ワルキューレの微笑 ~ある地球環境学者の鎌倉日記~ 作:古屋 力

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2022.8.9 掲載

23. 時代

病室で、日本が、COP26で、不名誉な「化石賞」受賞の悲報を聴いた、その気持ちを代弁するかのような、中島みゆきの不朽の名曲『時代』を、たまたま、聴いていた。

今は こんなに悲しくて 涙もかれ果てて
もう二度と笑顔には なれそうも ないけど

そこに、たまたま、英国グラスゴーのCOP26に参加し、現地から早めに帰国した友人が、メッセージを送ってくれていた。そこには、怒りをこめて、こう書いてあった。

「日本に着いた途端に気候危機のきの字も、大きな関心事になってないのかとがっかりする。気候危機こそが、次の世代、将来世代の未来を左右する重大事じゃないの? グラスゴーでは毎日・毎週、気候危機が特集。わたしたちが関心を持たないからじゃなく、メディアの中枢にいる人が関心を持っていないからじゃないのかな。報道の中身もそう。原子力への回帰が喧伝されるけど、もちろんそんな国も産業もあるけど、決して議論の中心ではない。世界の方向性は自然エネルギー。水素だって、10年前は欧州でもガス水素の議論があったけど、もう今はグリーン水素のみ。」

病室で、このメッセージを読みながら、山岡は、ふと、春学期に、本郷で、学生諸君に語った講義「生活と環境」のひとこまを思い出した。その日のテーマは「閉塞した社会で「幸福」と「地球環境」を思考する」であった。副題は、「SDGs世界一で世界一幸福な国フィンランドからいま日本が直面している宿痾の解決方法を探ろう」であった。

いまや経済や資本はどんどん巨大になっていって、お金だけは、数字の上では膨らんでいるが、我々の実態を見ると、はたして、真の幸福や豊かがあるのか大きな疑問や不安を抱かざるを得ない閉塞感がある。そして、現下の深刻な地球環境問題は、この閉塞感と深くつながっている。

それでは、はたして、この閉塞感の根本原因、本質はどこにあるのか?その答えは、人類の「システム依存」に根本原因がある。特に日本の「システム依存」は深刻である。日本は、SDGs世界一で世界一幸福な国フィンランドから学ぶことは多い。

人は幸福に生きるために経済的豊かさを求める。それを支える資本主義システムでは、合理化が進む。すると人々の「システム依存」が進む。すると「我々が道具としてシステムを使って」いたのが、「システムが我々を道具として使う」フェイズに相転移する。
人々は世界の主役ではないと感じる。自分のポジションもステータスも誰かと置き換え可能だと思い、不安になる。不安だから刹那的な消費等に逃避する「不安を埋め合わせたがる神経症」に陥る。そこに閉塞感が生まれる。真の幸福を獲得できない。そして、利他心や想像力や人間性が衰弱し、環境問題にも無関心になる。人類は真の幸福から遠ざかる。

実は、ドイツに、この問題について、相当大昔に、問題提起をした学者がいた。社会学者マックス・ヴェーバー(Max Weber)だ。そして、この予想は「ヴェーバーの予想」「汎システム化のテーゼ」とも呼ばれている。

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去年秋、ご縁があって、山岡は、東京南麻布のフィンランド大使館を訪問したことがあった。外交官のアンティと。いろいろお話ができて有益な時間を楽しめた。山岡は、せっかくの良い機会でもあったので、彼に、率直な質問をした。

フィンランドはなぜSDGs世界ランキング2021で1位なのか?そして、なぜ4年連続幸福度ランキング世界一位を獲得できているのか?肩書は関係ないオープンフラットな会社組織をどうして作れるのか?日本では、残念ながら、2019年は58位、日本は2020年に40位だが、SDGs世界一のフィンランドとのこの大きな違いについてどう思うか?日本では、17あるSDGsの中でも、とりわけ、5番のジェンダー平等や、13番の気候変動、14番の海の豊かさ、15番の森の豊かさ、17番のパートナーシップが「大きな課題が残っている」として指摘されているが、フィンランド人の目から見える「日本が直面している問題の本質」は、何か?

外交官のアンティは、「フィンランド人はシャイで謙虚な国民なので、こういった質問には戸惑う」と前置きしつつ、以下のような、幾つかの分析を披露してくれた。フィンランド市民の間で、「サステイナビリティ(持続可能性)の重要性」がしっかり共有されていること。学校教育や社会的啓蒙を通じて、地球に負荷をかけて消費を増やすことの危険性と虚しさを学ぶ機会がフィンランドでは多い事。フィンランドでは、100年以上前から、すでに政府と市民の信頼関係を大切にする風土が生まれていたこと。特に警察に対する信頼は盤石だということ。フィンランド国民が、「物質主義的な消費は人々をより幸せにしてくれるとは限らない」ことをしっかり自覚していること。

フィンランドは、税金が高いが、福祉サービスが整備されている。税金が高いということはデメリットではなくメリットが多い。フィンランドは、高齢者にもやさしく、子どもも育てやすく、女性も男性も生きやすい国として機能するような福祉が充実している。医療サービスは基本的に公的機関が行う。出産や大がかりな手術の「医療費」はすべて無料。税金でカバーされる。原則「教育費」はすべて無料。学生には、住居手当、勉学手当がある。日本では出産に関わる費用は自己負担だ。教育に関わる費用も一部負担、医療費も3割負担といったように、自己負担がかかる。フィンランドの国土は70%が森で覆われているので、そのため、子供は、自然界について多くのことを学びながら育つ。

フィンランドは、「自然享受権」といった権利がある。夏の時期になるとベリーやキノコを求めて公園や森へ行き、無料で自由に食物を採取できる権利。この権利はフィンランドの国民だけではなく、観光客も自然の食物を採ることが許されている。ありのままの自然を楽しみながら、環境を守りつつ共生しているのがフィンランドの特徴。

フィンランドは、電力供給の90%がCO2を排出しないグリーンエネルギーで、化石燃料を使用して発電する際に出る有害物質やガスを削減するために、フィンランドをはじめとする北欧ではグリーンエネルギーが取り入れられている。

フィンランドは、「食品ロスの問題」に対し、積極的に取り組んでいる。フィンランドでは「食」を大切にする文化がある。「食」に対しての考えに重きを置いているため、フィンランドの首都ヘルシンキではゴミを出さないレストランが誕生した。厨房にはゴミ箱は置かず、調理中に出たゴミとなるもの(タマゴの殻や魚の骨など)はすべてコンポスティングするといった取り組みが行われている。

フィンランドは、今後10年以内に、車は全て電動化(電動自動車)予定である。そして、温暖化ガスを排出しない発電所から作った電力で電動車に電力を供給できると車による温暖化ガス排出問題解決をめざしている。いかに税制の面で電動車を優遇し、ガソリン車や温暖化ガスを作り出す化石燃料により高い税金を課せるかが鍵だ。

冬がとても寒いフィンランドでは住宅や建物にヒーティングシステムが不可欠で、一部の熱エネルギーを作り出すには温暖化ガスが排出されてしまうが、今後、石炭使用を禁止し、化石燃料により高い税金を課す予定だそうだ。

大手スーパーマーケットでは「ハッピーアワー」というサービスを行ってきており、消費期限の近い生鮮食品を3割引きで販売し、夜9時以降は6割引きになるフードロス対策を実践している。また、ここ数年は特に、できるだけ動物性由来の食事を避け環境にやさしい自然派由来のメニューを選ぶ人が急増している。廃棄食材だけを使った廃棄ゼロのベジタリアンレストランもある。

ちなみに、首都ヘルシンキは、2020年の「世界のスマートシティ・ランキング」でシンガポールに次いで2位に選ばれた。スマートシティ化に欠かせないのが、移動の問題。MaaS(Mobility as a Service=サービスとしてのモビリティ)とは各種交通インフラとAIなどの情報技術とを組み合わせてパッケージ化し、さまざまな交通の課題を解決しようという、フィンランドで生まれた概念。フィンランドではMaaSアプリが普及していて、欧州4か国でも導入されている。MaaSは効率的な移動を実現するだけでなく、交通渋滞の緩和、高齢者や障がいがある人のサポート、環境汚染の軽減などメリットは多くある。
移動手段の80%を自動車に依存していたフィンランドだが、MaaSプラットフォームの運用により、自家用車の利用は減少、公共交通機関の利用は増加。持続可能なモビリティ社会が実現している。

フィンランドの人はシンプルなライフスタイルを好む。フィンランドについて語られる際に”less is more”(少ない方が豊かである)という言葉が使われる。贅沢や多くの何かを求めるのではなく、人々は静かな日常の中に楽しみを見つけることに長けている。多くの人が午後4時に仕事を終え、プライベートライフを大事にしている。コロナ以前から在宅勤務3割だったのが、ヨーロッパでもいち早く在宅勤務を促進し、今では省庁を含め7割が在宅勤務。有休消化100%、1人当たりのGDP日本の1.25倍、在宅勤務3割、夏休みは1カ月。2年連続で幸福度1位となったフィンランドは、仕事も休みも大切にする。ヘルシンキ市は、ヨーロッパのシリコンバレーと呼ばれる一方で、2019年にワークライフバランスで世界1位となった。効率よく働くためにもしっかり休むフィンランド人は、仕事も、家庭も、趣味も、勉強も、なんにでも貪欲。でも、睡眠は7時間半以上。

(次章に続く)

次章 「24. サウンド・オブ・サイレンス」