気候危機等、地球環境問題の地球規模のリスク管理の問題は、実にやっかいで、難儀である。一種の多変数連立方程式に酷似している。なぜなら、不確実性を含む問題でありながら、社会的意思決定が必要な課題であるからである。同時に、自国一国で完結できる問題ではなく、様々な言語・価値観・宗教・風習の異なる諸外国とのコンセンサスを前提に、連携協働によって解決すべき全球的な問題であるからである。

1.「混ぜるな危険」関係にある「科学的合理性」と「社会的合理性」

地球環境問題の複雑で悩ましい点は、客観的なfactの科学的分析をベースに、時に二律背反的な性質も内包する「混ぜるな危険」の関係にある「科学的合理性」と「社会的合理性」の2要件をともに充足しうる処方箋の可能性を探り、その限られた選択肢の中から最善策を、しかも民主的プロセスで選択し、実際の問題解決に有効な具体的な解決策を、迅速かつ実効性を担保しながら実施することにある。

気候危機問題と政治との位相の問題の本質は、科学者にも予測がつかない要素を含む問題を公共的に解決しなくてはならないことにある。つまり、「科学的合理性」に加えて、公共の合意、公共の意思決定の根拠となる「社会的合理性」を、公共のメタ合意として作っていく必要がある点にある。

気候危機政策を立法化して実際に推進するためには、社会的合理性が担保されることが必要で、そのためには、意思決定主体の多様性の保証、情報の開示および選択肢の多様性の保証、意思決定プロセスおよび合意形成プロセスの透明性・公開性の保証と手続きの明確化が必要となる。

その際、意思決定の主体となる国民の気候危機自体のリスクや政策実施に派生するリスク・コストの受け取り方、リスク認知、理解、といった科学コミュニケーションあるいは科学の公共理解、およびそれに基づく価値判断、といった課題は避けて通れない。

気候危機問題の解決に向けた具体的な政策論やリスク管理問題においては、社会的合理性担保に必要なリスク認知、コミュニケーション、価値判断を視野に入れ、各テーマからの科学的知見を総合化し、全球規模での気候変動リスク対策について社会的合理性の視点からの検証が重要となる。こうした観点から、すでに、気候変動リスク認知の形成因を、政治の立場や、個人の特性から分析する幾つかの先行研究がある。こうした研究の中には、「リベラルと保守の相克」の観点や、「個人の有する道徳的価値観との関係性」等の多岐に及ぶテーマについて調査研究が多々ある。

2.気候変動懐疑派と陰謀論と保守主義との関係性

過去の一連の先行研究の中で、特に興味深い成果として、気候変動懐疑派と陰謀論や保守主義との間に強い相関性を示す研究結果がある[1]

その代表的な研究が、オーストラリア クイーンズランド大学のMatthew J. Hornseyらが6年前の2018年に発表Nature Climate Changeの研究結果である。

米国および他の24か国での調査結果を分析したところ、この気候変動懐疑派と陰謀論と保守主義との関係性は他国と比較して米国で突出して顕著だった[2]

また、米国以外では、オーストラリア、カナダ、ブラジルなど化石燃料産業への経済の依存度が比較的高い国で、これらの相関が比較的高い傾向にあることを指摘している。

ちなみに、気になる日本については、この研究報告では、日本における気候変動懐疑派は、必ずしも「保守」ではないが「右派」を自任することや陰謀論を信じる傾向があることと有意な相関があることが確認されている[3]。興味深いことに、日本で発信されている懐疑論はほとんどが米国発のもので、米国の特殊な政治文化の中で次々と生成される懐疑論は、日本にも拡散してきており、ある種の傾向をもった人たちを中心に、小さな共鳴を起こしていることが想像される。

[1]江守正多(2016)「気候変動問題に係るリスク認知・意思決定パターン」(国立環境研究所;東京大学 未来ビジョン研究センター) https://www.nies.go.jp/ica-rus/report/version1/pdf/chapter6.pdf、(2017)「気候変動問題に係る意思決定における社会的合理性」(国立環境研究所;東京大学 未来ビジョン研究センター)https://www.nies.go.jp/ica-rus/report/version2/pdf/chapter7_pre.pdf

[2] Matthew J. Hornsey, Emily A. Harris & Kelly S. Fielding(2018)“Relationships among conspiratorial beliefs, conservatism and climate scepticism across nations” (Nature Climate Change)Studies showing that scepticism about anthropogenic climate change is shaped, in part, by conspiratorial and conservative ideologies are based on data primarily collected in the United States. Thus, it may be that the ideological nature of climate change beliefs reflects something distinctive about the United States rather than being an international phenomenon. Here we find that positive correlations between climate scepticism and indices of ideology were stronger and more consistent in the United States than in the other 24 nations tested. This suggests that there is a political culture in the United States that offers particularly strong encouragement for citizens to appraise climate science through the lens of their worldviews. Furthermore, the weak relationships between ideology and climate scepticism in the majority of nations suggest that there is little inherent to conspiratorial ideation or conservative ideologies that predisposes people to reject climate science, a finding that has encouraging implications for climate mitigation efforts globally.本調査では、気候変動懐疑派的な傾向を、5つの指標と比較した。1. 左派か右派か(右派の方が懐疑派的であることが期待される)、2. リベラルか保守か(保守の方が懐疑派的)、3. 陰謀論を信じるか(信じる方が懐疑派的)、4. 共同体主義か個人主義か(個人主義が懐疑派的)、5. 平等主義か階級主義か(階級主義が懐疑派的)である。(1、2、4、5は大くくりでいえばいずれも保守主義的な傾向の指標)米国においては、懐疑派的であることとこれらの指標の相関がそれぞれ0.44、0.33、0.22、0.29、0.39であり、他の24か国をまとめた場合の相関0.09、0.08、-0.02、0.08、0.10と比較して、顕著に高かった。また、5つの指標すべてで有意な相関がみられた国は米国の他に存在しなかった。このことから、Hornseyらは、気候変動の科学を信じるか否かが世界観やイデオロギーに強く結びつくのは米国の政治文化に特有のものであり、世界的な現象ではないことが示唆されると述べている。

[3] 日本では、懐疑派的であることとの相関は、「右派」が有意(相関0.20)だが「保守」が有意でなく(0.04)、「陰謀論」は有意でないものの相関は比較的高く(0.12)、「個人主義」(0.06)と「階級主義」(-0.05)は有意でなかった。米国など多くの国では「右派」と「保守」はよく対応するが、日本ではそうでもないようだ。自民党は「保守政党」でありながら「大きな政府」志向であるなど解釈はいろいろある。本調査では、「左か右か」と「保守かリベラルか」は自己認識(あなたは自分が左だと思いますか、右だと思いますか、など)を聞いているので、そもそも「右」とは何か、などで相当紛れがあるだろう。陰謀論については、有名な4つの陰謀論(ケネディ暗殺、ダイアナ妃の死亡、新世界秩序、9/11テロ)をとりあげ、陰謀論を信じるかどうかを調査で質問している。日本の傾向は、米国と比べたときに差が有意でなかったとされているが、そこそこに高い相関だろう。

3.気候危機問題を道徳的に判断する上での心理学的な疎外要因

また、人間が気候危機問題を道徳的に判断する上での心理学的な疎外要因については、今から12年前の2012年にEzra M. Markowitzと Azim F. ShariffがNature Climate Changeに発表した研究もある[4]

この研究によると、人間が気候危機問題を道徳的に判断する上での心理学的な疎外要因は以下6点ある。

【人間が気候危機問題を道徳的に判断する上での心理学的な疎外要因】

●低解像度要因[5]

気候危機問題は、直観的には認識しにくい。なぜなら、原因が見えないからである。石炭や石油等の化石燃料の燃焼によって温室効果ガス(greenhouse gases;以下GHGと略称)が排出され、気候変動が生じる「温室効果(greenhouse gas effect)」の仕組みを座学で学び、理屈では頭で理解しているつもりであっても、その具体的なつながりを誰もこの目で見ることが出来ず、また、直接的な自分自身の身体への健康影響ももたらさない特性がある。しかも、人間活動の直接的な影響の有無に関係なく、一般に気候自体は常に変動している。そのため、人間活動と気候危機問題との間の因果関係が明確ではない複雑さと曖昧さがある。この点で、汚染物質が原因で生じる四日市公害問題等の大気汚染や水俣病問題等の水質汚染などの環境問題とは性質を異にする。特に、もともと環境問題に無関心であったり、知識習得自体に消極的な人々や、論理的に思索する習慣がない低解像度の人々にとっては、脳を使って主体的に問題の本質を抽象的な思考能力を駆使して論理的に理解しなくてはならないので、能動的に考えたり、問題意識を継続することに疲労感も伴い、多忙な日々の生活の中で、そもそもやっかいで億劫でもあるで、気候危機問題に向き合うこと自体が面倒になり、「自分にとっては不要不急の問題」として、自然と忌避するようになる[6]

●責任追及動機不在要因[7]

人間は、自分自身に直接危害を与える明らかに意図的な悪意には反応するが、気候変動の元凶たるGHGを排出する多くの加害者は、概して無自覚で意図的ではないため、その行動はなかなか責めにくい。先日のトランプ前大統領銃撃暗殺未遂事件のような明らかな凶悪犯罪に対しては、加害者が明確であることもあって、毅然と批判し、罪を追及する人々も、ともするとその責任の所在があいまいで、自分自身も加害者かもしれない可能性が十分推察される気候危機問題の責任追及に対しは、なにかと及び腰になる。しかも、駐車違反のように、直接自分自身に対して罰金等の社会的制裁や経済的損失が及ばない気候危機問題については、ついつい二の次になってしまう傾向がある。

●罪悪感バイアス要因

普段無自覚であったにも関わらず、いったん自分たちの日常の活動から排出されているGHGが気候変動の元凶であると指摘されたり理解するようになると、生真面目な人に限って、自責の念にかられ、防衛的に、極力こうした話題を避けるようになったり問題から意識を逸らすようになる。こうした「罪悪感バイアス(guilt bias)」は、大同小異、誰しもがもっており、人によっては、煩わしさや、反発や反感を覚える人もいる。

●不確実性要因

気候危機問題には、不確実性要因が常に伴う。気候危機自体がもたらすリスク自体や、その原因たる人間の経済活動と結果としてもたらされる温暖化等の諸問題の間のトランスミッションメカニズムや、気候危機問題に対する対応策やその技術の有効性については、あいまいで、先行き不透明な部分が多くあり、常に不確実性が伴う。しかも、全球的に人類が協働して取り組む問題であるがゆえに、諸外国の政策の多様性にばらつきもあり、一部の国が無作為のまま便益だけを享受する「タダ乗りリスク(free riding risk)」等の問題もあるため公平性が担保できず、協働歩調を取ることは容易でなく、かつ全球的問題ゆえに射程範囲が広大で、常に漠とした判然としない部分が伴う。

そのため、ともすると、人々は、自分に都合よく解釈する傾向がある。そして、「自分が責められている」という「自責の念」を抱く事による自分自身の精神的負荷を極力軽減するように、無意識のうちに、「楽観バイアス(optimism bias)」[8]によって、気候危機リスクやコストを過小評価し、自ら被るストレスを軽減させ、同時に、気候危機への対応策や技術を過大評価し、なんとかなるだろうと、根拠なく解決可能性に過剰期待することが多く、また、「誰かがやってくれるだろう」と、他力本願的な意識に流れやすく、結果的に、根拠なく、楽観的に、事象を解釈する傾向がある[9]

●低道徳感度要因[10]

「リベラルは、気候危機問題を重視し、保守は、軽視する」とよく言われている。気候変動リスクに関する情報を理解する上で、価値観や世界観、政治的な党派心などがフィルターとして作用している。また、個人的文化的価値観は、気候変動リスクについての考え方と同様に、気候危機への適応策についての考え方にも大きく影響する。概して「リベラル」と「保守」の人々では心理的な道徳基準への感度が異なり「リベラル」の人々は、「公正」や「ケア」を重視するのに対して「保守」の人々は、「権威」「忠誠」「神聖」を重視する傾向がある。

特に、米国では、民主党のように、往々にして「リベラル」の人々は、利他的で自己超越的な価値観を重視する人が多く、気候変動を自分の価値観を脅かすリスクとして認知し、緩和策を支持する傾向があり、気候変動によって生じ得る社会的な不公正を懸念して行動しなくてはならないと考える人の方が優勢であり、気候危機問題を真摯にとらえ、迅速な対策が急務であると考える傾向が強いのに対して、一方、共和党のように、「保守」の人々は、社会的にも対処する仕組みが整えられておらず、また、個人の利益や多くの社会勢力が現状維持を望んでいることからも、喫緊に対処しなくてはならないと考えにくいと考え、気候危機問題を軽視したり、その対策を敵視する傾向が強い[11]

●NIMBY要因[12]

気候危機問題のリスクが顕在化するのは、長い時間を経過した将来の問題であることも多く、また、気候危機の被害を直接被る地域には、相対的に先進諸国よりも自国から遠く離れた途上国が多く、特に解像度の低い人々にとっては、「気候変動問題は、まだ先の将来のことで、しかも、遠いところで起る問題である」と認識される傾向があり、とかく空間的にも時間的にも「他人事」になりやすく、「自分事」になりにくい。換言するなら、時間的にも空間的にも、自分に直接危害が及ばない限りどうでもよいという「NIMBY(Not In My Backyard;我が家の裏庭には置かないで」の感覚になりやすい。特に、人間には自己が所属する「内集団」と、自己が所属していない「外集団」を線引きして区別し、「内集団」を贔屓し優遇する「内集団バイアス(in-group favoritism, in-group bias)」があるため、現在ではなく将来の、しかも、遠いところの誰かの存在を「外集団」と見做す傾向が高く、そこで起こってる気候危機問題のリスクに対して共感が働かない。特に、こうした傾向は、保守的な価値観の人々に多い。

こうした一般市民の気候変動リスクに対する認知度の研究としては、比較的大規模な定量的調査が先進国を中心に数々報告されている[13]が、概ね、多くの先行研究の結論としては、一般市民は、目先の自己の損得に関わる事象に比べ、気候変動リスクを、自分自身に関わる喫緊の課題とは感じていない傾向があることが報告されている。気候変動によるリスクは、大半の被験者にとって、遠い将来に、自分から遠い地域に、あるいは他の動植物に影響を及ぼす脅威と感じられており、残念ながら、多くの人々にとって、気候危機問題は、「他人事」であって「自分事」ではないのである。

人間が気候に影響を与えていることは依然として感覚的かつ直接的に理解することが難しいため、同様にその対処の方法についても感覚的に理解することが難しく、自分自身が地球規模の問題に関与できると思えないという感覚や、また、温室効果ガス排出削減行動を採ったとしてもその効果をすぐには実感できないと感じている人も多いる。さらに、気候危機やその影響については、常に対立する論拠や懐疑論が主張される余地が残る。

[4] Ezra M. Markowitz. Azim F. Shariff(2012)” Climate Change and Moral Judgment”(Nature Climate Change) Converging evidence from the behavioural and brain sciences suggests that the human moral judgement system is not well equipped to identify climate change — a complex, large-scale and unintentionally caused phenomenon — as an important moral imperative. As climate change fails to generate strong moral intuitions, it does not motivate an urgent need for action in the way that other moral imperatives do. We review six reasons why climate change poses significant challenges to our moral judgement system and describe six strategies that communicators might use to confront these challenges. Enhancing moral intuitions about climate change may motivate greater support for ameliorative actions and policies.

[5] 英国で 2002 年に英国民を対象として実施された調査では、気候変動リスクを含む5つのリスク事象(他は、放射性廃棄物、遺伝子診断、携帯電話の電磁波、遺伝子組み換え食品)について、他の個人的・社会的な事柄と併せて計 25 項目の重要度を尋ねて比較したところ、放射性廃棄物については比較的重要度が高く位置づけられたものの(12 位)、気候変動(20 位)を含む他のリスク事象は、個人的・社会的事柄と比較して、重要度が低いと評価された(Poortringa & Pidgeon 2003)。また、米国で実施されている調査からも、国として取り組むべき政策として、地球温暖化は優先度の高い課題であると回答した被験者は 4 割に足らず、経済、医療、財政赤字、社会保障、教育の方が、地球温暖化よりも優先度が高く評価されている(Leiserowitz et al. 2013)。

[6] 一国の温室効果ガスの排出でさえ、すぐに気候に影響するわけではなく、長期間の蓄積により、大気や気象や、転じて、地形、生態系、社会システムに非常に多岐にわたる影響を及ぼす。さらに、気候変動のパターンには、システマティックな要素と偶発的な要素が作用しており、気候システムの変動性や長期的な傾向の振り幅が大きい。個人では、これらの影響を継続して観測することはできず、まして温室効果ガスの排出と関連づけて理解することも難しい(Moser 2010)。これまでの心理学研究の知見からは、個人的な経験から学ぶ場合と、数字やグラフなどにより統計的に示されて学ぶ場合では、理解の仕方が異なり、個人的な経験から学ぶ方が、個人の関心と信頼を得られることが指摘されている。気候変動リスクは、シミュレーションによって評価されるリスクであり、まさに個人的な経験から学ぶことが難しい事象であるといえる(Weber 2010)。

[7] 定量的調査に続く定性的調査の結果では、携帯電話、遺伝子検査、遺伝子組み換え食品については、消費者として個人に選択権があり、個人にリスク管理の責任がある、政府の責任はわかりやすい情報を提供することと考えられている。それに対し、気候変動、携帯電話の電波塔、放射性廃棄物、遺伝子組み換え作物のリスクについては、個人の行為はほとんど効力がなく、政府が責任を持つべきと考えていることが報告されている(Bickerstaff et al. 2008)。

[8] Sharot, T. (2011). The optimism bias. Current Biology, 21, 941– 945.

[9] 提示された証拠の多義性が、積極的に対処することを先延ばしにする言い訳になっているという指摘もある(Renn 2011)。

[10] 社会的にも対処する仕組みが整えられておらず、また、個人の利益や多くの社会勢力が現状維持を望んでいることからも、喫緊に対処しなくてはならないと考えにくいという指摘もある(Moser 2010)。2014 年に実施された米国民を対象とした調査では、人類が気候変動のもたらす課題に対処する意思や能力をもっていると答えた被験者は7%に過ぎなかった(Leiserowitz et al. 2014)。気候変動リスク認知の形成因を個人の特性から分析する研究としては、個人の有する道徳的価値観との関係性についての調査研究が蓄積されてきている。社会心理学分野では、Schwartz (1992)の価値概説などを参照した、さまざまな価値分類が提起され、個人の価値観と気候変動リスク認知や、緩和策への支持との関係などが分析されている。Schwartz(1992)は、56 の普遍的な価値を同定し、10 の価値類型にまとめ、二対の対抗関係にある4つのクラスターに分類した。「変化への開放性(Openness to Change)」対「保守(Conservative)」、「自己超越(Self-transcendence)」対「自己向上(Self-enhancement)」である。これらの価値観と気候変動リスク認知の関係を分析した研究からは、利他的で自己超越的な価値観を重視する人ほど、気候変動を自分の価値観を脅かすリスクとして認知し、緩和策を支持する傾向があることが報告されている(e.g. Dietz et al. 2007)。利他的、自己超越的な価値観を持つ人の中には、環境への影響を懸念して気候変動に対処するために行動しなくてはならないと考える人もいるが、気候変動によって生じ得る社会的な不公正を懸念して行動しなくてはならないと考える人の方が優勢であるという報告がある(Howell2013)。また、伝統的な価値観については、気候変動の影響について懐疑的に考えることと相関するという報告が出ている(Thompson & Barton 1994)。これまで、米国の調査研究からは、政治的な志向(保守か、リベラルか)によって、気候変動リスク認知に二極化が生じていることが報告されている(e.g. McCright & Dunlup 2011)。伝統的な価値観と、気候変動リスク認知との関係性は、政治的な保守主義と懐疑主義との関係性についての説明の一端を担っている(Corner & Pidgeon 2014)。また、自分と近い価値観を持つ人と自分の考えを近づけようとすることや、熟議に参加することにより、他者の視点に触れ、より利他的な価値観を持つようになることも指摘されている(Ditez 2013)。さらに、イェール大学を拠点として、文化人類学の文化理論(cultural theory)と計量心理学研究(psychometric)とを融合した、リスクの文化認識(cultural cognition)についての研究が進められており、個人レベルで生じるさまざまなリスク認知に関わる心理学的なメカニズムが、文化的な価値観(階層主義-平等主義、個人主義-共同体主義の二つの軸によってスコアリングする)によってどのように影響を受けるかについての検証が重ねられている。リスクの文化認識の研究からは、一般市民が気候変動リスクについて無力感を感じるのは、しばしば理解不足に因るものと論じられるが、科学リテラシーや数学能力など専門的な論拠の習熟度と気候変動リスク認知との関係を、米国民を対象として検証したところ、科学リテラシーや数学能力が上昇するほど、気候変動リスクへの懸念は減少し、さらに、科学リテラシーの高い人ほど、文化的な価値観による二極化が生じていること、文化認識と政治的な志向は緩やかではあるが相関するが、文化認識が気候変動リスク認知に及ぼす影響は、政治的な志向だけでは説明することができないことが報告されている(Kahan et al.2012)。これらの研究から、価値観や世界観、政治的な党派心などが気候変動リスクに関する情報を理解する上で、フィルターとして作用していることが示唆される。Stern et al.(1995)は、気候変動のように新たに生じた問題に接すると、個人は、この問題は自分が最も重要と思う問題とどのように関係するかを自問し、気候変動リスクについての考え方や感情は、この最初に自問した結果にもとづいて形成され、気候変動対策への関与や政策の支持に影響すると論じている。また、個人的、文化的な価値観は、気候変動リスクについての考え方と同様に、気候変動への適応策についての考え方にも大きく影響することが報告されている(Adger et al. 2011, 2013; O’brien & Wolf 2010; Wolf et al. 2013;Corner & Pidgeon 2014)。

[11] 米国共和党の気候変動リスクに対して懐疑的で消極的なスタンスの象徴的存在が、今年2024年11月の大統領選候補のドナルド・トランプ前米大統領である。すでにトランプ氏は、2016年の大統領選挙の選挙運動中から、地球温暖化対策の国際的な枠組みである「パリ協定」から脱退することを公約に掲げ、実際に大統領に就任すると直ちに実行に移した。現職大統領時代の2018年11月26日、米政府がまとめた気候変動が米経済と米国民の健康に深刻な損害を与えると警告した気候変動報告書について「信じない」と発言している。また、「気候変動問題は中国が米国の競争力をそぐためにつくりあげたもので、でっちあげ」「環境保護庁の規制は厳しすぎる。エネルギー企業を復活させ、競争できるようにする」などとも述べている。さらに、今年になってからも、トランプ氏は「化石燃料を掘って掘りまくってエネルギーコストを下げる」「ドリル、ベイビー、ドリル(掘って、掘って、掘りまくれ)!」等と発言を繰り返し、雇用を生み出すためだなどとして、アメリカの石油・天然ガス産業を後押しすると主張している。2期目に向けた公約サイト「AGENDA47」に掲げるエネルギー政策でも、ことごとくバイデン政権の積極的な気候危機政策に対して真っ向から反対している。

[12] 気候変動を含む環境問題は、知識が行動につながりにくいことが知られている。共有資源(common-pool resources)の管理についての問題提起(e.g. Ostrom 1990)にもあるように、個人の行動は、個人の考えや意図だけでなく、社会的なインセンティブやフィードバックによって導かれるため、個人の貢献が、自分から見ても他人から見てもごくわずかだと感じられる場合、あるいは個人の犠牲が他人の過剰消費によって相殺される場合、意図に反した行動に導かれる。気候の安定は、典型的な公共の利益であり、誰もがこの利益から排除されることもないが、個人で貢献できる範囲はごく限られている。他の人が対策行動を採らないのであれば、自分が実行しても効果は小さく、また実行しない事による罪悪感も小さいことが、積極的にリスク対策に関与しようという行動を阻害する(Renn 2011)。また、気候変動リスクの対策に認識面、感情面、行動面で関与することにつながらない理由について、Lorenzoni et al.(2007)は、様々な個人的な障壁(e.g. 情報源に対する不信、他者への責任転嫁、技術への期待、生活を変える事への抵抗など)や、社会的障壁(e.g. 政府機関、国際機関、産業界の行動の欠如など)があることを指摘している。さらには、一般市民が気候変動リスク管理については他人に委ねたいと考える要因について、一般市民が気候変動リスクについて知る、主たる情報源である大手メディアによる影響を挙げている報告がある。大手メディアは、一般市民が気候変動リスク対策の政策決定に自ら影響を及ぼすことが難しいと感じるような言説や表象を報道する傾向があり、市民が政策決定に能動的に関与するアイデンティティを築くことを阻害しているという指摘である(Carvalho 2010)。

[13] Wolf& Moser(2011)Leiserowitz et al.(2014)。

4.「情報の非対称性」と「外部性」問題

以上、人間が気候危機問題を道徳的に判断する上での心理学的な疎外要因等について論点整理してきたが、一連の先行研究の結果、明らかになったことは、一般市民は、目先の自己の損得に関わる事象に比べ、気候変動リスクを、自分自身に関わる喫緊の課題とは感じておらず、気候変動によるリスクは、大半の被験者にとって、遠い将来に、自分から遠い地域の脅威と感じ、気候危機問題は、「他人事」であって「自分事」ではないことである。

特に、気候危機問題については、理念上かつ倫理上、一定の理解を示し、相応の問題意識を抱いていても、日ごろから省エネに尽力するとか、住宅の屋上に太陽光パネルを設置するとか、自動車をEVに切り替えるとかの具体的行動に踏み出す人々は一定数以上には伸長・拡大しないのが実態であり、政治行政への働きかけや選挙投票行動においても、政策面では、直接的かつ日常的な些末な自分自身の損得に直接影響が及ぶ事象の方に強い関心があり、選挙の際の投票でも、自分の雇用や消費、教育、社会福祉サービス等、直接自分自身の生活に影響を与えるテーマで投票する候補者を判断するが、気候危機政策を積極的に訴えているから投票するという人々は一定数の人々に限られているのが実態である。

それでは、なぜ、気候危機問題は、「他人事」なのか。この難問は、どう解決したらよいのであろうか。

結論から言うと、この問題は、「情報の非対称性(Information asymmetry)」[14]や「情報の不完全性(Information incompleteness)」あるいは「外部性(externality)」問題と同義であると言える。この問題の解決なくして、気候危機問題の真の解決はないと考える。「情報の非対称性」とは、人類社会の構成員の間で、保有する情報との間に質的・量的に格差が生じている状況をいう。「外部性」とは、本来自分の問題にも関わらず、「自分事」と認識しない状況をいう。

一般市民にとって、気候危機の結果、自分自身の生活や健康や人生そのものにどのようなマイナスインパクトがあるのか、具体的な貨幣的裏付けのある明示的な損害額やコストとして明示的に示され納得・理解できない限り、「自分事」ではないままスルーされてしまうのが実情である。換言すれば、気候危機のリスクとコストに関する情報の量と質が、企業や行政当局の認識と、一般市民の認識との間に大きなギャップがあるのである。これを「情報の非対称性・不完全性・外部性」問題と呼んでいる。
例えば、気候危機問題分野に関連して例示してみよう。化石燃料を大量に使用し大量のGHGを排出している企業は、当然のことながら、自社の事業のことであるから、自ら排出するGHGを正確には把握・認識できる立場にある。仮に、企業A社が、本来ならGHG排出削減に注力すべき立場にあるにも関わらず、自社の対策費用支出を惜しみGHG排出削減努力を怠り、真面目にGHG排出削減努力をしている同業他社B社製品より多くのGHGを排出する競合商品を市場に出しているとする。その場合、A社製品は、対策費用を節約した分だけ、B社製品より安い価格で、価格競争力優位な立場で市場に商品を出せるため、売上高が拡大する。A社は自社に不利になるGHG排出データを開示していない。このデータを「隠された情報(Hidden Information)」と呼ぶ。方や、真面目に対策を講じているB社の製品は、対策費用を価格転嫁している分だけA社に比べて販売価格が高く売れなくなる。この際、その実態を知らない消費者Cと企業A社の間に「情報の非対称性」がある。消費者Cが価格でしか購買判断の価値基準をもたない場合、A社は、この「情報の非対称性」によって自社製品を有利に販売できる。逆に、B社は、自社の努力が報われず、市場競争で不当に不利な競争劣後の立場に立たされる。しかも、消費者C は、自分が購入したA社製品が、GHGを大量に排出している気候危機に悪い影響を与えている商品である認識はない。ましてや、こうした製品を購入すること消費行動自体が、最終的に気候危機悪化に加担しているのだという加害当事者としての自覚はない。ここに「情報の不完全性」問題がある。ただ安いからという理由だけで、気候危機への影響という要素をまったく考慮せず、無頓着に、無自覚に買っているだけなのである。

人間がこの喫緊の課題である気候危機問題を道徳的かつ冷静に判断し、適切な対応策を講じて、気候危機問題の早期解決実現を通じて、人類全体の最適状態を実現するためには、内在的に現下の人類経済社会システムが内包しているこの「情報の非対称性」を解決するしか方途はない。いままで、意図的な無意識的かは別にして、ともすると無視したり軽視したりしておざなりに「外部化」してきた気候危機問題のリスク・コストを「見える化」「顕在化」させる「内部化」作業が必須不可欠となる。それでは、このなかなか分かりにくい気候危機リスク・コストを「見える化」させ「顕在化」「内部化」させ、企業や人々に価値変容や行動変容を促すには、実際には、どうしたらいいのか。

気候危機問題のリスク・コストを「見える化」させ「内部化」させる工夫が、いわゆる「カーボンプライシング(carbon pricing)」である。具体的には、「炭素税(Carbon Tax)」[15]や炭素排出量を取引する「排出量制度(Emissions Trading System;以下ETSと略称)」等がある。

「炭素税」や「排出量制度」の導入により、排出されるGHGに金銭的な負担を課すことで、効果的に炭素排出量を規制することを目的とした政策手法である。「炭素税」や「排出量制度」は、すでに世界中で、脱炭素社会構築を目指す多くの国ですでに導入されており、導入が検討されている国も多い。今後、特にグローバルに事業を展開する企業は、こうした一連の「カーボンプライシング」に対して対応を迫られることになる。

上述の事例で「炭素税」を導入したケースを考えると、対策費用を節約し価格競争力優位な立場で市場に商品を出しているA社の製品に「炭素税」を課税して、「隠された情報(Hidden Information)」を開示し、「見える化」させ顕在化させることによって、真面目に対策してきたB社の製品との不当な価格差を解消する方法が考えられる。いままで、GHG排出コストを無視して「外部化」してきたA社が、対外的に隠してきたGHG排出コスト情報を客観的に開示し、これに対して「炭素税」負担を課することによって、GHG排出コストをA社に「内部化」することで、A社とB社との間の不当な価格差を解消し、公平性を担保すると同時に、消費者Cにとっては、公正な価値基準で購入する商品を選択できるようになる。

こうした「見える化」作業を、従来「外部化」して、自社のコストとして取り扱ってこなかったコストを、課税という外部からの強制力によって自社の内部コストとして取り扱うことになるという意味で、「内部化」と呼ぶ。かような炭素税を課すことによって、①GHG排出量減少と②省エネルギー技術開発誘引の2つの効果が期待できる。課税金額が大きいほど化石燃料需要の抑制につながり、削減量は大きくなると同時に、省エネルギー技術への投資や開発意欲も向上する。

いままで、人類は、この全球的な気候危機問題の早期解決を目指して、気候変動枠組み条約締結を礎に、長年にわたって取り組んできたが、常に、こうした協働の足かせになってきたのが、「情報の非対称性」問題であった。そして、上述の「炭素税」のような様々な「内部化」による「情報の非対称性」を解決するための試行錯誤が続けられて今日に至っている。

2015年に宣言された「パリ協定」以降、とみに近年、世界各国では、2050 年までのカーボンニュートラルを目指す動きが加速し、自国だけでなく、他国も巻き込み、世界全体でいかに実現するか、という観点から検討が進められている。欧州では、こうした全球的な観点から、すでに、気候変動対策の不十分な国からの輸入品に対して調整措置を講じる「炭素国境措置(Carbon Border Adjustment Mechanism:以下、CBAMと略称)」の本格実施に向けた移行期間が、去年2023年10月に開始している。これは、いわば貿易におけるカーボンプライシングの施策である[16]

これに伴い、欧州の輸入者は、EU域内に輸入される製品の製造過程で発生した炭素排出量等の情報を四半期ごとに欧州政府に提出することが義務付けらる。CBAMは、欧州グリーンディールとして2030年までに温室効果ガスを1990年比で55%削減するという目標を達成するための包括的な政策案である「Fit for 55 Package」に含まれる政策の1つである。2年後の2026年にCBAMは本格実施される[17]。その後、欧州における輸入者は、CBAM対象品の輸入者として登録を行い、輸入する特定の製品の含有炭素排出量に応じたCBAMコストを欧州政府に支払うことになる。しかし、こうした国別の「炭素税」や、CBAMは、あくまで部分最適にとどまる限界がある。なぜなら、GHG削減策が逆にEU以外の他地域での排出増加を招く現象「カーボンリーケージ(Carbon leakage)」のおそれがあるからである。

こうした問題意識から、一国や地域の対策ではなく、全球的な観点から、カーボンリーケージをゼロにする全体最適化を担保できる画期的な仕組みとして考えられた構想が、宇沢弘文教授[18]が提唱した「比例的炭素税」[19]と「大気安定化国際基金構想(International Atmospheric Stabilization Fund)」である。この宇沢教授の「比例的炭素税」と「大気安定化国際基金」の構想は、熱帯林を保全し、地球温暖化防止を促進しようとする、国際的かつ世代間や地域格差を配慮した理論的にも実際的にも非常に意義深い稀有な構想である。一律の炭素税を課すと、国際的な公正という観点から問題があるだけでなく、開発途上国の経済発展の芽を摘む危険があるとして、その国の一人当たりの国民所得に比例させる「比例的炭素税」を提案し、さらに、先進工業国と開発途上国の間の経済的格差をなくすために「大気安定化国際基金構想」を考え出した。この2つの構想は、いまだに世界中の多くの経済学者から支持されている。しかし、残念ながらこれまで宇沢提案は現実の政策としては受け入れられてこなかった。なぜ、現実の政策としてはまだ受け入れられるに至っていないのか。その背景には、現在の主権国家を基本とする国際社会においては、課税権は個別の国家にあることがある。中央集権的な世界政府が存在しない状況で、地球的な課題の解決に向け、国際的な課税を導入することは、国際社会にとって大きなチャレンジである。この画期的な提言は、核の廃絶と同様に、それぞれの主権国家が合意すれば、国際的な課税も理論的には可能であり、こうした制度の実現に向けて粘り強い努力を続ける必要があると考える。

なお、こうした一連の「炭素税」による「内部化」の仕組みは、徴税という納税者からみるとあまり受け入れがたい難点があり、しかも、全球的な徴税は、国家主権に抵触する困難な課題がある。それでは、はたして「炭素税」とはまったく別の、斬新な「内部化」の仕組みは、あるのであろうか。

[14] 「情報の非対称性(Information asymmetry)」とは、ある主体Aと他の主体Bの間に情報格差があることをいう。なお、「情報の非対称性」には、「隠された情報(Hidden Information)」と、「隠された行動(Hidden Action)」の2種類が存在する。まず、前者の「隠された情報」とは、ある主体Aがもつ情報と他の主体Bがもつ情報との間に質的・量的に格差が生じている状況をいう。主体Bよりも質的・量的に優位な情報を保有する主体Aが、自身の手元情報を主体Bに対して隠すことで、自己にとってより有利な条件で振る舞う可能性がある。この場合、主体Bは、本来主体Aの手元情報を知り得ていたら、さらに有利な判断と行動をできたにもかかわらず、この「情報の非対称性」のために不利益を被るリスクがある。また、後者の「隠された行動」とは、主体Aと主体Bの間に、事後的にも情報格差が生じている状況をいう。主体Aは、主体Bよりも情報を多く有している。そこで情報の非対称性が生じた場合、主体Bが手元の限られた情報だけ判断し自分自身にとって望ましくないリスクの高い行動をしてしまうリスクがある。このような問題を「モラルハザード」という。(参照)Akerlof, G. A. (1970)” The market for lemons: Quality uncertainty and the market mechanism”(Quarterly Journal of Economics 84: 488-500)

[15] 「炭素税(carbon tax)」は、化石燃料の炭素含有量に応じて国などが企業や個人の使用者に課す税金であり、排出したGHG(二酸化炭素等)の量に応じて課税される。炭素税は、化石燃料の価格を引き上げることによって環境負荷を抑え、さらにはその税収を環境対策に利用することにより、地球温暖化の原因であるGHG排出量を抑えることを目的としている。対象となる化石燃料は、石炭・石油・天然ガス及びそれから由来するガソリン(揮発油)、軽油、灯油及び重油などの燃料である。また、 化石燃料を使った商品に課せられる場合もある。GHG排出削減に努力した企業や個人が得をし、努力を怠った企業や個人はそれなりの負担をすることになるという、脱炭素社会実現への努力が報われるという仕組みである。特に税制中立型環境税の場合、GHG削減コストは企業や個人に課されるものの税収はそのまま国民に還付されるため、脱炭素に取り組めている企業や個人は新たな税負担が生じないことが従来のエネルギー税制との大きな違いとなっている。限界被害額と同額の税金を課税するため限界均等化原理が満たされるため、炭素税では削減の経済効率性が実現される。ちなみに、1人あたりが負担する課税額は、厳密にいうと、理論的には、外部性(社会的費用)からが決まることになるが、実際には、社会全体の限界費用の曲線を求めることは困難である。世界で初めて炭素税を導入した国は、フィンランドで、いまから34年前の1990年に炭素税を導入した。日本では、環境省が中心となり環境税が2004年、2005年と検討されたが、産業界の強い反対や環境税の効果を明確に示すことができなかった等の様々な理由で導入までには至らなかった。2012年には、特別会計の財源となる地球温暖化対策税「地球温暖化対策のための税」が導入された。

[16] 欧州では、既に19年前の2005年から「欧州域内排出量取引制度(European Union Emissions Trading System ;以下EU ETSと略称)」の運用が開始された。EU ETSの導入により、欧州域内での生産行為で排出されるGHGに一定の排出枠が設けられたほか、企業による排出枠の売買が義務付けられた。一方で、世界には気候変動対策を積極的に進める国とそうでない国がある。EU ETSの導入は規制の緩い域外への生産移転や、輸入品への依存を引き起こすおそれがあった。そのため、このような「カーボンリーケージ(GHG削減策が逆に他の地域での排出増加を招く現象)」のおそれがある一部の産業分野については、無償枠割当を行うことでそのリスク対策が採られてきた。しかしながら、当該無償枠割当は、気候変動対策を強化するため、2026年から段階的に削減され、2034年以降は撤廃される予定で、そのため、新たなカーボンリーケージへの対策として、EU ETSの無償枠の段階的削減と並行する形で、CBAMが導入されることとなった経緯がある。

[17] EUは、2年後の2026年から、鉄鋼、セメント、電力などの炭素排出量が多い製品の輸入に対し、そのGHG排出量に応じた負担を課す炭素国境調整措置(Carbon Border Adjustment Mechanism:以下、CBAMと略称)を本格導入する。

[18] 宇沢(宇澤) 弘文(うざわ ひろふみ、1928年〈昭和3年〉7月21日 – 2014年〈平成26年〉9月18日)、経済学者。専門は数理経済学。意思決定理論、二部門成長モデル、不均衡動学理論などで功績を認められた。シカゴ大学ではジョセフ・E・スティグリッツを指導した。東京大学名誉教授。位階は従三位。いまから10年前2014年9月18日逝去された(享年86歳)。宇沢の「社会的共通資本」は、自然環境、社会的インフラストラクチャー、そして医療や教育などの制度資本から構成される、人間が人間らしい生活を営むために、重要な役割をはたすものである。これらは社会の共通の財産として社会的に管理していこうと宇沢は提言した。社会的共通資本は、市場的な基準や官僚的管理によって支配されてはならず、社会的な基準に基づき、それぞれの職業の専門家によって、専門的知見に基づき、職業的規律と倫理にしたがって管理・運営されねばならないとしている。宇沢先生の提唱された「社会的共通資本」の概念は、政策の立案や選択のための重要な制度的、政策的分析の基盤を与えるとともに、新たな時代を切り開くパラダイムとなっているといえる。ただし、現実の社会において、それぞれの社会共通資本の管理の在り方をどのように設計していくべきかについては、今後の重要な課題である。

[19] 炭素税率を 1 人当たり国民所得,またはそれ に関連する国民経済的指標に比例させる徴税の仕組み。 比例的炭素税のもとでは,発展途上 国もあまり大きな負担を感じることなく参加でき、しかも地球温暖化を効果的に防ぐこと ができる。

5.「炭素通貨」による「科学的合理性」と「社会的合理性」の統合

我々の人間社会に、気候危機コスト等の環境要素を「内部化」させるため最も有効で簡単な手段は、環境負荷を誰しもが共通に認識できる情報にすることである。その内部化の手段は、上述した「炭素税」等もあるが、課題がある。その課題を解決できる代替案の中でも、最も注目されている画期的な方法が、「地球環境本位制」に基づく新たな環境通貨とも呼ぶべき「炭素通貨(Carbon Money)」である[20]

「炭素通貨」は、経済システムにおける血液の役割を果たしている通貨に、最も典型的な地球環境ファクターであるGHG排出権を内部化させて、人類の経済行動の中に、有限で脆弱な地球環境に対する配慮行動を喚起する仕掛けを内包した通貨である。従来外部的存在として捨象してきた気候危機コストという地球環境要素を、人類経済システムの中に「内部化」させる重要な役割を果たす。まさに地球環境本位制の意義がそこにある。時に二律背反的な性質も内包する「混ぜるな危険」の関係にある「科学的合理性」と「社会的合理性」の2要件をともに充足しうる処方箋が、「炭素通貨」である。

「炭素通貨」は、決して最新の概念ではない。端緒は、英国にある。英国では、既にいまから16年前の2008 年 2 月に、当時のブラウン首相が「炭素銀行(Carbon Bank)」構想を発表している。環境当局やオックスフォード大学等関係研究機関を中心に「炭素通貨」の研究が始まっており、「炭素通貨」の実用化研究として、既に、IC カードを使って家計部門にGHG排出権を割り当てる「個人向カーボン・クレジット・カード(Personal carbon credit card)」実用化の pre-feasibility study も始まっている[21]

「炭素通貨」は、すでに現に世界中の排出権市場で取引されているGHG排出権を「通貨」として応用したものである。このGHG排出権取引制度とは、全体の温室効果ガス排出量にキャップ(上限)をかけ、その中で、排出枠を取引することを許すことによって、最も費用効果的な排出削減の達成を可能にする制度である[22]。欧州連合(EU)の排出量取引制度等でも採用されている排出量取引制度の最も一般的な形式である「キャップ・アンド・トレード・システム(cap and trading system)」を前提にしている[23]

この「炭素通貨」の全球的な進化形が「グローバル・パーソナル・カーボン・カード(Global Personal Carbon Card)」である[24]。まだ、構想段階ではあるが、「炭素通貨」は、世界炭素銀行(仮称;Global Carbon Bank; 以下GCBと略称)が一元的に発行する場合を想定している。炭素通貨は、全世界の人類が、平等公平に受け取れることを想定し、すべてデジタル通貨である。ドルやユーロ、円等の既存の法定通貨との併用を前提としている。「グローバル・パーソナル・カーボン・カード」は、以下の2つの重要な存在意義をもっている。

●「世界共通通貨」としての意義 ~「情報の非対称性や不完全性」問題からの解放~

1つは、国家を超越した新次元の「世界共通通貨(Global Common Currency)」としての意義である。世界中の諸国民が、国家や言語、宗教の呪縛から解放され、「地球人」として、対等公平に使える通貨であることによって、国家間や人類間の「情報の非対称性や不完全性」からも解放される。同時に、世界共通通貨であることによって、従来型の覇権国家の基軸通貨による様々な国際通貨問題のジレンマからも解放され、国際通貨問題等を含めた様々な資本主義システムの問題の解決への貢献も期待できる。

●「地球環境通貨」としての意義 ~「外部性」問題からの解放~

もう1つの意義は、地球環境に本位した「地球環境通貨」としての意義である。人間の社会システムに地球環境要素を「内部化」することによって、「外部性」問題から解放され、気候変動問題解決に貢献できる点にある。有限な地球環境と紐付けることで、無限増殖を続けようとする人類の果てしなき欲望に制約をかける仕組みである。つまり、現下の資本主義システムを「環境化(environmentalization)」することにより、人類の経済行動の中に有限で脆弱な地球環境に対する配慮が生まれ、それが短期的で急激な成長拡大を制動し、行き過ぎた過剰投資・過剰消費・過剰廃棄行動を押さえるペースメーカーとなり、人類にとってもっと健全でゆっくりと穏やで持続可能な生活風景をもたらし、気候危機問題等を含めた現下の様々な地球環境問題の解決への貢献も期待できる[25]

いかにして人類の貪欲な価値観や行動様式を見直し、一定の定常状態が維持される循環型の仕組みをつくるかが、最重要課題となる。理念的には理解できても、抽象的で漠然としており、また内部化すべき「地球環境」と言っても、何が最適な変数のか、具体性に欠ける。また「環境要素を内部化した環境通貨」といっても、ピンとこない。一方で、貨幣の要件は、「量が安定していて価値変動が激しく不安定でない財」で、かつ「世界中の誰もがその価値を認め、世界中の誰もが簡単に共通の尺度で認識でき、安心して交換できる財」であることが最低条件で、そして「極力運送コストがゼロ」に近いものが望ましい。換言するならば、昨今の電子マネーの興隆にも鑑み、瞬時に移転できうる「デジタル記号化できる財」が望ましい。それでは、はたして、そのような要件をすべて満たす「地球環境通貨」が、実際にあるのだろうか? 実は、それが「カーボン」つまり「炭素通貨」なのである。CO2はリオデジャネイロでもNYでもパリでも同じCO2であり、しかも、ありがたいことに、すでに現に排出量取引市場で取引されているGHG排出量は、一種のデジタル信号となっている[26]。移転費用はゼロである。「カーボン」を「国際通貨」として検討する理由がここにある。

炭素通貨は、国家を超越する。なぜなら、カーボン(二酸化炭素)等のGHGは国境を越えて世界中に存在するからである。炭素通貨は、世界中の人々が、国家と言う枠組みを超えて、直接結びつくグローバルネットワークのキーエレメントとして、従来の国家を前提としてきた人類経済のパラダイムを、地球市民を前提としたグローバルパラダイムに転換する重要な革新性を持っている。

そのグローバルな属性に鑑み、国際通貨であること、すなわち、「グローバルな炭素通貨(global carbon money)」であることが求められる。人類の経済活動において長らく君臨してきた通貨も、国家や地域が発行する従来型の法定通貨の枠を超越し、世界中の人々が、1人の「地球人」として、地球市民として、公平に保有する世界共通通貨として炭素通貨が登場する素地ができつつある。国際通貨の要件は、世界中の誰もがその価値を認め、世界中の誰もが簡単に共通の尺度で認識でき、安心して交換できること、全体の発行量と価値変動が安定していることである。そして、極力運送コストがゼロに近いものが望ましい。昨今の電子マネーの興隆にも鑑み、瞬時に移転できうるデジタル記号化できる財が望ましい。このカーボンこそが、そのような要件を満たす通貨である。現に排出権市場で取引されているカーボンはデジタル信号であり、移転費用はゼロであり、国際通貨としての属性を既に有している[27]

[20]「炭素通貨」構想の発祥地は、英国である。(出所)古屋力(2009)「英国の炭素通貨構想-地球環境に優しい未来志向的な通貨システムについての一考察-」、-(2011)「炭素通貨論:持続可能な低炭素社会における新しい国際通貨システムの展望(Carbon Money:An Inquiry for the New International Monetary System in the Sustainable Low Carbon Society)」(大阪市立大学経済学会經濟學雜誌)、-(2011)「炭素通貨―持続可能な低炭素社会構築のための金融面からのアプローチ」(環境統合経済―CEIS40周年記念特集号)、-(2011)「国際金融秩序の展望」(『国際政治経済を学ぶ』ミネルヴァ書房)等。https://www.iima.or.jp/docs/newsletter/2009/NLNo_19_j.pdf

[21] 英国は、2008 年気候変動法によって、温室効果ガス(GHG)削減目標を世界で初めて法制化した。同法は、2050 年までに GHG 排出量を 1990 年比 80%削減する目標やカーボンバジェットの設定、気候変動委員会(Climate Change Committee: CCC)設立等を定めている。カーボンバジェットとは排出量の上限であり、政府は 2008 年から 2050 年までの間、12 年先まで 5 年間ごとのカーボンバジェットを設定するとされている。

[22] 排出権取引は、英国で2002年4月に世界初の国内取引市場ができて以来、2005年1月からEUが開始し、いまや世界中で取引がされている。この制度では、自分の排出枠を、実際の排出量が上回った場合、基本的に自力で削減するか、排出枠を他所から買ってくるかの2択がある。国際復興開発銀行(世界銀行)によれば、導入国はすでに約40カ国にのぼっている。欧州連合(EU)の排出枠には、様々なオプションも用意され、排出権取引の排出枠は、価格上昇を見込んだヘッジファンドの取引なども行われており、金融商品としての可能性が高まっている。

[23] 削減目標を達成するために温室効果ガス排出量にキャップ(限度)を設け、その枠内に収まるようにトレード(取引)することから、「キャップ・アンド・トレード・システム(cap and trading system)」と呼ばれている。

[24] 「炭素通貨」の進化形である「グローバル・パーソナル・カーボン・カード」具体的なイメージは、以下の通りである。
世界炭素銀行(仮称;Global Carbon Bank; 以下GCBと略称)は、「パリ協定」の目標設定を念頭に、人類に許容されているその年の1年分の世界全体の年間温室効果ガス排出許容割当量(Carbon budget)を定め、その中の家計部門割当量を全世界の人類全員に一律等量で公平按分し、その1人あたり年間排出許容量をチャージしたカーボン・カード(Global Personal Carbon Card)を、期間開始前に、全人類に、公平に一律無償配布する。カーボン・カードを受領した人々は、愛車にガソリンを入れる際等の日常的な消費行動の際に、ガソリン代金等の支払い等の決済と共に、カーボン・カードによって相当量の温室効果ガスをカーボン決済することが義務付けられている。あらかじめ、商品ごとに、その商品の生産に要した温室効果ガス値が、設定されており、決済時に初品ごとに自動的にカーボン決済額が請求される仕組みができている。個々のカーボン決済の都度、個人の炭素勘定(Carbon Account)から、使用分が引き落とされる。個人炭素勘定から引き落とされたカーボンは、瞬時に世界炭素銀行の償却勘定に同額のカーボン消費として反映される。世界炭素銀行の炭素元帳には瞬時に世界全体でその日に使用された何十億件というカーボン決済の全取引データが集計され、世界炭素銀行は、毎日世界全体でどの程度カーボンを使用しているか正確に把握でき、現段階で世界中の家計部門の温室効果ガス消費の進捗やその増加スピードを正確に観察できる。仮にB氏が、排気量が大きい高級スポーツカー(ガソリン車)に乗っていたと仮定しよう。ガソリン消費が著しいため、B氏の炭素勘定残高は8月末で底をつく。残された9月から12月まで4カ月分、自腹でこの不足分をチャージしなければ、車を運転できない。仮に、チャージ総額が40万円相当だとする。B氏は、それを一種の気候危機に加担したペナルティーとして認識し、耐えがたいマイナス・インセンティブと感じ、即座に高級スポーツカーを売却し、電気自動車に切り替えるかもしれない。一方、自動車を保有せずいつも自転車通勤しているCさんがいたとしよう。Cさんの炭素勘定は12月末になっても当初の残高のまま未使用である。翌年1月末に、Cさん個人の銀行口座には残ったカーボン残高相当の現金が振り込まれる。仮に30万円相当だったとする。それはCさんが環境に優しい生活をしてきたことに対するご褒美である。彼女は、これを、プラス・インセンティブと感じ、これを契機に、来年計画していた高級スポーツカー購入を取りやめるかもしれない。ここで注目すべき点は、Cさんに振り込まれた30万円相当の資金はB氏が支払った40万円相当の資金で十分手当てされ、単にB氏からCさんに所得移転が生じるだけで、世界炭素銀行は1円の財政負担もないという点である。やがて、対象が、ガソリンだけでなく、電気・ガス、珈琲等の一般消費財や、映画、ホテル等のサービスに拡大すれば、あらゆる経済行動がカバーされ、最終的に、世界炭素銀行は、商品・サービス別の温室効果ガス消費行動を正確かつ一目瞭然に把握することができるようになる。こうしたカーボン決済が、毎日、世界中で行われる。化石燃料依存が高く温室効果ガス排出量が多く地球環境負荷の高い人々が多く住む国では、国家全体のカーボンへのチャージ総額が膨大な額になり、受領できるご褒美としての還元額を超過し赤字国となる。方や、化石燃料依存が低く温室効果ガス排出量が少ない地球環境負荷の低い人々が多く住む国では、国家全体のカーボンへのチャージ総額より受領できるご褒美としての還元額が超過し黒字国となる。その結果、1当たりの温室効果ガス排出の多い先進諸国等では年間の累積赤字額は膨大なものになり、一方、1当たりの温室効果ガス排出の少ないグローバルサウス諸国等では年間の累積黒字額は膨大なものになる。それは、事実上の、先進諸国からグローバルサウスへの資金移動・所得移転を意味する。その資金移動の規模は、既存の政府開発援助(Official Development Assistance:ODA)をはるかに凌駕するであろうと推察される。世界炭素銀行は、こうした世界中の人々の炭素消費行動を常時モニタリングし、世界全体でどの程度温室効果ガスを排出しているか、その増加速度が適正スピードに比べ速いか否かも正確に把握でき、温室効果ガス排出の多い商品の炭素換算レートを高めに調整することで、高炭素消費を抑制することもできる。

[25] 経済主体の行動が他の経済主体の効用や利潤にマイナスの影響を与え、その影響を及ぼす主体がその応分の対価を払わなかったとき、負の外部性(externality)が生じる。これを、「外部不経済(external diseconomies)」と呼ぶ。そして、有限な資源が集まっている共有地の利用が制限されないとき、追加的な経済活動の拡大増加が負の外部性をもたらす問題を「共有地の悲劇(Common source problem)」と呼ぶ。世界最大の「共有地(Common source)」は地球環境であり、この「共有地の悲劇」のもっとも深刻か広範におよぶケースが、気候変動問題である。まさに気候変動問題は、「共有地の悲劇」の中でも最も深刻な悲劇なのである。この「共有地の悲劇」を解決するためには、今後、従来外部的存在として捨象してきた地球環境ファクターを現下の経済システムの中に環境化させることが、必要不可欠な要件となる。

[26] 排出量取引(Emissions Trading)は、各企業・国などが温室効果ガスを排出することのできる量を排出枠という形で定め、排出枠を超えて排出をしてしまったところが、排出枠より実際の排出量が少ないところから排出枠を買ってくることを可能にし、それによって削減したとみなすことができるようにする制度である。「排出権取引」「排出許可証取引」とも呼ばれている。以下の3つから構成される。①クレジットの発行=使ったエネルギーの量や種類から排出削減量が計算され、クレジットが発行される。②電子登録簿=どの事業からのクレジットか、売買による所有者の移転などの情報を管理する。③排出量のオフセット=オフセットすれば「使用済み」となり、誰が使ったかも登録簿に記載される。このいずれの作業も、すべて、デジタルで行われ、瞬時に実施可能で、移転費用はゼロである。電子登録簿は集中管理型が使われているが、ブロックチェーンを使った分散管理型は構築が容易で、コスト引き下げが可能だとして、世界銀行などが実用化を検討している。なお、クレジットの信頼性問題やブロックチェーンによる電力消費問題、投機への懸念等、幾つかの課題もある。

[27] デジタル化には、不適切な使い方や投機目的に堕するリスクもある。このリスクは、排出量取引市場の信頼を損なうため、国際排出量取引協会(IETA)は、デジタル技術を気候変動対策で活用するためのガイドラインをまとめている。ガイドラインは、エネルギーやエネルギー多消費産業、法務・会計、クレジット発行団体など230社以上の参加企業の現場の指摘をもとにまとめられた。クレジットの信頼性については、ボランタリークレジットの業界基準であるICORA行動規範や、政府が管理するクレジットの利用を推奨している。エネルギー消費と排出量を抑える工夫、サイバー攻撃対策、二重使用防止対策、悪質事業者排除のための事業者の監査などを事業者に要求している。

6.気候危機と政治の位相
  ~レジリエンス時代のパラダイムシフトに向こうに見える地平線

人類は、ようやく気が付き始めている。あまりに解像度が低いので遅きに失した感は否めないが、気候危機やコロナ禍という地球全体を覆いつくした破壊の波の到来によって、地球上の生命が6度目の大量絶滅の危機の奈落の底の直前にたたされていることを。そして、こうした災いが、自分達のせいで起きたものである事を。さらには、人類という種が、実は、ささやかな存在でしかないにもかかわらず、傲慢不遜にも、自然界を支配できるという妄想に囚われ、天然資源の大量収奪と大量廃棄を繰り返しきてきた結果、ブーメランのごとく、そのしっぺ返しが、いま自分たちの種の存続をも危うくする事態にまで至ってしまっていることを。もはや、「進歩の時代」に別れを告げ、「レジリエンスの時代」にいることを。

もはや、人類に残された時間的猶予はない。

いまこそ、人類は、「レジリエンス時代」のパラダイムシフトに向こうに見える地平線をしっかり見定めなければならない。もはや、天然資源等の地球環境を支配する時代から、この地球と言う惑星上の生態系の持続可能性を維持保全する時代に移行している。

人類は、この不可逆的な状況変化を謙虚に受けとめ、「効率」「成長」「競争」といった価値基準で駆動してきた国家等の政治システムや金融経済システムと言ったアーシャンレジームの呪縛から自由になって、今一度、「地球人」の立場に立ち返って、自らの依拠してきたoperating systemを一旦リセットして、まったく異次元なあらたなoperating systemを再インストールするべき時期に来ている。

眼前に立ちはだかる気候危機という全球的環境問題を克服することは、喫緊の最優先課題であり、この人類による協働作業自体が、新しく再インストールしたoperating systemを駆動し、機能させるためのまさに試金石となるであろう。

いままさに人類が再インストールする新しいoperating systemは、既存の国家を前提としたイデオロギーや成長神話等の共同幻想の呪縛から卒業した、まったく、新しい次元のプラットフォームであり、客観的なfactの科学的分析をベースに、時に二律背反的な性質も内包する「混ぜるな危険」の関係にある「科学的合理性」と「社会的合理性」の2要件をともに充足しうる処方箋を具体化したものである。そのプラットフォーム上では、上述した「地球環境本位制」に基づく新たな環境通貨とも呼ぶべき「炭素通貨」等の新機軸を果敢に投入しながら、問題解決に有効な具体的な解決策を、迅速かつ実効性を担保しながら実施することが急務となろう。

こうしたチャレンジングな試行錯誤の向こうに見えてくる地平線上には、意思決定主体の多様性の保証、情報の開示および選択肢の多様性の保証、意思決定プロセスおよび合意形成プロセスの透明性・公開性の保証と手続きの明確化等が担保された、持続可能な「レジリエンス時代」のまったく新しい風景が見えてくるであろう。

すでにそこでは、気候危機問題の解決に向けた具体的な政策論やリスク管理、社会的合理性担保に必要なリスク認知、コミュニケーション、価値判断を包摂した、全球規模での気候変動リスク対策が社会的合理性によって裏書されており、「リベラルと保守の相克」の観点や、「個人の有する道徳的価値観との関係性」等の多岐に及ぶ諸問題は、過去のものとして、完全に止揚されているであろう。

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