2022.3.14 掲載
過去2回通算8年間におよび、家族とドイツで生活したことは、山岡家にとっては重要な意味がある。山岡は、親しい友人に、よく、そう語ることがある。
3人目の次男は、ドイツの最初の赴任地デュッセルドルフ(Düsseldorf)で生まれた。当時は、丁度ベルリンの壁が「開いて」東西ドイツ統一が実現した時期であった。そして、記念に名前を「開(Kai)」と命名した。次男の山岡開は、いま、某外資系IT企業で、まさに時代の最先端で大活躍している。
山岡家にとって、ドイツは、かけがえいのない第二の故郷(zweite Heimat)になっている。ちなみに、ブンデスリーガでプレーした元日本代表MFの長谷部誠も、このドイツでの13年半を振り返りつつ、「自分の居場所はここドイツと信じています」「今はここが第二の故郷になりました」と述べている。山岡家にとっては、最初のドイツ生活が、ライン河畔のデュッセルドルフ(Düsseldorf)で、2回目のドイツが、マイン河畔の国際金融都市フランクフルト(Frankfurt am Main) であった。
山岡にとっても、家族にとっても、このドイツで通算8年間以上にも及ぶドイツでの「二都物語」でのかけがえのない経験が、重要な意味をもっていた。
フランクフルトには、ユーロの発行者である欧州中央銀行(European Central Bank、略称:ECB)がある。デュッセルドルフ時代に、ドイツ統一、フランクフルト時代に、ユーロ(現金)の本格導入が開始した。山岡家は、欧州で起きた歴史的出来事を、2度も、現場で目撃体感したことになる。
ちなみに、なぜ、フランクフルトの名前をあえてFrankfurt am Mainと長ったらしく呼んでいるのかについては、整理好きなドイツ人らしい合理的な理由がある。実は、ドイツには、2つのフランクフルトがある。だから、川の名前を付け区別しているのだ。旧東ドイツのブランデンブルク州の都市フランクフルトは、ポーランドとの国境、オーダー川に面しており、Frankfurt (Oder)と呼んで、区別している。
山岡は、学生時代から、根っからの音楽愛好家で、同時に、ワインとビールの愛好家でもある。音楽+ワイン+ビール、といえば、ドイツは本場である。その意味で、この2回の通算8年以上にも及ぶドイツ赴任は、山岡にとっては、大好きな三位一体の至福の赴任カードであった。日本では、なかなか手が届かないめっぽう高額なオペラや一流奏者のコンサートも、ドイツでは、日常茶飯事で、手が届く値段で楽しめた。さらには、予約なしでも鑑賞もできた。
山岡も仕事が早めに終えた日など、フランクフルトの金融センターのドイツ銀行本店に隣接した勤務先オフィスから帰路に、徒歩5分程の至近にあるAlte Operなどで、たまたまやっていたコンサートやオペラを、予約なく、当日券で、楽しんだことも、結構よくあった。ここのAbendkasse(当日券売り場)で、運良く開演30分前にマウリツィオ・ポリーニ(Maurizio Pollini)の当日券を購入でき、彼の弾くChopinを彼の唸り声付きで、目の前で聴けたこともあった。こんな音楽的至福は、ドイツ生活経験者なら、大同小異、みなさん、もっているかもしれない。
根っからの音楽愛好家山岡にとり、ドイツ時代の、音楽的至福の最たるものは、何と言ってもバイロイト祝祭(Bayreuther Festspiele)での稀有な経験であろう。決して熱狂的ワグネリアン(Wagnerianer)でもなく、むしろ、日ごろはバッハが好きな山岡だが、友人に勧められてバイロイト祝祭期間中にバイロイト祝祭劇場(Bayreuther Festspielhaus)を訪問した時、生涯忘れがたい感動的なセレンディピティがあった。
バイロイトは、ワーグナー自ら創設した故事と長い伝統により、多くのオペラファンからは今なおワーグナー上演の総本山と見なされ、ヴァグネリアンの間ではこの音楽祭に行くことを「バイロイト詣」などと称している。ただし、その人気ゆえに、数ある音楽祭の中でもチケットがかなり取りにくい部類に入る。
そんな恐れ多いヴァグネリアンの聖地で、当日予約なしでオペラ鑑賞できることなんぞは念頭になかった山岡であったが、友人が出発前に言った冗談の一言が奏功した。
「学生はよく、“突然これなくなった方のチケットをいまお手元にお持ちでしたら、お譲りください!”という手書きのプラカードを胸に掲げて、会場入り口近くで立っているよ。あまり期待できないが、たまに、幸運にもチケットを譲ってくれることもあるから、せっかくの機会だし、山岡も、ダメ元で、試してみたら?」その友人の冗談を真に受けた山岡は、まさにダメ元で、「1 Karte bitte. !(1枚チケットお譲りください)」の手書きで即席に書いたヨレヨレの紙を胸に掲げ、辛抱強く30分程度たっていた。
バイロイトの神の啓示か。何と、そこで、奇跡が起きた。このメッセージに気が付いた白髪の温厚そうなドイツ人のご老人が、「一緒に来る予定だった家内が、今朝になって体調不良でドタキャンになってしまったんで、君にプレゼントするよ!」とウインクして、無償でくださった。「本当に夢みたいなこんなセレンディピティがあったのかと、心の中で号泣した」と、後日、友人にお礼かたがた報告した。実は、この「ダメ元でやってみることは意味がある」という成功体験は、その後の山岡の人生の大事な分岐点で、いつもプラスの作用を効果をもたらした、
その時、バイロイト祝祭劇場で、奇跡的に鑑賞できたのが、「ワルキューレ(Die Walküre)」であった。ワーグナーの代表作である舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』四部作の2作目である。そもそも、「ワルキューレ」 とは、実は、物騒な言葉で、「戦死者を選ぶもの」の意。北欧神話において、戦場で生きる者と死ぬ者を定める女性のことを指す。
せっかく譲っていただいたプラチナチケットでもあり、「ワルキューレの騎行」を含めしっかり鑑賞した。感動した。しかし、上演時間は約3時間40分もあって、正直それほどのガチのワグネリアンでもなかった山岡は、その間、1回だけ睡魔に襲われたこともあった。ちなみに、あの奇跡的に鑑賞できた「ワルキューレ」に触発されたこともあり、その後、山岡は、何度も「バイロイト詣」をした。そして、ワーグナーが住んだ家(ヴァンフリート荘)や彼ら夫妻のお墓があり、またそのワーグナーと縁の深いフランツ・リスト が晩年に暮らした家も気に入った。
実は、山岡は、今回の入院中、不謹慎ながら、毎日病室で献身的に世話をしてくださっている看護師を見ながら、この「ワルキューレ」を思い出していた。戦場において戦士に死を定め、天上の宮殿ヴァルハラへ彼らを連れて行く役目を持つ北欧神話に登場する複数の女神と、なぜ看護師が結びつくのか。むろん、看護師の仕事は、戦死者を選ぶものでも、生きる者と死ぬ者を定めることでもないのは自明であるが、どうしても、看護師が来室するたび、スイッチが入り、あの「ワルキューレの騎行」の旋律が脳裏でリフレインを始めるのであった。かような妄想は、作曲者ワグナーご自身に対しても、ワグネリアンに対しても、ましてや、当事者たる看護師等の医療従事者にも、お叱りを受ける不謹慎な妄想であるものの、心中でお詫びしつつ、実は、この勝手な妄想を結構気に入っていた。
生きる者と死ぬ者を定めるわがワルキューレにおかれては、「死」ではなく、「生」をさだめる「微笑みのワルキューレ」であってほしいと願うのみである。誰とて、死して、天上の宮殿ヴァルハラへは、連れて行かれたくはないのである。まだ、連れていかなくていいから。そっとしておいてほしい。笑顔で微笑んでほしいと、思うのである。
(次章に続く)