女性特有の健康問題。特に生理による体や心の痛みなどについては、他人には相談しづらく、一人でその辛さを抱えている女性が多いのが現状となっており、社会課題として注視する動きが高まっている。

そういった中で女性の健康課題をテクノロジーで解決へと導くフェムテックだ。ここでは東レにおいてフェムテック事業の推進を担うサステナブル技術推進室主幹 笠坊美紀氏にインタビュー。素材のリーディングカンパニーである東レのフェムテックに対する考え方や取り組み、今後の方向性などを取材した。

東レ株式会社 サステナブル技術推進室主幹 笠坊美紀 氏

ひとつの企業ではカバーできない社会的課題

─女性の健康問題の解決を社会全体で取り組む意義は
 どこにあるとお考えでしょうか。

笠坊:たとえば20~30代女性は月経が開始する3~10日ほど前から身体的、精神的に様々な不快な症状が現れたり、月経困難症が強く出たり、さらに子宮内膜症などの疾患も増加傾向にあります。また、この世代はキャリア形成で重要な時期を迎えると同時に結婚や妊娠・出産といったライフイベントの時期と重なり、自分の健康や痛み、辛さと十分に向き合えていない場合も多いことでしょう。そういった女性特有の痛みや辛さは、仕事のパフォーマンスを下げてしまい企業活動にも影響を及ぼしています。女性の痛みや辛さに対する課題は多種多様であり、もはや一社の企業ではすべてをカバーすることはできません。その意味から社会の一人ひとりに理解を広め、社会全体の課題として捉え、取り組む必要があると考えています。


─女性ならでの健康課題に対して東レの素材開発の事業では、
 今までどのような取り組みが行われてきたでしょうか。

笠坊:医療の領域では、産婦人科領域のスペシャリティファーマ・あすか製薬社と、手術をしたとき臓器の癒着を防ぐ癒着防止材について共同事業化契約を締結し、治験を実施中です。また、最近では、妊娠高血圧腎症(注1)に対する血液浄化治療法の共同研究を開始するなど、社外連携・産学連携で女性の健康課題に取り組んできました。さらに、独自の技術を生かし、生理中も快適な吸水ショーツや衛材向け不織布など女性のお困りごとにアプローチする様々な商品も開発しています。吸水ショーツはスポーツウェア向けの技術を応用し、汗を処理する技術を、水分を吸水する機能へ発展させ、さらに濡れ戻りを防止しました。「薄い」「漏れない」「ずれない」機能と、完全無縫製仕様で見た目もスタイリッシュに仕上げています。どちらも直接、身体的な痛みを緩和できるわけではありませんが、快適性や動きやすさを高めることで、メンタル面での辛さを和らげることに役立てるのではないかと考えています。

痛みを気軽に表現でき、 「痛み友達」をつくるサイト

─東レの社内ではどのようにしてフェムテック事業が始動し、
 今日までどういった取り組みが進められていますか。


笠坊:先に述べたフェムテックが求められる社会的背景を踏まえて、2年前に、当時副社長だった現社長の大矢からこの分野をリサーチするようにと指示を受けたことが、本事業開始のきっかけとなっています。

実はこの事業に携わった当初、男性社員が80%を越える東レで女性を対象にしたプロジェクトが本当に進行できるのか不安でした。そこで様々な人の意見を聞くためにアイデアの社内公募をかけたのです。その中で医薬研究所の研究者から“長年、薬の研究をしてきたが、痛みを薬だけで解決するのではなく、痛みを表現し、リリースすることで和らげることを目的にしたアプリが開発したい”と提案がありました。この提案をきっかけに立ち上げたのが、社員限定の「La Seek」というサイトです。 

このサイトには、自分の痛みを気軽に匿名で投稿でき、さらに「いいね!」でシェアしながら「痛み友達」をつくっていく機能があります。2025年には東レのコーポレートサイトにこの「La Seek」をつなげ、AI技術を投入して痛みの予測や自分に合った「痛み友達」を見つけられる機能を高めるなどDXを駆使してさらに進化させていきたいと思っています。



共感やシェアで痛みの緩和を目指すプロジェクト

─3月8日の国際女性デーに合わせて実施した
 「Woman’s dayマルシェ~私らしさを受け止め、ポジティブな力に~」は
 東レ、味の素、あすか製薬という業種の異なる3社の協業によって開催されました。
 どのような成果がありましたでしょうか。

笠坊:フェムテック事業と言っても東レ一社だけで女性の多様な悩みを解決できるわけではありませんので、滋賀医科大学様などの大学関係や仕事を通して知り合った味の素社様やあすか製薬社様に協業をお願いしました。今回の「Woman’s dayマルシェ」も、3社のリソースやノウハウを組み合わせ、女性特有の健康問題に関する正しい知識の提供、セルフケアのための運動やストレッチ、聞きづらい痛みや悩みの共有等が体験できるイベントとなったと思います。また、“それぞれ事業領域のちがう3社で多様な悩みに応えるソリューションを提供しようとする姿はとても評価できる”とメディアからも心強い評価をいただきました。さらに、それまで進めてきた痛みの可視化・表出・共感形成自体に需要があるかを問う意味もこのイベントにはあったのですが、嬉しいことに来場された方に行ったアンケートで、普段気づいてもらえない、痛みや悩みをメモに書き皆で共有・発散して「いいね!」を数えるコンテストは90%の人から「面白かった」と回答していただき、社会から必要とされていることが確認できました。

─東レではフェムテック事業において
 「痛みのコミュニケーション」を重視しています。
 その理由はどこにあるとお考えでしょうか。

笠坊:当初は“痛みをシェアしてどうするの”“解決策の方が大事では”という意見もありました。しかし、痛みは非常に複雑な知覚であり、その人の経験やその時の感情など様々な要因に左右されます。また、痛みの感情は孤独だと増幅し、逆にシェアして共感することで緩和することができると考えられています。そこで自分だけで抱えてしまいがちな痛みを「見える化」し分かち合える仕組みづくりが、この事業ではポイントになりました。

今の社会、特にビジネスシーンでは、“ネガティブな感情を表に出してはいけない” “女性は爽やかで明るい笑顔でいるべき”というバイアスが掛かっているように思えます。けれど、痛みや辛さをどのように認識し受け止めるか、というような面を含めてその人らしさです。それを理解しあえる「痛みのコミュニケーション」には、本当の自分らしさを輝かせる社会づくりを推進する役割があると捉えておりますし、東レのフェムテック事業のパーパスである“素材やテクノロジーの力で女性の生涯をその人らしく輝かせる”を具現化できるものと考えています。

素材開発とエンドユーザーをつなぐ東レらしい取り組み

─東レは、“素材には社会を変える力がある”を大きく掲げ、すべての事業に取り組んでいます。
 コミュニケーションと社会を変革する素材の開発とは、
 どのように接点があると考えていますか。

笠坊: 東レには、地道で実直な研究を尊重する企業風土があります。そして、その研究は何代もの研究者に受け継がれ、長い年月をかけて製品づくりに結実する事例も少なくありません。そこには静かな研究室に象徴されるどこか社会から閉ざされたイメージを持たれるかもしれませんが、実はちがいます。研究者たちも市場の声、エンドユーザーのニーズに耳を傾けるように日々努力しています。

それは女性の痛みを取り扱うフェムテック事業においても同じです。今後は、研究者たちが、様々な女性の痛みに対する想いをシェアすることで痛みを緩和する新しい素材が今後開発される可能性がありますし、「痛みのコミュニケーション」はそれを後押しする力にもなると考えています。東レのフェムテック事業は、コミュニケーションに重きを置いていますが、それは特別ではなく、同じく東レらしい姿だと感じていますし、コミュニケーションを活用しながら“素材には社会を変える力がある”という言葉にふさわしい成果を出していきたいと思っています。

取材を終えて──

SDGsの「誰一人取り残さない」という大原則。また、その17のゴールに掲げられている健康と福祉、そしてジェンダーの平等や働きがいなどサステナブルな重要課題とフェムテックとは、深く結びついている。しかしながら、なかなかスポットが当たらなかったこの分野だからこそ、笠坊氏の強調するように今後はますますコミュニケーションがカギになっていくことだろう。Vaneではフェムテックの新たな動向をこれからも追い続けていきたい。



(注1)妊娠中に高血圧を発症し、腎臓・肝臓・脳などの臓器障害や胎児発育不全を伴う妊娠合併症で、全妊娠の約3~5%が発症。重症になると母胎や胎児に深刻な影響を及ぼすといわれており、妊婦および新生児の死亡や後遺症の主な原因となる疾患。