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地球が未来へと持続していくために今、求められる人の意識や行動の変革。地球SAMURAIでは、そこに波動を及す野心的な人物にクローズアップしている。
今回は、樋口実沙氏を取材した。
外資系のファッションブランドで働く中、西日本豪雨をきっかけに様々なサステナブルな課題を“解決する側”に立つことを決心した樋口氏。日本とインドネシアで活動するNGOアースカンパニーや日本サステイナブル・レストラン協会に参画しながら、2025年には合同会社Spiceful Co.を起業。様々な環境課題に直面するスパイスに焦点を当て、豊かな食文化の結晶であるカレーやスパイス料理を百年先に残す取り組みを推進している。そういった樋口氏をサステナブルな課題解決へ引き込むものは何か。インタビューを行いながら探った。
シングルオリジン・スパイスを輸入・販売する取り組み
──昨年、合同会社Spiceful Co.を起業された理由は何でしょうか。
樋口:もともと起業するつもりは全くありませんでした。ただ、2014〜15年頃からカレーに夢中になり、毎年カレーをテーマに各国を旅して料理文化を学んでいました。当時はNGOではなく、ファッション業界で働いていたのです。
そういった中、2018年に地元・広島が西日本豪雨で被災し、「環境課題は誰かが解決してくれるものだと思い込んでいた」と気づかされました。当時のファッション業界は、今でこそ変わりつつありますが、まだ課題解決に踏み出せるビジネスモデルではありませんでした。特に外資系ブランドにいた私は、自社で環境課題に取り組むことが難しかったのです。そこで「解決する側に回りたい」と思い、NGOや国際協力、気候変動に関わる仕事を探す中でアースカンパニーや日本サステイナブル・レストラン協会と出会いました。一方で、カレーやスパイスを通じた活動も続けており、難民の料理を紹介するイベントや、西日本豪雨の寄付イベントなど、スパイスと社会課題を結びつける企画を自主的に行っていました。
パンデミックで海外渡航ができなくなった頃、日本でも気候変動による「カカオやコーヒーの2050年問題」が報じられ、「スパイスも同じく亜熱帯で栽培されているのに大丈夫なのか」と、ようやくスパイスの持続可能性に目が向きました。アースカンパニーや日本サステイナブル・レストラン協会での活動を通じて、気候変動の影響を知るほど不安が大きくなり、海外ニュースを追っても実感が持てず、「現地を見なければ」と思うようになりました。
そして2023年、主にインドを中心に一年かけて主要なスパイスの産地を訪問し、現在までに120〜130軒ほどの農家を回りました。そこで環境課題や気候変動の影響を目の当たりにし、「これは日本で発信しなければ」と強く感じたのです。
そういったプロセスで情報発信を続ける中で法人化の必要性を感じるようになりました。日本のスパイス企業に情報提供する中でニーズを実感し、企業と協業するには法人の方が動きやすいという事情もありました。
さらに現地の農家から「自分たちのスパイスを日本に届けてほしい」という声を多く聞きました。農薬を使わず志高く取り組む農家のスパイスが、日本でストーリーとともに紹介される機会がほとんどないことにも気づき、そうした生産者を紹介できる存在になりたいと思い、起業を決めたのです。

──Spiceful Co.の活動内容について教えていただけますか。
樋口:百年先も今と同じように、気軽にカレーやスパイス料理を楽しめる未来が続くのかと考えると、厳しさを感じています。だからこそ、少しでも持続可能な方向に近づけるため、現在は企業向けのコンサルティングやアドバイザリーなど、調達に関する情報提供やプロジェクト提案を行っています。
ただ、調達プロセスを大きく変えるのは簡単ではありませんし、日本ではサステナブルなスパイス市場がまだ十分に育っていません。フェアトレードやオーガニック認証のスパイスは増えてきていますが、産地や生産者のストーリーがきちんと伝えられている商品はほとんどありません。一方で、コーヒーやカカオには特定の地域・原産地のみで栽培される、生産者にも光が当たるシングルオリジン文化が根付いています。スパイスでも同じことを実現したいと考え、自らシングルオリジン・スパイスを輸入・販売する取り組みを始めました。
志の高い取り組みを行う農家のスパイスを紹介したい
──サステナブルでないスパイスには、どのような問題があるのでしょうか。
樋口:日本に入ってくるスパイスは世界的にもトップクラスの品質で、特に大手メーカーはヨーロッパ基準の最高グレードを買い付けています。規格外や異物が混ざらない純度の高いスパイスです。多くのスパイスは工業生産型で、環境面では課題が多いと感じています。農薬の使用自体を全否定するわけではありませんが、多くの農家が農薬に依存し、使い続けることで土地が痩せ、将来的に収量が減る可能性があります。肥料を増やさざるを得ない農家もいます。また、農薬による健康被害も深刻で、がんなどの症状が出る農家もいます。
品質の均一化や大量供給には工業型生産が必要ですが、その裏では土地の劣化、水資源の枯渇、気候変動による雹や異常降雨の増加など、さまざまな問題が起きています。大量生産の仕組みでは産地への責任が曖昧になり、結果として産地調達側が課題解決のための投資をしづらい状況にもつながっています。企業も本来は取り組みたいと思っているはずですが、長年積み上げられた複雑で強固なサプライチェーンが大きな変革を難しくしているのが現状です。

──起業から一年、その成果はいかがでしょうか。
樋口:企業への情報提供や勉強会、シェフの方々への講演などを続ける中で、大きな反響があり、少しずつ意識の変化を感じています。
一方で、自らスパイスを輸入・販売するようになり、調達のボトルネックも実感しました。衛生基準の問題、有機農法でも輸出経験がない農家、企業が求める量を生産できる設備が整っていないケースなど、課題は多岐にわたります。実際に自分で取り組んだからこそ、すぐには変えられない現実もよく分かりました。
それでも、マーケットの可能性は非常に大きいと感じています。シングルオリジン・スパイスに関心を持つのは、食にこだわる方、健康志向の方、サステナビリティに関心のある消費者などで、確かなニーズが見えてきており、手応えを感じています。
──現在、力を注いでいる課題やテーマは何でしょうか。
樋口:先月、スリランカで大きな豪雨被害があり、農家さんが深刻な影響を受けました。スリランカはセイロンシナモンの産地で、他地域とは全く異なる唯一無二の品種です。日本の企業や小規模バイヤーも多く買い付けているため、この被害は市場にも大きな影響を及ぼすと感じています。
一年かけて行ったフィールドワークでは、スリランカの農家さんとも知り合い、その中の何軒かが今回被災されたことを知りました。そこで、日本から何か支援できないかと考え、知り合いの企業に声をかけ、複数の企業と連携して支援の形を模索しているところです。

もう一つは、現在輸入している唐辛子とターメリックについてです。唐辛子はインド・マニプール州の伝統的な品種で、燻製による独特の香りが特徴です。生産者は再生型農業に取り組んでおり、その姿勢に共感して輸入を決めました。彼女はアースカンパニーのプログラムにも参加している事業家で、その唐辛子を日本に紹介できたことを嬉しく思っています。
ターメリックも同様に、インド・メガラヤ州で、香り高くポリフェノールの成分が多い伝統品種を復興した生産者から買い付けしています。しかし、こうした農家を探すのは容易ではありません。志が高くても、同時に日本の衛生基準を満たし、輸出体制が整っている農家を見つけるのは、まさに“針の穴に糸を通す”に等しい作業ですが、2月中旬から再びインドを訪れ、1ヶ月ほど現地をリサーチする予定です。現在コンタクトを取っているのは、農薬依存から脱却しようとする再生型農業の農家で、彼らから輸入できるよう準備を進めています。
農薬依存の問題は長年研究されてきましたが、最も難しいのは農家のマインドセットです。インドの流通システムも農薬使用を前提としているため、有機栽培への転換は非常にハードルが高いのが現状です。ただ、今回お会いする予定の農家は世界的に有名な自然農法の父・福岡正信氏に影響を受け、有機栽培に強い信念を持って取り組んでいる方なので、ぜひ日本に紹介し、そのストーリーを伝えたいと思っています。

国境が引かれていても食文化はつながっている
──スパイスにそこまで惹かれる、シンプルな理由は何でしょう。
樋口:やはり“圧倒的な感動体験”です。スパイスがあるだけで食材が驚くほど引き立ちます。本来なら美味しく感じないようなお肉やお魚でも、臭みを消し、魅力を引き出してくれる。食材を輝かせてくれる。それがスパイスです。
そして、スパイスは文化の結晶のようなものであり、分断を越えて食文化をつなぐ存在でもあります。
例えば、インドのベンガル地方とバングラデシュの料理はとても似ていますし、ミャンマーとインドの国境でも同じことが起きています。戦争や対立を経て国境が引かれた地域でも、食文化を見ると「もともとはつながっていた」と気づかされます。社会課題に関心のある私にとって、対立のある地域でも食文化はつながっているという事実は、大きな希望を感じさせてくれます。
──今回、グリーン購入大賞を受賞した日本サステイナブル・レストラン協会のプロジェクト・エキスパートとして関わっているとのことですが、この活動内容について教えていただけますか。
樋口:日本サステイナブル・レストラン協会には2021年から参加しています。スパイスのサステナビリティに貢献したいという思いがありましたが、当時の私は“食のサステナビリティ全体”を十分に理解できていないと感じていました。協会はその分野を体系的・包括的に推進していたため、学びながら貢献できればと思い、参画しました。
現在は主にフェアトレードの領域に関わっています。スパイスでもフェアトレード商品が増えており、現地を見てきた私だからこそ、その重要性を伝えられることがあると感じています。二年前にはフェアトレード・ミリオンアクションキャンペーンの一環でレストラン向けウェビナーに登壇し、産地の課題や児童労働の背景についてお話ししました。
また、30歳以下の料理人や学生を対象にした「未来のレシピコンテスト」を毎年夏に開催しており、この取り組みが「第 26 回グリーン購入大賞」大賞・農林水産大臣賞を受賞しました。私は企画の立ち上げと運営面で関わっています。
──ご自身の経験を振り返り、サステナブルな課題に対し、“解決する側”に立つにはどうすればよいのでしょうか。
樋口:私の経験から言えるのは、“自分の好きなものを大切にする気持ち”がすべての出発点だということです。分野によっては直接サステナビリティに貢献できないこともありますが、「未来のために関わりたい」と思える対象は誰にでもあるはずです。
そして、その“好き”の背景にある課題には共通点が多いと思います。私はスパイスに取り組んでいますが、食料システム全体の課題ともつながっていますし、調達という観点ではファッション業界とも似ています。すべてを網羅する必要はなく、まずは自分が本当に好きなものに関わることが大切だと思います。そうすると「残したい」という気持ちが自然と生まれ、知らなかった側面を知る楽しさもあります。スパイスで言えば、サステナビリティと品質は離れているようで実は密接です。サプライチェーンを短くすると移動距離や時間が減るだけでなく、生産者と一緒に品質向上に取り組める関係が生まれます。私も農家さんから直接仕入れているので、「気温差の少ない場所で保管してほしい」「布袋ではなく密閉容器に変えてほしい」といったお願いができます。こうしたやり取りを通じて、サステナビリティと品質が同じ軸で向上していくことを実感しています。

循環が見えない“分断された社会構造”にリスク
また、私は広島の田舎で育ち、小学校に上がるまで茅葺き屋根の家で五右衛門風呂を薪で沸かす生活をしていました。やがてエアコンに出会いましたが、それでもボタン一つで部屋が暖まることが不思議で、薪を割って火を起こす手間を思うと「どうしてこんなに簡単なんだろう」と感じていました。生活圏の中で材料を調達し、循環が見える暮らしをしていたからこそ、世界の“歪み”に気づきやすかったのだと思います。例えば、田んぼに洗剤の水が流れ込むと「これがお米となって自分に返ってくるのか」と違和感を覚える。こうした幼少期の感覚は、今の私にとって大きな原体験です。インドにも、私が幼い頃に経験したような暮らしを続けている農家さんがたくさんいます。牛の乳を搾り、糞を固形燃料にして火を起こし、チャイを沸かす。彼らは“自然にしたことは自分に返ってくる”という感覚を当たり前のように持っています。スパイス農家の暮らしは本当に尊く、同時にレジリエンスの低さもはっきりと見えてきます。
だからこそ、幼少期の体験は私にとって大切な原点であり、それを思い出させてくれたのがスパイスでした。
──石鹸や洗剤を使えば田んぼが汚れ、それが自分に返ってくる。本来はその動作がつながっているはずなのに、現代社会では見えないようにショートカットされています。
樋口:スパイスも同じだと思います。構造が見えないからこそ、未来にどんなリスクが潜んでいるのか分からない状態です。
私が調達している生産者が気候変動で被災すれば、当然スパイスは調達できなくなります。ただ、その背景に何があるのかはすぐに発信できますし、どうすれば防げるのかを常に考えています。まずは、“分断された構造が存在する”ことを知ってもらうこと。そこから始める必要があると感じています。


【 樋口実沙 氏 プロフィール 】
広島県出身。広島市立大学芸術学部デザイン工芸学科卒業。米国のファッションブランドkate spade new york日本支社で11年間マーケティングに携わる。2018年、地元が西日本豪雨で被災したことをきっかけに、翌年、国際NGOのアースカンパニーにマーケティングとして入職。2021年より並行してサステイナブル・レストラン協会のプロジェクト・エキスパートとして関わり、2024年Spiceful Co.を起業。日本にサステナブルなスパイス市場を広げる取り組みを推進している。
取材を終えて
樋口氏にはスパイス市場が直面するサステナブルな課題とその解決に何が求められるか、をお聞きしながら、自身を解決する側に立たせ続ける想いを語っていただいた。それはけっして特殊なものでも複雑なものでもない。「好きだから、未来に残したい」という純粋な気持ちだ。好きなもの、好きなこと、好きな人・・・は誰にでもある。もう一度、「自分の好き」を見つめ直すことが、地球の明日を変えることにつながると信じたい。
(取材・記事 宮崎達也)





