ワルキューレの微笑 ~ある地球環境学者の鎌倉日記~ 作:古屋 力

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INDEX

2022.6.14 掲載

15. An die Freiheit

たまたま病室で、31年前の今日1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊した報道をしていた。28年間にわたる東西ベルリンを遮断してきたあの忌まわしき壁が開いた感動的瞬間であった。当時、山岡は、家族とドイツに住んでいた。歴史的現場にいたわけである。ちなみに、その夜、旧東ドイツ・東ベルリンに住む35歳の女性物理学者が、友人と一緒にサウナに入っていた。当時、彼女にとってサウナは毎週の楽しみだった。だがこの夜、サウナを出ると人々は騒然としていた。様子がおかしい。実は汗を流している間に、東ベルリン市民が西側へとなだれ込んでいた。この日は1989年11月9日。東西を分断していた「ベルリンの壁」が崩壊した夜だった。

その女性こそ、のちのドイツ首相、アンゲラ・メルケルだ。

「着替えなどを入れるサウナ用バッグを持ったまま検問所に向かいました。そしてみんなの後をついていくと、西側にいました。あの夜は忘れられません」。メルケルは後にそう振り返る。通過したのは当時の検問所の一つ、ボルンホルム通り検問所。西ベルリンの地を踏んだメルケルは見知らぬ西側市民の家に招かれ、そのままビールで祝杯まであげている。今でこそ堅実なイメージのある彼女だが、若き日の勢いは違う。さらに翌日は妹を連れ、再び西ベルリンのデパートに出かけている。

山岡が1987年にドイツ赴任した当時、ドイツは「西ドイツ」と呼ばれていた。まだ壁があるベルリンの壁崩壊直後に、家族とベルリンを訪問し、ベルリンの壁を、自分たちでカナヅチを使ってドイツ人たちと一緒になって崩した体験が、いまでも忘れがたい貴重な経験であった。いまでもあの時に崩したベルリンの壁が記念に残っている。

An die Freiheit01

その同じ年1989年の12月25日には、ドイツの東西分離の象徴でもあったベルリンの壁が崩壊したことを記念し、レナード・バーンスタイン指揮しベートーヴェン「第九演奏会」が開催された。バーンスタインはここで、バイエルン放送交響楽団をメインに特別編成されたオーケストラを指揮し、これに東西ドイツの合唱団と東西ドイツ&英米のソリストが加わった豪華な布陣によるアンサンブルを指揮した。なお、バーンスタインはここで、ベルリンの壁が崩壊したという歴史的事実を祝うために第4楽章の歌詞の“Freude(歓喜)”を“Freiheit(自由)”に変更して歌わせた。An die Freude(歓喜に寄す)ならぬ「An die Freiheit(自由に寄す)」であった!粋な話である。

当時のバーンスタインはすでに肺ガンに冒されており、しかも自身そのことを知っていた。ここでの渾身の指揮ぶりはまさに命がけのものだった。

ちなみに、山岡と「第九」との付き合いも長い。今回の入院が決まる前「秋分の日」の2021年9月23日、山岡は、鎌倉芸術館(大ホール)で、鎌倉芸術館「第九」2021特別編 鎌倉市民合唱団結団式に参加した。今回は、特別編にもかかわらず、総勢233名の合唱団参加者の皆様の熱気はヒシヒシ感じられた。

思えば、小学校の時に、音楽の授業で、先生のご指名で、大好きなリコーダーで第九の合唱部分の「歓喜の歌」の旋律を演奏して以来、すっかりはまったのが、ご縁の始まり。その後、大学時代、2か月に及ぶシベリア鉄道経由の欧州貧乏旅行の途上では、旅先で出会う人々と歌う際に、なぜか、必ず「An die Freude!」を歌ってた。その後、過去2回通算8年間以上に及ぶドイツでの生活では、さすが本場だけあって、折を見ては「An die Freude!」を歌う機会にも接した。

そして、第九の合唱の本格デビューが、ここ鎌倉であった。最初の5年間のドイツ生活から帰国した1992年夏、鎌倉市民合唱団への嬉しいお誘いを頂戴し、トップ・テノールでデビューした。その後、何回か鎌倉市民合唱団で第九の合唱本番に登壇。その太宗がドイツ語でしたが、一時期は、なかにし礼氏作詞の日本語での第九を歌うと言う稀有な経験も懐かしい思い出だ。

いったん、2度目のドイツ赴任もあり、しばらく、鎌倉を離れ、2回目のドイツから帰国した後、数年間、東京世田谷暮らしが続いた間、2010年4月から、東京文京区本郷にある私立大学教授就任を契機に、文京区の区民合唱団に入り、何年間もの間、毎年クリスマスシーズンに、文京区シビックホールの大ホールで「An die Freude!」を歌う機会に恵まれた。

その後、東京世田谷から鎌倉の自宅に戻ってきたタイミングで、数年間様子見の後、いよいよ、今回から、鎌倉市民合唱団に復帰した次第。結局今回の本番は、入院で、不参加となったが、次回、復帰後の参加が愉しみである。

O Freunde, nicht diese Töne!
sondern laßt uns angenehmere anstimmen, und freudenvollere.

おお友よ、このような音ではない!
そうではなく、もっと楽しい歌をうたおう そしてもっと喜びに満ちたものを

Deine Zauber binden wieder,
Was die Mode streng geteilt,
Alle Menschen werden Brüder,
Wo dein sanfter Flügel weilt.

あなたの魔法の力は再び結びつける
世の中の時流が厳しく分け隔てていたものを
全てのひとは兄弟になるのだ
あなたのその柔らかな翼が憩うところで

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(次章に続く)

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