

「誰かがわたしたちの目をくらませようとしている世界に対してどのように反応すべきか。
これは、わたしたちが決定できることだ。つねにそうであったように、真実はいまだに重要である。
わたしたちがこのことを理解するのに間に合うかどうかは、わたしたち自身にかかっている。」
(Lee Cameron McIntyre)
「偽りに満ちた時代こそ—真実を語ることは革命的だ」
(George Orwell)
「事実が変わったら、わたしは考えを変えます。あなたならどうしますか?」
(John Maynard Keynes)
1.「ポスト・トゥルース」の不健全な空気感
「ポスト・トゥルース(Post-Truth)」と言う言葉をどこかで耳にした方もいるのではなかろうか。
いま世界中各地で、よく「ポスト・トゥルース」という言葉が飛び交っている。日本では「ポスト真実」とか「脱真実」と訳されている。
はたして、それらが実際に意味するものは何なのか。その本質は何なのか。その実態はどうなのか。
「ポスト・トゥルース」は、客観的な事実やデータよりも、個人の感情や信念に訴えかける情報の方が、世論形成に強い影響力を持つ状況を指す言葉である。SNSでの感情的な情報拡散やフェイク・ニュースによって社会分断が助長される現代特有のメディア環境を特徴づけた言葉である。その派生語でもある「Post-truth politics(ポスト真実の政治)」とか「Post-factual politics(ポスト事実の政治)」とかの言葉も、今からひと昔前10年前の2016年の英EU離脱や米大統領選を機に注目されたことを記憶している方もいるかもしれない。
こうした一連の「ポスト・トゥルース」に関わる言葉は、政策の詳細や客観的な事実よりもむしろ個人的信条や感情へのアピールが重視され世論が形成される政治状況を意味していた。事実や真実がないがしろにされつつある時代の空気感を纏った象徴的な言葉であった。
「ポスト・トゥルース」の時代は、「情報の非対称性(Information asymmetry)」[1]が常態化する。
「情報の非対称性」は、一方の当事者が、もう一方よりも多くの、または優れた情報を持っている状態のことをいう。「情報の非対称性」は、取引の当事者間で情報の量や質に格差がある状態で、情報を持つ側が有利になり、持たない側が損をする状況が生まれる。概して、権力側等の力の強い者が優れた情報を存分に持っている場合が多く、弱い立場の者が、充分な情報を入手できずアクセスできないことで不利な立場に放置されているケースが多い。その意味で、「ポスト・トゥルース」の時代には、「格差」や「分断」が生まれる素地がある。そして、「情報の非対称性」 が常態化した「ポスト・トゥルース」の時代では、それぞれ依拠している世界観の違った人々との間には「情報の断絶」「コミュニケーションの不在」「分断」が不可避的にある。
しかもさらに深刻でやっかいな問題は、こうした権力側等の力の強い者が科学的根拠に基づかない誤った情報に依拠した独善的な自説を一方的に公言する事例である。これを「政治の〈嘘〉」と呼ぶ。
(寄稿文 全文は下記リンク先PDFでご覧ください)
[1] 「情報の非対称性(Information asymmetry)」は、一方の当事者が、もう一方よりも多くの、または優れた情報を持っている状態のことをいう。「情報の非対称性」は、取引の当事者間で情報の量や質に格差がある状態で、情報を持つ側が有利になり、持たない側が損をする状況が生まれる。そのため、逆選抜、モラルハザード、知識独占などを惹起し、「市場の失敗(market failure)」を引き起こし、「パレート最適(Paretian optimum) 」に到達しない状態、つまり「パレート非効率(Pareto inefficiency)」を生み出す。その結果、当事者間における力関係の不均衡を生み出し、時には非効率性を引き起こし、最適均衡解ではない不合理な結果を生み出す。






