2022.5.24 掲載
病室で、ラジオを聴いてたら、懐かしい加山雄三の『旅人よ』が奇遇にも流れていた。
風にふるえる 緑の草原
たどる瞳かがやく 若き旅人よ
おききはるかな 空に鐘がなる
遠いふるさとにいる 母の歌に似て
この曲を聴きながら、山岡は、ふと、家族と7年間すごした成城時代を懐かしく思い出した、山岡家は、10年間の鎌倉生活を経て、2度目のドイツ赴任先フランクフルトから帰国後、一時期、子供たちの学校通学の事情係で、鎌倉ではなく、東京世田谷成城にしばらく住んでいた。成城通リ沿いの自宅の隣家は、池端直亮家、あの加山雄三邸であった。回覧板等の授受等の隣近所付き合いも、ほとんど、お手伝いさんが多く、池端直亮氏ご本人と会う機会は、3回程度だったかと記憶している。成城の街の面白さは、加山雄三氏に限らず、様々な面白い方々と接する機会が多かったことであった。
目と鼻の先には、女優の司葉子が住んでいた。本郷に出勤の途上、司葉子(相澤)邸の桜が、あまりに美しくみとれていたら、たまたま出ていらした司葉子さんご自身としばらく立ち話したことをなつかしく思い出す。『小早川家の秋』等、大好きな小津安二郎作品にも出演している伝説の大女優である。
また。ノーベル賞作家の大江健三郎氏や現代美術家で活躍している横尾忠則氏や、俳優の橋爪功、所ジョージ氏ともよく遭遇した。また、世界的指揮者小澤征爾氏とは、成城学園前の駅前のいきつけのカフェDEAN & DELUCAでも、何度かお会いし、立ち話をして談笑したこともあった。
小澤征爾氏と言えば、小澤一家がご用達の、成城の老舗蕎麦屋「増田屋」でも、よく、小澤征爾氏やご家族と遭遇することも多かった。時に、横尾忠則氏が隣の席で、向こうに小澤一家という豪華な晩もあった。ここのそばつゆは濃くて好みではなかったが、この不思議な遭遇が愉しみで、よく通った。
おそらく、このような、かけがえのない出会いをもたらす「鍵」をひとことで総括するとしたら、「セレンディピティ(Serendipity)」という言葉に集約できるかもしれない。
この不思議な言葉は、イギリスの政治家にして小説家であるウォルポール(Horace Walpole)の造語であるが、長い人生航路の道程で、様々な出会いや、読書や人間関係や旅等を通じて、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つけることを意味する言葉だ。偶然の出会いをきっかけに閃きを得て、そうした機会から感動や幸運をつかみ取ることだ。
山岡にとって、この不思議で魅力的な「セレンディピティ」の力が育てられた時期は、学者になる前の、前職の外国為替専門銀行時代ではなかったかと思っている。心から感謝の気持ちで一杯だ。見知らぬ異国の地に放り出されて、試行錯誤を重ねながら、その土地の生活習慣や商習慣を体得しつつ、数年間に及ぶ駐在生活を送って特有の「セレンディピティ」を体得する稀有な経験を通じ、人生の幅が広がった。
大学の教員になったのは、2010年春だが、日ごろ、本郷で、大学の教壇にたって学生諸君と向き合う学者生活を送りながら、この「セレンディピティ」という言葉がいかに大事かを痛感することが多くある。情報や知識をただむやみに溜め込むだけでは、自分から考える力を身につけることはできない。学生諸君がこれからの人生を生きてゆく上で必要な能力は、強くしなやかな「本物の思考力」だ。そのために、セレンディピティは、とても大事な能力なのだと思う。そして、それが、彼ら彼女らのこれからの人生にひろがっている無限の可能性を彩り豊かなものにしてゆくんだと思っている。
教授就任以降、毎年8月に、2週間ほど、山岡ゼミの学生諸君とドイツ・スイス・フランスの3か国や、北欧のデンマークやスウエーデンを訪問するゼミ合宿を行ってきた。よく同僚教授からは、「毎年夏に、なぜあれだけ苦労して、学生諸君をヨーロッパ合宿に連れて行かれるのですか」と尋ねられることがある。おそらく、その答えは、大好きな学生諸君の笑顔をみたいからだと思っている。生涯で2度と来ない瑞々しい感性豊かな青春時代に、かけがえのない「セレンディピティ」の感動を味わってもらいたいからだと思う。
山岡ゼミの欧州合宿参加学生諸君には出発前に1人1人に1冊の大学ノートを贈ること。これが、山岡ゼミの習慣となっている。毎晩、旅先で出会った人々や風景の印象や、驚きや発見の感動を、率直に何でも綴ってもらう。帰国後提出されたこの至宝のような1冊1冊の大学ノートに認められた手書きの旅の軌跡を拝見しながら、ふと目頭が熱くなる。行間から感動が伝わってくる。その手書きの文章から、学生諸君が自分自身で発見した明日の持続可能な世界へのヒントがたくさん綴られており、うれしく思った。その時、脳裏に浮かんだ言葉が、この「セレンディピティ」という言葉であった。
欧州合宿を通じた学び方、感じ方は、各人各様であったが、各人の成長を、そこに感じた。ウルルン満載の感動物語がそこにあった。学生諸君が、確実に、各人各様のセレンディピティを体得し、見事にグランジュテ(飛躍)を実現している証左が、そこにあった。おそらく、参加学生諸君が、これから10年後に、ボロボロになっているであろう、その1冊の大学ノートを読み返した時、このひと夏のグランジュテ(飛躍)の感動が、再びよみがえってくるに違いない。そのころ、世界が、もっと人間と環境に優しい世界に進化してくれていたらなあと思っている。その10年後の学生諸君の笑顔を想像しながら、懐かしい加山雄三の『旅人よ』を聴いていた。
(次章に続く)