気候システムがティッピング・ポイントを超えることが気候非常事態(Climate Emergency)だと考えられる。先ずWMO(世界気象機関)の報告書(United in Sciences 2022)によって地球温暖化の現状を復習しておこう。CO2濃度はMauna Loaで2022年5月に420.99ppmとなり昨年の419.13ppmより増加している。化石燃料由来のCO2排出量は2020年に世界的なコロナウィルスによるロックダウンで5.4%低下したが、その後社会経済活動の回復に伴い増加し、2022年1月~5月の世界の排出量は2019年の同時期の排出量を1.2%上回った。2015年~2021年の7年間の世界の平均気温は観測史上の最高温度を記録し、2018年~2022年(6月まで)の平均気温は産業化前平均(1850~1990年)と比べて1.17±0.13℃高い。2022~2026年の各年の平均気温は1.1~1.7℃の範囲と予測され今後5年のうち1年がパリ協定の目標値1.5℃を超える確率は48%と計算されている。現在の各国の気候政策では今世紀中に世界の平均気温は66%の確率で2.8℃上昇(2.3~3.3℃範囲)すると予測されている。すなわち私たちは間違った方向に進んでいるのである(We are heading in the wrong direction)。世界人口の55%の42億人が都市に居住し、世界のCO2排出量の70%を占めている。2050年までに970都市に居住する16億人が3ヶ月間、平均気温少なくとも35℃にさらされると予測されている。都市は気候変動との戦いにおける主戦場なのである。

2022年9月に雑誌Scienceに最新の論文が掲載され、ティッピング・ポイントを再評価したところ1.5℃を上回る地球温暖化で複数のティッピング・ポイントが突破される可能性が高いと結論された(参考文献1)。筆者は2007年~2009年にかけて『温暖化地獄』3部作をダイヤモンド社から出版した(参考文献2)。2008年に出版した2冊目の本では当時論文が公開されたばかりのティッピング・ポイントについて詳細に紹介している。本稿ではこの15年間の間に気候のティッピング・ポイントについて科学的理解がどのように深められたかについて、また気候政策上の意義について述べてみたい。

ティッピング・ポイント(気候転換点)に本当に接近しているとすれば、それは気候非常事態であり、気候非常事態宣言を発出して市民全体で危機意識を共有し、カーボンニュートラル実行計画を作成して社会を挙げて実施しなければならない。2021年6月に日本政府はグリーン成長戦略を打ち出した。2050年カーボンニュートラル宣言をする自治体も785を超えたが、気候非常事態宣言を発出した自治体は124にとどまっている。

ティッピング・ポイント(Tipping Point)の言葉のティッピングとはどんな意味だろうか。ティッピング・ポイントはもともとマルコム・グラッドウェルが使った言葉である。あるアイデア、流行、社会的行動がしきい値を超えると一気に野火のように広がることを指している。米国北東部の比較的古い都市において、アフリカ系アメリカ人の人口比率が約20%に達すると、その地に残っていた白人が一斉に市外へ脱出することを社会学者が町が傾く(tip)と形容したのが起源とされる。その後ほんのわずかの地球の表面温度(世界の年間平均気温)の変化により地球気候のサブシステムが急激に状態変化を起こすことにティッピングという言葉が使用されるようになった。2005年9月にベルリンの英国大使館で英独ワークショップが開催されティッピング・ポイント(気候転換点)のある地球気候システムの部分系(ティッピング・エレメンツ)について討議が行われた。LentonとSchelnhuberらは今世紀に問題になりそうな次のようなティッピング・エレメンツを取り上げた。

●夏の北極海氷の消失
●グリーンランド氷床の融解
●北方林の枯死
●大西洋南北熱塩循環
●サハラの再緑化と西アフリカモンスーンのシフト
●アマゾン熱帯雨林の枯死
●エルニーニョ南方振動
●西南極大陸氷床の崩壊

この中でも夏の北極海氷の消失は既にティッピング・ポイントを超え、グリーンランド氷床の融解もティッピング・ポイントに近いと考えられた。40年前には750万平方キロメートルあった9月の北極海氷面積が2007年9月16日に413万平方キロメートルまで減少し、当時の衛星観測史上の最小値を記録したことがその結論の背景にある。

その後LentonとSchelnhuberらの論文以降、200余りの論文が発表され、それらを基にティッピング・ポイントの詳細な再評価を行ったのが2022年9月に公表されDavid Armstrong McKayらの研究である(参考文献1)。その結果世界的に重要なティッピング・ポイント9個と地域的なティッピング・ポイント7個が取り上げられた。ティッピング・ポイントの値の小さい順(世界の平均気温の上昇と共に早く突破される順)に示すと次の通りである。

●グリーンランド氷床崩壊
●西南極大陸氷床崩壊
●熱帯サンゴ礁枯死
●北方永久凍土の突発的融解
●バレンツ海氷の消失
●ラブラドル海流崩壊
●山岳氷河消失
●西アフリカモンスーンのシフト
●東南極大陸氷河崩壊
●アマゾン熱帯雨林枯死
●北方永久凍土崩壊
●大西洋海流崩壊
●北方森林枯死―南
●北方森林拡大―北
●冬の北極海氷崩壊
●東南極大陸氷床崩壊

ここでClimate Tipping Point(気候転換点)をCTPと略記することにする。

表1にティッピング・ポイント(転換点)の最良評価値、その範囲、タイムスケールの最良評価値を示した。McKayらの原論文には更に詳細なデータが示されている。2007年時点で取り上げられたティッピング・ポイントと2022年に再評価されたティッピング・ポイントを比較するといくつか入れ替わっていることが分かる。これはティッピング・ポイントそのものの定義がまだ十分に定まっていないことにもよる。

McKayらはティッピング・ポイントを次のように定義している。小さな付加的な強制力がシステムに作用してある観測時間後に自己永続的な質的な変化を引き起こす臨界点(しきい値)のことをティッピング・ポイントと呼んでいる。しきい値を超えると自己永続的な変化が起こり、非線形的インパクトはその後強制力が働かなくとも反転することが困難になる。自己永続化(Sefl-perpetuating)はシステム内の正のフィードバックによって起こり、それが十分に強い場合には暴走(runaway)条件に達する。しかしほとんどの正のフィードバックはこの条件を満たさず最初の強制力の効果を限定的に増幅するだけである。McKayらはティッピング・ポイント後の状態変化に非可逆性を求めず、タイムスケールも数世紀から1万年までも含めてティッピング・ポイントを議論している。

空間スケールについては少なくともサブ・コンチネンタル(~1000㎞)の規模で起こるものを世界的に重要なCTPとして分類している。詳細は省くがMcKayらの研究ではCTPをIPCC第6次報告書よりも広く捉えて議論している。IPCC第6次報告書ではティッピング・ポイントに関心を持つ理由として以下の14を挙げている。

●アマゾンの森林枯死
●北方林枯死
●氷床
●氷河
●グローバルな海洋温度
●海面水位上昇
●海洋循環(AMOC)
●永久凍土の炭素
●北極海氷
●北半球の雪のカバー
●グローバルモンスーン
●エルニーニョ南方振動(ENSO)
●メタンクレスレート

意外だったのは夏の北極海氷消失がCTPから除外されたことである。2007年9月には413万平方キロメートルにまで面積が減少した北極海氷は既にティッピング・ポイントを超えたのではないかと疑われていたのである。2012年に342万平方キロメートルまで減少したがその後増減を繰り返し2022年9月の北極海氷の平均面積は487万平方キロメートルである。これは1981~2010年の9月の北極海氷の平均面積より154万平方キロメートル小さい。しかし減少の傾向は直線的であってこれまでに急激な減少は見られないのである。北極海氷の厚さや体積の減少も報告されている。この減少は氷―アルベドフィードバックで増幅されているのであるが、十分に強くなく暴走的海氷消失を防いでいるのである。最新のコンピューターシミュレーションによれば世界の平均気温が1.5℃を超えると、9月の北極海氷には時折氷の無い(ice-free)状態が出現し、2℃を超えるとそれが普通になり、3℃付近で永久に無くなるという結果が得られているが、しきい値は特定できないのである。そのため夏の北極海氷消失はしきい値のないフィードバックのCTPに分類されたのである。また北極海氷が消失すると世界の平均気温は0.25℃上昇することが予想されている。十分な証拠がなく不確実としてCTPから除外されたものには、この他にインドの夏のモンスーン、エルニーニョ南方振動、北極ジェット気流(JETS)などがある。北極圏の温暖化増幅により北極ジェット気流が不安定化し、蛇行して北半球中緯度地方に極端な気象をもたらしているという仮説が提唱され、SteffenらによってCTPに分類された。そのティッピング・ポイントは3~5℃とされた。しかしその証拠が示されなかったのと長期間のデータセットにより相関が認められなかった。IPCC第6次報告書でも専門家の間で合意は低いと判定されており、McKayらもJETSをティッピング・エレメンツから除外している。

さて表1を見ると既にしきい値の範囲の下限を超えているCTPが5つある。現在世界の平均気温は産業化前と比べて1.1℃高いことを思い起そう。グリーンランド氷床崩壊、西南極大陸氷床崩壊、熱帯サンゴ礁枯死、北方永久凍土の突発的融解、ラブラドル海流崩壊である。これは何を意味するのか。既にティッピング・ポイントを超えたかも知れないと思わせる現象が現在起きているということである。McKayらはCTPを超えた可能性がある(Possible)とCTPを超えた可能性が高い(Likely)の2つの言葉を使い分けている。Possibleは世界の平均気温がしきい値の温度範囲の下限を超えた場合に使用し、Likelyは世界の平均気温が彼らが計算したしきい値の最良の評価値を超えた場合に使用している。周知のようにIPCCではLikelyは発生確率が66%以上の場合に用いられている。パリ協定の1.5℃目標に達すると4つのCTPがLikelyとなり突破された可能性が高いことになる。これが本当なら人類にとって恐るべきことである。特にグリーンランド氷床崩壊、西南極大陸氷床崩壊により海面水位の上昇は今世紀中に数メートルに達することが不可避的になるからである。現在の各国の表明している気候政策では今世紀中に世界の平均気温が2~3℃上昇する可能性がある。

以下に特に重要なティッピング・エレメンツについてMcKayらの論文を基に紹介しよう。

グリーンランド氷床崩壊
Greenland Ice Sheet(GrIS)

グリーンランド氷床(GrIS)の面積は173万平方キロメートル、氷の厚さは平均で1,515メートル、地球上の淡水の10%を占めていると言われる。全て融解すると世界の海面水位を7メートル上昇させるほどの氷がある。その一部では既に自己永続的フィードバックが働き不可逆的な氷床損失が起きており、これは遂には3.5メートルの海面水位の上昇を引き起こすと考えられている。McKayらによればティッピング・ポイントの最良評価値は1.5℃(0.8~3℃)である。グリーンランド氷床は普通6月から8月にかけて融解するが、2022年は9月初めに59.2万平方キロメートルの面積の氷河が融解していて科学者を驚かせた。これはグリーンランド氷床崩壊のティッピング・ポイントを既に超えていることを示している可能性がある。

南極大陸氷床

南極大陸は周知のように氷の大陸で全部融解すると海面水位を70メートル上昇させる膨大な氷を貯蔵している。東南極大陸氷床と西南極大陸氷床では氷の厚さ、安定性に大きな差がある。氷の平均の厚さは東南極大陸では2,638メートルに対して西南極大陸では1,781メートルである。この違いは氷床の下にある岩盤の標高が大きく異なっていることに由来している。東南極大陸では平均15メートルであるのに対して西南極大陸では何とマイナス440メートルでそのほぼ全域が海面下にあるのである。したがって氷床が岩盤に接地している線(接地線)が後退すると氷床不安定化への強い正のフィードバックが働くのである。西南極大陸のスウェイツ氷河の大崩壊は不可避であると考えられている。西南極大陸氷床崩壊により海面水位は5メートル上昇すると見積もられている。

東南極氷底盆地氷床崩壊
East Antarctic sub-glacial basins(EASB)

長年、東南極大陸氷床はきわめて安定と考えられてきた。東南極大陸氷床(EASI)のいくつかの氷底盆地、特にWilkes、Aurora、Recovery盆地の氷河は海氷崖不安定性(MISI=Marine ice cliff instability)によって影響を受けることが観測データやモデルによって示されている。MISIでは浮いている棚氷の崩壊によって氷河の海岸端に不安定な氷の崖が生じ、それが内陸へ急速に後退することで氷床損失が起こる。しかしこのプロセスがどれ程度重要なのかについては議論が続いている。
2022年3月15日からわずか2週間で東南極大陸の1200平方キロメートルのコンゴー棚氷が崩壊して科学者たちを驚かせた。当時大気の流れの影響で棚氷周辺の気温は12℃となり平年気温を40℃上回ったこともその原因の1つと考えられている。別の研究では1992~2017年に東南極大陸氷床は毎年平均して正味で50億トンの氷を失っており、地球温暖化の影響が既に及んでいると考えられている。McKayらはEASBのティッピング・ポイントの最良の評価値を3℃(2~6℃)としている。これは世界的に重要なCTPに分類されている。

北極、南極以外の山岳氷河消失
Extra-polar mountain glaciers(GLCR)

低緯度にあるアルプスの氷河は個々の質量バランス・しきい値と標高フィードバックを持っている。しかしいくつかのキーとなる地域ではある地球温暖化の水準において大規模な同期した氷河の消失が予想されている。ヨーロッパの山岳氷河は1℃の温暖化でピークウォーターとなり2℃でほとんど消失すると考えられている。1.5~2℃の地球温暖化でほとんどの山岳氷河は最終的に失われるだろう。アジアの高山の氷河は他の場所の氷河に比べて長持ちするが2℃でピークウォーターとなり南アジアに大きな影響を及ぼすことが憂慮される。McKayらは低緯度の山岳氷河を地域的なインパクトを及ぼすティッピング・エレメンツに分類している。そのティッピング・ポイントの最良の評価値は2℃(1.5~3℃)である。タイムスケールは200年(50~1000年)と評価された。

ラブラドル海対流崩壊
Labrador Sea Convection(LABC)

北西大西洋のラブラドル海の対流は温暖化によって引き起こされる階層化により突然崩壊することがいくつかのモデルで示されている。高緯度で冷却された塩分密度の高くなった海流は降下し深層海流を形成する。自己励起対流フィードバックで維持される2つの安定状態は深い対流がある状態と無い状態である。LABCはsub-polargyre(SPG、サブポーラー循環)の一部である。SPG崩壊はAMOC崩壊より早く起こる。SPG崩壊により北大西洋に地域的寒冷化2~3℃をもたらすが地球全体については0.5℃の寒冷化にとどまり、ジェット気流の北方への移動とヨーロッパに極端気象をもたらす。SPGのティッピング・ポイントは1.8℃(1.1~3.8℃)、タイムスケールは10年(5~50年)と評価された。

大西洋海流崩壊(AMOC)

Atlantic meridional overturning circulation(AMOC)、大西洋南北熱塩循環はグローバルコンベヤーベルトとも呼ばれ熱帯の熱を緯度の高い北方に運ぶなどの役割をしている。そのため北西ヨーロッパやアメリカ、カナダの東海岸の気候が高緯度にもかかわらず穏やかになっている。ところがグリーンランド氷床の融解により真水が北大西洋に注ぎ込まれることによって海流の塩分密度が薄まり深層循環が阻害され循環の弱化が指摘されている。AMOCは過去50年間で15%弱化したと報じられている。AMOCが停止すると大西洋北部は熱帯からの熱が供給されなくなるため地域的に寒冷化することが予想される。これが2004年に公開された映画“デイアフター・トゥモロー”のモチーフとなっている。今回の研究ではAMOCのティッピング・ポイントの最良の評価値は4℃(1.4~8℃)でタイムスケールは100年(15~300年)とされている。

アマゾン熱帯雨林枯死(AMAZ)

アマゾン熱帯雨林(AMAZ)には1500~2000億トンの炭素が貯留されており、歴史的に人間起源のCO2排出の強力な吸収源とされてきた。しかし1990年代以降、この吸収源は劣化しつつあり、気候変動に誘起された乾燥化傾向、干ばつ、南部や東部での森林伐採などにより全体として炭素の排出源になりつつある。

降雨は更に減少すると予想され、乾期も温暖化に伴い森林の南部と東部で長期化し、この傾向を悪化させる可能性が高い。1970年代以降、17%のアマゾン熱帯雨林が伐採され、2019年以来森林伐採は加速している。アマゾン熱帯雨林は平均して降雨量の3分の1、場所によっては70%をリサイクルしている。しかし森林を失うと自己励起型の乾燥化が生じ劣化したあるいはサバンナのような状態に変化してしまう。AMAZのティッピング・ポイントの最良の評価値は3.5℃(2~6℃)である。森林伐採の効果を入れれば、このしきい値は低下する。タイムスケールは100年(50~200年)と評価された。40%の枯死により300億トンの炭素が放出され、世界の平均気温は0.06℃(地域的には1~2℃)上昇すると見積もられている。Thomas LovejoyやCarlos Nobreらの研究によれば20~25%の森林伐採によりサバンナのような状態に変化してしまうとされている。

北方永久凍土崩壊
Boreal permafrost

永久凍土にはCO2やCH4として放出される膨大な炭素が貯蔵されている。その量は10,350億トンと見積もられている。永久凍土の融解は3つに分けて取り扱われている。
a)ゆっくりとした融解 gradual thaw(PFGT)
しきい値なしのフィードバック
b)突発的な融解 abrupt thaw(PFAT)
地域的にインパクトを与えるティッピング・エレメンツ
c)崩壊 collapse(PFTP)
PFATのティッピング・ポイントの最良の評価値は1.5℃(1~2.3℃)、PFTPのティッピング・ポイントの最良の評価値は4℃(3~6℃)とされている。

北方針葉樹林(タイガ)の枯死及び拡大
Boreal forest

アルベドと火災によるフィードバックがあり、2つのCTPを考える。
a)南端における突破的な枯死(BORF)
b)北端における突発的な拡大(TUND)
BORFとTUNDのティッピング・ポイントの最良の評価値はそれぞれ4℃(1.4~5℃)、4℃(1.5~7.2℃)である。BORFの50%の枯死で520億トンの炭素が放出される一方でTUNDの50%の拡大で310億トンの炭素が吸収される。

ティッピング・ポイントの気候政策上の意義

世界の平均気温が2℃上昇するとアマゾン熱帯雨林枯死や大西洋海流崩壊もしきい値を超える可能性がある(Possible)。ここで注意すべきはしきい値の評価は他のCTPとの相互作用を考慮していないことである。所謂カスケード(玉突き)作用を考慮するとしきい値の最良評価値が小さくなることが考えられる。そうすればアマゾン熱帯雨林枯死や大西洋海流崩壊のティッピング・ポイントを超えるのはさらに早まるかも知れない。

世界の平均気温がパリ協定の2℃目標を突破すると夏は北極海氷が消失し、陸上の炭素吸収源は炭素排出源に変わる。現在の各国の気候政策が改善されなかった場合2100年までに世界の平均気温が4℃上昇することもあり得る。3℃で大規模な永久凍土の崩壊、3.5℃以上でアマゾン熱帯雨林の枯死、4℃以上でタイガの移動、不確実性は高いが北大西洋海流崩壊、4.5℃以上で冬の北極海氷が消失する。今世紀中に起こる可能性は無いが5℃以上の状態が数世紀続くと東南極大陸氷床が崩壊して遂には海面水位は55メートル高くなる。このように見てくるとあらためてパリ協定の1.5℃目標の達成の重要性が再認識される。既に述べたように1.5℃目標は現状のように排出量が非常に多い場合は早ければ2020年代に突破され、2℃目標は2040年代に突破されてしまうのである。

ここで注意しなければいけないのは、世界の平均気温が一時的に1.5℃を超えて4つのティッピング・ポイントの突破がLikelyになったとしても直ちに氷床が大崩壊して海面水位が急上昇してくる訳ではないことである。新たな状態に移るには相当な時間がかかるためである。したがってその後急速に世界の平均気温の上昇を1.5℃よりも低下させることが出来れば最悪の影響を回避することができるのである。このような意味で人類にはまだ希望がある。

McKayらの論文が公表されると問題の重要性から様々なメディアで一斉に報道された。論文の筆頭著者のエクセター大学のMcKayはこの研究はGood First Step(最初の第一歩としては良い研究)だと述べている。ティッピング・ポイントモデルの相互比較プロジェクト研究(TIPMIP)を推進すべきだとも述べている。

2022年5月25日に「気候ティッピング・ポイント、不可逆性と社会、環境、経済への影響」についてスイスで会議が開催されベルン大学のThomas StockerはIPCCへティッピング・ポイントについての特別報告書の作成を提唱し、スイス政府がIPCCに提案した。IPCCの第7次報告書の作成作業の一環として行い、2026年までの公表を求めている。Stockerはティッピング・ポイントの科学はまだ未熟であると述べている。しかし過去15年間に公表されたCTP研究を総括した今回の研究は画期的でありティッピング・ポイント研究のティッピング・ポイントと評価する声もある。

人間社会は環境・生態系に依存している以上、環境・生態系の方がティッピング・ポイントを超えればその影響は人間社会の方に及ぶことは必至である。気候関連のティッピング・ポイントが大量移住や社会的混乱の引き金をどのように引くのかについても研究がなされている。気候のティッピング・ポイントに対して社会のティッピング・ポイントが問題である。気候がティッピング・ポイントを超える前に社会の方がティッピング・ポイントを超えるという説もあるが十分研究されてはいない。気候にティッピング・ポイントを超えさせないために社会の構造的転換を図ろうとする研究が行われている。9月12~14日には英国エクセター大学で「気候危機からのポジティブな社会転換へのティッピング・ポイント」を主題としたシンポジウムがTim LentonとJohan Rockstromによって開催された。

このティッピング・ポイントの表を見て気が付くのは、日本周辺にティッピング・ポイントが見当たらないことである。地球の気候システムがティッピング・ポイントを突破すればその影響は日本にも及ぶことは勿論であるが、日本はその気候状態の転換の現場からは離れているのである。これが日本人の気候危機に対する感受性を鈍らせている一因かも知れないと筆者には思える。

エクセター大学での討論では脱炭素社会への転換を促すポジティブなティッピング・ポイントについても議論された。さてOttoらは社会的ティッピング・ポイント(STP=Social Tipping Point)の候補と臨界的なしきい値としては次のようなものを挙げている(参考文献3)。

STPのタイムスケールについては次のように評価された。
社会的ティッピング・ポイントと引き金を引くために要する時間の評価

STPの事例としてはノルウェーにおける電気自動車の急速な普及がある。2020年に世界の新車販売に占める電気自動車の比率は世界では9%なのに対して、ノルウェーでは54%である。

そこで筆者は次のような気候危機突破の勝利の方程式を考えてみた。
気候ティッピング・ポイントの深刻さを共有して気候非常事態宣言を行う。気候非常事態宣言を公的に行うことによって組織のカーボンニュートラル実行計画を作成する。カーボンニュートラル実行計画を実施することによってグリーン成長を達成する。グリーン成長によって様々な社会のティッピング・ポイントを超え、社会の構造転換を実現する。

図式的にはCTP⇒CED⇒Carbon Neutral Action Plan⇒Green Growth⇒STPである。気候のみならず新型コロナウィルスの拡大による非常事態や戦争による非常事態もある。この複合的な非常事態を人類は希望を持って乗り越えなければならない。

【参考文献】
1. Updated assessment suggests>1.5℃ global warming could trigger multiple climate tipping points
David I. Armstrong McKay et al
Science, 9 Sept. 2022, Vol.377, Issue 6611

2. 温暖化地獄 山本良一著(ダイヤモンド社 2007年)
Tipping Points 温暖化地獄Ver2 山本良一著(ダイヤモンド社 2008年)
2℃ Points of No Return 残された時間 山本良一著(ダイヤモンド社 2009年)

3. Social tipping dynamics for stabilizing
Earth’s climate by 2050
Ilona M. Otto et al
PNAS, February 4 2022, Vol.117 No.5 p2354-2365