ワルキューレの微笑 ~ある地球環境学者の鎌倉日記~ 作:古屋 力

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2022.4.5 掲載

5. 慈しみ深き

日ごろ頑健で風邪すらひいたこともなかった山岡にとって、今回の生涯初の入院・手術経験は、様々な貴重な新たな発見や内省をもたらしたが、特に、かけがえのない最も身近な存在である妻の深い愛を、あらためて、感じたことが、最上の収穫であった。

昨日、妻から1枚の写真がmessengerで送られてきた。地元の鎌倉のカトリック雪ノ下教会のチャペル内の美しい写真であった。「あぁ、こうして、1人で、祈ってくれているんだなぁ・・・」この1枚の写真を前に、山岡は、人知れず、病室で、1人静かにホロホロ涙がでてきた。思えば、まさに妻との出会いこそが、山岡にとって、生涯最上のセレンディピティであった。

就職した最初の勤務地が、東京丸の内であった。そこで、入行同期の妻とは、同じ課の所属であった。口の悪い妻が、「同期の中で一番冴えなかったのがあなただったわ」と、いつも、嬉しそうに、笑いながら言う。妻とはすぐに恋に落ちた。よくデートした。銀座を散策した。老舗バーのルパンにもよく通った。愉しかった。幸福だった。老舗印度料理店「ナイルレストラン」に通い始めたのも、そのころからである。

ある日のこと。同じ勤務先の同期友人から相談があった。「実は、好きな人がいる。どうしたら、いいのだろうか。」そこで出た名前を聞いて驚いた。妻の名前であった。山岡は、冷静に答えた。「実は、心に決めた大好きな人がすでにいるらしいよ。」むろん、その相手が自分であることは秘した。いま思えば、いつもの自分らしくなく、なんとも強気で厚顔であった。恋は人を強くするのだろうか。

ほどなく、妻と、結婚した。

四谷の上智大学内のクルトゥル・ハイムの聖堂で挙式した。秋晴れの美しいある日、予約もなく訪問した上智大学。そこで出会ったのがカンガス(Luis Cangas)神父であった、随分2人を気に入ってくださり、講座に通うことを前提に、快く受け入れてくださった。結婚式は、良く晴れた清々しいジューンブライド(June bride)であった。挙式中、小さくて素朴な聖堂の窓から、たくさんの光と緑が入ってきて。美しかった。
讃美歌「慈しみ深き」(讃美歌312番)を歌った。

「こころのなげきを つつまず のべてなどかは おろさぬ おえる おもにを」

慈しみ深き01

3人の子供に恵まれた。この子供の誕生が、また、その後の2人の人生を大きく変えた。生涯通じて、大切なかけがえのない存在である。我ら夫婦は、3人の子供を持つ親となって、恋人同士の関係から、戦友に、アウフヘーベンした。

思い起こせば、幼い3人を連れて、鎌倉の裏山の天園まで、よく登った。すでに3人とも社会人。各分野で大活躍している。長女は、creative director。NHK大河ドラマオープニングタイトルでも良い仕事をしている。建築家と結婚した。すでに1児の母でもある。長男は、コンセプトデザイナーでIT企業経営者。最近は「生きるを再発見する」をテーマに、事業創造を行っている。IT企業Founder, CEOと結婚、1児の父である。

次男は、某外資系IT企業勤務、まさに時代の最先端で大活躍している。独身。ドイツの最初の赴任地デュッセルドルフで、生まれ、当時丁度ベルリンの壁が「開いて」東西ドイツ統一が実現した時期でもあったので、記念に名前を「開(Kai)」と命名した。今回の発病・手術・入院においても、家族が心の支えとなってくれている。

今回の病気で、自分が孤独ではないことを、かけがいのない家族がいることに、心底感謝した。3人の子供が無事全員独立し、孫も2人誕生した、この時期の入院も、神の粋な采配と、とらえたほうがよかろうか。1つ明らかなことがある。仮に、再び、100回この世に生まれても、100回、いまの妻に恋をするだろう。そして、100回、結婚して、100回、今の家族を、今の家庭を築くのであろう。

(次章に続く)

次章 「6. 弦楽のためのアダージョ」