2022.11.29 掲載
5. 気候危機と民主主義
「気候民主主義(Climate democracy)」という聞きなれない言葉がある。気候危機と民主主義は、不可分である。スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリ(Greta Ernman Thunberg)は、「民主主義の力で権力者が私たちの声を無視できなくする」と述べ、気候危機が政治そのものであることを説いた。自分たちには社会を変える力があるが、それを有効にするためには、健全な民主主義が前提となる。気候危機等、世界各地で進行中の環境破壊に対し、各国の政策決定において、肝心な民主主義が果たして有効に対処できるのかどうかが真剣に問われつつある。
気候危機を打破すべく、2030年までに温室効果ガスを排出半減させ、2050年までにカーボンニュートラルを達成することが不可欠である。そのためには、思い切って産業構造、利権構造に切り込み、石炭火力発電所の段階的廃止や、思い切った多消費産業の脱炭素型への移行が必要になる。同時に、抜本的な雇用システム移行が必須不可欠である。こうした社会全体の「公正な移行」を達成するためには、戦略的なプログラム、合意形成づくりが重要である。国家や地域の持続可能性や発展を展望し、脱炭素にブレーキをかけることなくむしろアクセルをかけながらパラダイムシフトを実現させるためには、予算確保や国の支援が不可欠であり、まさに、健全な民主主義に裏打ちされた政治の力が要諦となる。
もはや、気候危機問題の解決には時間的猶予がない。気候危機は、時間と利権とのたたかいである。人類の豊かで幸福な暮らしと持続可能な繁栄を担保するめには、一気にパラダイムシフトを実現できる政治の力が必要である。脱炭素社会(decarbonized society)を牽引する政治の力が不可欠である。脱炭素社会をつくることは苦痛でも負担でもなく、安定した社会と明るい未来につながる前向きな取り組みであると自覚して、ポジティブに率先垂範してゆく政治の力が、いまこそ必要な時期はない。
気候危機と民主主義について考える上で実に面白いのは、「気候市民会議(Climate Citizens' Assembly)」の誕生である※16。欧州諸国や自治体が2019年から開催し、気候危機対策を議論し実践している※17。気候市民会議は、無作為抽出で数十人から数百人の一般人を選び、専門家からの協力を得て公共的問題を論じる政策形成の試みである。驚くことに、市民の直接参加と包摂性を促すべく、くじ引きで、年代や性別、学歴などが多様な社会全体の縮図ともいうべきグループを形成する。政策決定はもちろん、現状の分析と理解も政府に一任せず、市民が主体的の民主的意識をもって参加している。日本でも、こうした潮流が生まれる事例もあったが、残念ながら頓挫している※18。今後、大いに活発に拡大することが望まれる。
気候民主主義の実現は、難問山積である。なかなか簡単ではない本質的課題がある。中でも、特に大きな課題は、時間軸のギャップの問題である。政治家は、とかく短期的視点で視野狭窄に陥りやすい。温暖化問題より、票田への利益誘導や、支持者の冠婚葬祭の方に関心が高い政治家もまだ多い。民主主義制度では、わずか数年周期で選挙を迎えるが、数十年単位でその影響が明らかになる気候変動とはサイクルが合わない。長期的に一貫した方針で取り組むことは難しいのである。当事者の政治家にとっても、投票する市民にとっても、選挙の争点としてあまり気候危機等の環境問題は魅力的なテーマではない。環境問題は地球規模であり、一国だけでなく国際協調を視野に入れた政策が求められる点にある。加えて、化石燃料に依存する経済モデルに寄生して既得権益を手放したくない勢力が根強く存在している。厚顔無恥にも、ロビー活動に熱心で、再生可能エネルギーを軸とした脱炭素社会へのパラダイムシフトに対して強く抵抗・反対している。気候民主主義への途は遠く、眼前には、現実的な厳しい難問山積である。しかし、四の五の言わずに着実に前進するしかない。
※16 英仏以外でも、デンマーク、ドイツ、スコットランド、フィンランド、スペイン、オーストリア等の欧州諸国で「市民会議」の⽔平展開が、進んでいる。(出所)竹内彩乃(2022)「気候市民会議の欧州諸国への波及〜関係組織に着目した考察〜」
※17 英国では、2019年7月から、カムデンのLondon Borough of Camdenが、気候市民会議(Climate Citizens' Assembly)を立ち上げて活動を開始している。(出所)森秀⾏(2022)「欧州における⽔平展開と垂直展開⽇本への教訓」(環境政策対話研究所理事地球環境戦略研究機関特別政策アドバイザー)
※18 実は日本でも、比較的早い時期に、気候市民会議の芽吹きがあった時期があった。2012年当時の民主党政権は、東日本大震災による原発事故を受けて「エネルギー・環境の選択肢に関する国民的議論」という「市民会議」で政策の青写真を描いた。だが、残念なことに、同年末の総選挙の結果、誕生した自民党の安倍晋三政権によって白紙に戻されてしまった経緯がある。
6. 資本主義の危機と再構築
すでに、資本主義は、自由貿易神話とともに、もはや、瓦解しつつある。存亡の危機に直面している。 「自由貿易・経済的相互依存が戦争を抑止する」という幻想の崩壊である。「冷戦」終結とソ連崩壊時に米国が抱えた幻想にも似たリベラル覇権戦略への慢心と自己破壊的な過剰拡張は、いまや、破綻している。そして、資本主義の宿痾とも言うべき大規模な環境破壊と気候危機、経済格差、社会システムの崩壊が、資本主義の危機を加速している。
民主主義・共産主義・全体主義という大きな物語が20世紀前半にあったが、第二次大戦で全体主義が廃れ、冷戦で共産主義が朽ちた結果、民主主義が生き残った。そして民主政治と自由経済が支配的制度になた。そして、グローバル化が加速し、人類は世界共同体に向かうはずであった。しかし、そうはいかなかた。どう考えても不健全で異常なのは、世界で最も豊かな50人が、世界中の下位半数のひとびとの資産合計を上回る莫大な資産を保有する一方で、60億人以上が1日16ドル未満の生活を強いられているという驚くべき現実である。そして、いままでさんざん大量の温室効果ガスを排出し、気候危機を起こしてきた加害者であるグローバル・ノースの企業や富裕層が、その責任を自覚せず、気候危機の影響を最も受けるグローバル・サウスの人々や、移民・難民、人種マイノリティ、女性、障碍者、若者、貧困者、労働者、先住民等の弱者に対して「気候正義」を実現することに及び腰で、不作為であることである。
現代の資本主義の本質的な問題は、自由な市民社会による制御の手を離れて、一部企業や権力者に偏向した覇権の原理が依然としてはびこっている事実にある。そして、事実上、醜悪な縁故資本主義(crony capitalism)に蝕まれ、特定階層の独占的支配ツールに堕している。富裕層と権力者が結託して自分たちの利益になるよう国家や自治体を、そして市場を牛耳っている。とりわけ政府官僚と大企業の癒着による経済支配体制が、特定の階層による経済支配を固定することで経済的格差を助長し、不健全な政策立案と誤った政策遂行を加速させている。そこに本来期待されるべき民主主義の抑止や制御の働きは、残念ながら機能していない。
資本主義の危機に対処するには、いまこそ、資本主義システムを再定義・再構築しなければならない。そして、同時に、機能不全に陥りつつある民主主義を、本来の姿に健全化することが急務である。おそらく人類に残された時間はあまり猶予がないはずである。これが最後のチャンスかもしれない。
資本主義システムを再構築するには、成長神話という幻想から目覚め、覇権の原理から卒業した新たな行動様式と思考方法が求められている。ハーバード・ビジネス・スクールのレベッカ・ヘンダーソン(Rebecca Henderson)教授は、気候変動に対し企業の役割とは何かについて研究してきた。彼女は、その課題は、真の民主政治と強い市民社会によって自由市場の調和が保たれるよう、社会のバランスを取り戻すことだと訴える。米国の有力財界団体のビジネス・ラウンドテーブルが「すべての利害関係者の利益」を重んじる方針※19を打ち出したことからも明らかなように、すでに、世界の有力企業の大多数は気候変動問題に対処し、誰もが世界の冨を分かち合うチャンスを得られるようにし、民主主義が寡頭政治や専制政治に屈しないようにしなくてはならない事を認識している。そして、資本主義の再構築は、企業が社会と一体になり、利益追求や株主価値最大化だけでなく、社会の繁栄や成功に貢献することであり、利益を上げながら公共問題を解決し、厚遇の仕事や良質の製品を提供することで、社会や環境の強化を目指すことであり、企業が自分たちの役割について広範なビジョンをもち、政府や社会と協働し、大きな社会問題に取り組むことで、資本主義は再構築できると説く※20。
そもそも従来の株主資本主義は、株主価値最大化のみを追求することそのものが問題を生み出してきた。いまこそ、企業は、株主価値最大化への幻想から卒業し、共有価値の創造、共通の価値観に根差した目的・存在意義主導によるマネジメント、会計・金融・投資の仕組みの変革、個々の企業の枠を越えた業界横断的な自主規制、政府や国との協力が必要不可欠な時代に突入している。こうした再構築には企業に利益をもたらす経済合理性がある。政府と市場は互いを必要とし、企業は民主的で自由な社会を支える包摂的な仕組みを強化するために積極的な役割を果たすべきである。
なお、資本主義システムの再構築について議論する際に留意しなければならないことがある。議論の焦点は、企業か政府か、市場か民主主義か、という二者択一の問題ではないと言うことである。両者とも不可分に必須である。気候危機をはじめとする地球環境問題も、貧困格差問題も、政府なしには、そして企業なしには、解決はできない。自由市場存続のためには、民主的で透明な政府と、それを担保する健全な民主主義が必須不可欠である。古い考え方を変えることは難しく、変革を実行することは容易でないが、そこに、政府とそれを担保する民主主義の存在意義がある。資本主義システムのエンジンたる企業の行動に持続可能な人類社会構築に貢献するよう経済的インセンテイブを付与する役割が政府にはある。一方、資本主義システムの稼働装置である企業も、その重要な役割を担っている。そして、すでに、志ある企業の多くは、それを自覚し、政府を敵ではなくパートナーと見なし、社会を一握りの幸運な人だけのものにせず、すべての人のためのものにすることを目指して行動しつつある※21。そして、適正な利益を上げながら、気候危機問題や公共問題を解決しながら、世界で企業が果たすべき役割を果たそうと、いまも多くの企業が、人類共通の問題を解決しようと努めている。
※19 Business Roundtable(2019)“Business Roundtable Redefines the Purpose of a Corporation to Promote ‘An Economy”(AUG 19, 2019)
※20 レベッカ・ヘンダーソン教授は、資本主義再構築には経済的合理性があると説き、その再構築の実践の鍵として、以下の5点を挙げている。①共有価値創造、②目的・存在意義主導型組織構築、③金融回路見直し、④協力体制構築、⑤社会システム再構築、(出所)Rebecca Henderson “Reimagining Capitalism in a World on Fire”(『資本主義の再構築―公正で持続可能な世界をどう実現するか』)
※21 Rebecca Henderson(2020)” Reimagining Capitalism in the Shadow of the Pandemic”