1.いまこそ日本に求めらているノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)

「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」という言葉がある。
「nobless」は「高貴さ」。「oblige」は「義務を強制する」という意味である。つまり、高い社会的地位には義務が伴うことを意味する。オノレ・ド・バルザックの『谷間の百合』でも引用されている。

「ノブレス・オブリージュ」の核心は、自発的な無私の行動を促す明文化されない不文律の社会心理である。自負・自尊でもある。外形的な義務としても受け止めれる。法的な義務ではない。これを為さなかったことによる法律上の処罰はない。しかし、社会的批判・指弾を受けたり、倫理や人格を問われたりすることもある。

はたして、日本は、noblesse obligeの自覚はあるのか。あるいは、日本では、ノブレス・オブリージュは、死語になってしまったのか。ノブレス・オブリージュは、地球の裏側の人々が直面している出来事も、遠い未来世代が直面している出来事も、時空を超えて、自分ごととして認識し、事態の深刻さを共有する解像度が問われる。それに責任を持つことができるか責任感も問われる。

パリオリンピックに、あれだけ熱狂し、日本の活躍に心躍る日本である!日本をかくも誇りに思っている我々日本人には、同様に、ノブレス・オブリージュの自覚もあると信じている。信じたい。

2.深刻な問題の所在

既に専門家間でのコンセンサスであるが、世界のこれまでの温室効果ガス(Green House Gas;以下GHGと略称)排出量推移をみると、世界の気温上昇を1.5℃に抑える努力を追求するという「パリ協定」の目標との間には極めて大きな乖離がある。多くの人々が感じている以上に、事態は、深刻である。いまや、世界全体で、今世紀末までに気温が2度以上も上昇するペースで温暖化が加速している。高温の影響で65歳超の死亡率が4.7倍に増加。生態系への影響も深刻で、2019年末から2020年にかけてのオーストラリアの森林火災では30億もの野生生物が死んだ。

南極の氷床も急速に崩壊しており、すでに毎年平均1500億トンの氷が融解し、氷河が過去最大の急速なペースで年間最大2㎞も後退している。南極の臨海気温が1.5℃を超え、南極大陸の氷床がすべて解ければ世界の海面は約58メートル上昇するとの試算もある。「終末の氷河」とも呼ばれるスウェイツ氷河すら融解が始まっている深刻な事態である。

日本でも、人々の認識以上に、事態は深刻化している。先月7月の平均気温は26.22℃。過去126年間で一番暑い夏だった。あたかも熱帯気候風のスコールも頻発している。熱中症急患激増で、1~7月の救急出動は1936年以降最多の54万件だった。記録的猛暑でコメ不足に陥り過去25年間で過去最少だった。猛暑熱中症対策で高校野球の「7回制」導入を視野にいれた試合短縮も真剣に議論されている。

加えて、この11月の米国大統領選の帰趨が、世界中の気候危機問題に取り組んでいる地球環境学者の心中に不安をもたらしている。まだ誰が大統領になるか決まっていない段階であるが、万が一、トランプが米国大統領になったら、特に、我々地球環境学者にとっては、目も当てられない戦慄すべき悲劇的な事態が懸念されている。

前回大統領就任時にも、就任早々2017年6月1日に「パリ協定」脱退を表明したトランプのことである。すでに公表されているトランプの公約集「アジェンダ47」では、自動車産業の救済、パリ協定からの再離脱、低コストのエネルギーと電力の提供、自動車の排ガス規制の撤廃、EVや再生可能エネルギーに関する IRAの税クレジットプログラムの撤廃、石油などの生産者への減税など、国内の自動車産業やエネルギー産業を保護する方針を打ち出している。トランプがこれからしようとしていることは、明らかに現下の「脱炭素社会構築」向けた世界の潮流に逆行する愚行であることは明らかである。地球環境学者としては、このあってはならない悪夢が起きないことを切望する。

最初に、以下、こうした気候危機をめぐる深刻な問題を念頭に、Factの論点整理をしておきたい。

まず、世界全体の実態は、以下の通りである。

①いま人類は大量絶滅の危機を迎えつつある。文明再編のために残された時間は、わずか10年だとも言われている[1]。もはや人類に与えられた猶予はない。

②温暖化の進行により、気候激甚化、健康悪化・災害死、生産減、経済影響、格差が深刻化している。

③国連のグテーレス事務総長は、「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰の時代が到来した(era of global boiling has arrived)」と、「地球沸騰(global boiling)」という強烈な言葉を使って警鐘を鳴らした。

④もはや尋常ではない事態が定常化しつつあり、まさに地球沸騰の時代が到来している。

⑤地球の平均気温はすでに産業革命前の水準から1.1℃上昇してしまった。猶予は0.4℃しかない。このままでは、2100年に地球の平均気温は2.5-2.9℃上昇してしまい、カタストロフな事態になる。

⑥気候危機の深刻さを示す証左に枚挙の暇はない。世界中の科学者によって、すでに、地球が気候変動による危機的状況に直面しているとする多くの気候危機調査報告書が発表されているが、米国カリフォルニア州のデスバレーでは、温度計が55℃を示した。イタリアローマでは、先月2024年7月18日に、現地時間で観測史上最高となる41.8℃を記録した。ヨーロッパは過去500年間で最悪の干ばつに直面した。カリフォルニアの山火事等、世界中で山火事が多発している。

オーストラリアの森林火災(2019年~2020年)では、焼失面積は北海道の全面積の約10倍にあたる1146万ヘクタールにも及び、30億匹近くの脊椎動物が命を落とし、生息地を追われた。そして、世界各地で干ばつによる食糧・水不足が発生している。この状況は、年々厳しく深刻になってきている。

⑦欧州環境機関(European Environment Agency;EEA)は今年2023年6月のプレスリリースで、世界的な温暖化、熱波、洪水、干ばつなどの異常気象の多発が、欧州の夏の「ニューノーマル」になる可能性があるとし、異常気象と災害による命と財産の損失を予防する措置を至急、可及的速やかに講じるよう呼びかけている。

⑧1850年から2019年までの世界のCO2の累積排出量は2兆3900億トン(IPCC AR6WG1)。気温上昇を 1.5℃以内に抑えるための残余カーボンバジェットは 約4000億トン。2023年初頭までに既に半分程度使ってしまった。世界全体の年間約400億トン程度の排出で約10年で使い切ってしまう。

⑨「パリ協定」に基づき、国連では現在、1.5℃抑制を目指している。1.5℃目標達成には、世界全体で2030年までGHG半減、2050年にネットゼロが必要である。しかし、現状世界各国から提示されている国別GHG削減目標(国が決定する貢献、Nationally Determined Contribution;以下NDCと略称)の総てを合計しても「パリ協定」目標達成にはまったく未達であり、大きなギャップがある。来年2025年2月が提出期限のNDCを1.5℃目標と整合するものとすることが必須不可欠である。

かたや、日本の実態は、以下の通りである。

①日本の残余のカーボンバジェットは65億トン。2022年度GHG排出量は11億3500万トン(2013年度比19.3%減少、前年度比2.5%減少)。吸収量を差し引くと10億8500億トン(同2.9%減少、同2.3%減少)。日本に許容される残余は約20億トン程度だけである。2013年度をピークに、排出削減傾向にあるものの、1.5℃と整合した排出経路をたどるにはさらに大幅かつ急速な排出削減が必要である。

②今日現在の日本の2030年目標は、「パリ協定」の国際目標とまったく整合していない「46%削減、50%削減へ努力」のままとなっている。現在日本政府が掲げている2013年から2050年カーボンニュートラルへ直線的にGHG排出量を下げる経路(下図【図1】参照)では1.5℃整合とは言えない。

③現在の日本の気候危機政策のままでは「パリ協定」の国際目標の達成は不可能である。いまの日本の政策は、気温上昇を1.5℃に抑制する「パリ協定」の目標や2050年GHG排出量実質ゼロ目標の達成には極めて不十分であり、気候危機対策への野心と意欲がまったく感じられない。

④政府はネットゼロ目標に向けて「オントラック」と説明しており、「2050年ゼロエミションに向けた直線的削減目標に基づく日本の2030年目標であるNDCは1.5℃目標と整合している」と平然と嘯いている。しかし、現状政策では、日本の2030年-2050年ネットゼロまでの道筋が定まっておらず、2030年目標の達成すら難しい。この日本政府の主張は、自己の不作為を正当化するための欺瞞に過ぎない。すでに、個別の国の削減目標と「パリ協定」の整合性を評価してきた幾つかの先行研究は、日本の2030 年46%削減目標(2013年比で)が不十分であることを示している[2]

このまま石炭火力存続に拘泥し続けている日本の消極的な姿勢に対して、国際社会からさんざん「日本の気候危機政策は周回遅れ」だと揶揄されており、こうした時代に逆行する日本の後ろ向きの姿勢に対し、往生際が悪いとの批判すらある。こうした批判に対して謙虚に自省し改善すべきである。

⑤2025年2月が提出期限のNDCを1.5℃目標と整合するものとすることは、日本における再生可能エネルギーのポテンシャルを見ても、技術的にも、経済的にも、能力的にも、日本には十分可能である。

⑥目下、日本政府内で議論が進行中の「第7次エネルギー基本計画」策定において、化石燃料や原子力から脱却し、経済合理性にも裏打ちされた再生可能エネルギー100%転換へのエネルギー政策を打ち出すことも、1.5℃目標と整合するNDCを提出することも、ともに十分可能である[3]

⑦こうした政策を打ち出すことは、日本の明るい未来のために、必須不可欠である。なぜなら、エネルギー、電力の脱炭素化を加速することは、単に気候危機対策にためだけではなく、輸入化石燃料への依存度を下げ、エネルギー安全保障に資する意味でも、極めて重要である。貿易収支改善、内外の投資家等のステイクホルダーから脱炭素経営が求められている日本企業の国際競争力強化の観点からも必須不可欠であるからである。

⑧日本のGHG排出の実態は、火力発電、製鉄、セメント製造、石油化学製品製造などで7割を超え、大排出事業者に大きく偏っている(下図【図2】参照)。

⑨2022年度のGHGの最大の排出源は発電部門である。日本の排出全体の38%を占める。発電部門の中でも最も排出が多いのが石炭火力発電(全体の23%)。LNG火力は全体の12%。運輸部門は16%を占め、その約8割は車利用。鉄鋼業は全体の10%を占め、窯業土石(セメント)、化学工業が続く。素材系の製造業の排出が多い。

⑩2022年度の電源構成は、再エネ22%、石炭火力31%、天然ガス火力34%、石油火力8%、原子力6%で、現状では7割以上を火力に依存している(下図【図3】参照)。再エネ内訳は、水力8%、太陽光9%、バイオマス4%、風力1%。過去10年で、石炭火力割合はほぼ横ばい、再エネ割合は約10%から2倍以上に増加。再エネ増が原発事故後の喪失分の一部を賄っている。

⑪2030年度の政府目標は、再エネ36-38%、石炭火力19%、天然ガス火力20%、原子力20-22%のままで、依然として高い火力依存、不透明な原発の見通し、ゆるやかな再エネ導入により、電力の脱炭素化が遅れている。排出係数はG7で最も高い。2030年目標との間に大きなギャップがある。電気事業者の供給計画では2033年度でも政府目標の達成に全く届かない。電力排出係数の改善の遅れで温室効果ガス削減目標の達成が困難になる恐れがある。

⑫資源のない日本は、石油・石炭・天然ガスをほぼ100%輸入に頼っている。毎年の化石燃料輸入額は多額で、2022年の輸入額34兆円(うち発電用は12兆円)、2023年は27兆円。化石燃料に依存し続ければ、今後も国外への多額の支出を伴う。外部不経済を内部化するカーボンプライシングの導入により今後さらなる負担増が予想されている。

⑬日本は、国外資源依存・低エネルギー自給率によるエネルギー安全保障リスク、国際情勢・有事の際のエネルギー途絶・価格高騰リスクに直面している。

⑭データセンター(Data center;以下DCと略称)や半導体工場の新増設等の産業部門の電力需要増が見込まれる中、今後の電力需要の不確実性の問題がある[4]

⑮エネルギーシステムの脱炭素化を促進しカーボンニュートラル実現に貢献できる分散型エネルギーシステムをいかに進化させ活用するかが鍵となる。分散型エネルギーシステムは、再生可能エネルギーを活用するケースが多く、その広がりは、直接的に、再生可能エネルギーの拡大につながると同時に、激甚化・頻発化する自然災害に備えた、電力インフラのレジリエンス強化にもつながる[5]

⑯発電コスト(2020年政府試算と2023年の推計)を比較すると、火力は、燃料費と社会的費用が上昇、原子力は、資本費・運転維持費が上昇し、原子力・火力の発電コスト上昇の一方、太陽光・陸上風力・洋上風力は減少。結果、再生可能エネルギー転換の経済合理性が向上している。(下図【図4】参照)。

⑰日本が再生可能エネルギー100%をめざせば、日本において、年間1万6500人の早期死亡リスクを減らすことができる。再生可能エネルギー100%による脱炭素化実現は、国際合意であると同時に、国民の幸福と健康向上にも資する意味でもその意義は大きく重い。GHGの85%がエネルギー起源CO2である日本では、「パリ協定」の目標実現を100%担保出来る「エネルギー計画」の策定こそが、最善の温暖化対策の鍵となる。

しかし、現状の日本の2030年 NDC は、世界目標水準を下回る「2013年比46%GHG排出削減(50%の高みを目指す)」のままで、一向にその引き上げの気配はない。いまの日本政府には、化石燃料や原子力からの脱却の方針はまったくない。

⑱依然としてエネルギー基本計画策定の議論が、化石燃料や原子力の維持に拘泥して、再エネ100%を目指すための討議が積極的に進まないのには明確な理由がある。それは現政府が、「パリ協定」目標必達を目指す国際合意よりも、国内において自らの政権の持続可能性を支えてくれている経済界への忖度を優先しているからである。(下図【図5】参照)

⑲日本では、恣意的に、「エネルギー基本計画」の策定は、「審議会」と政府内調整だけで閉鎖的かつ不透明に行われている。現状では、市民参加はおろか、意見箱やパブリックコメントがあっても、その意見がほとんど真摯に反映されず形骸化してしまっている。

本来なら、欧州のように、エネルギー政策のようにあらゆる人の命や生活に関わる重要な政策は、参加型国民的議論、気候市民会議など、様々な市民参加の形をとり、NGOや市民社会など多様な主体の参加が不可欠であるにも関わらず、それに対して、日本では、こうしたプロセスが省かれ、肝心の「審議会」のメンバーの実態は、再生可能エネルギー100%に反対か消極的な既得権を持つ業界団体とその関係団体が多数を占めており、「結論先にありき」で一方的に議論が進んでいる。

むしろ、一般国民が「エネルギー基本計画」のことの重大さに気付いて、その策定に対する関心や問題意識が喚起され、大きな議論を惹起しないよう、「不都合な真実」の開示を避け、一応、国民の意見を聴くアリバイ造りの体裁は最低限の偽装はするものの、粛々と内々に国民が気づかない内に決定してしまいたいとする政府の本音が見え隠れしている。(下図【図6】参照)

⑳要は、国際合意や国民の幸福と健康向上をないがしろにしてまでも、自らの保身を優先しているのである。そこにノブレス・オブリージュの自覚は、微塵もない。これは恥ずべきことである。日本も、待ったなしの深刻化する気候危機に立ち向かうべく、既得権益を排して、旧態依然としたエネルギーシステムの抜本的改革を遂行し、化石燃料に依存しない真の持続可能な「脱炭素社会」構築の道筋を作ることが最優先の急務であることは論をまたない。日本にとって、それ以外の最善の選択肢はない。

ちなみに、日本のGHG総排出量とネットゼロへの道筋は、下図【図1】の通りである。

この図の黄色で示された直線的にGHG排出量を下げる経路のままでは、「パリ協定」の目標達成は、不可能である。



【図1】日本のGHG総排出量とネットゼロへの道筋(基準年2013年)

(出所)Climate Analytic「1.5°C-consistent benchmarks for enhancing Japan’s 2030 climate target」、
国立環境研究所「日本の温室効果ガス排出量データ」
Climate Integrate(2024)「これからの気候・エネルギー政策に向けたファクト集」



日本のGHG排出内訳は、下図【図2】の通りである。


【図2】日本の2022年度GHG排出内訳(1,135百万トンCO2換算;直接排出)

(出所)資源エネルギー庁「総合エネルギー統計」、
国立環境研究所「日本の温室効果ガス排出量データ」
Climate Integrate(2024)「これからの気候・エネルギー政策に向けたファクト集」



また、日本の日本の電源構成比の推移は、下図【図3】の通りである。再生可能エネルギー増が原発事故後の喪失分の一部を賄っていることが確認できる。



【図3】日本の電源構成比の推移

(出所)資源エネルギー庁「総合エネルギー統計」
Climate Integrate(2024)「これからの気候・エネルギー政策に向けたファクト集」



また、日本の電源別発電コスト比較は、下図【図4】の通りである。原子力・火力の発電コストは上昇した一方、太陽光・陸上風力・洋上風力は減少しており、再生可能エネルギー転換の経済合理性が向上していることが、確認できる。



【図4】日本の電源別発電コスト比較

(出所)発電コスト検証WG「基本政策分科会に対する 発電コスト検証に関する報告」2021.9.
Climate Integrate(2024)「これからの気候・エネルギー政策に向けたファクト集」

(注)2020年政府試算と2023年Climate Integrate試算
(2023年はClimate Integrate推計、協力:龍谷大学大島堅一教授)



また、日本の「第6次エネルギー基本計画」は、下図【図5】の通りである。


【図5】日本の「第6次エネルギー基本計画」

(出所)資源エネルギー庁(2021)「第6次エネルギー基本計画」
伊与田昌慶(2024)「エネルギー基本計画と気候変動対策」



また、日本の総合資源エネルギー調査会基本政策分科会の委員構成は、下図【図6】の通りである。審議会メンバーは既得権を持つ業界団体とその関係団体が多数を占めており、生可能エネルギー転換に消極的な委員が、恣意的に招聘されていることが一目瞭然である。




【図6】日本の総合資源エネルギー調査会基本政策分科会の委員構成

(出所):Climate Integrate(2024)「日本の総合資源エネルギー調査会基本政策分科会の委員構成」
伊与田昌慶(2024)「エネルギー基本計画と気候変動対策」

(注)再生可能エネルギー転換に消極的な委員が、恣意的に招聘されていることが、一目瞭然である。積極的な委員は、ほんの8%に過ぎない。


すでに、既存の約束を実施する余地・機会が急速に狭まっているにも関わらず、気候危機に対する緊張感と自覚が欠落しているのではないかと心配に思えてならない。いまの気候危機に対する鈍重な対応のままの体たらくでは、「パリ協定」目標は、未達であろう。

目下、GHGの大幅で速やかかつ持続的な削減が必須不可欠であることは自明である。ゆえに、すべての締約国に対して、世界全体の努力への貢献が求められる。日本も含め、来年2025年2月が提出期限の次期NDCを1.5℃目標と整合するものとすることが必須不可欠である。

これを踏まえ、ついこの前の 2024年6月17日に発表されたG7プーリア・サミットの首脳コミュニケにおいて、日本を含むG7各国が「1.5℃に整合した野心的なNDCを提出することにコミット」に署名し、世界に向けて表明している。

[1] (出所)Jeremy Rifkin(2015)” Zero Marginal Cost Society”(ジェレミー・リフキン『限界費用ゼロ社会』)

[2]シンクタンクのClimate Action Tracker は、1.5℃目標達成のためには、少なくとも 62%削減(2013 年度比)が必要であると明言しており、現在日本政府が掲げている46%削減目標との乖離は甚だしく大きいと指摘している。Climate Action Tracker(2023)” Japan’s climate policies and action in 2030” 

[3]日本でも「2050年までに100%再生可能エネルギーが実装された脱炭素社会の構築をすること」は十分可能である。2024年5月31日に発表された直近の最新版の「脱炭素社会へ向けた 2050 年ゼロシナリオ 2024」(WWF)によると、COP28 の要請に応じて、化石燃料からの転換、特に石炭火力は 2030 年までに廃止し、再生可能エネルギーの設備容量を 2030 年に 3 倍(風力は 10 倍、太陽光は 2.9 倍)にすることが可能であることが示されている。そして 2035 年には、CO2の削減量は 2019 年比で 66%(日本の NDC 基準年 2013 年比で 71.8%)となり、GHG にして 62.7%(2013 年比では 67.9%)削減が可能となる。この実現には、抜本的な脱炭素政策の強化による加速度的な再生可能エネルギー推進策、そして予見可能性のあるカーボンプライシング等の政策パッケージが前提となっているが、現下の再生可能エネルギーの潜在力、日本の技術力、資金力をもってすれば、不可能ではなく、唯一の課題は、日本政府の思い切った毅然とした決断力にかかっているということである。

[4] IEAの分析(2024年1月)によれば、世界に8000以上あるデータセンターの33%が米国、16%がEU、10%近くが中国に立地し、2026年の電力需要に占めるデータセンター(Data center;以下DCと略称)の割合は米国6%、EU5%、中国3%まで拡大と予測。また、2030年頃には8,400億kwh程度まで電力需要が増える(前年比+5%増)見通しである。DCの消費電力の40%が冷却用であるが、DCからの廃熱活用等の工夫も検討されている。特にDCの大手運営・利用者のGAFAM(Google・Amazon・Facebook=現Meta Platforms, Inc・Apple・Microsoft)等は再生可能エネルギー100%転換を前提としており、ますます、再生可能エネルギー100%転換への圧力が高まる可能性がある。DCは、自然変動再生可能エネルギーの電力消費を調整し、併設する蓄電池から電力を送電線に送る等電力需給調整機能も果たしうる。(出所)資源エネルギー庁(2024)「電力需要について」

[5](出所)資源エネルギー庁(2021)「分散型エネルギーシステムへの新規参入のための手引き」

3.日本の進むべき道

はたして、こういった国際合意に署名してきた日本は、「自分ごと」としての当事者意識があるのであろうか。

そして、日本は、来年2025年2月に提出予定の今後のNDCを、最終的にしっかり1.5℃目標と整合したものとして提出することができるのであろうか。

日本の進むべき道は、どうあるべきなのであろうか。

その問いへの答えは、明確である。

日本が、「自分ごと」としての当事者意識さえ持ちさえすれば、しっかり1.5℃目標と整合したNDC策定と提出は、まったく技術的にも経済的にも能力的にも可能である。要は、やるかやらないかである。

日本が、近視眼的な目先の損得勘定や忖度の呪縛から脱却して、問題の本質から目を逸らさず、日本のノブレス・オブリージュを真摯に自覚できるか次第である。

日本の進むべき道は、多くの地球環境学者の意見の共通する認識であるが、以下に集約される。


<日本の進むべき道>

①2030年にGHGを46%から50%削減(2013年比)という日本政府の現行目標「2050年ネットゼロ」を達成するためには、現在までの排出削減ペースに対し、一層の対策強化を行う必要がある。

②世界全体の1.5℃整合経路を達成するためには、日本をはじめとした経済的に成熟している先進国は途上国・新興国に比べ早いペースで削減することが必要となる。

③先進国としての立場も踏まえると、日本を含め先進国が、グローバルでの1.5℃整合経路よりも速いペースで削減するNDCを設定しなければ、1.5℃目標と整合的と主張するのは難しい。その目標がグローバル・ストックテイクで奨励されているように1.5℃目標との整合性の根拠を明示することが必要である。

④今後の日本におけるエネルギー政策決定上、「脱化石燃料」は大前提となる。気候危機問題の元凶であることに加えて、依然として化石燃料による大規模な自然破壊が進行中であり、化石燃料を掘るための森林破壊、化石燃料を運ぶための環境破壊、化石燃料を日本に運ぶ途中で起きる環境汚染等問題山積であり、もはや、「脱化石燃料」は、不可逆的な国際的コンセンサスとなっている。

⑤原子力発電は、安全性と経済性の両面からエネルギー政策の選択肢になる資格を喪失している。2011年3月の東京電力福島第一原発事故の反省に立った政治決断が求められてから早13年の月日が経過しているが、事故後から現在までの深刻な状況が続いていること自体が「脱原子力発電」の必然性を物語っている。放射性廃棄物の最終処分問題の目途が付かない限り、トイレのないマンションを建設するようなもので、原子力発電の維持存続に正当性も合理性もない。

⑥計画どおり進まない廃炉・汚染水対策の実態、燃料デブリ880トンのうち取り出せたのは13年でわずか3gでしかない実態、ALPS処理水 トリチウム年間放出量4.5兆ベクレル(その他29核種も)海洋放出の深刻度、高濃度水処理廃棄物が年々増加している実態、作業員の被ばく事故が多発の実態、福島県内の除去土壌の再生利用の強行への批判、深刻な子どもの甲状腺がんの発症数増加問題、等々、未解決の諸問題が、そのまま放置されているのが実態であり、結論的に、「脱原子力発電」が大前提となることは自明である[6]

⑦日本の責任ある為政者が、factに真摯に向って直視し、化石燃料業界や原子力への姑息な忖度から卒業し、近視眼的な目先の損得勘定の呪縛から脱却すべきである。

⑧しっかり1.5℃目標と整合したNDCを堂々と策定し提出することは、まったく技術的にも経済的にも能力的にも可能である。

⑨さらに、単に気候危機対策に留まることなく、日本は、目下ますます緊張感をはらみつつある米中関係において、2国間で高まる対立のリスク抑制のため、「人類共通の敵」である気候危機対策を梃子に、両国の利益となる協力強化の仲介者として重要な役割を果たすことも期待されている。世界の脱炭素社会構築に向けたパラダイム・シフトの潮流を視野に、東アジア地域における平和で持続可能な未来を希求して、国際間の不毛な緊張を止揚するためのプラットフォームとして、資源の共有を通じ持続可能な恒久的平和を目指す「協働型コモンズ(collaborative commons)」を東アジア地域に適用する「東アジア脱炭素経済共同体(the decarbonized East Asian Community)」構想の提言を日本が率先して米中に働きかけることも有益であろう[7]

再生エネルギーを超国家的な機関によって共有管理する共同体の構築によって、グローバリゼーションと国家主権と民主主義が両立できる異次元なプラットフォームを構築することで、いまや、人類にとり、持続可能な地球環境との多元共生と、途上国、新興国の経済問題やテロ、貧困、格差問題の解決を目指した包摂性を担保したまったくあたらしいパラダイム・シフトの端緒となろう。いまこそ求められるのは、諸国間の危機意識の共有と連帯であり、エネルギー資源ナショナリズムを超越した「地球市民」としての連携協働である。こうした観点から、多極化の混迷の世界情勢下において、米中間の緊張感の間に立つ日本が果たす役割は大きい。

⑩要は、日本が、日本が、「自分ごと」としての当事者意識を持ち、国際合意を率先垂範する立場にある自覚を持って、ノブレス・オブリージュを真摯にもてる否かにかかっている。

以上、諸点勘案、日本がとるべき政策について、以下、提言したい。


<日本がとるべき政策についての提言>

①日本は、すでに批准している国際的合意を念頭に、化石燃料からの転換、特に石炭火力は2030年までに廃止し、再生可能エネルギーの設備容量を2030年に3倍(風力は10倍、太陽光は2.9倍)にすることを提言したい。そして COP28合意の「世界全体で2035年60%削減、2040年69%削減(2019年比)」の世界水準よりさらに高みを目指し、2035 年に、CO2の削減量を2019年比で66%(日本の NDC 基準年2013年比で71.8%)とし、GHG の削減量を62.7%(2013年比では67.9%)とすることを、世界に向けてコミットすることを提言したい。

②こうした対外的なコミットを念頭に、目下、日本政府内で議論が進行中の「第7次エネルギー基本計画」策定において、化石燃料や原子力から脱却し、経済合理性にも裏打ちされた再生可能エネルギー100%転換へのエネルギー政策を打ち出すことを、そして、それに沿った1.5℃目標と整合するNDCを提出することを提言する[8]。こうした政策を対外的にコミットした上で、「再エネ3倍」・「エネルギー効率改善2倍」の必達に向けて、有言実行で、全力で注力することを提言したい。

③G7では、すでに、「2035年までに電力システムの完全又は大宗の脱炭素化」、「2030年代前半までの石炭火力の段階的廃止」に合意しており、これに合意した日本は、2035年電力脱炭素化に向けて、「火力からの脱却」と「再エネ導入拡大の迅速化」を有言実行すべきである。日本がとるべき対策は、この2つの国際合意に沿い、現状の目標とのギャップを埋めて、野心的なNDCを策定し、期限前に提出することである。その際には、1.5℃目標との整合性の根拠を明示することが必要である。

④日本は、先進国として率先する責任を果たし、野心を持って大幅に削減するべきである。そのために、火力発電、製鉄、セメント製造、石油化学製品製造等の高排出部門のインフラの転換や事業の移行、産業構造の転換促進、最大の排出源である石炭火力の大幅削減、運輸や製鉄業等のエネルギー多消費産業における脱化石燃料化への重点的な取り組みが、必須急務であることは論を待たない。

⑤なぜなら、これらの気候危機対策は、すべて充分可能であるからである。日本には、世界に誇れる甚大な再生可能エネルギーのポテンシャルがあり[9]、それを十分生かせる技術力・資金・能力がある。

⑥COP28においてすでに「化石燃料からの脱却」、2030年までに「再エネ3倍」・「エネルギー効率改善2倍」に合意している日本が、率先垂範して、エネルギー、電力の脱炭素化を加速することは、単に気候危機対策にためだけではなく、輸入化石燃料への依存度を下げ、エネルギー安全保障に資する意味でも極めて重要である。

⑦また、貿易収支改善、内外の投資家等のステイクホルダーから脱炭素経営が求められている日本企業の国際競争力強化の観点からも必須不可欠である。

⑧ここに掲げた提言は、すべて、日本における再生可能エネルギーのポテンシャル 、それを十分生かせる日本の技術力・資金・能力等を総合的に勘案して、可能なことばかりである。要は、「できるか、できないか」ではない、「やるか、やらないか」の問題なのである。

いまや、世界は国際政治における権力の空白が露呈した多極化の「Gゼロ(G-Zero world)[10]」の状況下にあるが、これは、日本にとっては、危機であると同時に、むしろ、空前絶後のチャンスでもあるとも考えられる。

あらゆる国が相互依存し不可分な関係性が出来上がっている世界において、方や、ロシアによるウクライナ戦争、イスラエルによるガザ戦争、さらには米中間の緊張感の高まりが同時進行している今日の五里霧中の混迷した状況に鑑み、いまこそ、「人類共通の敵」である気候危機に向って、相互の対立軸を止揚して、国家の相克を超越した国際間の不毛な緊張を止揚するためのプラットフォームを構築する好機でもある。

こうした中、もはや、国家という枠組みや呪縛を超越して、「地球人」という新たな視点にたった資源の共有を通じ持続可能な恒久的平和を目指す「協働型コモンズ(collaborative commons)」が模索されている。こうした中、米中対立の相克において、比較的しがらみの少ない中立的な日本の果たすべき役割は大きい。

こうした世界情勢も視野に、ここで、あらためて、これからの日本の命運を決めるであろう「第7次エネルギー基本計画」と「温室効果ガス削減目標」の重要性について喚起することは、単に気候危機対策や日本一国の利益を超えた次元で、必要であり重要な意味を持っていると考える。そして、いま日本政府内で審議中の「第7次エネルギー基本計画」の内容如何が、そして、来年2025年2月が提出期限の次期NDCの内容如何が、これからの世界からの日本への評価を決定つけ、日本明るい未来の近未来現実の風景を描くことになることは明らかである。

いまこそ、日本は、しっかり未来を見据えて、自らのノブレス・オブリージュを自覚し、毅然と率先垂範すべきであろう!

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[6]かつて天才Nikola Teslaは、「人類は恐るべき問題に直面している。その問題は、物質的にいくら豊かになっても解決しない。原子のエネルギーを解放したとしても恩恵などない。人類にとってはむしろ不幸になりかねない。不和や混乱が必ずもたらされ、その結果として最後に行きつくのは、権力による憎むべき支配体制なのだ」と喝破したが、もはや、核エネルギーは倫理的にも容認はできない。

[7]「東アジア脱炭素経済共同体(the decarbonized East Asian Community)」構想は、東アジア地域における平和で持続可能な未来を希求して構想された協働型コモンズで、再生可能エネルギー(renewable energy)を軸とした「東アジア再生可能エネルギー共同体構想」と炭素通貨(carbon money)を軸とした「東アジア炭素通貨圏構想」と言う2つの未来志向的なプラットフォームから構成される。プリンストン高等研究所のロドリック教授(Dani Rodrik) は、その著書 『グローバリゼーション・パラドクス(The Globalization Paradox)』において 、現今の世界情勢は、グローバリゼーション(economic globalization)と、国家主権(national determination)、そして民主主義(democracy)の3つを同時に成立することが不可能であり、どれか一つを犠牲にするトリレンマを強いているとして「政治的トリレンマ(fundamental political trilemma)」を論じ、その解決方法として、国家主権と民主主義を擁護し、無規制な金融グローバリズムに網を掛けることを提言している。この炭素通貨圏と再生可能エネルギー共同体から構成される「東アジア脱炭素経済共同体」構想にある有意な互恵性が、この不可解なトリレンマを解消する鍵となるかもしれない。(出所)古屋(2017)「東アジアエネルギー共同体の意義」(アジア研究所平成26・27年研究プロジェクト「東アジア地域における環境エネルギー政策共同体の可能性に関する考察」)、古屋(2019)「東アジア脱炭素経済共同体構想の意義とその実現可能性について-東アジア地域における炭素通貨と再生可能エネルギーを軸とした「協働型コモンズ」構築の必然性と可能性についての一考察 –」(アジア研究所共同研究プロジェクト)

[8]日本でも、抜本的な脱炭素政策の強化による加速度的な再生可能エネルギー推進策、そして予見可能性のあるカーボンプライシング等の政策パッケージを投入することで、現下の再生可能エネルギーの潜在力、日本の技術力、資金力をもってすれば、「2050年までに100%再生可能エネルギーが実装された脱炭素社会の構築をすること」は十分可能である。こうした検証はすでに多くの検証がなされており、多くの先行研究も公開されている、その中で、今年2024年5月31日に発表された直近の最新版の「脱炭素社会へ向けた 2050 年ゼロシナリオ 2024」(WWF)によると、COP28 の要請に応じて、化石燃料からの転換、特に石炭火力は 2030 年までに廃止し、再生可能エネルギーの設備容量を 2030 年に 3 倍(風力は 10 倍、太陽光は 2.9 倍)にすることが可能であることが示されている。そして 2035 年には、CO2の削減量は 2019 年比で 66%(日本の NDC 基準年 2013 年比で 71.8%)となり、GHG にして 62.7%(2013 年比では 67.9%)削減が可能となると検証されている。(出所)WWF(2024)「脱炭素社会に向けた2050年ゼロシナリオ2024版~日本はCOP28の要請に応えられるか?2035年GHG60%以上削減を可能とするエネミックス提案~」

[9]日本国内の再生可能エネルギーの導入ポテンシャルについては、環境省が平成 21 年度から長年にわたり太陽光発電等で調査を行ってきている。環境省ではREPOS(Renewable Energy Potential System)という再生可能エネルギー情報提供システムを構築しており、その中では太陽光、風力、中小水力、地熱、地中熱、太陽熱について導入ポテンシャル(潜在的な導入可能量)が推計されている。(出所)環境省(2020)「我が国の再生可能エネルギーの導入ポテンシャル」(環境省地球温暖化対策課調査)

[10]「Gゼロ(G-Zero world)」とは、欧米の影響力の低下と発展途上国政府の国内重視によって生じた国際政治における権力の空白のことである。経済的にも政治的にも、真に世界的な目標を推進する能力と意志を持つ単一の国や国のグループが存在しない世界を説明する。この言葉は、政治学者のイアン・ブレマーとデビッド・F・ゴードンによって作られた造語である。Gゼロは、イアン・ブレマーの著書『Every Nation for Itself: Winners and Losers in a G-Zero World』のメインテーマとなった。これは、先進国が優位性を享受していたG7から、中国・インド・ブラジル・トルコなどの主要新興国を含むG20へのシフトの認識に依拠している。また、G2(米中政府間の戦略的パートナーシップの可能性を示すためによく使われる)や、G3(中国主導の国家資本主義の台頭から市場経済民主主義を守るために、日米欧の利害を一致させようとする試みを指す)といった用語に対峙している。