地球が未来へと持続していくために今、求められる人の意識や行動の変革。地球SAMURAIでは、そこに波動を及す野心的な人物にクローズアップしている。Vol.5では、小山田大和氏を取材した。

学生時代から地域活性化に取り組み、耕作放棄地問題に挑みながら小田原の文化であるみかん栽培の復興を支援してきた小山田氏。それだけに留まらず、孤軍奮闘で神奈川県下にソーラーシェアリング事業を次々と展開し、再生可能エネルギーと農産物を生み出している。その足跡と想いを語る同氏から溢れていたのは、実践者の熱量だった。

生き方を変えたカッコいい大人との出会い

──地域に焦点を当てた活動に積極的に取り組むようになった理由は、何でしょうか。

小山田:子どものころから児童会、生徒会とリーダーシップを取る機会が多く、大学でも自治会の会長を務めていました。その際、私の学んでいた大学のキャンパスが小田原地域に誕生にして10周年にあたることから、地域の人たちと交流し、地域づくりを自治会活動の主眼に置いたのです。そして、キャンパスを飛び出し、地元の行政機関や企業と連携し活動する中で人生の師匠とも言うべき鈴木悌介さんと出会いました。当時、鈴木さんは家業である鈴廣かまぼこグループの副社長であり、小田原箱根商工会議所の青年部会会長として活躍されていました。学生だった私は多くの大人に幻滅していました。私の見てきた大人と言えば居酒屋などで仲間とコソコソ悪口をいい、アルコールの力で借りて鬱憤を晴らしているだけの人間だったのです。しかし、鈴木さんの人間性と振る舞いは全く違い、お手本としたいカッコいい大人だったのです。私は鈴木さんを師匠と仰ぎ、様々なことを学びました。そして、そんな鈴木さんが注力していたのが地域活性化でした。

──社会人として地域づくりや再生可能エネルギーへの活動を加速させたのは、いつ頃でしょうか。

小山田:ずっと教員になることを夢見ていましたが、大学を卒業後は、まず社会人として経験を積んだほうが生徒に適切な指導ができると考え、また尊敬する鈴木さんのもとで働きたいと思い、鈴廣かまぼこグループに就職し、企画部門の業務などをさせていただきました。その後、私立高校の非常勤講師も経験しましたが、2007年に教員への道を断念し、日本郵政公社(現日本郵便)に就職したのです。心機一転、かんぽ生命保険の営業マンとして日々を過ごす傍ら、地域とは困りごとを解決していくというレベルで関わり、用水路で水力発電し、その電力でバス停にLED照明を設置するなどの活動は行っていました。大学と連携しながら商工会議所などに再生可能エネルギーを活用した町おこしの提案もしましたが、合意を得られませんでした。その頃は「経済と環境問題とは両立しない」という極論もまかり通っていたのです。

世の中を変える“新しい現実”をつくろう

小山田:しかし、世の中が大きく変わったのが2011年の東日本大震災です。福島第一原発で世界の原子力史上最悪レベルの事故が起き、原発の安全神話が完全に崩れたことはまだ記憶に新しいと思います。そんな矢先に鈴木さんから連絡をいただき、数年ぶりに再会いたしました。そのときに『エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議』という一般社団法人を立ち上げるから事務局を手伝ってほしいと言われたのです。地域での再生可能エネルギーの供給を実現し、地域経済と地域社会の自立を目指すといった活動内容に惹かれた私は、迷うことなくお受けし、以降事務局長などを務めさせていただきました。

また、当時は藻谷浩介さんたちが提唱した『里山資本主義』に共鳴し、地域の新しいコミュティづくりなどを考えていく勉強会を地元小田原の農家の皆さんと継続的に開催していました。勉強会のある日、小田原は、かつてみかんの栽培が盛んに行われ、オレンジ色の実のなる畑がのどかな景観が見られたけれど、衰退の一途をたどっているというお話を伺いました。確かに耕作を放棄した土地が目立ち、農地の原形を失うほどに荒れているその姿からは、かつてみかんが実っていた風景は想像できませんでした。そこで里山資本主義からヒントを得て、耕作放棄地を再生・保全し、みかん栽培と販売を通して、地域を活性化させようという『おひるねみかんプロジエクト』を2013年暮れから始めたのです。

当時は国会議事堂前などで原発に対するデモが盛んに行われていました。私も原発の真実を知り、現状を変革したいという意識は持っていたものの、そういった活動に参加するのは気が引けていたのです。同時に日本郵便の職員として働きながら、「このままでいいのか」という自問自答を繰り返していたのもこの頃でした。

そんな私が世の中に“新しい現実”をつくることができると思えたのが『エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議』への参加と『おひるねみかんプロジエクト』の結成でした。このことをきっかけにして再生可能エネルギーや地域づくりの知見も深められ、その取り組みを加速させるために日本郵便も退職しました。


──『おひるねみかんプロジエクト』で収穫したみかんはジュースに加工し、「おひるねみかんジュース」の商品名で、市内のドライブイン等で販売するなど生産から加工、販売まで行う6次産業化を実現しました。それが軌道に乗った要因は何だったのでしょうか。

小山田:生絞りジュースの風味や香りを損なわないよう、殺菌・充填方法も工夫したやさしい美味しさと農薬や除草剤を一切使わない自然栽培を採用した安全性が他の商品と差別化できたことも要因だったと思います。その結果、JR東日本の四季島や星野リゾートなどでもこのブランドは採用されています。ただ、そこに至るまでにはプロジェクトメンバーの徹底した話し合いがありました。ボトムアップを重視する中で共感が生まれて連鎖し、合意を形成する組織だったからこそ、価値ある意見が生まれ、このような結果を得ることができたと考えています。また話し合う上では「なぜ放棄地を再生させるか?」という問いかけをけっして忘れませんでした。小田原にとってみかんは文化。みかんの放棄地を救っていくことは小田原の文化を守り、次の世代に継承させていくための手段となる。そこからブレなかったからこそ、このような成果に結びついていったのではないでしょうか。

実践を一つひとつ積み重ねながら、希望をつくる

──耕作放棄地の再生に加えてソーラーシェアリング事業を行う着想は、どのように生まれたのでしょうか。

小山田:再生可能エネルギーの普及と耕作放棄地の再生。この2つを結ぶ術はないか、ずっと模索していました。そして、ある日、取引のある金融機関から教えられたのがソーラーシェアリング事業でした。売電収入も農作物の収入も得られる。こんな一石二鳥は他にないということで2016年に合同会社かなごてファームを立ち上げ、早速11月には1号機を設置し、発電を始めました。最初から「よしやろう!」と賛同してくれる人は多くは、いませんでした。「ソーラーパネルで日陰を作れば農作物が育つわけない」という科学的根拠のない決めつけや「田園風景の中に工作物を立てるのか」という反対意見も出ました。しかし、私には今まで地域で様々な取り組みを行う中で動じない心が育っていました。

2018年3月には2号機の発電を開始。ソーラーパネルの下では稲作を行い、それが神奈川県初の事例となりました。現在6台のソーラーパネルが稼働し、さつまいもや里芋、落花生も栽培しています。そして田植えや稲刈り、さらに農作物の収穫期には多くのボランティアの皆さんが集い、殺風景だった耕作放棄地が賑わうようになりました。そういった様子を見て、少しずつソーラーシェアリング事業に対する信頼も深まってきました。その後、日本で初めての仕組みであったオフサイトPPAの供給先としての農業関連施設である『農家カフェSIESTA』もオープンさせ、地元地域の良き居場所になっています。

──小山田さんの取り組みには、多くの賛同者が生まれています。その理由はどこにあると考えていますか。

小山田:『おひるねみかんプロジエクト』を例にするなら、『ゆるく楽しく』を合言葉にプロジェクトを運営してきたからではないでしょうか。これが参加する敷居を低くしているのだと思います。こういった取り組みはどちらかというと意識の高い人ばかりが参加しているように思いがちです。しかし、私自身も最初から環境問題や地域づくりに関心があったわけではありません。たまたま尊敬できる人との出会いがあり、それを忘れなかったことが実践につながったのだと思います。ですから、このプロジェクトのゆるく楽しい関わりが皆さんにとってより良いきっかけになってほしいと願っています。


──小山田さんの活動には若い世代の賛同者も多いことが特徴だと思われます。世界情勢や気候不安など未来に希望が持ちにくい今、小山田さんは若い世代にどのようなメッセージを発信されていますか。

小山田:気候危機や生物多様性の損失という負の財産を背負い、希望が抱けない世の中になったことは確かです。すべてが欲望の肥大化を止められなかった大人たちの責任であり、先輩世代として「こんな世の中にして申し訳ない」という想いを率直に伝えています。その上で今の目の前にそういった世の中を変えていこうともがき苦しみながら、一歩一歩奮闘している大人がいることも忘れないでほしいとつけ加えています。希望を奪うこともつくることもできるのが人間です。ぜひ若い世代の皆さんは、たとえわずかであっても可能性を信じ、実践を一つひとつ積み重ねることで、希望をつくれる人になってほしい。私はそう強く願っています。

小山田 大和 氏 プロフィール
1979年神奈川県大和市生まれ。大学卒業後、高校教員などを経て日本郵便に就職。2011年、東日本大震災とそれに続く原発事故に衝撃を受け、耕作放棄地問題等に取り組む『おひるねみかんプロジエクト』を立ち上げる。2016年に合同会社小田原かなごてファームを設立。原発ゼロ・自然エネルギー100%社会を創る実践として、神奈川県下6例目のソーラーシェアリング施設を建設し、県下最多の7号機のソーラーシェアリングを本年度中に建設予定。早稲田大学招聘研究員

取材を終えて

終始、小山田氏の語りは熱かった。ときには怒っているようすら感じた。しかし、それは私憤ではなく、義憤だと氏は言う。この夏も災害級の暑さと記録的な集中豪雨が連日のように続き。人々はそれが尋常でない事態に気づき始めた。その解決に求められるのは、行動の変容という実践に尽きる。そして、まずは義憤に燃えることが実践の始まりになるのでないか。今回のインタビューではそう感じた。

(取材・記事 宮崎達也)