海抜0mから人力のみで七大陸最高峰の頂を極める-壮大な冒険プロジェクトは、小さな浜辺から始まった。

ROMANCE DAWN 冒険の夜明け

私は「メリンブラ」と呼ばれる街にいた。
オーストラリア南東部、シドニーとメルボルンの間にある小さな港町だった。

出発の朝。「メインビーチ」と呼ばれるこの浜からは、街がその湾口に位している南太平洋が一望できた。

寄せては引く波に 心もようも呼応する




目の前に広がる海には沢山の生き物が蠢いている。そう想像するだけで、ワクワクが止まらなかった。旅先のどうってことない池や湖を訪れた時だって、その深淵を覗くたびに、ネッシーもこちらを覗き返しているかもしれない。そんな想像がいつも膨らんでしまうのだった。

カモメが飛んでいった先を見ると、空が黄金色に染まり始めていた。
南南東に延びる半島に根を張る木々や家々が、美しいシルエットで浮かび上がった。薄曇の空と大地との僅かな隙間に鮮やかな光が差し込み、波間に生まれた黄金の道が私と太陽を繋いだ。
2018年9月9日の朝だった。


カモメだけが私の孤独に寄り添ってくれた



私はオーストラリア大陸最高峰・コジオスコに向けて、そして、七大陸最高峰の頂に向けて、ゼロから始まりの一歩目を踏み出した。

暗夜行路

数々の凶暴生物が住むと聞くオーストラリア。海からの道のりでは様々な動物たちに出くわした。木の根元に同化したハリネズミ、ジュラ紀に戻ったかのような鳴き声の鳥、そして、顔だけこちらに向けている牛たち。辺りには、丘を包む芝と緑の美しい酪農園が広がっていた。

こちらを観られている



33kmを走って遠征1日目を終えると、早々に眠りについた。60kmを超える翌日の行程に備えるためだった。
2日目は2時に宿を出た。早い朝というよりはまだ深い夜だった。

ニュームーン。
この日は新月で、辺りは真っ暗闇。田舎道で街灯もない。ヘッドライトすら、行きの飛行機のロストバゲージの中。手元になかった。

何もない新月の夜



こんな闇は久しぶりだった。
大学にいた頃、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という「真っ暗闇のエンターテイメント」を体験して以来だった。好きで仕方がなかった子をデートに誘って、2人で「純度100%」の暗闇に入っていった。


14番目の月。
ユーミンが歌ったような初々しい気持ちで、暗闇の助けを借りてぎこちなく手を繋いだ ー
iPhoneのライトを点けると、外苑前の思い出から現実に引き戻される。車道の脇に草むらと木々が生い茂っているのがかろうじてわかったが、走るために足元を照らすと、いよいよ周りの景色は見えなくなった。

シャッターを焚いても看板が微かに反射して光るだけ



闇夜を走る人間に驚いてか、時折、道の脇で動物が逃げる音が聞こえた。不思議だったのは、彼らの動く様が手に取るようにわかったこと。その筆頭格はウォンバットだった。暗闇でその姿は見えないが、カサカサカサと草むらで鳴っていた足音は、頻繁にタタタタタというカタい音に変わった。どうやら彼らは焦ると舗装路の方に出てきてしまうらしい。
四つ足の動物とは明らかに異なる足音も響いた。タタッタタッと地面を力強く蹴るその動物は、カンガルーに違いなかった。リズミカルなその足音から、彼らがぴょんぴょん跳ねている姿が想像できた。

実は初日に、道路脇でウォンバットとカンガルーが何匹も無造作に倒れている光景を見ていた。あるものはただ眠っているのように傷ひとつなく、あるものはスプレーでバツのマークをつけられていた。車に撥ねられたに違いなかった。
真っ暗闇を歩いていると、その体が朽ち始めている個体の横を通る時には独特の匂いがした。鼻を摘む腐敗臭、というよりは辺りに漂う獣臭さ、といった感じ。暗闇の中だからこそ、それは一層際立った。道の脇を歩いているからこそ間近で感じた死の匂いだった。

朝未き静寂:新月の夜が明けていく



私たちは五感のうち80%以上を視覚に頼っている。その視覚が使えないことで、他の感覚が拡張された体験だった。
それが私たちにとっていかに示唆に富むか、そんな話が他にもある。

水が喜んでいるよ

私が住む長野県信濃町は、森林セラピー発祥の地である。「癒しの森®」として、科学的なエビデンスに基づいた療法を町をあげて推進しているのが特徴で、私自身も「森林メディカルトレーナー」として、森の案内人を務めている。

私たち森林メディカルトレーナーが大事にしていること。それは、森の中で五感を開くことだ。私たち現代人は忙しい日々の中で、過度な刺激から自分を守るために五感を閉ざしてしまっている。そんな五感を森の中で開くと、自分自身の感覚の受容と肯定が待ち受けている。


No one I think is in my tree, I mean, it must be high or low.
誰も僕の木にはいないみたい。高いか低いかのどっちかってことさ。

The Beatles – Strawberry Fields Forever



ジョンレノンがそう歌ったように、森の中に入れば、全ての木は違って当たり前。同じ花の香りを嗅いでも、ある人は「リラックスする」と感じ、ある人は「懐かしい」と表現し、また別の人は「好きな匂いだ」と喜ぶ。人それぞれ異なる感覚を森は大きく深く受け止めてくれる。森でカウンセリングをするのではなく、森がカウンセリングをしてくれるのだ。

信濃町の象徴・黒姫山と森林セラピーの森
仲間はお互いを「フォレスト・ネーム」(あだ名)で呼び合う



先輩ガイドである「リンコ」さんを森にご案内したときだった。リンコさんは、C.W.ニコル氏が再生・整備した「アファンの森」で、森づくりの責任者として活動する森の番人だ。アファンの森では、「森の再生」だけでなく、「心の再生」も掲げ、心に傷を負った子どもたちや障害を持った子どもたち、さらにはフクシマの方々を森に招待している。

リンコさんが視覚障害のある子どもと森を歩いた時の話を教えてくれた。アファンの森に流れる小川沿い。とある子が口を開いたという。護岸化された川底から、自然のままの土と石の河床へと変化する場所に差し掛かった時だった。

「あ、水が喜んでいるよ」

なんと繊細な感覚。
なんと豊かな感受性。
水音の違いを聴き取るだけでなく、そこに生命と感情を見い出し、自分なりの言葉で表現した。私には見えていないものを、その子は観ているのだということを強く感じた。


癒しの森®御鹿池コースの入り口


手放してみたら手に入る

そんなエピソードを聞いていたからこそ、参加したいイベントがあった。5月末、森林メディカルトレーナーの仲間と共に、夜の森を歩く、というものだった。

16番目の月。
明るい夜の森を歩くはずだった。
しかし、この日は霧が立ち込め、雨もぱらつき、遅れて顔を出すはずの月も望めない。黒姫高原特有の天候だった。

この暗い森の中を歩いていけるのだろうか。
そういざよいながら、参加メンバーと合流する。「黒姫童話館」の脇から見る森は、躊躇ってしまうほどに不気味だった。
目の前に広がる森には沢山の生き物が蠢いている。そう想像するだけで、心がザワザワした。ワクワクを育むイマジネーションは、時に恐怖をも生む。
「こちらを観られている」
そんな不思議な感覚に陥ったのだった。


ミヒャエル・エンデ氏らの作品を展示する黒姫童話館



そんな恐怖心を汲み取ってか、案内役の「おとうちゃん」が私たちを優しく森へ誘っていく。おとうちゃんは、アファンの森や癒しの森®に長年携わってきた森のエキスパートだ。

「しらびそ」の木の下。ライムグリーンの新芽は闇夜にその鮮やかな色を失った代わりに、淡い銀色に輝いて見えた。しらびそは英語でシルバー・ファーと言ったっけ。そんなことを思いながら葉っぱを優しく両手で包み込むと、新芽はもっちりと柔らかく、立ち上がる香りは鮮烈だった。


深緑の葉先に芽吹くシラビソの新芽



杉林に差し掛かり、いよいよ闇の中に溶け入る。「おとうちゃん」の声と、目の前で怪しく浮かぶ「スーさん」の白い帽子だけを頼りに歩いていく。大きすぎるかと思うくらい沢の音が鮮明に聞こえたかと思うと、雨の匂いがふっと鼻をついた。そして、ふわっと光の粒が浮かび上がる。マドボタルだった。私たちの足元を照らすにはあまりに儚く、しかし優しく光っていた。

私たちはそのまま坂道を登っていった。靴底を地面に擦るようにして段差を確かめ、木組みの階段や岩、木の根や土の窪みを足裏で感じながら、つまづかぬよう半歩半歩。ふと、饒舌になっている自分に気がついた。お互いに声を掛け合い、先頭からしんがりまで一列に連なる10人弱のチームの中で、自分がどこにいるかを強く意識した。仲間がいる安心感。肌の色など関係なく、一皮剥いたありのままの姿を感じることができたような気がした。

私たちは森に守られていた。
暗い杉林を抜け、御鹿池と呼ばれる池の淵に辿り着く。上空ではごおごおと音を立てながら風が渦巻いていたが、池のほとりではそよ風が私たちの頬を掠めるだけだった。
霧が立ち込め、対岸が見えない。牡鹿のパトローナス(守護霊)が霧の中から歩いてきそう。思わずそんなことを期待してしまう、ファンタジー童話の世界だった。


冬の御鹿池
この小さな池の対岸さえも霧と闇の中だった



「夜の森を歩くっていうのは手放すことなんです」

おとうちゃんが森の中で静かに語りかけてくれた。

「ある程度目が慣れてもそれ以上は見えない。見ようとすればするほど疲れてしまう。だから見ようと躍起になることをやめるんです」

その通りだと思った。

急ぐときこそゆっくりと。
手放してみたら手に入る。

立ちこめる霧の上で欠けていく月のように、満ち足りた何かを手放す時、すぅーっと余白が生まれる。暗闇の中で見ることを諦めた時、私の感覚はかくも研ぎ澄まされた。

諦めることは明らめること。
光を手放した時、そこに光明が差したー


海から6日間218km
新月の夜を駆け抜け五感で頂を感じた



視覚は確かに、五感の中でも特に大きな役割を担っている。動画や写真を見れば多くを知った気にもなれる。しかし、全てが凝縮されたものはその時そこにいたその人にしか感じられない。そして、ネットで見聞きした情報ではなく、五感をフルに開いた体験と、その経験に裏打ちされた想像力が、新月の夜に、霧立ち込める月夜に、夜明けをもたらすのだ。


Living is easy with your eyes closed, misunderstanding all you see.
目を閉じれば楽に生きられる。だって、人はすべてを見誤るから。

The Beatles – Strawberry Fields Forever



さぁ、パソコンを閉じ、スマホをしまい、目を瞑って、この世界を観てみよう。

次回は目を瞑った時に研ぎ澄まされる五感のひとつについて。
どうぞお楽しみに。



(写真/文 吉田智輝)


前回のコラムはこちら

プロフィール

吉田智輝(よしだ・さとき)
「海から山に登る」冒険家
1990年5月11日生まれ(33歳)
埼玉県鴻巣市出身・長野県信濃町在住
こうのす観光大使、BRINGアンバサダー、Team Strava Japanアスリート

世界初のエベレストSEA TO SUMMITが達成された日に生まれる。
早稲田大学院時代に登ったキリマンジャロで海外高所登山の魅力に目覚め、
卒業後は外資系投資銀行のシンガポール支社で勤務しながら海外登山を続ける。
2018年9月から「海抜0mから人力のみで七大陸最高峰の頂を極める」SEA TO SEVEN SUMMITSプロジェクトを始動。
4座登頂後、2023年5月には、海から422kmを経て49日目に北米最高峰・デナリの山頂に到達した。
ニュージーランドとアメリカ、ベルギー、ルーマニアのライバルたちの先頭を走り、世界初の7座踏破を目指している。

日本では、手触りのある自然体験の素晴らしさを親しみのない人に伝える活動を精力的に行なっている。
特に、長野県信濃町では、インバウンドの旅行者や子ども達、障がいのある方々を森林セラピストとして森に案内し、
同時に、そのフィールドである自然を将来世代に引き継ぐために「雲ノ平トレイルクラブ」や黒姫にて自然保護活動も行う。

2025年5月には、ユーラシア亜大陸最高峰・サガルマータ(エベレスト)SEA TO SUMMIT TO SEAに挑戦予定。
辺境での個人の営み・文化を創作を通じて発信することを目指す。



#極限としての冒険行為と収束していく解
#シュレディンガー方程式と境界条件としての辺境
#バックカントリーでの挑戦とフロントカントリーにおける生活の往復