ワルキューレの微笑 ~ある地球環境学者の鎌倉日記~ 作:古屋 力

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2022.7.12 掲載

19. ポロヴェツ人の踊り

鎌倉の自宅から数分歩いた至近に、山岡の畑がある。先ほど、病室の山岡に、子供たちから、畑の写真が送られてきた。山岡が入院して留守中に、子供と孫も参加して、畑づくりに参加してくれている写真であった。つい、先日も苗を受けて、それを楽しみに、東京からやってきた。瑞々しい豊饒な緑が、うれしかった。「鎌倉山岡農園」の写真だ。あくまで、この呼称は、山岡独自の呼称で、正式には「ふれあい農園」と言う。3坪程度の「猫の額」程のとても小さい畑だ。小さいが四方を緑に囲まれた閑静な環境が気に入っている。

ポロヴェツ人の踊り01

ドイツに住んでいた時、街はずれに「週末の家(Wochenendhaus)」という家庭菜園を、よく見かけた。ドイツ人たちは、週末には、ワインと本1冊もって、テレビも電話もつながらない自然の中の山小屋で、静かに農作業してすごしていた。それにあこがれていた。それが、幸運にも、鎌倉で、実現した。

一種のNPOの運営で、一種のコモンズで、入会地のように、参加者全員で共同管理し、農具も共有だ。草取り協働作業もある。みんなで、汗をかくと、最高に気持ち良い。笑顔がこぼれる。肥料や苗は年に2回程度、驚くほど廉価で共同購入している。

まったくの素人ながら、山岡も、自分で本を買ったりして独学しつつ、実践面では、農園の長老の手厚い指導を受けながら、ジャガイモつくりから始めた。驚くことにイケアの青い大きな袋で3袋以上の大収穫となった。これで、この晴耕雨読の生活にすっかりはまってしまった。

自宅に古新聞紙を広げて、成果物のジャガイモを乾燥させるのだが、床一面に広がるジャガイモは圧巻であり壮観であった。妻が、コロッケつくりの名手なので、さっそく、ジャガイモで自家製コロッケを沢山作った。3人の子供たちも、鎌倉に集合して、美味しいと、たくさん食べてくれた。目頭が、熱くなった。

今は、子供たちが、参加。自主的に、大根やタマネギなんぞを植えている。東京から、はるばる、野菜つくりのために、週末、通ってきてくれている。みんなで、夢中になって、土に向き合っていると、時間を忘れる。空は高く青く、竹林の緑は、美しく、小鳥が囀る。最高の環境が、そこにある。

なによりも、嬉しい発見は、農園の仲間たちの心の交流である。山岡も、自分の畑でできたジャガイモを隣の畑の老夫人に差し上げたら、その何倍もの美味しい大根を頂戴した。また、少しだけ、肥料を貸してあげたら、ナント、たくさんのタマネギを頂戴して、驚いたこともあった。

そこには、お金が介在しない、心暖かな交流があった。笑顔があった。人の触れあいがあった。実体験を通じて、いいもんだなぁと実感した。東京でながらく国際金融の世界にいた山岡であったが、金融通貨から自由な、こうした地に足のついた、物々交換の喜びを、あらためて感じた。

ポロヴェツ人の踊り02

山岡家は、数年前に、鎌倉の自宅屋根に太陽光パネルを施設した。電気の自給自足、地産地消である。余剰分は売れるし、不足分は、自然電力100%の電気会社から購入している。やがては、オフグリッドにしたいと考えている。

家庭の「脱炭素化」は、脱炭素社会構築の要である。山岡自身も、率先垂範して、ささやかながら、脱炭素社会構築に貢献出来たらと思っている。住宅の断熱性・省エネ性能を上げ、太陽光発電などの自然エネルギーを地産地消で創ることで、年間の一次消費エネルギー量(空調・給湯・照明・換気)の収支をプラスマイナス「ゼロ」にする住宅ZEH(Net Zero Energy House;ゼッチ)普及は、急務である。

HEMS(ヘムス)という、住宅内の消費エネルギーと太陽光発電等で創るエネルギーを確認できるシステムも必須不可欠で、すべてが「見える化」することによって、自宅が、どの程度、脱炭素化がすすんでいるか、目視確認できる。

さすがに、風呂に使うガスは、いまだに、外部依存しているが、やがて、全面的に電化し、それを地産地消で、自宅の太陽光パネルで、自然エネルギー100%自給自足できたらいいかなと思っている。やがて、愛車も売って、移動も、電気自動車か、自転車で100%カバーできそうな気がしている。

ところで、山岡は、農作業を夢中でしていると、いつも1つの旋律が、脳裏にリフレインする、それは、「ポロヴェツ人の踊り(Polovetsian Dances)」だ。ロシアの作曲家アレクサンドル・ボロディン(Alexander Porfiryevich Borodin)のオペラ「イーゴリ公(Prince Igor)」より。心の琴線に触れる世界で一番美しいメロディだ。

大気は喜びに満ち、
さざ波を聞きながら
山々は雲居にまどろむ
太陽が燦然と輝き
故郷の山々を光に包む
谷間には華麗な薔薇の花々が咲き乱れ
蒼い森には黒歌鳥が鳴き
甘い葡萄が繁る。
お前はそこでは自由、歌よ
故郷へ飛べ

フルートとクラリネットが緩やかに旋律を紡ぎ出す序奏を聴くと、心が解放され、穏やかになる。自然に回帰する気がするのである。

(次章に続く)

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