出発して、生きることと死ぬことの尊厳をなすものを、いささかなりと、自分たちの世代のなかに、そしてまたそのまわりに、再建しなければなりませんでした。」

早く、「本当の春」がくれば好いと、思いつつ。

(次章に続く)

春よ来い02

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