ワルキューレの微笑 ~ある地球環境学者の鎌倉日記~ 作:古屋 力

マーク01

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2022.4.12 掲載

6. 弦楽のためのアダージョ

いま、1人静かに、病室で、サミュエル・バーバーが作曲した弦楽合奏のための作品『弦楽のためのアダージョ(Adagio for Strings)』を聴いている。彼自身が作曲した『弦楽四重奏曲 ロ短調 作品11』の第2楽章を弦楽合奏用に編曲したものであるが、その美しい旋律が好きで、よく聴く。かつて、ジョン・F・ケネディの葬儀でも使用されたので、記憶してる方も多いかもしれない。

1病室には、何冊か、本を持ち込んで、読んでいる。その中の1冊が、紀元前1年頃のストア派哲学者ルキウス・アンナエウス・セネカ(Lucius Annaeus Seneca)による『人生の短さについて(De Brevitate Vitae)』である。当時のローマの食糧長官を務めていた親戚のパウリヌスに宛てて書かれたものだ。今朝は、『弦楽のためのアダージョ』を聴きながら、静かに、これを熟読している。

慈しみ深き01

大部分の人間たちは死すべき身でありながら、われわれが短い一生に生まれついているうえ、われわれに与えられたこの短い期間でさえも速やかに急いで走り去ってしまうからと、嘆いている人が多いが、セネカは、実は、人生は短いのではなく、浪費しているからだ、と指摘する。

「われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費されるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。けれども放蕩や怠惰のなかに消えてなくなる。」

「結局最後になって否応なしに気付かされることは、今まで消え去っているとは思わなかった人生が最早すでに過ぎ去っていることである。全くそのとおりである。われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。」

「諸君が誰か何かに与えている一日は、諸君の最後の日になるかもしれないのだ。諸君は今にも死ぬかのようにすべてを恐怖するが、いつまでも死なないかのようにすべてを熱望する。」

セネカは、人生そのものが短いと考えるのは間違っていると言っている。なぜなら人生は、私たちの使い方次第で、短くなったり長くなったりするからだ。無駄に使わず、有効に使うことが大事だと。

「なぜ人生を短いと感じるのか。才能や富に恵まれ、外からは充実した生活に見える生き方でさえ、それを守るために汲々としているに過ぎない。たがいに他人のために時間を使いあっているだけで、自分のために時間を使っていないからである。」

「他人のためではなく、自分自身のために時間を使うことが大事だ。雑務に追われている心では何かを成し遂げることはできない。多忙であれば、それだけよく生きることが難しくなる。時間を自分自身のために使うひとは、明日を恐れることがない。なぜなら彼には、後は運命の女神が決めてくれるはずだという確信があるからだ。これに対して、多忙なひとが年を取ったところで、長く生きたとはいえない。彼はただ「あった」だけだ。ちょうど嵐のなかで同じ海域をぐるぐる引き回される船と同様、長く翻弄されたにすぎないのだ。そして、こういうひとに老いは突然やってきて、彼を面食らわせるのだ。」

「人生は3つの時間に分けることができる。過去、現在、未来だ。多忙なひとびとは振り返るべき過去をもたず、ただ現在だけを生きている。多忙なひとは、現在を「点」で生きているので、長さを感じることができない。それに対して、振り返るべき過去があれば、人生に厚みが生まれる。」

「一つの仕合わせを守るために別の仕合わせが必要となり、またたとえ願いがかなっても別の願いが立てられねばならない。なぜというに、偶然に生じたものはすべて安定を欠き、また高く上ったものほど落ち易いからである。そのうえ、消えてなくなるものを喜ぶ人は、ひとりもいない。それゆえ、大きな労力を用い、所有するには更に大きな労力を必要とするものを得んとする人々の人生は、当然のこととして、きわめて短いのみならず、きわめて惨めというべきである。」

山岡は、こうして長期入院中に、このセネカの箴言を再読して、あらためて、しみじみ、その通りだと思った。そして、皮肉なことに、こうして、振り返るべき過去について、じっくり省察する機会を、期せずして長期入院という形で与えられたことを、ありがたくすら思った。

確かに、人間の致死率は100%である。まったくもって平等である。

そして、誰とて、死する時期を知らない。明日かもしれないのだ。そして、1つ明らかなことがある。死ぬまでは、生きている。ことだ。

「生きることは生涯をかけて学ぶべきことである。生涯をかけて学ぶべきは死ぬことである。」「時間は無形なものであり、肉眼には映らないから、人々はそれを見失ってしまう。」

「人の生涯は始まったところから進んで、自らの歩みを呼び戻しもせず、引き止めもしないであろう。騒ぎ立てることもなく、自らの速度を促すこともないであろう。人生は急ぎ去っていく。やがて死は近づくであろう。そして好むと好まざるとを問わず、遂には死の時を迎えねばならない。」

「一万人のうちで、英知に専念する者のみが暇のある人であり、このような者のみが生きていると言うべきである。」

過去の英知を友とすることは、自身の人生に、過去の長い英知の人生を付け加えることになる。大事なのは、人生の長さそのものではなく、その生き方の問題である。名誉や財産を求めて時間を浪費するのではなく、本当に考えるべき問題を考えることに時間を費やすべきだ。山岡は、そう思った。

(次章に続く)

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