2022.3.28 掲載
本郷にある山岡の勤務先大学は、ありがたいことに、結構おおらかで、シラバスさえしっかり企画・実施すれば、その現場での教授法や内容は、教授裁量にゆだねてくれていた。山岡は、毎年、地球環境学の初学者向けに、初回講義で、ジョン・レノン(John Lennon)の「イマジン」を学生諸君に聴いてもらっている。一種の恒例儀式になっている。そして率直な感想を書いてもらっている。そして、この歌詞について自由闊達に意見交換している。なぜなら、「イマジン」に、地球環境を学ぶ学生にとって、すべてのヒントが凝縮しているからだ。
ジョンが凶弾に倒れたのは、もう大昔。1980年12月8日のこと。山岡が、社会人になる1981年春の前年のクリスマス前の突然の悲報であった。そしてその数年後、山岡は、寒い冬の朝、NYのセントラルパーク沿いのダコタ・ハウス (The Dakota)の献花の前に佇んでいた。その近く、セントラルパークに「ストロベリー・フィールズ」があった。その路面には、‘IMAGINE’の碑があり、絶えず人々が集う場所となっていた。今日、病室で、ふと、この「イマジン」が脳裏でリフレインを始めた。なぜなのかは、わからない。
「さあ想像してごらん みんなが、ただ平和に生きているって...僕のことを夢想家だと言うかもしれないね。でも僕一人じゃないはず。いつかあなたもみんな仲間になって、きっと世界はひとつになるんだ。(Imagine all the people, Living life in peace. You may say I'm a dreamer. But I'm not the only one.
I hope someday you'll join us. And the world will be as one)」
「欲張ったり、飢えることも無い。人はみんな兄弟なんだって、想像してごらん。
みんなが、世界を分かち合うんだって...(Imagine no possessions. I wonder if you can. No need for greed or hunger. A brotherhood of man. Imagine all the people. Sharing all the world)」
実は、この部分は、「イマジン」の歌詞の中で、毎年、学生の人気が一番高いフレーズ部分だ。山岡は、口ずさみながら、いまさらながら、このジョンのメッセージは、SDGsそのものの原点だなと思った。そして、ついでに、ジョンのパートナーであったヨーコ・オノの言葉も、思い出した。
「物事というのは自然に明らかにならなければいけないの。 それがベストなの。 何でも、いつかは明らかになる。 私たちがどれだけ賢くなるか、それによるわね。」
(ヨーコ・オノ)
なぜか、この言葉を反芻しながら、ヨーコ・オノって、フィンランド人の児童文学作家であるトーベ・マリカ・ヤンソン(Tove Marika Jansson)が描いた「ムーミン」の登場人物で、主人公ムーミントロールの親友スナフキン(Snufkin)に似てるなとふと思った。むろん、スナフキンは、ちょっぴり危険な香りがする大人の男なので、ジョンに近いかもしれないが、どうも、山岡にとっては、ヨーコ・オノが、スナフキンなのだ。ヨーコは、スナフキン的に「私たちがどれだけ賢くなるか、それによるわね。」なんて、やや突き放した感じで言ってるが、人類って、まったくこの半世紀近く、賢くなってなんかいないんだと、寂しく思った。ちなみに、ヨーコ・オノは、以前、山岡が勤務していた某外国為替専門銀行の大先輩のお嬢様だった。
思えば、日本人女性って、その後の世界を根本から変えてしまうGreat reset を視野にしたgame changerとして世界的な影響を与える人物を覚醒させる重要な役割をすることがよくあるなぁとも思った。ヨーコ・オノは、ジョンのパートナーとして、そして、あの、汎ヨーロッパ主義を提唱し、後の欧州連合(EU)構想の先駆けとなったリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー(Richard Nikolaus Eijiro Coudenhove-Kalergi)の青山みつの場合は、母親として。山岡は、授業では、いつも、この「イマジン」で、教室の空気が熱くなったタイミングで、継ぎ油として「2の矢」も用意していた。それは、ホーキング博士(Dr. Stephen Hawking)の衝撃的な動画である。
2017年6月15日のBBC放送のドキュメンタリー番組『新たな地球を求めての旅立ち(Expedition New Earth)』 であった。ここで、ホーキング博士は「人類はあと100年で終了」と驚きの未来予測を発表し、世界各国で大きな反響を呼んだ。博士曰く「人類は急いで別の惑星に移住することを考え実行しなければならない。地球は生物が生存するにはあまりにも危険が大きくなり過ぎた」と、衝撃的な予言を述べている。
「よりによって、ご自身が逝去する直前に、ひどく重い置き土産を置いて行ったものだ」と、その天才ホーキング博士の、ややアイロニカルな所作に、山岡は、当惑しつつ、学生と語り合った。はたして、この不吉な予言は本当にあたるのか。この地球上で持続可能な人類社会の実現は本当に不可能なのだろうか?その元凶たる人類には、何か欠落しているのか?「イマジン」と「ホーキング博士」で、教室内で、参加学生同士、お互いに化学変化が起こり、初学者によるこの初回講義は、毎回、結構沸騰する。
確かに、2015年の誕生した「パリ協定(Paris Agreement)」と「SDGs(Sustainable Development Goals;持続可能な開発目標)」が、こうした「イマジン」と「ホーキング博士」の議論に通底したグローバル・イッシュー課題に向けた実装装置であり、その目標達成自体が、喫緊の最優先課題であることは、学生諸君も深く理解し、強く同意しているし、だからこそ「気候危機マーチ」に参加したりして、それなりに積極的主体的に行動している学生も多い一方で、このグローバルな「パリ協定」と「SDGs」の目標達成の成功可能性に対しては、多くの学生は、冷めていて、懐疑的であった。
冷めた反応ということは、決して白けているのではなく、むしろ逆で、「自分ごと」として真摯に考えているからこそであった。大人たちの無責任なその場限りの所作に本気度を感じていないから、その実現可能性に対して、まったく信頼をおいていないだけなのである。言い換えるならば、学生諸君の方が、現在の為政者や企業経営者よりも、よっぽど真剣であり、当事者意識が高次なのである。真摯にイマジンしているのだ。
学生のレポート等でも「このままでは、おそらく、「パリ協定」と「SDGs」ともに目標達成は無理だろう」という厳しい意見が過半数をしめている。学生諸君は、現下の政治経済システムを支えている大人たちが所詮もはや行動変容も価値変容もできない限界を見抜いてしまっている気がしてならない。こんな冷めた感覚をもっているいまの学生を、実は、山岡は、敬意をもって接している。彼ら彼女らの丁寧な思考習慣が、バブル時代を経験している山岡の世代とは全くもって真逆で、実に健全だからである。
1990年代後半から2000年代前半に生まれた世代のZ世代と呼ぶが、ネオ・デジタルネイティブスとして生まれた時からインターネットがあたり前のように存在し、SNSを始めとして日々膨大な情報を処理している過程の中で、彼らは社会の多様性に対する受容度が他の世代より高く、彼らは、かつてのバブル世代のような、皮相的で、出世意欲旺盛で、虚栄心で外車や時計を買ったり、高級ワインを飲んだり、豪邸に住んだりといった一時代昔の陳腐で不健全な価値観を持ち合わせていないだけなのである。
それでは、はたして、「パリ協定」と「SDGs」実現はおろか、気候危機を加速することすらあっても、まずもって阻止ができないでいる、いまの人類社会システムの本質的な問題は何か?議論は、その先に進む。時に、山岡は、議論の帰趨をみつつ、「ゆっくりと歩む旅人は一番遠くまで安全に辿りつける(he who goes slowly, goes safely and goes far.)」という欧州に古くから伝わる示唆に富んだ箴言を紹介して、議論することもある。実は、この諺には、山岡自身の個人的な思い入れがある。
だいぶ大昔のことになるが、山岡は、英国の大学を卒業する長女の卒業式に妻と出席した。その晩、ありがたいことに、恩師の英人老教授のご自宅に、お祝いの晩餐に招待された。詩人でもある老教授は、美味しいワインで歓待してくれ、乾杯の際に、長女への餞(はなむけ)の言葉として、この欧州の古い諺をくださった。
「he who goes slowly, goes safely and goes far
(ゆっくりと歩む旅人は一番遠くまで安全に辿りつける)」
ホーキング博士の話を聴いた時、ふとこの言葉を思いだした。そして、この問題解決のヒントが、この老教授の言葉にあるのではないかと感じた。いまや、人類の急進的でgreedy(貪欲)な仕組みにはもはや限界が来ている。従来型の世界経済の仕組みそのものが壊れつつある。そして、何よりも深刻なことは、人類が「本当の幸せ」からどんどん遠ざかっていることである。このままでは、ホーキング博士の予言の通りになるかもしれない。杞憂ではなくなるかもしれない。
現在主流の新古典派経済学やゲーム理論に象徴される近代経済学が想定している「合理的経済人(homo economicus)」を前提とした、現下の人類経済社会システム自体に、問題がある。そう、山岡は思っている。効用や利益を最大化するよう人々は行動している。市場競争の中で、自分の欲望を最大限解放することが、人類経済社会を最も豊かにする方法だという仮説である。
この仮説の致命的な欠陥は、「合成の誤謬(fallacy of composition)」と「社会共同性(Social communality)の欠落」にある。個々の経済主体が、経済合理性を追求しても、その合成した総和としての人類社会全体の効用を損なうことも多々ある。その最たる問題が、気候危機問題である。そして、地球環境や社会的交通資本というコモンズに対する合理的な行動を、合理的経済人は取らない。その蹉跌が多くの不幸と不条理を生んでいる。かつて、ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)は、特別講義で、人類の種の前途についてこう喝破した。
「人類の前途は二者択一だ。人類という種は消滅するであろう。しかし、絶滅ではない。それはあくまで消滅にすぎない。消滅の形は、二者択一だ。1つは、人類自身がもっている核や生物化学等の強大な力による自滅。もう1つは、人類という種のアップグレードだ。いずれにしても、この前途がどうなるかは、これからの我々1人1人の行動と意思にかかっている。」
ちなみに、2020年12月21日は、冬至で、1年間で、最も昼が短く最も夜が長い1日だった!木星と土星 大接近!!「グレートコンジャンクション」とも呼ばれている。これほど接近するのは397年ぶりの出来事だ。18世紀末の産業革命に端を発した土の時代が、2020年に終わり、次の時代である風の時代へと移り変わる貴重な時、土の時代(組織、安定、所有、蓄積)から風の時代(個人、変革、共有、循環)への変化の時だと言われた。今、確実に、人類は、土の時代の伝統ともいえる物質的なところに価値基準の中心が置かれることから離れて、“空気感”や“精神”といったものが価値を持ち人の意識がそういったものにフォーカスされていく世への移行を象徴する時代に移りつつあるのかもしれない。それを予見していたのが、他ならぬ、ジョン・レノンだったのかもしれない。そう、山岡は、思っている。
(次章に続く)