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地球が未来へと持続していくために今、求められる人の意識や行動の変革。地球SAMURAIでは、そこに波動を及す野心的な人物にクローズアップしている。今回は、震災で大きな被害を受けた輪島市三井町(みいまち)を拠点にこの地に刻まれてきた文化や歴史を掘り起こし、新たな空気を吹き込んでいくことで復興につなげる活動を続ける「のと復耕ラボ」の代表理事山本 亮氏を取材した。

ボランティア活動を支えながら
「森づくり」と「古材レスキュー」で能登半島の未来を開く
──「のと復耕ラボ」を立ち上げた理由は何でしょうか。
山本:能登半島地震が発生する前は、輪島市三井町にある茅葺き屋根の古民家・茅葺庵を中心に「里山まるごとホテル」というスローツーリズムの運営をしていました。三井町は、石川県輪島市南部に位置する、豊かな里山景観が特徴の地域です。田園、山林、集落のバランスが取れた美しい景観が残り、世界農業遺産「能登の里山里海」の魅力を体現する場所として知られ、古くからの農村風景が広がっていました。そんな三井町も地震が発生して大きな被害を受けたことから、2024 年2月より、活動の重点を生活基盤の復旧に置き、民間ボランティアセンターの運営を始めたのが活動のきっかけです。震災後、能登には外部ボランティアが滞在できる場所が不足していました。そこで、私が営んでいた飲食店を拠点とし、福井の支援者の協力を得てボランティアセンターを立ち上げました。
──のと復耕ラボの事業内容を教えてください。
山本:原点は、ボランティア拠点の運営です。本年度で一定の役割を終えつつありますが、震災直後から「能登で活動したいが滞在場所がない」という課題が続いていました。そこで震災発生後すぐに、私が飲食店として経営していた場所を、ボランティア拠点として開放しました。これまでに約5,000名の方が利用し、私たちの活動に参加したり、他団体の支援に向かったりしてきました。
さまざまなボランティア活動を続ける中から、「未来をつくる」取り組みとして、現在は大きく二つのプロジェクトを進めています。一つは「森づくり」です。エネルギーや木材を自給できる暮らしを目指し、災害に強い森を育てる取り組みを始めました。
そして、もう一つが「古材レスキュー」です。能登半島では4万棟以上の建物が解体され、多くが100年以上の歴史を持つ古民家でした。これらが失われ、更地に新しい建物を建てるだけでは、能登の風景や歴史が途切れてしまいます。そこで建具、床材、柱材などの古材を可能な限り救い出し、新しい建物づくりにも活用できるようにしています。これまで約90軒の住宅や社寺を訪れ、1万点以上の古材をレスキューしました。すでにそれらを使った場づくりを始める事業者も現れています。
さらに、これからの取り組みとして、里山を起点とした循環型の暮らしを再構築するプロジェクトも進めています。この1年をかけて一棟の茅葺き古民家を購入し、これまで培ってきたオフグリッド技術や能登の知恵を取り入れた新しい暮らしを体感できる宿泊施設をつくる計画です。また、田んぼでは循環型農法による米づくりにも挑戦し、自給の仕組みを整えていく予定です。


震災の打撃で前を向けない中、
苦しむ人のためにアクションを起こす
──立ち上げから今日までで最も苦労されたことは何でしょうか。
山本:能登に残る決断をするまでの葛藤です。僕は、東京に帰省していて地震の直撃は免れましたが、能登にようやく帰れたのが1月15日で本当にもう別世界に来たかのような悲惨な状況でした。自分が経営していた店も大きな被害を受け、住んでいた家も住めない状況になっていました。その時に抱いたのは、もう能登から離れたいという気持ちでした。小さい子どももいるので、ここで事業を継続し、暮らしをしていくということ自体が難しいように感じたのです。ところがその頃から多くのボランティアの方たちが駆けつけてくださったのです。そこで僕の持っていた場所をボランティア拠点として使っていただくことにしました。そこから団体立ち上げの2月9日までの間というのは、本当にずっと悩んでいましたし、立ち上げてからも、本当に良かったのだろうか、一体この先どうなっていくのだろうかっていうことをずっと迷っていました。正直、前を向けなかったです。ただ、やはりお世話になっていた地域の方たちが苦しんでいるのが目の前に見えていたので、まずそのお世話になってきた人たちに対して、何かできることしようっていうところからスタートしたわけです。
──様々に展開されている事業活動の中で最も力を注いでいることは何でしょうか。
山本:やはり森づくりになると思います。僕と副代表の尾垣の2人は、それぞれ三井町に移住してきました。ここの里山とともに暮らしたいという想いが移住のきっかけであり、結果として能登に残るという選択につながりました。
その頃、福井で森づくりに携わっていた宮田さんと出会い、森づくりについて多くのことを教えていただく中で、さらにその必要性を強く感じました。そういった経験を通して、地震後の能登で本当に生きていくのかという迷いも吹っ切れ、前を向けるようになったのです。
改めて、里山とともにある暮らしをつくっていきたいし、そこからの恵みをきちんと受け取れる人間になりたい。そして、その技術を身につけることが、災害が起きた時に自分や大切な人の身を守り、生活を支える力にもなるのだと、このボランティア活動を通して実感しました。
森づくりのノウハウを得るまでは、災害現場で僕はまったく無力でした。東日本大震災の際に3度ボランティアに行きましたが、現場で生きるための知恵や技術は持っていなかったのです。
一方で、林業は死亡事故が最も多いとも言われる仕事ですが、だからこそ「どこに危険があるのか」を常に考える習慣が身につきます。また、チェーンソーやバックホーなど森づくりの中で使う機会や技術が災害現場で役立っている姿を目の当たりにしました。自分の身を守りながらどう動くべきかを判断し、作業している姿を目の当たりにし、里山の森をつくる技術が本当に役に立つのだと実感しました。
どこで災害がおこるか分からない時代になった中で、万が一、ボランティアに来て助けてくださった方がどこかで被災した時には、今度は自分が助けに行ける人間でありたい。災害に強い自分でありたいという思いが、僕の中にあったのだと思います。

暮らしを心の底から楽しめる場が
生まれることが復興のゴール
──創立趣意にある「能登半島の里山の『暮らしを耕す』」
に込められた理念を教えてください。
山本:昨日もボランティアの皆さんと一緒に、セリと葉わさびを採りに行きました。そこで改めて、この土地の豊かさを強く感じました。すぐ近くにセリが自生していて、毎年その季節になると必ず芽を出します。そのセリを根っこごと「プチプチ」と抜く感覚、そこから見える古民家や森が織りなす風景、鳥の声、一緒に採る仲間たち――。そうした時間が本当に大切だと感じています。
効率化や貨幣経済が求められる社会の中でも、人間の根源的な幸せや豊かさの中には、こうした時間が確かにあったはずです。そういう暮らしを自分たちで耕していくこと。働くため、生活のためだけではなく、自然に関わり、自然に働きかけることで恵みをいただく暮らしを、もっと深めていきたいと思っています。
──のと復耕ラボの名称には文字はちがっていても「復興」という言葉が入っています。
山本代表が考える「復興」のゴールは何でしょうか。
山本:たぶん、はっきりとしたゴールはないと思います。
僕たちの場合、「暮らしを耕し、もう一度、より良く豊かで持続可能な暮らしをつくっていく」ことが目的なので、その営みに終わりはないと感じています。
あえて一つあるとすれば、ボランティアで来てくれた方々や、この2〜3年本当にお世話になった皆さんに対して、能登での暮らしを再開できたり、森づくりの事業を継続できたりする状況をつくり、それを見てもらえるようになることです。そうした姿を見て、「復興したのだな」と感じてもらえるのではないかと考えています。
今はありがたいことに、さまざまな方からご寄付をいただいていますが、いずれは自立し、災害の有無に関わらず、人が訪れ続け、暮らしを楽しめる場として継続していくこと。そうした状態を体感してもらえる場所をつくることが、復興のゴールなのかもしれません。


山本 亮 氏 プロフィール
東京都出身。東京農業大学卒業後、まちづくりコンサルタントを経て2014年に地域おこし協力隊として能登へ移住。里山まるごとホテルの経営を行っていた中で被災。2024年の能登半島地震後は「のと復耕ラボ」を設立し、ボランティア拠点運営や復興支援に尽力する地域活性化のリーダーとして能登半島地震からの地域再生・復耕に取り組む。
取材を終えて
山本氏には地震という災害の復興において何が求められるか、をお聞きしながら、自身もその中で立ち上がり、前に向いて生きていく想いを語っていただいた。そこには物理的な復興ではなく、人間の本質的な幸せや豊かさへの追求があり、サステナブルという地球の明日を変える取り組みに対しても現象面ではなく、心の深い部分への洞察が求められると感じた。
(取材・記事 宮崎達也)





