
1. トランプ大統領による「環境正義」の全面否定の衝撃
かねて懸念されてきた通り、いよいよついに、トランプ大統領による「環境正義(Environmental Justice)」の全面否定が始まった。
つい先日2025年2月6日付けのワシントンボスト紙に、“Trump moves to shutter environmental offices across the government”という見出しで、トランプ(Donald John Trump)大統領による米国環境正義局(Office of Environmental Justice and External Civil Rights)閉鎖というショッキングな記事が出た[1]。
米国環境保護庁(Environmental Protection Agency;以下EPAと略称)の重要な組織である環境正義局の職員168人を休職処分にするとのことであった。同時に、米国の環境正義に関わる司法省など他の省庁の関連部局も同じような措置を行なっている。
米国は、ついに、こともあろうか、1992年以後の国際的な環境の取り組みの基本的な考え方である「環境正義(Environmental Justice)」[2]を放棄する決断をしたのである。
そもそも、「環境正義」は、人種や所得、国籍などにかかわらず、誰もが安全な環境で暮らせる権利を保障する根本的な考えである。世界中の脱炭素政策を含む気候危機への取り組みの基本的な支柱である。
「環境レイシズム(Environmental racism)」[3]に対抗する社会運動のなかで生まれた「環境正義」に対して、白人至上主義でレイシズム容認派の移民排斥論者トランプ大統領が抵抗を感じること自体は想像に難くないが、それにしても、トランプ大統領が、なぜかくも執拗に、親の仇のごとく環境正義局の閉鎖まで踏み込んで徹底して「環境正義」を全面否定しようとするのか。その何が気に食わないのか。何が問題なのか。わかりやすい説明もなく、大いに理解に苦しむところである。
今回の「トランプ2.0」による米国環境正義局閉鎖の一報は、実に衝撃的なニューズとして世界中を駆け巡った。世界中の気候科学者や脱炭素社会構築に尽力している関係者に大きな衝撃を与えた。「まさか、そこまで・・」とか「やはり、そうか・・」とか、反応はさまざまであるが。
この環境政策方針の致命的変更の一報が、先の「パリ協定」離脱以上の強烈なショックをもたらしたことは間違いなかろう。この出来事は、米国のみならず世界にとってとても深刻な状況が出現したことを意味する。まさに、「環境正義」の不遇の危機の時代の到来である。
そもそも、歴史を振り返れば、「環境正義」の言い出しっぺは、他ならぬ米国なのである。米国は、いまから33年前の1992年、EPAに「環境正義局」を開設した。同時に、報告書「環境的公正:あらゆるコミュニティに対するリスクを減らす」を発表した。ちなみに、EPAは、以下のように「環境正義」を定義している。これが「環境正義」の端緒であった。
「環境に関する法律、規制、方針の策定、実施に関して、人種、肌の色、国籍、所得に関係なく、すべての人々が公平に扱われ、有意義に関与すること。環境正義は、すべての人が環境や健康の危険から同じ程度の保護を受け、意思決定プロセスに平等にアクセスして、生活し、学び、働くための健全な環境を持つことによって達成される。」[4]
そして、それ以後、過去30年以上にわたり、世界中が、この「環境正義」を羅針盤として、気候危機問題等の地球環境問題に取り組んできた。そして、2015年の「パリ協定」を駆動点として、「アジェンダ2030」や「SDGs」等、様々な環境に関わる国際的取組みを展開してきたのである[5]。中でも、気候変動において「気候正義(Climate Justice)」が、その問題の本質的な課題に向き合う基本的支柱として国際的にも認知されてきたことは重要な意味を持っていた[6]。それなのになぜトランプ大統領は、かくも「親の仇」のごとく「気候正義」を全面否定するのか。実に不可解である。
[1] Washington Post(2025)“Trump moves to shutter environmental offices across the government”
https://www.washingtonpost.com/climate-environment/2025/02/06/environmental-justice-offices-trump-turmoil/?fbclid=IwY2xjawIXZTNleHRuA2FlbQIxMAABHUJAMyr2viAzGzS4j6i4i_x6rQTwhCosfYzHO2LGJrR7p8drDZzLZf5ixw_aem_9TNSOiJrBNnDxQOPL5JYCg
[2]「環境正義(Environmental Justice)」は、人種や所得、国籍などにかかわらず、誰もが安全な環境で暮らせる権利を保障する考え方。1980年代のアメリカにおいて、貧困層や黒人系などの少数派(マイノリティ)が住む地域の多くが、環境公害による健康被害を受けやすい状況にあるという「環境レイシズム(Environmental racism)」に対抗する社会運動のなかで生まれた言葉。「環境レイシズム」とは環境汚染の原因となるモノが、社会的・民族的な少数派(マイノリティ)の人々の住む地に集中しやすいことを批判するための言葉。たとえばアメリカでは、ネイティブアメリカンの保留地域で積極的に放射性物質の開発が行われたり、なぜか貧しい黒人コミュニティの住む地域にばかりごみ処理施設や有害な化学工場ができたりといった状況を指す。環境レイシズムは、「環境汚染によって受ける被害が人種によって変わる」という不平等な状況を表している。
[3] 環境汚染の原因となるモノが、社会的・民族的な少数派(マイノリティ)の人々の住む地に集中しやすいことを批判した言葉。
[4] Federal Emergency Management Agency(2023)“Executive Order 12898: Environmental Justice”(Release Date:October 13, 2023)https://www.fema.gov/fact-sheet/executive-order-12898-environmental-justice
[5] 環境正義運動は、いまから43年前の1982年のノースカロライナ州のウォレン郡でのPCB廃棄事件から始まった。1991年の非白人系の環境運動の指導者による、「環境正義の原則(Principles of Environmental Justice)」を踏まえた形で、1992年のリオ・デ・ジャネイロでの地球サミットが開催された。それ以後、「環境正義」ということが一つの原理的な役割を果たしてきた。「リオ+5」、「リオ+10」、「リオ+20」という形でそれが継承されて、2015年の「アジェンダ2030」や「パリ協定」に結実した。こうした世界的潮流を背景に、米国内では、1992年にジョージ・H・W・ブッシュ大統領の下で環境公平局(Office of Environmental Equity)が作られた。そして、1994年にクリントン大統領が、環境正義の実現に関する大統領令に署名した。そして、この組織が「環境正義局(Office of Environmental Justice)」になった。その後、3年前の2022年に、バイデン大統領が、他の関連のプログラムを統合して、「Office of Environmental Justice and External Civil Rights」と進化拡大して今日に至る。
[6] ただし、日本においては、そもそも、「環境正義」や「気候正義」に関して関心が低く、十分に理解されていないまま今日に至っている点には留意が必要である。日本では、メディアでも取り上げられることもほとんどない。日本においては、水俣病の問題にしても、辺野古の新基地建設問題、やんばるの世界遺産やそこでの管理計画(とりわけ米軍廃棄物問題)、さらには福島第一原発事故後の環境政策など、環境正義に関わる課題はとても多いのだが、そもそも、この問題を環境正義の問題として捉えて、その方向から政策的に解決していくという機運は低かったのが実情であった。アメリカ合衆国が環境保護庁に環境正義局を設立するなどの政策をとっていたにもかかわらず、日本の環境省にはそのような組織はない。そして、水俣の問題にしても、沖縄の問題にしても、福島の問題に関しても、環境正義に基づいた政策がとられることはなかった。先に、沖縄タイムスの記事をシェアしたが、やんばるの国立公園の管理計画にも、米軍廃棄物の問題など、環境正義に関わる問題はすっぽり抜け落ちている。この米軍廃棄物問題に対しては、沖縄環境正義プロジェクトの吉川秀樹さんや蝶類研究者の宮城秋乃さんが積極的に取り組んでいるものの、本土の研究者や自然保護団体の関心も薄く、この問題に対する環境正義の課題に対してほとんど取り組みがないのが現状だ。SDGsの本質が、「環境正義」にあるにもかかわらず、日本では、「環境正義」を無視したSDGsの取り組みが跋扈していることをもっと真剣に憂慮し、向かい合うべきだろう。そのような中で、アメリカの環境正義局の閉鎖という問題は、日本ではほとんど関心を持って深刻な問題として捉える向きはあまりない。1992年以後の国際的な環境の取り組みの中で、私たち日本もその問題に対してどのように向かい合うべきなのかということを考えると、対岸の火事ではない。そもそも、「環境正義」の問題が環境政策に埋め込まれるどころか、重要な問題だという認識さえない中で、これから、この問題をどのように考え、私たちが行動していくべきなのか、私たちの姿勢が問われている。
2. トランプ大統領による「多様性」「公平性」「包摂性」の全面否定
トランプ大統領は、「環境正義」「気候正義」の全面否定と同時に、多様性への取り組み等は、「危険で屈辱的かつ非道徳的」なものだとして、「DEIイニシアティブ」[7]をも、全面否定している。
DEIイニシアティブとは、「多様性」や「公平性」「包摂性」を高めるための取り組みである。
米国では、様々な背景を持つ人々の「多様性(Diversity)」を受け入れ、すべての人を「公平(Equity)」に扱い、異なった背景を持つ人を「内包(Inclusiveness)」する社会を作るという試みが行われてきた。こうした目標を達成する試みは3つの単語の頭文字を取って「DEI」と呼ばれている。
「多様性=ダイバーシティ(Diversity)」とは、年齢や性別、民族、宗教、性的指向など、さまざまな違いを尊重すること、「公平性=エクイティ(Equity)」とは、情報や機会、リソースへのアクセスをすべての人に公平に保証すること、「包摂性=インクルージョン(Inclusion)」とは、帰属意識のこと、どのような個人や集団であっても歓迎され、尊重され、支援され、評価され、参加できるような環境を作ることを意味する。DEIは、今日の世界においては、組織の健全性の本質と同義語になっている。DEIを通して、様々な意味で人間の「平等」と「自由」と「尊厳」が認められるようになってきた。黒人やマイノリティに対する所得格差や学歴格差、雇用差別の解消が進み、女性差別も確実に改善し、女性の社会進出も進み、最高裁は女性の中絶権を認め、同性婚も合法化された。LGBTQ[8]も社会的に容認されるようになった。世界中の公平性を推進するための措置を講じている多くの企業は、従業員や地域社会に変化をもたらすだけでなく、ビジネスにも影響を与えると考え、DEIイニシアティブに依拠した企業行動をとっている。
いまや「環境正義」「気候正義」とシンクロしながら、「多様性(Diversity)」+「公平性(Equity)」+「包摂性(Inclusion)」を高めるための取り組み「DEI」が世界の常識となっている。
こうした「環境正義」「気候正義」「DEI」の世界的潮流にあらがったのがトランプ大統領である。
大統領就任早々、大統領令をはじめとして、続々と「環境正義」「気候正義」「DEI」を全面否定する様々な施策を打ち出している。
白人至上主義でレイシズム容認派であるだけでなく、実際に自らが34件の重罪に問われているトランプ大統領からしてみると「多様性」や「公平性」「包摂性」求める健全なDEIの理念がまぶしすぎて偽善と言わざるをえないのだとアイロニーを込めて揶揄する者すらいる。
トランプ大統領は、選挙期間中から、政府のDEI促進プログラムを排除するとし「われわれは肌の色に関係なく、実力主義の社会を築く」と語っていた。
2025年1月20日の大統領就任同日に、DEI政策を廃止するための「連邦政府のDEIプログラムを終了する大統領令(Ending Radical And Wasteful Government DEI Programs And Preferencing)」[9]に署名した。
そして、こともあろうか、DEI関連事業中止を命じ[10]、大統領令で、行政管理予算局(OMB)長官に対して、連邦政府でにおける違法な「DEI」や、「多様性、公平性、包摂性、アクセシビリティー(Diversity, Equity, Inclusion, and Accessibility ;以下DEIAと略称)」を強制する政策、プログラム、優遇措置、活動など、全ての差別的プログラムを廃止するよう指示した。そして、さらにまた、トランプ大統領は、就任翌日の1月21日に、「違法な差別を終了し、実力に基づく機会の復活(ENDING ILLEGAL DISCRIMINATION AND RESTORING MERIT-BASED OPPORTUNITY)」を発表した。「公民権法」が「人種、肌の色、宗教、性別、または国籍に基づく差別から個々の米国人を保護」しており、「この公民権保護は全ての米国人の機会を平等に支える規範として機能している」とし、「大統領としてこの法律が確実に施行されるようにする確固たる義務がある」とまで言い切った[11]。
これを受け、米国政府の人事管理局は、同日、DEI担当の職員を休暇扱いにするよう政府機関トップに通知した。DEI事業関連部局の公式サイト削除などの指示も、通知に含まれていた。また、同日の発表では、また、連邦政府全ての省庁に対し、DEIの廃止を指示するとともに、民間企業のDEIの撲滅にも働きかけるよう指示した。そして、司法長官に対し、発表日から120日以内に、関係省庁と協議した上で、民間企業によるDEIの廃止を奨励するための適切な措置を講じる勧告を含む報告書を大統領補佐官(国内政策担当)に提出するよう命じた。
かくして、トランプ大統領は、問答無用に、一方的に、気候政策の根本思想を支える「DEI」と「環境正義」の根本理念自体を組織的に全面否定し葬り去ったのである。これは、悪夢の始まりに過ぎない。最終的にはあらゆる環境正義に関わるプロジェクトが停止されていくことになると懸念されている。はたして、彼は、ご自身の一連の判断の結果責任を負う覚悟があるのであろうか。
[7] 「DEI(Diversity, Equity, Inclusion)イニシアティブ)とは、「多様性」や「公平性」、「包摂性」を高めるための取り組みを指す。「多様性=ダイバーシティ(Diversity)」とは、年齢や性別、民族、宗教、性的指向など、さまざまな違いを尊重すること、「公平性=エクイティ(Equity)」とは、情報や機会、リソースへのアクセスをすべての人に公平に保証すること、「包摂性=インクルージョン(Inclusion)」とは、帰属意識のこと、どのような個人や集団であっても歓迎され、尊重され、支援され、評価され、参加できるような環境を作ることを意味する。DEIは、今日の世界において組織の健全性の本質、いわば同義語となっている。公平性を推進するための措置を講じている企業は、従業員や地域社会に変化をもたらすだけでなく、ビジネスにも影響を与えるという証拠がある。このイニシアティブの象徴的なテーマが「環境レイシズム(Environmental racism)」である。世界では、環境レイシズムを是正するさまざまな取り組みが行われている。その一つは、危険廃棄物の輸出の規制である。1989年から1994年にかけて、推定2,600トンを超える有害廃棄物がOECD諸国から非OECD諸国に輸出されたことを受け、「バーゼル条約」と「バマコ条約」の2つの国際協定が可決された。バーゼル条約は、有害な廃棄物の輸出入を行う際には関税法の手続きに加え、経済産業大臣の承認と環境大臣による確認等を受けるというもの。しかしこれは、有害廃棄物の越境移動が全面的に禁止されていないということで懸念が示されていた。そこでできたのが、もうひとつのバマコ条約だ。これはアフリカへのすべての有害廃棄物の輸入を禁止し、大陸内での移動を制限するものである。バーゼル条約も、1995年にはいわゆる先進国から途上国へのすべての有害廃棄物輸出を禁止するよう改正された。さらに、国独自の動きも見られる。2024年6月、カナダ政府は「カナダ全土で環境正義を推進する必要性を認識し、あらゆる形態と現れにおいて人種差別と人種差別の撤廃に向けて努力し続けることの重要性を認識する」として、「環境レイシズムを評価・予防・対処し、環境正義を推進するための国家戦略法」を制定した。また、市民によって人種と環境問題の不公平性を訴えるさまざまなデモも行われている。単一分野の課題ではなく、環境レイシズムにおける「人種差別と環境課題」のように複数の観点が絡む課題に対しても、社会の焦点が当たり始めている。
[8] LGBTQは、Lesbian(レズビアン)、Gay(ゲイ)、Bisexual(バイセクシャル)といわれる性的指向、Transgender(トランスジェンダー)といわれる性自認、Questioning(クエスチョニング)の頭文字をとった言葉で、性的少数者を表す言葉。。
[9] Donald John Trump(2025)”Ending Radical And Wasteful Government DEI Programs And Preferencing”( EXECUTIVE ORDER) https://www.whitehouse.gov/presidential-actions/2025/01/ending-radical-and-wasteful-government-dei-programs-and-preferencing/
[10] 同大統領令は、DEIについて、ジョー・バイデン前大統領(民主党)が就任初日に発布した大統領布告13985号「連邦政府を通じた人種的公平の推進と恵まれない地域社会への支援」を発端として、連邦政府の全ての側面に強要された違法かつ不道徳な差別プログラムだとし、連邦職員の業績評価を含む連邦雇用慣行は個人の積極性や、技能、業績、勤勉度によって行われるべきで、DEIまたはDEIAに係る要因、目標、方針、義務または要件を考慮してはならないとした。また、トランプ氏が1月21日に発表した「違法な差別を終了し、実力に基づく機会の復活」では、「公民権法」が「人種、肌の色、宗教、性別、または国籍に基づく差別から個々の米国人を保護」しており、「この公民権保護は全ての米国人の機会を平等に支える規範として機能している」とし、「大統領としてこの法律が確実に施行されるようにする確固たる義務がある」と述べた。公民権法は1964年に成立し、連邦政府との契約の有無にかかわらず、従業員15人以上の企業に対して雇用差別を禁止し、職場で女性や民族的マイノリティーなども雇用しているかを確認するために、企業から報告書の提出などを義務付けるものとなっている。なお、トランプの「反DEI」の主張の背景には以下のものがある。①反逆差別(Reverse Discrimination)への懸念=DEIの取り組みが特定の白人や保守的な価値観を持つ人々を不当に排除しているの主張。このような見方により、保守派の間で「平等ではなく偏向的だ」とされ、DEI反対の声を強めている。②投資家や株主からの抵抗=DEIに費やされるコストが収益性に悪影響を及ぼしていると考える傾向がある。特に保守派の投資家が支配的な企業では、DEI目標の縮小が起きやすい。③「Woke」への反発。社会的な正義や不平等への意識を持つことを意味する「Woke」に対する反発(Anti-Woke)が保守派を中心に強まっている。この流れの中で、DEIは「過剰な政治的正しさ」の象徴として批判されることが多い。また、DEIがイデオロギー対立の象徴として扱われれ、一部の人々にとって、DEIは特定の政治的価値観を押し付ける取り組みと見なされており、反発が広がっている。
[11]なお、「公民権法」は1964年に成立し、連邦政府との契約の有無にかかわらず、従業員15人以上の企業に対して雇用差別を禁止し、職場で女性や民族的マイノリティーなども雇用しているかを確認するために、企業から報告書の提出などを義務付けるものとなっている。Donald John Trump(2025)”ENDING ILLEGAL DISCRIMINATION AND RESTORING MERIT-BASED OPPORTUNITY ” (Presidential Actions)https://www.whitehouse.gov/presidential-actions/2025/01/ending-illegal-discrimination-and-restoring-merit-based-opportunity/
3. トランプ改革の実現装置「スケジュールF」と「政府効率化省」
トランプ大統領は、「環境正義」「気候正義」「DEI」の全面否定を、「トランプ改革」と呼ばれる行政改革によって具現化しようとしている。この「トランプ改革」の2本柱は、「スケジュールF(Schedule F)」と「政府効率化省(Department of Government Efficiency;以下DOGEと略称)」である。
1つ目の「スケジュールF」は、トランプ流「政治任用」[12]枠の導入である。トランプ大統領が大統領1 期目の末にいったん導入し、今回の2 期目の重要な公約の一つとして掲げている公務員制度改革である。「環境正義」「気候正義」「DEI」意識の高いリベラルな考え方に染まった政策に携わる「資格任用」の職業公務員のポストを奪取して、それをトランプ大統領に従順な「政治任用」者に置き換えるため、政治任用者の数を現在の約4000人から5万人以上にする予定である[13]。
2つ目の「DOGE」は、世界有数の富豪であるイーロン・マスク氏が発案した新組織である[14]。マスク氏が「政府の規制を減らし、それにかかわる公務員を削減するのは当然だ」と主張しているように、DOGEの主眼は職業公務員の大幅削減に置かれている。トランプ氏もDOGE発足に当たり、「現代のマンハッタン計画になり得る」と述べ、原爆製造を成功させた計画になぞらえてインパクトの大きさを強調した。トランプ政権は発足初日からリストラに乗り出している。早速、連邦政府職員の新規採用を停止し、テレワークを禁止すると表明した上で、早期退職を呼びかけた[15]。
[12] 米国の公務員制度の特徴は政治任用者の多さである。アメリカは連邦政府全体で 4,000 人程度の政治任用者がいるが、日本は 80 人程度で、2014 年の公務員制度改革以降に一元管理されるようになった幹部職員を含めたとしても 700 人程度である。かつての米国の連邦公務員制度は 1829 年にアンドリュー・ジャクソン第 7 代大統領が猟官制(Spoils System)への支持を表明して以来、長くの間、「政治任用(political appointee system)」に基づく猟官制が基本だった。その後、猟官制の弊害が露わになる。そうしたなかで成立したのが、民主党上院議員ジョージ・ペンドルトンが起草したペンドルトン法(Pendleton Act)であった。この法律は 1883 年に成立し、アメリカではじめて「資格任用(merit appointee system)」型の連邦公務員制度が創設された。導入当初に資格任用制が適用されたのは連邦公務員全体の10%程度に過ぎなかったが、ペンドルトン法は大統領に対して公務員を資格任用に組み入れる権限を委任しており、その後の大統領は多くの職を資格任用制の対象にしていった。そして、直近の大きな公務員制度改革は、1978 年の公務員改革法(Civil Service Reform Act)である。公務員改革法によって、人事管理局(U.S. Office of Personnel Management:OPM)が設置され、資格任用保護委員会(Merit System Protection Board)が作られるなど、職能を重視した異動や評価制度が実施されるようになった。また部長・課長級の上級管理職(Senior Executive Service:SES)が導入され、管理職について職能を重視した異動の促進を試みた。現在、米国連邦行政機関において約 220 万人の公務員がいる。そのうち約半数は「資格任用」が適用される公務員である。同じく約半数は、省庁独自の任用制度をとっている職であり、国防総省、国土安全保障省、中央情報局(CIA)、連邦捜査局(FBI)、会計検査院(GAO)、連邦準備制度理事会(FRB)などである。ただしこれらの職も、資格任用に近い運用が行われている。これらの職務は基本的に雇用が保障されている。
[13] 「スケジュールF」によるトランプ流政治任用枠の導入は、近代公務員制度を導入したペンドルトン法(1883年成立)以来の大改革だと言われている。「リベラルな考え方に染まった職業公務員の抵抗で政策が実現できない」と痛感したトランプ氏は、第1次政権末期に大統領令でこの制度を発表したが、準備に手間取り、日の目を見ることはなかった。次のバイデン政権下で廃止されたこの制度の復活こそが、第2次トランプ政権による政府機構改革の第1歩だとしている。スケジュールF に切り替えられたポストは雇用保障が失われる。現在、連邦政府には約4,000 人の政治任用者がいるが、スケジュール F が導入されると政治任用職は 10 倍以上の最大約 5 万人まで増加するとされている。
[14] ちなみに新組織は「省」と称しているが、行政法上の法的な権限を持つ「省」ではなく、実質的に諮問委員会である。
[15] 政府効率化省(Department of Government Efficiency;以下DOGEと略称)は、ホワイトハウスの行政管理予算局内に設置され、早速活動を開始している。手始めは、国務省傘下の対外援助機関「国際開発局(USAID)」の解体であった。現在1万人以上いる職員を約290人に削減する予定が報じられている。USAIDの人事管理局が持つ連邦職員の個人情報データベースや、財務省が管理する給与システムなどへのアクセス権も確保した。一連の行動は「クーデター」と評されている。DOGEの実働部隊は「連邦政府のソフトウェアなどの近代化」を目的として各政府機関に配置される。その大半がネット上の募集で集まった19〜24歳のエンジニア集団だと言われている。IT能力はたしかに高いだろうが、実社会の経験がほとんどない彼らが巨大な連邦政府のシステムを正しく評価できるのかという疑問が呈されている。退職か新政権への服従を迫る職員向けのメールの表題は「分岐点」だった。2022年にマスク氏が旧ツイッター(現X)を買収した際、従業員に向けて送ったものと同じだ。米CBCは2025年2月6日に「(全職員の3%に相当する)6万人が応募した」と報じた。政党間の軋轢に加え、連邦政府職員の士気が低下することも気がかりだ。連邦政府職員は「怠惰で無能なくせに隠然たる力で『選ばれた指導者』の邪魔立てをする存在」とのレッテルを貼られ、“国民と敵対する粛清すべき存在”と化しつつある。連邦政府職員を標的とする現政権のやり方が彼らの職場に大きなストレスを引き起こしており、30年近く勤めてきたベテラン職員によれば、連邦政府内の士気は「今まで見てきた中で最悪だ」という。現段階では、職員が一丸となって政権に反旗を翻す可能性は現時点では低いが、個々の職員の士気の低下が意図せざる形で大規模な集団サボタージュを引き起こす危険性には要警戒だ。米国でも高齢化が進んでおり(高齢化率は18%)、連邦政府の活動に支障が生ずれば、国民生活が大混乱する可能性は排除できなくなっている。
4. トランプ大統領による政治的なバックラッシュの波及の深淵
はたして、トランプ大統領は「DEI」の何が気に食わないのか。そもそも、なぜトランプ大統領は、DEIや「環境正義」を否定するのか、理解に苦しむところである。その結果いかなるリスクが生じ、その結果責任をどうとるのか、トランプ大統領が深く考えてるようには到底思えないが。
なぜトランプ大統領が「DEI」と「環境正義」を否定するのかという疑問もあり、その背景について専門家による分析資料・論文等を読んでいるところだが、その大きな要因が政治的なバックラッシュ(揺り戻し;backlash)[16]にあるとの専門家の分析が多い。そして、このバックラッシュの軸は「反逆差別(Reverse Discrimination)」であるとの指摘がある。つまり、DEIの取り組みが特定の白人や保守的な価値観を持つ人々を不当に排除しているとの批判である。
むしろ白人が、DEIによって逆差別を受けてしまっているとの問題意識である。このような逆差別が、保守派の間では「平等ではなく偏向的だ」とされDEI反対の根拠になっている。近年特に保守派による反DEIの動きが活発化しており多様性尊重に対する逆風が強まっている。白人による支持層が重要な位置づけになっているトランプ大統領にとっては、反DEI政策は、「トランプ2.0」の大事な生命線になっている。白人によるDEI政策への逆襲の親玉がトランプ大統領なのである。
伝統的な価値観とキリスト教的価値観こそがアメリカ社会の基本であると主張する保守派の人々は、人間の「平等」と「自由」と「尊厳」を重んじる「DEI」と「環境正義」とはまったく違った世界を見ている。保守的なキリスト教徒は中絶やLGBTQの存在は神の教えに反すると本気で信じている[16]。白人男性中心の社会や家父長的な家庭を理想と考えている。そしてまさにいま、トランプ大統領はじめそのシンパが「DEI」と「環境正義」を攻撃の標的にしているのである。
特にトランプ大統領を支持する保守派が焦点を当てている「反逆差別」の象徴的かつ典型的な事例がある。それは、「アファーマティブ・アクション(affirmative action)」と呼ばれる取り組みへの批判である。そもそも「アファーマティブ・アクション」とは、日本語では「積極的差別是正措置」と説明されている[18]。たとえば大学入試の女性枠や、管理職における人種や民族的マイノリティの割合を設けることなど、格差や不平等を是正するために、あえて特定のマイノリティを優遇するような取り組みを意味する。アメリカでは公民権運動の流れから、根強い黒人差別をなくすアプローチの1つとして、1960年代頃から「アファーマティブ・アクション」が行われるようになった。近年では、「過去への誤ちへの補償」といった文脈から、徐々に「多様性の確保」という文脈で、「アファーマティブ・アクション」を含むDEIの取り組みが企業で広がってきた。こうした「アファーマティブ・アクション」に対して、トランプ大統領を筆頭に、米国内の保守派から、批判的な「反DEI」のバックラッシュの動きが起こっているのである。
中でも、注目したいのが、こうした「反DEI」のバックラッシュの動きをさらに加速させる2023年の司法判断であった。2023年6月、米国連邦最高裁判所が、大学の入試におけるアファーマティブ・アクションを憲法違反だと判断したのであった。この訴訟は、2014年に保守派団体の「SFFA(公平な入学選考を求める学生たち)」が、ハーバード大学やノースカロライナ大学を相手取り、アファーマティブ・アクションが白人とアジア系への差別につながっているとして提訴した訴訟であった。トランプ大統領の恣意的な差配で連邦最高裁裁判官の構成は保守派6人リベラル派3人となっており、保守派に大きく傾いていることもあり、連邦最高裁は、能力や学力ではなく、肌の色を基準にすることは人種差別を禁止した憲法に違反しているとし、アファーマティブ・アクションを容認した1978年以来45年ぶりに判断を覆した。
この判決はあくまで大学入試についてのものだが、保守派はこれに勢いを得て、さらに射程を拡大し、企業のDEIに関する取り組みに反対する動きをさらに拡大し、「反DEI」のバックラッシュの動きを活発化させてきている。
そして、こうした動きとシンクロナイズする形で、一連のDEI施策を「WOKE」という言葉で批判する場面も増えつつある。「WOKE」とは、「社会で起きている問題に気づこう、目を覚まそう」という意味のスラングである。もともとは黒人コミュニティを中心に、発生した言葉である[19]。しかし、近年は「ポリコレ」と同じように、保守派が「お目覚め」というニュアンスでリベラルを揶揄する用語として使っている。その背景には、社会的な正義や不平等への意識を持つことを意味する「Woke」に対する反発(Anti-Woke)が保守派を中心に強まっている事情がある。また、DEIがイデオロギー対立の象徴として扱われ、一部の人々にとって、DEIは特定の政治的価値観を押し付ける取り組みと見なされており、強い反発が広がっている[20]。
一連の「反DEI」の大統領令はトランプ大統領の岩盤支持層に対する単なるポーズにすぎず、中身を見ていく必要があるとする慎重な意見もあるが、いずれにせよ、積極的か消極的かは別にして、多くの企業や市民が何らかの「反DEI」のアクションを起こしていることは事実である。トランプ大統領は、こうした「反DEI」の矛先を海外にも向けており、2025年2月7日には、南アフリカへの経済援助や支援を停止する大統領令に署名した。そして、2日後の9日の自身のSNSへの投稿では、「南アフリカは土地を没収し、特定の階級の人(白人)にとてもひどい扱いをしている」「重大な人権侵害が起きている」「また南アフリカ政府は、(米国の同盟国である)イスラエルのパレスチナガザ地区への攻撃を集団虐殺として国際刑事裁判所に提訴した」と説明している[21]。また、2025年2月9日、トランプ大統領は、視聴者1億人超ともいわれる米スポーツ最大の祭典プロフットボールNFLの優勝決定戦「スーパーボウル」を現職大統領として初めて観戦したが、NFL側はフィールドの端に表示してきた標語を例年の「人種差別をなくそう」から変更した。トランプ氏への配慮や忖度ではないかと臆測を呼んでいるが、おそらくそうであろう。かくして、トランプ大統領の「反DEI」の言動[22]は、直截的な大統領令のみならず周囲による様々な自発的な忖度も含め、直接・間接を問わず、政治的なバックラッシュの波及とともに、その熱烈な支持者の相乗もあいまって、燎原の火のごとく拡大・伝播し、すでに、内外に様々な悪影響を与え始めている。事態は、いよいよもって深刻な事態に陥っているのである。
[16] バックラッシュ(backlash)とは、ある流れに対する反動、揺り戻しの意味である。政治的又は思想的反発、反感の意味でも用いられる。人種平等、LGBTの権利、社会福祉などの人権活動に対する反動についても用いられる。特に男女平等や男女共同参画、ジェンダー運動などに反対する運動・勢力に用いられる。ジェンダーフリーに対してジェンダー・バックラッシュともいう。米国では1970年代にはERA(Equal Rights Amendment)と呼ばれる男女平等憲法修正条項案に対する批准反対運動が起きている。『バックラッシュ』の著者であるスーザン・ファルーディによるとジェンダー・バックラッシュと呼ばれる動きはアメリカにおいては1980年代から顕著にみられるようになったとされる。1980年代末に一部の聖職者や伝導師たちが先導した反フェミニズム運動がもとになっているとされる。米国議会でのバックラッシュ派の活動としてファミリー・プロテクション・アクト法案の提出などがあり、男女の教育の平等を奨励する連邦法の改正やスポーツや課外活動での男女共学の禁止などがそれに該る。Authoritarian populist parties have advanced in many countries, and entered government in states as diverse as Austria, Italy, the Netherlands, Poland, and Switzerland. Even small parties can still shift the policy agenda, as demonstrated by UKIP’s role in catalyzing Brexit. Drawing on new evidence, this book advances a general theory why the silent revolution in values triggered a backlash fuelling support for authoritarian-populist parties and leaders in the US and Europe. The conclusion highlights the dangers of this development and what could be done to mitigate the risks to liberal democracy.(出所)Pippa Norris(2019)” Cultural Backlash: Trump, Brexit, and Authoritarian Populism”
[17] 女性の中絶権を認めた1973年の最高裁の「ロー対ウエイド判決」は、同じ最高裁が2022年に中絶に関する憲法上の規定はないと実質的に覆し、中絶の是非は州の判断に委ねられるようになった。その結果、保守的な南部の州では中絶は実質的に禁止されるようになった。中には中絶を犯罪として取り締まる州も出てきている。中絶薬や避妊薬の販売を禁止する州もある。そして現在、保守派の攻撃の矛先はDEIに向いている。彼らは、大学や企業に圧力を掛け、入試や採用、昇進でDEIを考慮するプログラムの撤廃を求めている。
[18] アメリカの人種差別を克服する運動はケネディ大統領とジョンソン大統領の「アファーマティブ・アクション」から始まった。黒人やマイノリティに対する差別解消の運動は、ジェンダー差別解消の運動とLGBTQに対する差別解消の運動へと広がって行き、この試みは着実に成果を上げてきた。2020年5月に黒人のジョージ・フロイド氏が警察官に殺害された事件を契機に始まった「Black Lives Matter」運動は「DEI運動」として発展し、多くの学校や企業は「DEIプログラム」を取り入れるようになった。
[19] 「Woke」は、人種的偏見や差別に対する警戒を意味するアフリカ系アメリカ人の俗語英語(AAVE)から派生した用語。2010年代初頭から、人種差別、性差別、LGBT差別など、社会的不平等に対する気付き(目覚め)を表す俗語として使われるようになった。「Woke」はまた、白人の特権性や米国における奴隷制度など、アイデンティティ政治や社会正義に関わる左派のいくつかの考えの略語としても使用されている。また2019年以降、右派はこの言葉「Woke」を不誠実なパフォーマンス活動であるとみなして、嘲笑的または皮肉を込めた意味で使用している。この意味では揶揄して「お目覚め」と訳されることもある。ジャーナリストのスティーブン・プールは、Wokeは「過剰な正義感のあるリベラリズム」を嘲笑するために使用されているとしている。この軽蔑的な意味では「不寛容な道徳的イデオロギーに従うこと」を意味する。
[20] 古屋力(2025)「崩れる世界秩序の地平線の向こうに見えてくるもの ~反知性主義と反ウォークを纏った「トランプ2.0」時代における「ジャポニスム3」とサルトルの「希望」の含意~」(環境・CSR情報サイト「ヴェイン」連載コラム45)
[21] GERALD IMRAY (2025)“Trump says some white South Africans are oppressed and could be resettled in the US. They say no thanks” https://apnews.com/article/trump-south-africa-afrikaners-0120efec17122b47e3371e0e39fe1db8
[22] トランプ氏は、大統領就任以前から、米誌タイムが2024年4月30日に公表したインタビューで「この国には確固とした反白人感情が存在すると思う。現時点で法律は非常に不公平になっている」と語っている。2025年1月29日に起きたワシントン近郊の航空機衝突事故をめぐる発言では、「DEI推進の取組みが連邦航空局の能力を低下させた」とまで語っている。
5. トランプ流「反DEI」政策が企業や大学や司法に与えたインパクト
トランプ大統領の「反DEI」と「反環境正義」政策は、民間企業や大学や司法に与えた負のインパクトは、想定以上に大きかった。
「トランプ2.0」の「反DEI」と「反環境正義」政策への企業側の受け止め方は、直截的な大統領令に限らず、様々な自発的な忖度も含め個々で多種多様であったが、残念ながら、トランプ大統領の「反DEI」「反環境正義」政策に対して真っ向から異議を唱えたり反発することもなく、無難に事なかれ主義で迎合し、忖度して、弱腰になびく企業も散見されている。その背景には、単に「トランプ2.0」の直接的な影響のみならず、以前からあった主に保守派の消費者からの企業のDEIに対する根強い反発もあった。そして、不買運動等のダメージが企業業績にマイナスの影響を与える事案も実際に顕在化している。その事例は以下の様に、枚挙に暇はない。
ビール大手のバドライトは、トランスジェンダーのインフルエンサーを起用したところ保守派が反発し不買運動へと発展。結果的にビール市場の首位から陥落したと言われる。
マクドナルドは2025年2月6日、DEIに関する目標を廃止することを発表した。同社は、2025年までにグローバルにおける管理職の女性比率を45%、人種的・性的マイノリティの比率を30%に引き上げることなどを目標として掲げていたが、こうした一連の数値目標をあっさりと取りやめた。また、アメリカ企業のLGBTQ+に関する取り組みを評価する「企業平等指数(Corporate Equality Index)」というプログラムによるDEI施策の調査への参加も取りやめた。
世界最大のスーパーマーケットチェーンと言われるウォルマートも、DEI施策を縮小すると発表した。ウォルマートの取引先企業は約10万社あると言われるが、その企業の選定過程で、これまで設けられていたような多様性について考慮する方針をやめた。さらに、LGBTQ+(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィア・クエスチョニング)の人々を祝うプライドパレードへの支援も見直し、「DEI」という言葉も今後は使わないことを発表した。
他にも、FacebookやInstagram、Threadsを運営するメタ社は、先日ファクトチェック廃止やヘイト投稿規制の緩和を発表した。そして、社内のDEIに特化したチームを廃止し、採用や取引先についての多様性に関する配慮をやめた。先日、DEIの取り組みを見直すと発表したメタ社については、寄付、友人の取締役起用など、トランプ大統領へのすり寄りが指摘されている。その他、アマゾンやフォードモーター、ハーレダビッドソン、ホームセンターのロウズなどの米国企業が、DEIの取り組み見直すという。企業のDEIへの取り組みを規制する動きすらある。テネシー州では、州内の銀行や金融機関が顧客を対象にDEI訓練プログラムを提供することを禁止している。企業は保守派グループに訴訟を起こされることを怖れて、次第にDEI活動を縮小し始めている。アファーマティブ・アクションに続く、リベラル派自体の後退が顕在化している。日系企業にもこの動きは伝播している。トヨタや日産は、アメリカにおけるDEIの取り組みを縮小するとして、外部機関によるDEI施策の調査への参加を取りやめ、LGBTQ+関連イベントへの支援も見直すことを示している。
また同時に、「トランプ2.0」のみならず、トランプ大統領周辺の支持層やそのシンパ達による「反DEI」・「反環境正義」の活動も激烈である。
「DEI潰し」を画策しているマンハッタン研究所のクリストファー・フーフォ氏は「すべてのアメリカの機関でDEIを廃止することが最終目的である」と書いている。保守派インフルエンサーで活動家のロビー・スターバック(Robby Starbuck Newsom)[23]は、DEI施策に取り組む企業に対し不買運動を呼びかけるなど、反DEIキャンペーンを主導している。また、保守系シンクタンクの「全米公共政策研究センター(National Center for Public Policy Research ;以下NCPPRと略称)」等は、複数の企業の株主総会で反DEIの議案を提出するなど企業に圧力をかけている[24]。現に、こうした恫喝的な圧力によって実際に企業のDEIの取り組みを一部やめさせることに成功している。こうした恫喝も含めたDEIに対する逆風により、直接の被害者である休職扱いにされた連邦政府職員はもちろん、産業界や学界の人やDEI推進の実務家や研究者にとっては非常に厳しい時期が到来しつつあることは確かである。太宗が「隠れキリシタン」状態で大人しくしているとも側聞する。
ただし、米国民の名誉のためにも、まだ米国の多くの企業や市民はまともな常識を実装しており、反DEIへの安易な迎合をしていないこともここに併記しておくことは必要であろう。すべての企業がDEIを廃止するわけではない。
「トランプ2.0」や、そのシンパによる「反DEI」・「反環境正義」の正当性に対して、疑問を持ち、その圧力に対して屈せず、毅然と抵抗する動きも多々あることは救いである。経済界には、コストコ・ホールセールや デルタ航空など、反DEIの圧力を毅然と拒否する企業も多々ある。また、DEIの価値観を引き続き推進しようとする企業のあいだでは、ひっそりとではあるが、呼称を変更して取組みを続ける動きが見られる。国際的なブランドや若年層の支持を重視する企業は引き続きDEIを優先する傾向が存続するであろう。また、カリフォルニア州やニューヨーク州などのとりわけリベラルな地域では、DEI行動が維持またはさらに拡大する可能性もある。その一方、保守的な地域では逆の動きが進むと予測される。今後、かような民主党優勢な多様性重視の地域とそうでない共和党優勢の「反DEI」・「反環境正義」色の強い保守的な地域との地域間ギャップが拡大し、米国内の分断がさらに進むであろう[25]。
「反DEI」と「反環境正義」は、大学等の教育にも、負のインパクトを与えている。
すでに、全米の教育現場では、教室内で人種やLGBTQに関する議論を制限する「教育緘口令(educational gag order)」が少なくとも46州で出されている。多くの大学では既にDEI部門を廃止している。フロリダ州、テキサス州、アイオワ州、ユタ州では大学内でのDEIプログラムの取り組みを禁止している。フロリダ州では大学でのDEIプログラムを禁止すると同時にDEI関連の仕事をしていた職員を100人以上解雇した。アラバマ州とユタ州では大学だけでなく、幼稚園から高等学校まで全ての学校でDEIプログラムを禁止している。カンザス州では、大学の入学、資金支援、大学での採用を行う際にDEIを考慮することを禁止している。
さらにまた、DEIを巡る法廷闘争等の司法の分野においても、トランプ大統領の「反DEI」と「反環境正義」政策の影響は大きく、残念ながら、各地で、リベラル派の後退が続いている。
去年2024年12月11日に、ニューオリンズの連邦控訴裁判所で「ナスダックの多様性規定[26]」の合法性に関する判決が出された。トランプ勝利が決まった後であり、裁判所がどのような判決を下すか注目されていたが、連邦控訴裁はナスダックの主張を棄却する判断を下した。判決は「企業にジェンダー、人種、性的指向の多様性を持った取締役会が存在しない理由を説明する義務を負わせるような証券取引上の確立されたルールや慣行は存在しない。企業が取締役会の人種、性、LGBTQの構成の公表を拒否することは非倫理的ではない」と述べ、「多様性に関する規則は1934年証券取引法に合致しない」と保守派主張を支持している。さらに判決は「証券取引委員会の行動は本来の業務を逸脱し、他の機関の領域に侵入するものである」と、極めて厳しい言葉でナスダックの多様性規定を支持してきた証券取引委員会を批判している[27]。ちなみに、この問題を取り扱った連邦控訴裁の判事の多くは、トランプ大統領が指名した判事であった。第1期トランプ政権で多くの保守的な連邦判事が誕生し、最高裁の9名の判事のうち6名が保守派で、そのうちの3名はトランプ大統領が指名した判事であった。トランプ大統領は最高裁だけでなく、連邦地方裁、連邦控訴裁の判事の多くを指名している。保守化する連邦裁判所を考えれば、今後、DEIを巡る訴訟でリベラル派は劣勢に立たされる可能性が強い。すでにトランプ大統領は昨年2024年11月時点で次期証券取引委員会の委員長[28]を更迭し、新たに保守派の委員長を指名すると発表している。まさに、トランプ大統領は、司法の人事まで手を突っ込んで、強引に「反DEI」政策を強行しているのである。
[23] 米国の保守派政治活動家、ミュージック・ビデオ監督、インフルエンサー。2024年2月、反LGBTのドキュメンタリー映画The War on Childrenを公開している。映画はイーロン・マスクにより広く宣伝された。2024年6月から、スターバックは、「企業は社会・政治問題に関して中立であるべき」と考えており、多様性・公平性・包括性(DEI)、気候変動対策、LGBTの権利擁護などを推進する「目覚めた」企業へのボイコット運動を開始し、Xのフォロワーにも参加を呼びかけた。日本の企業に対しても圧力をかけることがあり、トヨタ自動車も標的となっている。
[24] 米投資助言会社のISS Corporate Solutionsによると、反ESGに関する提案が2022年から大幅に増加している。この内、ダイバーシティー・アンド・インクルージョン(D&I)推進への反対が全体の3分の2を占めている。その提案者として筆頭に上がるのが、保守系シンクタンクの全米公共政策研究センター(National Center for Public Policy Research ;以下NCPPRと略称)である。The National Center for Public Policy Research, founded in 1982, is a non-partisan, free-market, independent conservative think tank. The National Center’s programs include the Project 21 black leadership network, the Free Enterprise Project, Able Americans and the Environment and Enterprise Institute.(出所)NCPPR(2025)””https://nationalcenter.org/
[25] 米国内でのDEIをめぐる分断は少なくともトランプ政権の任期が終了する2028年まで4年間続くと見られているが、仮に次期大統領選でバイス新大統領就任ともなれば、さらに4年間 DEI否定政策が継承される懸念がある。現に、昨年2024年6月12日、当時上院議員であったバンス副大統領は、「人種優先政策は平等というアメリカの前提に反する。人種やジェンダーといった要素に関係なく、ポストに最も相応しい人物を採用するのが合理的である。DEIは社会正義の皮を被った国家公認の人種差別に過ぎない。DEI解体法は、連邦機関、連邦資金を受け取っている請負企業、連邦補助金の受領者、教育認定機関に適用される」と主張し、連邦政府の全てのDEIプログラムの廃止を求める「DEI廃棄法案(the Dismantle DEI Act)」を上院で提案している
[26] 5年前の2020年3月に、店頭市場のナスダックは、同市場に上場している企業約3000社に対して女性、マイノリティ、LGBTQを少なくとも2人取締役に登用することを義務付ける「多様性規定」を導入することを明らかにした。具体的には、最低でも女性は1人、さらにマイノリティかLGBTQから1人を取締役にすることが想定されていた。同規定を満たすことができない企業に対して、その理由を説明することも義務付けている。企業に取締役会の性別と人種別などの構成を公表することも求めた。ナスダックは同規定案を証券取引委員会(SEC)に提出し、許可を得た。
[27] この判決に対してナスダックは「公開を義務付けるルールは企業と投資家の双方に恩恵をもたらすという立場に変更はない。ただ判決を尊重し、さらに裁判を続ける意図はない」という声明を出した。企業の取締役会の多様性を確立しようというナスダックの野心的な試みは頓挫した。証券取引委員会も「判決内容を精査しており、次に取るべき適切な対応を決定することになる」との声明を出した。ちなみに、この連邦控訴裁の判決を受け、今回、トランプ政権で新たに設置された「政府効率省(Department of Government Efficiency)」の責任者に就任したイーロン・マスク氏とヴィベク・ラマスワミ氏は、証券取引委員会を批判する声明を「X」に投稿している。マスク氏は「証券取引委員会は政治的に汚いことをする兵器化された機関である。証券取引委員会は信用できない“独立委員会”である」と投稿し、ラマスワミ氏は「証券取引委員会のような機関が法律を無視して、繰り返し連邦裁判所で恥をかかされれば、法の執行機関として信頼を失う」と投稿し、DEIを促進する証券取引委員会への批判を展開している。
[28] 現委員長は2024年3月に「上場企業に気候変動に関する情報開示のルール」を提案し、共和党議員など保守派の批判を浴びていたリベラル派の委員長である。
6. トランプ流「レーベンスラウム」「グラン・ランプラスマン」思想の闇
今回、トランプ大統領が回帰したのは、もはや国家存亡の断末魔にある米国にとって必然であったとの専門家の意見もある。かつては世界秩序の主人公として君臨しグローバル統治したもののそれを維持することに失敗した米国の「没落」を、トランプ大統領は、民主党を軸としたグローバル秩序統治派のせいだと批判した[29]。それを米国民は支持した。そして、「昔日の栄光」の復活を不動産王トランプに託した。米国はかつて一度グローバル統治派に追い落とされた彼を再び大統領に選んだ。そして、トランプ大統領は米国民の信託を受け、まずその「組織網」の解体から始めている。それが「トランプ2.0」の本質であり、「反DEI」「反環境正義」として露呈したに過ぎない。
「アメリカを再び偉大にする(Make America Great Again;以下MAGAと略称)」と宣言したトランプ大統領にとって、そもそも倫理や道徳、人権、国際秩序等に気を遣うのは米国にとって百害あって一利なしである。同盟国やNATOの関係性には何らメリットを感じない。自国優先、実利優先。理念なき不動産屋のやり方で、どこでも「ディール」で解決しようと目論んでいるのである。さらに深刻なのは、「混ぜるな危険」関係にある最側近のイーロン・マスクとの蜜月に象徴されるように、いま、米国の政権中枢に君臨する側近諸氏の言動に共通しているのは、利己的で人間としての品格が疑問視されていることに加えて、即物的かつ反倫理的で明るい未来に向けた理念が見えないことである。
かつての米国の繁栄を支えてそこで財を成したJ・P・モルガン、ロックフェラー、カーネギーに代わって、今やイーロン・マスクを筆頭に、ビッグ・テックの首領たちが桁違いの巨万の富を集めている。彼らはシリコンバレーを拠点に、世界のデジタル的開放で力をもった。そしてデジタル技術の開く新しいフロンティアであるヴァーチャル世界を半ば私物化している。そして世界改造を始めている。それをサポートするのが不動産屋トランプである。利にさといビッグ・テックはトランプに露骨になびいた。そこに高邁な理念はない。あるのは、近視眼的な自己利益の最大化を念頭にした打算だけである。この不穏な「混ぜるな危険」関係の先に、はたして、米国のそして人類の未来はない。それが今、アメリカで起こっている悲劇である。
こともあろうか、トランプ大統領は2025年1月7日に、米国の経済的安全保障のために、グリーンランドとパナマ運河を獲得するために「軍事力」を行使する可能性すらあると衝撃的な発言をして世界中に衝撃が走った。すでに昨年2024年末から、トランプは、デンマーク自治領のグリーンランドと、中米パナマが得ているパナマ運河の管理権を、アメリカが獲得することを望んでいると発言してきた。さらにはカナダの吸収合併を試みるつもりだとして、追加関税で恫喝しながら「カナダは米国の51番目の州になるべきだ」「カナダが米国に吸収されれば関税はなくなる。米国がカナダ存続のために大規模な貿易赤字や補助金に苦しむことはもはやできない」など常軌を逸する過激な発言をした。かくして、トランプは、厚顔無恥にも、悪びれるそぶりもなく、領土拡張への意欲が弱まる気配はない。こうした一連の拡張主義的な発言に背景に、北米を米国の領土として一体化したい彼の強い意思を感じざるを得ない。もはや国際法や他国の尊厳等への配慮やrespectは皆無で、言いたい放題の手に負えない状況にあり、欧米西側同盟諸国の為政者も半ば呆れている。
実は、この乱暴で利己的な領有地の奪取手法自体は、何もトランプ大統領の専売特許ではない。米国を愛する方には大変失礼な表現で誠に恐縮ながら、もともと米国の建国来の伝統的な手法であるとする専門家もいる。やや雑駁な表現で直截的に言うなら、今日の米国が成り立っているのは、先住民を追い払い、問答無用に大地を全部根こそぎ奪取して、一方的な「地上げ」で米国の領土を拡大してきたからにすぎない。このことは史実に基づく多くの先行研究が証明している。
米国は、英国本国で迫害されたピューリタン(清教徒)が、信仰の自由な地を求めて大西洋を横断し、当時は「新大陸」と呼ばれていた現在のアメリカ大陸に入植してできた国である。当時、米国大陸には先住民(Indigenous peoples of the Americas)が住んでいた[30]。しかし、彼ら入植者にとってそこにキリスト教徒がいないということは、誰もいないのと同じだった。彼らは、米国大陸をフリー・ゾーンとして「自由の地」と称した。そして、土地所有の観念のない先住民を追い出し、弓しかもっていない彼らを一方的に撃ち殺し、「在ったものを無かったこと」にして「新世界」たる米国を創った。これが、米国の実像なのである。
トランプ大統領は、「アメリカを再び偉大にする」ために、この伝統的な乱暴な手法で、本気でグリーンランドとパナマ運河を奪取するつもりである。カナダとてあながち冗談でもなさそうである。このおよそ知性的とは言えない乱暴かつ露骨なトランプの恫喝じみた無手勝流の手法にとって、倫理性や人権等を重視する「DEI」「環境正義」という正論は足かせであり不都合なのである。「反DEI」「反環境正義」が「トランプ2.0」の中核的な思考軸になっている理由はそこにある。しかし、いずれにせよ、この下品で乱暴な手法を行使したその先には、混乱こそあれ、明るい未来は見えてきそうにない。トランプ大統領を支持する米国民の解像度は、この帰趨を想定できないほど低いのであろうか。
ここで警戒しなければならないことは、こうしたトランプ大統領の言動の根底には「レーベンスラウム(Lebensraum)」思想があることである[31]。この「レーベンスラウム」とは、そもそも広大な生産可能な土地を想定した「生存圏」を意味するドイツ語である。要は、自分たちが生存するためには、他国や他民族におかまいなく自らの「生存圏」を担保することが最優先だとする思想である。
かつてのアドルフ・ヒトラーのナチスによって「国家が自給自足を行うために必要な政治的支配が及ぶ領土」を指す意味で使われるようになり、ナチスの独善的な経済拡張主義を正当化する中核的キーコンテンツとなった。この悍ましい「レーベンスラウム」という不吉な亡霊が、いま再び、「トランプ2.0」で復活しつつあるとの分析もある。その意味では、ナチスとトランプの思想は同期している。いままさに「トランプ2.0」で実現させようとしている米国から2,000万人もの移民を強制的に追い出す「移民大量強制送還計画」は、ヒトラーが大量虐殺の「最終解決策」を採用する10年前から考えていた「Lebensraum」に通底しているとも言える。
トランプ大統領は、今回の大統領選での勝利を受け、支持者に向けて「米国は自分に前例のない強力な信任を与えた」と語っており、「移民大量強制送還計画」にもゆるぎない自信をもっている。J.D.バンス副大統領の試算では、年間100万人を国外退去させる作戦になる可能性もある。不法移民大量送還という選挙公約を実現するため、米軍から各国駐在の米外交官まで、あらゆる方面に協力を求め、共和党優位の州だけでなく、抵抗する州・自治体に圧力をかけるため連邦予算が投じられる可能性すらある。
実は、この「レーベンスラウム」思考の延長線上に「ガザ」に対するトランプ大統領の言動がつながっているとの分析もある。
トランプ大統領は先日2025年2月4日に、イスラム組織ハマスとイスラエルの戦争で荒廃したパレスチナ・ガザ地区について、「アメリカが引き取る」と発言。「再建の間はパレスチナ人をガザの域外に移住させる」と述べた。トランプ大統領は、ガザに住む180万人ものパレスチナ人を他のアラブ諸国に移住させアメリカが荒廃したパレスチナの領土を「引き取り、開発する」べきだと主張し。さらに、ガザ地区から不発弾を撤去し、がれきを取り除きいったん更地にしてから、「中東のリヴィエラ」として経済的に再開発することで「本当の仕事」ができるとし、「地球上で最も偉大にして壮大な開発になる」「中東全体に安定をもたらす」とまで厚顔無恥にも述べている。
そのトランプ大統領の言動には、「ガザのパレスチナ人が21世紀最大級の戦争犯罪に巻き込まれながらも15か月に及ぶ死と破壊に耐えてきたにはひとえに自分の土地と故郷にとどまるためだ」というパレスチナ人の心情への配慮が皆無である。ガザを不動産プロジェクトとして損得勘定でしかみない冷徹な発言を聴いて、温かい血がながれている人間の言葉とは思えない、故国を去る無辜なパレスチナ人たちの心情に一顧だにしないその暴言に愕然とした。このトランプ大統領の言動の背景にも、「レーベンスラウム」の思想があることは間違いない。
イスラエルの歴代最大のシンパであることを自認しているトランプ大統領は、イスラエルの「レーベンスラウム」を無辜なパラスチナ人の人命より優先したのである。トランプ大統領にとって、「移民大量強制送還」も「グリーンランド」「パナマ運河」「カナダ」も「ガザ」も、まったく同根であり、同じ「レーベンスラウム」思想の延長線上の話なのである。これを聴いて誰しもが、「何の権限でそんなこと言えるのか?」「どの面下げて言ってるんだ?」「ガザ地区をかくも瓦礫の山にしてしまったイスラエルの攻撃を全面支援してきたのは他ならぬ米国ではないか?」と思ったことであろう。中には、「ラーメン屋にダンプカーを突っ込ませて、店を瓦礫の山にして、困り果てたラーメン屋の店主に、瓦礫を片付けて更地にしてゲームセンターにするからさっさと立ち退けと恫喝する地上げ屋とまったく同じだ」と痛烈な揶揄をする論者もいる。
さっそく、トランプ米大統領からパレスチナ人の受け入れ打診があったヨルダンとエジプト両国とも、協力を拒絶する声明を公表した。当然である。同時に、国連のアントニオ・グテレス事務総長は、翌日2月5日ニューヨークの国連本部で開かれたパレスチナに関する会合で、トランプ米大統領のパレスチナ自治区ガザ住民域外移住案について、かようないかなる卑劣な「民族浄化(ethnic cleansing)」にも反対するとして「特定の民族などを強制的に排除する民族浄化はどのような形であれ、避けることが重要だ」と反対し、イスラエルとパレスチナが共存する「2国家解決」の必要性を訴えた。その上で「独立したパレスチナ国家」が実現した際には「ガザ地区は不可欠な一部だ」と強調した。また、当然のことながら、西側同盟国もこの案に反対している。世界中のあらゆる人権団体からも、このパレスチナ住民域外移住案は「民族浄化」だと厳しい非難を浴びており、国際法違反となる公算も大きい。実にまっとうな正鵠を射た批判である。
また、こうした「レーベンスラウム」という不吉な亡霊に憑りつかれたトランプ大統領の一連の考えは、同時に、「グラン・ランプラスマン(Grand Remplacement)」の思想とも通底している[32]ことを認識していおくことも、重要な意味がある。2つの不吉な思想との通底である。
「グラン・ランプラスマン」は、英語では「グレート・リプレイスメント」 (Great Replacement )と呼ばれ、 直訳すると「大代替」「大置換」といった意味になる。この「大置換理論」は、エリート層のリプレイシスト (置換主義者) の関与により、白人系のヨーロッパ住民が出生率の減少や、非白人系、特にイスラム世界からの大規模な移民によって統計的、文化的に「白人」から「非白人」に置き換え(Replacement)が進められているとの陰謀論である。
まさに、一連の「トランプ2.0」による移民排斥は、この「グラン・ランプラスマン」思想に依拠して、一挙に強制的な移民排斥を推し進めようとしているのである。そして、今回の「ガザ地区先住パレスチナ人住民一掃計画」は、皮肉なことに、真逆の意味で「グラン・ランプラスマン」の思想に通底している。
トランプ大統領は、今回は攻守変えて、白人が被害者だと言うたてつけの陰謀論としての「ホワイト・ジェノサイド論」とは真逆に、パレスチナ人を一網打尽に殲滅しようとする悪質な「パレスチナ・ジェノサイド(palestinian genocide)論」を展開しているのである。自分達白人がジェノサイドされるのはかなわないが、自分達がパレスチナ人達にしかけるジェノサイドは正当化しうるというまったくもって論理破綻している自己中心的かつ独善的な暴論なのである。
トランプの提案は、どう考えても、ガザ先住の無辜な180万人ものパレスチナ人を問答無用に武力で全員ガザ地区外に追い出して一掃させる不条理なジェノサイドに他ならない。しかも陰謀論ではなく、白昼堂々と、真顔で確信犯として鉄面皮で行おうとしているのである。何をかいわんやである。むろん、荒廃したガザ地区の戦後復興を、米国の無償のODAとして支援したいというのなら理解できるが、米国の所有にして「中東のリヴィエラ」として再開発プロジェクトでひともうけしようとするトランプの身勝手な発想には、そこに昔から居住してきたパレスチナ人の尊厳への配慮は1㎜もなかろう。
なんとも身勝手で独善的な情状酌量の余地もない話である。誰もがあっけにとられた発言である。恐ろしいのは、これが、トランプ大統領自身の頭の中では突然降って湧いた話でも荒唐無稽な話でも妄想もなく、トランプの領土拡大主義とも符合する本気の話であることである。一部報道によると、トランプ大統領の義理の息子であるジャレッド・クシュナー氏は昨年、ガザを「価値の高い」ウォーターフロント物件だと評していたらしい。親も親なら子もひどい。むろん、いずれも無理筋の話である。今回の会見でも、ネタニヤフ氏もトランプ氏とも米国主導のガザ再開発案に合法性があるのかとのまっとうな質問には答えることができなかった。そりゃそうだろう。
1つ明らかなことがる。彼の「米国第一」路線は「より大きな米国」路線へ進化している事だ[33]。パナマ運河の管理権奪回やデンマーク自治領グリーンランドの購入などに意欲を示し、カナダは米国の51番目の州になるべきだとの考えを繰り返してきた一連の言動がその証左である。まさに巷で揶揄されているように「不動産屋的な乱暴な発想」の延長である。世界を一つの大きな商機とみなし、カナダやメキシコといった緊密な同盟諸国でさえ、まるで取引相手として扱うメリット本位の発想に延長線上に、今回の「ガザ地区先住パレスチナ人住民一掃計画」があるのである。
ちなみに、専門家の間では、トランプ大統領が友好国や敵対国に見せた言動に関し、所謂「狂人理論(madman theory)」が俎上に上っている[34]。確かに、諸外国の為政者に対してトランプ大統領が非合理的で気まぐれだと思わせることには、その真偽のほどはともかく、外交上のメリットがあるとも言われている。しかし、トランプの「何をするか分からない狂人(madman)」としての側面とには充分慎重な留意が必要である。かつて、イタリアのルネサンス期の政治思想家ニッコロ・マキャヴェッリ(Niccolò Machiavelli)は、いまから500年以上も大昔の1517年に「政治家は、場合によっては、狂人のようにふるまうことがきわめて賢いやりかたである。」と論じている(『政略論』)。国際関係論の専門家には、狂人理論はむしろ逆効果であることも多いとの指摘もあり、交渉を成功に導くための戦略としての有効性を疑問視する者もいる[35]。しかし一部の国民はこうしたカリスマ性のある政治家に無防備に熱狂し過剰期待をする傾向があるのは、実に困ったことである。
[29] トランプ大統領は、内政面でも「ディープステート(deep state;闇の政府)」と呼ぶ連邦政府の組織改革を宣言している。ディープステートとは、CIAとFBI等の米国政府の一部が金融・産業界の上層部と協力して秘密のネットワークを組織しており、選挙で選ばれた政府と一緒に、あるいはその内部で権力を行使する隠れた政府(国家の内部における国家)として機能しているとする陰謀論である。
[30] アメリカ先住民(Indigenous peoples of the Americas)は、ヴァイキングやクリストファー・コロンブスによるアメリカ本土への到達以前から南北アメリカ大陸とその周辺に住んでいる先住民族の総称である。エスキモー・アレウト人を除き、インディアン、アメリカインディアン、インディオなどとも呼ばれてきた。現在では「インディアン」という呼称は別用語と一般に認識されており、用いられなくなってきている。
[31] 元々「レーベンスラウム」は、地政学の用語であり、日本語では「生空間」とも訳されている。ナチスヒトラーは、地政学者ハウスホーファー(Karl Ernst Haushofer)の提唱した国家が自給自足を行うために必要な政治的支配が及ぶ領土を指す「レーベンスラウム(生存圏)」論を、侵略戦争の正当化に使い、この言葉が、ヒトラー自身著書『我が闘争』の中でも言及されている。「レーベンスラウム」とは国家にとって生存(自給自足)のために必要な地域とされている。その範囲は国境によって区分されると考えられている。ただし国家の人口など国力が充足してくれば、より多くの資源が必要となり、生存圏は拡張すると考えられ、またその拡張は国家の権利であるとされている。またレーベンスラウムの外側により高度な国家の発展に必要な、経済的支配を及ばせるべきとされる領土を「総合地域」と理論上設定している。近年経済の国際化が進んでおり、自給自足の概念は重視されなくなったため、生存圏理論を国家戦略に反映させることはなくなっている。かつて、ナチスは、この「レーベンスラウム」を獲得するため、アーリア人種以外の住民の「強制追放」と「領土拡大」の2つが不可欠だと考えた。当初、ナチスは、ヨーロッパのユダヤ人をマダガスカルかソビエト・アジアに追放する計画を検討していた。しかし戦争が進むにつれ、イギリスの制海権とソ連の抵抗に直面し、ナチスの大量国外追放計画は実行不可能となった。そこでヒトラーは、ナチスの支配領域内でユダヤ人を絶滅させることでしか自らの目標を達成できないと考えるようになった。その帰結がポーランドのアウシュビッツ強制収容所等での大量虐殺に象徴されるホロコーストの悲劇である。
[32] この不穏な言葉は、いまから13年前に、フランス人のルノー・カミュ(Renaud Camus)が提唱した、白人至上主義的、極右的な思想に基づく被害妄想的な陰謀論である。カミュは著書『Le Grand Remplacement』(2011年)により「グラン・ランプラスマン」(Grand Remplacement)を言語化し広く普及させた。同著書では特にムスリム系フランス住民によるフランス文化、文明の破壊や、潜在的な脅威に結び付けている。カミュをはじめと多くの論者は、このような動きがフランス政府やEU、国際連合の内部においてグローバリズム、リベラル派のエリート達によって意図的に促進された「白人に対する代替的ジェノサイド」だとしている。この陰謀論はヨーロッパ各地で広く支持されているほか、ヨーロッパ以外の西側諸国においても反移民主義者、白人至上主義者らの間で広まりつつある。多くの支持者は、「移民たちのほとんどは先住の白人系住民を少数派にするため、あわよくば絶滅させるために入植を続けている」と主張している。いわゆる「ホワイト・ジェノサイド(White genocide)論」の一つである。
[33] トランプ大統領は、南北戦争終了直後の「金ぴか時代」のアメリカに戻したい願望があるとの専門家の分析もある。当時すでに最大の工業国でありながら政府と鉄鋼等の企業との癒着を背景に関税で国内産業を守っていた時代で、同時にスペインとの戦争でキューバを保護国にしハワイを領有しアラスカを手に入れた時代である。(出所)小谷哲男(2025)「新政権の理論」(Newsweek)
[34] 「狂人理論」の歴史は古い。決して最近の話ではない。政治家の特質について、多様な専門家によって「狂人理論」として、過去から面白い解析が幾つもされている。いまから半世紀以上も昔の1962年に『考えられないことを考える』(Thinking About the Unthinkable) を出版したハーマン・カーンは、おそらく敵を下すには「少しぐらい狂っているようにみえる」ほうが有効ではないかという議論を行っている。この「狂人理論」は、元々は、米国合衆国第37代大統領リチャード・ニクソンの外交政策の要として広く知られる理論あるいは戦略でもあった。ニクソンおよびニクソン政権は、東側諸国の指導者たちに大統領が非合理的で気まぐれだと思わせることに腐心した。ターゲットとした国家に挑発行為をやめさせ交渉の場につかせるために、米国がとる行動が予測不可能であると思わせるのがこの理論の骨子であった。ジェフリー・キンボールは著書『ニクソンのベトナム戦争』 (Nixon’s Vietnam War) において、ニクソンが狂人理論という戦略にたどり着いたのは、それまでの実務経験とアイゼンハワーによる朝鮮戦争の対応を観察した結果だと述べている。しかしいまや国際関係論の専門家には、交渉を成功に導くための戦略としての有効性を疑問視する者もいるし、「狂人理論」は、逆効果であることも多いと言われている。
[35] ジョナサン・スティーヴンソンはニューヨーク・タイムズ紙上でトランプとニクソンを比較しており、トランプの戦略はニクソンよりも有効性において劣ると論じた。なぜならニクソンは「とことんまでやるが、同時にソビエトや北ベトナムが負けを認めさえすれば正気に戻ることを匂わせる」ことに腐心していた。一方で北朝鮮政府が「トランプもそうである」とは信じたとは考えにくい。トランプの脅し文句は「平常運転」であって一時的かつ感情的な反応ではないからだ。国際関係論の研究者であるロサンヌ・W・マクマヌス(Roseanne W. McManus)は、トランプが狂人理論に頼ったアプローチをするのは逆効果になっていると論じている。彼の「狂気」が本物であると思わせたいのに、そのリアリティを失わせてしまっているからである。
7. 全球的な視座から受容困難なトランプ流 「反DEI」・「環境正義」の危険性
ここで、見落としてならない点は、「トランプ2.0」の「反DEI」「反環境正義」の議論は、その賛否も含め、あくまで、日本を含むG7諸国に象徴される欧米諸国からなるグローバル・ノース(Global North)の中だけの議論にすぎないということである。井の中の蛙であってはなるまい。
「西側世界」の中だけの議論だけで世界の実態を理解しようとすると本質を見誤る。肝心なことは、グローバル・サウス(Global South)[36]と呼ばれる地域に生き延びる人たちの視点を共有し全球的な視座にたってこの「反DEI」「反環境正義」の議論の現在地を俯瞰することである。
ひとたび「非西洋」の視点に立って全球的な視座にたってこの現象を検証すると、事態はまったく違って見えきて、その本質が見えて来る。以下の【図1】は、グローバル・サウスを示した図である。青がグローバル・ノース(先進諸国)、赤がグローバル・サウス(発展途上諸国)である。

(出所)United Nations Conference on Trade and Development (UNCTAD)(2023)” classification of economies”
以下の【図2】は、世界のCO2の1人当たりの年間排出量を明示している。気候変動の原因となるCO2等の温室効果ガスは、ほとんどが先進国によって排出されていることが分かる。

(出所)Hannah Ritchie(2019)” Annual CO₂ emissions produced per capita ”(Our Worldin Data)
https://ourworldindata.org/grapher/annual-co-emissions-by-region
以下の【図3】の「温室効果ガス排出量と貧富格差」は、そのグローバル・ノースとグローバル・サウスの間の格差の実態を明示している。世界人口の上位10%に過ぎない最も裕福なグローバル・ノースの人々が、世界全体の温室効果ガスの半分を排出している。そして、世界の温室効果ガスの90%以上は、先進国が多く位置する北半球のグローバル・ノースによるものである。一方、グローバル・サウスからは全体の8%程度しか温室効果ガスを排出していないことが分かる。

(出所)Oxfam (2023)” THE GLOBAL RICHEST 10% ACCOUNT FOR 50% OF CARBON EMISSIONS”(Share of global emissions by income group)
気候変動による問題が深刻化していく中で、深刻なレベルで気候変動の影響を受けるのは、グローバル・サウスの途上国住人である。彼らは先進国に比べて少ない温室効果ガスしか出していないにも関わらず、生活やさらには生命と健康に支障が生じている。インフラや住環境が異常気象に対応しきれていない途上国の多くは、異常気象による影響を受けやすく、人々の生活により深刻な支障が出ている。実際に、近年の干ばつや洪水・森林火災といった異常気象によって、多くの人々が住処を失っている。その結果、年間2,000万人の人々が気候難民となり、自国の内外への強制移住を余儀なくされている。以下の【図4】は、2008年から2020年までの間に発生した紛争・自然災害による難民の数を明示している。赤色が自然災害による気候難民の数である。2018年以降、増加傾向にあることが分かる。

(出所)IDMC(2022)” Climate refugees: The world’s silent crisis”
気候危機による自然災害によって気候難民が発生する。しかし、気候難民にとって住む場所を変えるのは、簡単なことではない。沢山の労力とお金が必要で、安定した引っ越し先がすぐに見つかるとも限らない。こうした異常気象による気候難民は、年々その数を増していくと予測されている。
今後2050年までには12億人もの人々が気候変動・自然災害によって住処を追われる可能性が出ている。特に災害発生時に経済・社会的に地位のない女性のほうが命を落とすリスクが高い。理由としては、男性中心の社会の中で、女性は家族や子どものケアを優先しなければならない状況で避難できなかったり、泳ぎや運転といった技術を学ぶ機会がなかったりするためである。先進諸国による過去の大量の温室効果ガス排出のつけが、途上国の甚大な自然災害を招き、大量の気候難民を生んでいるのである。深刻なレベルで気候変動の影響を受けているグローバル・サウスの途上国住人から観れば、現下の気候危機を招いた元凶である温室効果ガスをいままでさんざんに大量に排出してきたグローバル・ノースの先進諸国への不満は大きい。ましてや、こうしたグローバル・ノースの筆頭格である米国へが率先して気候危機対策に取り組むことは当然であり、責務であるとの認識は強い。米国にノーブレスオブリージュ(noblesse oblige;高貴なるものの社会的責任と義務)を求めているのである。
こうした気候変動による不平等・不公正を解消するため、「気候正義」に基づく活動が広がっている。「気候正義」は、主に気候変動に関する不公平を正すことに焦点を当て、先進国が化石燃料を多く消費してきた歴史的責任を認識し、被害を受けやすい途上国や地域に対する支援を促進する考え方である。
こうした事情に鑑み、そもそも、「トランプ2.0」の「反DEI」「反環境正義」の思想は、こうした世界の実態を、あたかもなっかたのごとく完全に無視していることを意味する。自国の気候危機対策に取り組む責務を放棄し、加害者責任を正当化し希薄化させる身勝手な独善欺瞞に他ならない。そこにノーブレスオブリージュが皆無であることに対し、世界中で失望感が広まっている。
こうした中で、世界最大の温室効果ガス排出国の1つで、グローバル・ノースの筆頭格である米国自身が「反DEI」「反環境正義」を声高に掲げること自体、責任放棄や責任転嫁と診なされ、それでなくとも燻り続けているグローバル・サウスの途上国からグローバル・ノースの先進諸国への不信感をさらに増幅させ、彼らの怒りに、油に火を注ぐこと結果を惹起するリスクが想定される。これは米国にとっても世界にとってもろくなものにならない。
いま、米国も我々も、第二次世界大戦以来、最悪の危機の時代にいる緊張感を自覚すべきである。
米国の凋落に象徴されるように、いまや、一極支配(unipolar)から多極支配(multipolar)の時代に移行し、グローバル・ノースの国際社会における影響力が低下している。G7の世界のGDPシェアは現在、80年代の65%から40%にまで低下し、BRICsをはじめグローバル・サウスの存在感が高まっている。
120カ国で貿易相手国トップの座を占め140カ国で一帯一路協定を締結している中国は、経済成長を原動力に、アフリカや中東諸国に積極的に進出し、独自のネットワーク作りを進めている。ウクライナで孤立しているロシアですらも、傭兵ビジネスや軍事支援により、アフリカや中東地域で影響力拡張を図っている。さらに、経済力をつけたサウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、トルコ、インド等の国々が、各地で積極的な関係構築を進め、影響力を高めている。
グローバル・ノースの凋落を尻目に、「非西洋」諸国は、着実に、グローバル・ノースとは違った価値基準と行動原理で独自の地歩を固めつつある。
そしていま、グローバル・サウスは、「グローバル・ノースはダブルスタンダードだ」と、その欺瞞を批判し、グローバル・ノースが世界秩序の覇権を維持することの正当性自体に疑問を呈している。
ウクライナとロシアの紛争では、ウクライナからの避難民に対し、グローバル・ノースは手厚い人道支援を提供する一方、イスラエルのガザへの攻撃では、国際司法裁判所(International Court of Justice ;以下ICJと略称)の勧告を受け入れないイスラエルに対し、米国をはじめとするグローバル・ノースの対応は不十分であるとの批判は、正鵠を射ている。国際社会での影響力が低下する中、自国の利益にかなう国々と積極的に同盟関係、協力関係を構築してきたグローバル・ノース諸国は、最近では民主主義や人権擁護などの価値共有に拘泥せず専制的な国であっても関係構築を優先してきた経緯がある。また相手国の横暴を止められなくなり、「黙認」によって相手国の横暴性をさらに強める結果を招いている。
ここにきて、もはやグローバル・ノースへの信頼は地に落ちている。かつて世界各地で多大な影響力を行使することが出来た米国をはじめとするグローバル・ノースは、今や単独で国際社会の諸問題を解決することは、ほぼ不可能になっている。この悲劇的で絶望的な米国の断末魔に鑑み、「西側世界」の未来は、不透明で、五里霧中の感がある。
現下の「反DEI」「反環境正義」の議論は、グローバル・サウスから観れば、到底、受け入れがたいことは自明である。そして、グローバル・サウスを内包した全球的な人類の明るい明日への鍵は、「西側世界」の内部でどんなに議論していても埒が明かない。その限界に気付くべきである。
全球的な視座から観て、トランプ流 「DEI」「環境正義」否定の危険性は、明らかに受容できない。
もはや、かつて西洋=西側から排除され、蹂躙されながらも、なんとかサバイバルしてきたグローバル・サウスと呼ばれる地域に生き延びる人たちの視点を共有しないと、人類の明るい明日に繋がる道が見えてこないのである。もはや、先進諸国は、傲慢で鈍感であり続けることは許されない。
いまこそ、日本を含め、グローバル・ノース諸国は、気候危機を起こした加害責任を重く受けとめ、いままでの「パリ協定」目標達成に向けた努力不足も含め、自国の不作為の罪を謙虚に認め、連帯責任を担う立場を自覚し、温室効果ガス最大排出国の1つでグローバル・ノースの筆頭格である米国自身が「トランプ2.0」の御旗の下で「反DEI」「反環境正義」を声高に掲げることの愚を諫め、身勝手な自国第一主義で暴走しようとしているトランプ大統領のご乱心を制御し、その暴走を座して黙認傍観するのではなく、むしろ、毅然として、「トランプ2.0」と一線を画し、人類の持続可能性を担保する本来の「DEI」「環境正義」への回帰を、可及的速やかに取り組まねばなるまい。
日本を含め、このまま断末魔の米国と共に衰退の奈落に突き進んで、一緒に心中しても良いと考えているような、そんな愚かな先進諸国はいないはずだと、強く信じている。
(end of documents)
[36] 「グローバルサウス(Global South)」は、南半球に多い新興国・途上国を指す用語で、主に北半球に多い先進国「グローバルノース(Global North)」との対比で用いられる。その範囲や定義は論者によって様々である。中華人民共和国は冷戦期における第三世界と同様の意味で用いており、自らをグローバルサウスを支える側と位置付けている(G77プラス中国)。一方、米国のジョー・バイデン大統領は、先進国を中心とする民主主義陣営にも中国やロシアなどの権威主義陣営にも属さない非同盟・中立の立場を取る途上国と位置付けている。共通して北アメリカ・ヨーロッパ諸国とイスラエル・日本・大韓民国・オーストラリア・ニュージーランドはグローバルノースと位置付けられており、これらの国々への対義語としての文脈で用いられる。経済のグローバル化の進行により、多国籍企業と台頭や移民・難民や食糧危機、環境問題、暴力、感染症など、越境型の問題が増えなど、従来の新興国・途上国といった枠組みで捉えられない事象が生まれる中で、使われる場面が増えてきているが、「新興国」「途上国」の定義と重なる場面も見られる。インドを始め、人口増加や経済発展が著しい国も多く、G20などの国際舞台においても影響力を高めている。冷戦後のグローバル資本主義の段階を含意していると捉えることもできる。