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「北極点」に行きたいと思ったことはあるだろうか。
限られたものにしか到達できないイメージのある北極点。
しかし実際は誰でも行くことができると知っているだろうか。
夏の間、北極の海を覆う氷が薄い時期、砕氷船に乗れば、極点へ連れて行ってくれる。さながら北極点観光。氷の上に降り立ち、バーベキューを楽しむことすらできるのだ。
それでも、遥々「歩いて」北極点に立とうと思えば、厳しい冬に流氷の上を移動しなければならない。
自然の変化に影響を受けやすい「冒険家」という存在
問題は、北極点への冬季冒険が年々難しくなっていること。気候変動の影響で、この30年間で北極の海氷域面積は約20%減少したと言われている。更に、専門家チームによる最新研究では、早ければ2030年代には、夏場の北極域の氷は全て溶けてなくなる可能性が示唆された。
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北極点を目指す冒険家にとって、この変化は致命的である。スキーを履き、ソリを引いて歩くフィールドが消えつつあることを意味するからだ。「リード」と呼ばれる北極海の氷の裂け目は年々広がり、今や北極の氷の上を歩行することはかなり難しくなっているそうだ。20年後の北極冒険は、冬にスキーで移動する方法から、夏場にシーカヤックを漕ぐスタイルにシフトしているかもしれない。
このように冒険家は、自然や辺境を舞台に活動するが故に、こうしたフィールドでの異変に敏感であり、その変化に影響を受けやすい。
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日常から遠ざかるリアル
大切なのは、こうした影響を受けるのが「一握りの変わり者」だけではないということ。
気候変動や分断といったトピックは、全人類的な課題だと叫ばれて久しい。しかし、複雑で高度化した現代社会では、自然界の変化やその影響を感じづらくなってきている。東京に住んでいれば、全国的に水不足の年でも蛇口をひねれば水が出てくる。「なんでも」「どこからでも」調達できてしまう毎日の中では、自然の現象や問題がとても遠く感じられる。
あなたには、この地球が壊れていく音が聴こえているだろうか。
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かくいう私も、シンガポールで金融マンとして働いていた頃には、自然は日常の一部ではなかった。この国が慢性的な水不足に喘ぎ、隣国マレーシアから水を輸入したり、海水の純水化技術開発に注力したりしていることを知ったのは、住み始めてからだいぶ後になってのことだった。
常夏の国。左脳に支配された街。スコールが吹き付けても微動だにしないオフィスビルの中で、私は日々数字と格闘していた。一国の大統領の発言ひとつで乱高下する株価。グローバルニュースを毎日チェックし、マクロ的な経済指標も必死に追った。
しかしこれは…本当にリアルなのだろうか。
マクロ的な社会の対比としてのアウトドア体験
そんな疑問を日々感じていたからこそ、有給休暇中に一人で登りに行った南米最高峰・アコンカグアでの体験は強烈なものだった。
アウトドアは、身一つで自分の衣食住の面倒をみる体験。単純化された世界だからこそ、今の社会全体でいかに複雑化しているかが対比で見やすくなった。テントの周りの雪を排泄物で汚してしまえば、その雪を溶かしてつくる水は飲めなくなってしまう。雪を溶かすガスを使い切ってしまえば、喉の渇きを覚え、暖を取る術も失い、私の命は3日と持たない。
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そんな生活を2週間もすれば、私の感覚は次第に研ぎ澄まされ、身体は世界と呼応し始めた。
私は自然であり、自然は私であった。
ああ、道で朽ち果てたロバに咲く、あの花の美しさといったら。
ああ、闇夜の所在なさにまどろみ朝陽に目覚める、あの毎日の心地よさといったら。
ああ、山頂に向かう間に仰いだ、あの暁光の暖かさといったら。
薄い空気の中、途切れる息の隙間から、笑顔がこぼれていた。
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それは、静かに続いた。
シンガポールに帰ってきたあとも。
頬をかすめる冷たい風に、大地に聳える山塊の息吹を感じた。
この地球に息づく水脈を、自分の鼓動を通じて感じた。
私に訪れた大きな変化。
ゾクゾクする自分の感覚を、
あっと驚くあの景色を、この世界を、かの惑星を、
もっと知りたい、もっと優しく守りたいと思うようになった。
私は「海から山に登る」冒険家
私は、海から山に登る「SEA TO SUMMIT」のスタイルで、世界七大陸最高峰の頂を極める「SEA TO SEVEN SUMMITS」プロジェクトに挑戦している。
金融業界の仕事から離れ、世界で誰も達成したことがないこの冒険に挑み始めてから5年半。
現在7座中5座への海から登頂に成功し、オーストラリア、アメリカ、ベルギー、ルーマニアのライバルたちの先頭を走っている。
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海から山頂へと至る道では、辺境に力強く生きる人々と、美しい自然との出会いがあった。極限としての冒険行為と収束していく解。複雑性の包容と瓦解。ひと一人の手触りのある体験が難しくなっている世の中では、私の冒険は「自己満足」との謗りを受けてしまう。しかし、だからこそ、私の体験はこの世界を新しい視座で捉え直すきっかけを与えうるのかもしれない。そう思うようになった。
しかしまた同時に、大きな社会問題を、そのまま大きく取り上げるつもりはない。ひと一人が感じたことをそのまま話すことが突破口になるのではないか。
そう信じて、喜びや感動、美しい景観や縁起ある出会い、そして、違和感や身体の疲れまで、「感じたまま」を話す。
それは何より私たちの住むこの世界の美しさを再認識させてくれるはずだ。
なぜ(海から)山に登るのか?
本連載では、私たちが都市生活の中に閉ざしてしまっている『五感』に焦点を当てて話す。「視覚」、「聴覚」、「嗅覚」、「味覚」、そして「触覚」が研ぎ澄まされた瞬間を綴る。
連載の最後は「第六感」。ガンジス川のほとりに佇む私は、五感が完全に開いた状態で、とある啓示を受けてこの冒険プロジェクトを始めた。生き物としての人間が忘れかけてしまっている感覚について触れて、連載を締めくくる。
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We think too much and feel too little.
『独裁者』チャップリンの言葉を借りれば、
私たちは頭でっかちになりすぎて、感じ取ることを忘れてしまった。
この連載の目的は、この連載を読んでもらうことではない。
神社に詣で、公園に漂い、森をさすらう。
そんな体験のきっかけとなること。
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講演会でたまに聞かれる質問で、回答に非常に困るものがある。
「なぜ(海から)山に登るんですか?」
Because it is there.
「そこに山があるから」と回答したのはジョージ・マロリー。
エベレスト初登頂の黎明期を支えた登山家の言葉は示唆に富む。
マロリーが直面していたであろう煩わしさを自分自身も感じながら、
私はこう答えることが多い。
「山に一緒に行きましょう。」
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禅問答にも似た回答に、質問した人の表情は決まって晴れない。
それもそのはず。答えはそこにはないのだ。
私の言葉の内にも、質問者の頭の中にも。
何もアラスカの原生自然の中に飛び込む必要はない。
しかし、それはクーラーの効いた会議室でわかることではない。
ビルから飛び出し、身体を使って世界に開かれなければならない。
そうすれば、記号として捉えていたはずの世界が、自分の足元から連なり無限に広がっていくだろう。
Let’s Feel The Earth Together.
感じたままを話そう。
(写真/文 吉田智輝)
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【プロフィール】
吉田智輝(よしだ・さとき)
「海から山に登る」冒険家
1990年5月11日生まれ(33歳)
埼玉県鴻巣市出身・長野県信濃町在住
こうのす観光大使、BRINGアンバサダー、Team Strava Japanアスリート
世界初のエベレストSEA TO SUMMITが達成された日に生まれる。
早稲田大学院時代に登ったキリマンジャロで海外高所登山の魅力に目覚め、
卒業後は外資系投資銀行のシンガポール支社で勤務しながら海外登山を続ける。
2018年9月から「海抜0mから人力のみで七大陸最高峰の頂を極める」SEA TO SEVEN SUMMITSプロジェクトを始動。
4座登頂後、2023年5月には、海から422kmを経て49日目に北米最高峰・デナリの山頂に到達した。
ニュージーランドとアメリカ、ベルギー、ルーマニアのライバルたちの先頭を走り、世界初の7座踏破を目指している。
日本では、手触りのある自然体験の素晴らしさを親しみのない人に伝える活動を精力的に行なっている。
特に、長野県信濃町では、インバウンドの旅行者や子ども達、障がいのある方々を森林セラピストとして森に案内し、
同時に、そのフィールドである自然を将来世代に引き継ぐために「雲ノ平トレイルクラブ」や黒姫にて自然保護活動も行う。
2025年5月には、ユーラシア亜大陸最高峰・サガルマータ(エベレスト)SEA TO SUMMIT TO SEAに挑戦予定。
辺境での個人の営み・文化を創作を通じて発信することを目指す。
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#極限としての冒険行為と収束していく解
#シュレディンガー方程式と境界条件としての辺境
#バックカントリーでの挑戦とフロントカントリーにおける生活の往復