ワルキューレの微笑 ~ある地球環境学者の鎌倉日記~ 作:古屋 力

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2022.7.26 掲載

21. セレナーデ

今朝、病室で、イアホンでラジオを聞いていると、フランツ・シューベルト(Franz Peter Schubert)のセレナーデ(Ständchen)が、流れていた。歌曲集「白鳥の歌(Schwanengesang)」D 957の第4曲だ。31歳で急逝した偉大なる作曲家のことを思いながらこの曲を聴いていると涙が止まらない。いつも、このメロディを聴くと、山岡の魂は感動で震える。ちなみに、セレナーデとは、恋人の家の窓の下で演奏する音楽を意味する。

Leise flehen meine Lieder
Durch die Nacht zu dir;
In den stillen Hain hernieder,
Liebchen, komm zu mir!

私の歌がそっと願いを込める
夜をつうじて 君に
静かな森に下りてきて
愛しい人よ、私のもとに来てくれ!

シューベルトのセレナーデを聴くと、必ず、山岡は、ドイツ時代の1つの風景を思い出す。それは、ローマ帝国時代からの伝統的な高級温泉保養地、ドイツのバーデン=ビュルテンブルク州にある世界的にも有名なバーデン・バーデン(Baden-Baden)での光景である。湯治の穏やかな日の午後、温泉で温まった体を外気にて冷やそうと、紅葉で色づいた美しい庭を散策していると、素晴らしい音色が。その曲は、庭園内にある特設円形ドームで弦楽団が、演奏していた。その曲が、フランツ・シューベルトのセレナーデであった。白鳥が死ぬ間際に最も美しく歌うという神話に基づいて作曲された「白鳥の歌」らしい、恋する人への想いをせつせつと歌い上げた不朽の名曲だ。

秘めやかに 闇を縫う 我が調べ
静けさは 果てもなし 来よや君

ささやく木の間を 洩る月影 洩る月影
人目も届かじ たゆたいそ たゆたいそ

ベートーヴェンにあこがれ、尊敬していたシューベルトには、有名な逸話がある。いまから200年近くも大昔の話だが、1827年3月26日、ベートーヴェンが死去し、シューベルトは葬儀に参列した。当日ウィーン市民2万人が大葬列に参加した。シューベルトは、葬儀の後、友人たちと酒場に行き、「この中でもっとも早く死ぬ奴に乾杯!」と音頭をとった。このとき友人たちは一様に大変不吉な感じを覚えたという。そして、彼は、その乾杯が予言したかのように、その翌年1828年11月19日に急逝した。

ちなみに、温泉好きの山岡は、通算8年間に及ぶドイツ時代も、休日のたびに、家族と、ドイツ国内の各地の温泉に滞在した。ドイツ語では温泉をBadと呼び、Bad-Füssing, Bad-Schönborn, Bad-Homburg…など各地の地名でBadがつく地名も驚くほど多い。特に、ドイツ国内にある温泉地の地名にはドイツ語で入浴、温泉、湯治場を意味するBadがついている。例えば、ローマ帝国時代からの伝統的な高級温泉保養地、バーデン=ビュルテンブルク州にある世界的にも有名なバーデン・バーデン(Baden-Baden)や、文豪ゲーテや、ドストエフスキーも訪れたという有名な温泉地、フランクフルト近郊の町ヴィースバーデン(Wiesbaden)等。

セレナーデ01

ドイツの温泉には、日本の温泉と違う特徴が幾つかある。温度が幾分低めで、しかも、温泉水を飲む「飲泉」も根付いること。「飲泉」の効能は心臓や循環器、関節、呼吸器の障害、リューマチ、代謝疾患など様々な疾患に効く。また、温泉地に「カジノ」がよくあること。特に、ドイツのサウナやジャグジーバスは、混浴が多く、タオル一枚で入室するのが基本。山岡も、最初に、このスッポンポン混浴サウナを経験した際に、大きな衝撃を受けた。

究極は、バーデン・バーデンの老舗温泉フリードリヒスバード(Friedrichsbad)であった。一応、入口は男女別々。脱衣所で服を脱いだら、番号がふられている順路に沿ってサウナ、熱気浴、炭酸浴などを順番にまわっていく「ローマ式の入浴方法」。一番奥のドーム型の荘厳な天井があるローマン・アイリッシュ浴場は混浴。若い女性も含め、全員スッポンポン!!しかも、みなさん、平気な顔!

ドイツはじめ、欧州各地の温泉地巡りも愉しい。世界屈指の温泉文化を誇る日本以上に、ヨーロッパでも、相当古くから、古代ギリシアからローマへと広まった大衆浴場の文化が根付いていたことがうかがえる。中でも、特に、山岡家が、好んで訪問滞在した温泉宿は2つあった。1つは、バーデン・バーデンの老舗ホテルのBad Hotel Zum Hirsch。もう1つは、山岡が、ドイツ駐在して、最初に訪問した忘れがたい老舗温泉Steigenberger Hotel Bad Neuenahrであった。

バート・ノイエナール・アールヴァイラー(Bad Neuenahr-Ahrweiler)は、有名なライン渓谷の温泉保養地で、最初のドイツ駐在時代、赴任地デュッセルドルフ(Düsseldorf)から通った温泉地であった。ボンの南方郊外にある小さな町で、ヨーロッパでも屈指のミネラル水が湧出することで知られていた、多くの湯治滞在者が「飲泉」をしていた。

ドイツ赴任から帰国して、ずいんぶんと経過した時期に、山岡は、学会の帰りに、一度妻と合流して、この温泉保養地を再訪したことがあった。その際には、ドイツ在住の先輩夫妻も、はるばる、このバート・ノイエナール・アールヴァイラーに来てくれ、再会を喜んだ。「ここの温泉保養地の風景は、あの駐在時代の当日まったく変わっていないよね」と4人で、再会を喜びながら、美味しいワインで乾杯したことを、ふと、思い出した。

(次章に続く)

次章 「22. 心と口と行いと生命をもて」