
地球が未来へと持続していくために今、求められる人の意識や行動の変革。地球SAMURAIでは、そこに波動を及す野心的な人物にクローズアップしている。
今回は、石崎 雄一郎氏を取材した。
オランウータンからテングザル、サイチョウ、昆虫、そして植物や菌類、微生物など生物多様性の宝庫であるボルネオ島の自然豊かな熱帯林。その生態系の減少を食い止めるために石崎氏は、環境NGO「ウータン・森と生活を考える会(以下、「ウータン・森と生活を考える会」)事務局長として、熱帯林の保全・再生に取り組み、森林破壊の原因となるアブラヤシなどの大規模開発の実態を日本の消費者に精力的に伝えている。そういった氏を活動へ駆り立て続けるものは何か。インタビューを行いながら探った。
運命的なものを感じたボルネオ島での活動
── 熱帯林破壊や地球が直面する課題に興味を持ったきっかけは何でしょうか。
石崎:小学校のときに「地球で1秒間にサッカー場1面の森が消える」というテレビのニュースを見て、恐ろしさを感じ、次第に森林問題に興味を持つようになりました。また、12歳のときに地球サミットがリオデジャネイロで開催されましたが、その前後からアマゾンなどの熱帯林破壊の問題がムーブメントとなり、ボルオ島のことなどがニュースで取り上げられるようになっていました。その中で関心も段々と強くなっていったように思います。
そうした中で環境問題をはじめとする様々な地球的課題に対して横断的に学べる関西学院大学の総合政策学部に進学しました。海外で人道支援を行うサークルにも入り、ボランティア活動でフィリピンを訪れたこともあります。とても刺激で楽しい時間を過ごせました。しかし、3年生となり、就職活動が始まったときに、環境問題や国際協力に熱心に活動していた仲間が、それらの問題を引き起こす開発側にまわるような企業を就職先として選んでいたことにショックを受けました。
──「ウータン・森と生活を考える会」とはどのように出会ったのでしょうか。
石崎:ちょうど就職氷河期の真っただ中であったこともあり、私自身、完全に就職活動に乗り遅れてしまったのです。それにも拘わらず、4年生になったときには留学中の彼女に会いにドイツに渡りました。それは就活の悩みをまったく忘れさせる、とても楽しい2か月間でした。彼女とは口喧嘩をして会わなかったのですが、自転車を使ってドナウ川沿いを旅し、さらにフランス、イタリア、ギリシアを訪れました。ユースホステル利用でいろいろな人と会い、自分が経験しない暮らしがあることを知り、自身の多様性が広がったことを実感しました。
その旅があまりに素晴らしかったためでしょうか。帰国後、心が空っぽになっていました。大学での学びやサークル活動、そして、ヨーロッパの一人旅などに代わる夢中になれるものは、もうネットゲームしかなかったのです。結果、ずっと家に引きこもってゲームだけをしていました。そんな生活から2年が過ぎていた頃にサークルの後輩が心配して訪ねてきてくれました。おかげでようやく外に出られるようになり、環境問題や地球的な課題のことをやりたくて大学に入ったことを少しずつ思い出していきました。
留年をしながらも大学を卒業後、勤めながら環境問題に取り組んでいる団体を調べたのです。その中で「ウータン・森と生活を考える会」現代表である森林保護活動家である西岡良夫さんと出会いました。当時、西岡さんは森林保護団体ウータンの事務局長をされ、ボルネオ島の森林での違法伐採や密輸をなくす活動に取り組んでいました。彼の熱量や現地でマフィアのような集団の妨害に会い、窮地を脱した話などを楽しそうに語る姿に惹かれ、活動に参加することを決めたのです。以来、何度も日本とボルネオ島の往復を重ねました。その中で小学生のときに恐怖を感じた「1秒間にサッカー場1面の森が消える」というニュースの現場はまさにボルネオだったことに気づきました。そこに運命のようなものを感じ、活動にどんどん夢中になっていったのです。
熱帯林を破壊する側から守る側へ、多くの人々を巻き込みたい
──ボルネオ島で現地の人々と活動する中でどのようなことを感じましたか。
石崎:初めてボルネオに行ったときに現地を案内してくれた人は、ジャワ島出身のバスキさんという人で熱帯林の再生に大変信念を持って取り組んでいました。今も森林再生の活動に取り組む人たちの中には、かつて違法伐採や同じように森林破壊につながる金採掘に携わっていたメンバーが多くいます。また我々が実施しているエコツアーのホームステイ先として住まいを提供してくれる人は、パーム油を生産するためのアブラヤシ農園で働いています。
私たちは、森林を破壊する人=悪というイメージを抱きがちですが、実はちがうということを私自身も学んでいきました。ボルネオ島を例にあげれば経済的な状況でそうせざるを得ない場合があります。その意味では森林破壊に携わらなくても、エコツアーなど新たに収入を得る術を提供するなど今まで生き方や暮らし方を変えるきっかけを生み出すことで環境を守る側に巻き込んでいくことができると考えています。
また、このことはボルネオ島だけではなく、日本で暮らし、何らかの形で環境を破壊する側にいる私たち自身も、変わることができることを教えてくれているように思います。
──今、現地の熱帯林減少はどのような状況にあるでしょうか。
石崎:あっという間に熱帯林を焼き尽くすアブラヤシの開発の許可が与えられている土地が増えています。さらに石炭の採掘も熱帯林破壊を加速させ、森が消え、えぐられてしまった地面だけの痛ましい風景が広がっています。また、バイオマス発電に使う木質ペレット生産地としてインドネシアが世界でも上位となりつつあります。木質ペレットは野生動物たちが数多く住む森を伐採することで生み出されます。伐採した後は、アカシアやユーカリなどすぐ生える木を植えていますが、生態系が豊かな森が単一樹種の木々に変わることで生物多様性がなくなり、アブラヤシの開発と同じような状況となっています。

次世代と大人世代を結び、未来の仕組みをつくる
──熱帯林破壊に歯止めをかけるために大切なことは何でしょうか。
石崎:日本ではパーム油を使う企業やそこに融資する金融との話し合いを重ね、同じNGOのネットワークであるプランテーション・ウォッチのアンケート結果を元に消費者に情報提供する活動も行っています。しかし、最も大きな問題はパーム油を使った商品を暮らしに用いることで自分たちがそれに関わっているということです。パーム油は、インスタントラーメン、スナック菓子、チョコレート、パンなどの加工食品、そして石けん、シャンプー、洗剤、化粧品など私たちが生活するために使う多くの商品に使用されています。そのことを知り、普段の生活を見直すことが歯止めをかける一歩になると考えています。
「ウータン・森と生活を考える会」で実施しているエコツアーもそこに意味があります。
最近のエコツアーは、若い世代が増え、「自分がどう行動するか」「帰国して何ができるか」などいろいろな提案をしてくれ、それが希望になっています。
今後は、そういったエコツアーに様々なノウハウを持ち、現実生活に根差した知恵を持つ大人世代も増やしていきたいと考えています。

──現在は特にどのような活動に注力されていますでしょうか。
石崎: 2021年に子どもが生まれ、妻と家族3人でインドネシアに行くことも増えました。現地では私はイッシー、妻、娘もそれぞれ愛称で呼ばれ、私たち家族は顔なじみとなっています。大学を卒業し、自分のやりたいことを模索していた20代、エコツアーを軌道に乗せるために無我夢中だった30代などを振り返れば、時間の経過を感じます。だからでしょうか。今もエコツアーのアテンドや植林活動、環境教育など行っていますが、心情的には次の世代を考えるようになりました。
有難いことにインドネシア語を話せる大学生が卒業後に新たなメンバーとして加わってくれる予定になっています。その意味からも次の世代の活躍できる仕組みをつくりたいと考えています。また、「ウータン・森と生活を考える会」の立ち上げ、今の時代を築いてきた代表である西岡さんたちの世代とZ世代はあまり接点がなく、お互いをよく知りません。どちらもちがった魅力を持つ世代ですので、それが融合すればさらに進化することができるでしょう。
ちょうどその中間にあたるロストジェネ世代の私は、それらを結ぶ役割があるように思います。今後はそこにも力を注いでいきたいと思っています。
取材を終えて
石崎氏にはニュースで熱帯林が破壊される恐怖を感じた少年時代から、20代、30代を振り返っていただきながら、未来への展望をお聞きした。特に次の世代、次の時代の仕組みを考えようとする氏の眼差しには、大きな熱量を感じた。氏を行動へ駆り立てるもの。それは「未来に希望をつくりたい」という熱い想いではないだろうか。誰でも地球環境を守る側に変わることができる。我々もそこに希望を抱きたい。
(取材・記事 宮崎達也)

【石崎 雄一郎氏プロフィール】
1980 年生まれ。大阪府出身。少年時代に「1秒間にサッカー場一面の森が無くなっている」というニュースを見て怖くなり、 環境問題や国際協力に関心を持つ。1998 年に関西学院大学総合政策学部に入り、貧困層の居住問題を考える国際NGO サークル『エコハビタット』で活動を開始。卒業後、環境系企業で働いた後に「ウータン・森と生活を考える会」の活動に参加。現在、持続可能な社会をつくるために、様々な市民、NPO、行政、企業等と連携し、活動に取り組んでいる。