「善き人生とは愛によって触発され、知識によって導かれるものだ」
(The good life is one inspired by love and guided by knowledge)
英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell)の言葉である[1]。
1950年にノーベル文学賞を受賞したバートランド・ラッセルは、過去に1916年には、平和運動、婦人解放運動に熱中したため、ケンブリッジ大学を解任され、その2年後の1918年には6か月の間、投獄されている。また、1955年7月9日、核廃絶に対する共通の想いから親交のあったアルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)と「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発表した。この宣言が「パグウォッシュ会議(Pugwash Conference)」開催へと発展した[2]。
このバートランド・ラッセルの思想は、ビートルズに大きな影響を与えた。
このバートランド・ラッセルの影響は、ビートルズの「愛こそすべて(All you need love)」の一節、「何もできなくたって、どうすれば君らしくなれるか、学ぶことはできる 簡単だろ 君が必要なものは愛だ(Nothing you can to, but you can learn how to be you in time it’s easy All you need love)」にも垣間見られる。そして、ビートルズは、バートランド・ラッセルの影響もあり、戦争について明確な考えや立場をもっていた。
[1]【バートランド・ラッセルprofile】第3代ラッセル伯爵バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell, 3rd Earl Russell, OM, FRS、1872年5月18日 – 1970年2月2日)、イギリスの哲学者、論理学者、数学者、社会批評家、政治活動家。貴族のラッセル伯爵家の当主であり、イギリスの首相を2度務めた初代ラッセル伯ジョン・ラッセルは祖父にあたる。名付け親は同じくイギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミル。ミルはラッセル誕生の翌年に死去したが、その著作はラッセルの生涯に大きな影響を与えた。貴族によくみられるように正規の初等・中等教育を受けずに、1890年、ケンブリッジのトリニティ・カレッジに入学。その後しばらくケンブリッジ大学で教鞭をとる。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの才能を早くに見抜き、親交を結ぶとともに、良き理解者として『論理哲学論考』の出版などを支援した。1916年 平和運動、婦人解放運動に熱中したため、ケンブリッジ大学を解任される。1918年 6か月の間、投獄される。1950年にノーベル文学賞を受賞。1955年7月9日、核廃絶に対する共通の想いから親交のあったアルベルト・アインシュタインと「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発表した。この宣言が「パグウォッシュ会議」開催へと発展した。1961年 – 百人委員会を結成。2度目の入獄をする。1970年 – 97歳で死去。生涯に4度結婚し、最後の結婚は80歳のときであった。
[2] パグウォッシュ会議(Pugwash Conferences)は、正式には「科学と世界の諸問題に関するパグウォッシュ会議(Pugwash Conferences on Science and World Affairs)」と呼ばれている。全ての核兵器およびすべての戦争の廃絶を訴える科学者による国際会議である。
とりわけジョン・レノン(John Lennon)は、バートランド・ラッセルの影響を強く受けていた。「イマジン(Imagine)[3]」や「平和を我等に(Give Peace a Chance)[4]」など平和への想いを込めた曲を作るようになり、1967年には、戦争を皮肉るコメディ映画「僕の戦争」にも出演し、戦争を明確に否定するようになり、世界の若者たちをリードした。
1969年に、バートランド・ラッセルは、ジョン・レノンとヨーコ・オノに会った際に、ベトナムとビアフラでの戦争に反対することを勧めている。それが後のビートルズによる大英帝国勲章の返還や、同年6月と9月に行われたジョン・レノンとヨーコ・オノの「平和のためのベッド・イン」[5]の伏線になったとも言われている。
また、バートランド・ラッセルの「愛国心とは、取るに足らない理由で、進んで人を殺したり、殺されたりすることである。(Patriotism is the willingness to kill and be killed for trivial reasons.)」や「戦争は、誰が正しいかを決めるのではない。誰が残るかを決めるのである。(War does not determine who is right-only who is left.)」といった警句は、ビートルズの「レヴォリューション」の中の「革命が必要だと君は言う まぁ、そりゃあね みんな世界を変えたいと思ってるよ 革命は進化なんだと君は言う まぁ、そりゃあね みんな世界を変えたいと思ってるよ。だけど破壊してでもやろうと言うなら 僕は仲間に入れないで(You say you want a revolution. Well, we all want to change the world. But when you talk about destruction, don’t you know that you can count me out)」と言った歌詞にも反映している。
ジョン・レノンと同様に、ポール・マッカートニー(Paul McCartney)も、1966年6月にバートランド・ラッセルに2回面会している。ポール・マッカートニーは、当時のバートランド・ラッセルとの面会を振り返り「ベトナム戦争は非常に良くないことで、アメリカが自国の既得権のためだけに戦っている帝国主義的な戦争だということを教えてもらった。この戦争には反対すべきだと。それだけ聞けば十分だった。」と回想している。
その直後の1966年6月30日から7月2日にかけて、ビートルズは、東京・日本武道館で日本公演を行っている。3日間の公演の総観客数は5万人とも2万5千人ともいわれる。
[3] 「イマジン」(Imagine)は、1971年に発売された同名のアルバムに収録されたジョン・レノンの楽曲である。歌詞は、国家や宗教や所有欲によって起こる対立や憎悪を無意味なものとし、曲を聴く人自身もこの曲のユートピア的な世界を思い描き共有すれば世界は変わると訴えかけるもの。生前にレノンは、歌詞の一部がオノ・ヨーコの詩から拝借したものであることを明かしており、2017年に本作がオノとの共作であると認定された。
[4] 1969年にジョン・レノンが、プラスティック・オノ・バンド名義で発表した。
[5] ジョン・レノンはビートルズ時代、ヨーコ・オノと共に「ベッド・イン」を2度行っている。1回目は結婚した際にオランダのアムステルダムのホテルで行ったもので、2回目はカナダのモントリオールに滞在していた時にクイーン・エリザベス・ホテル1742号室で行った。ちなみに、ジョンとヨーコのユニークな平和運動には、この「ベッド・イン」以外に、まだ冷戦時代の1968年6月にイギリスのコンベントリー大聖堂の庭で行われた「どんぐりを植えるイベント」がある。ジョンとヨーコは2個のどんぐりのひとつを東に、もうひとつを西に向けて地面に植えた。西洋人のジョンと東洋人のヨーコが出会って愛し合ったように、西洋と東洋の人々が理解し合って、世界が平和になるようにと、どんぐりに願いを込めて埋めたのであった。ふたつのどんぐりは西洋と東洋がひとつになることを象徴していた。これをふたりは「生きているアート」と呼んだ。どんぐりが芽生え、木になり、枯れ、そしてまたその木に実ったどんぐりが芽生えるという永遠に続く生命活動そのものを、アートとしてとらえた作品だからであった。ジョンはこのイベントで「近いうちに東と西がひとつになることを望みます」と話している。
羽田到着後に行われた6月29日の東京ヒルトン・ホテルでの記者会見で、ビートルズは、「名誉と財力を得て、つぎに求めているものは?」という記者からの質問に対し、「なによりもまして平和(Peace)がほしい」と答えている。おそらく、バートランド・ラッセルの影響もあったのだろう。
その14年後、ジョン・レノンは、凶弾に倒れた。いまから34年前の1980年12月8日のことであった。
社会人になりたての時代、あの数年後に渡米し、寒い冬の朝、NYのセントラルパーク沿いのダコタ・ハウス (The Dakota)の献花の前に佇んだ。そして、今は亡きジョン・レノンに静かに黙祷した。
その前のセントラルパークには「ストロベリー・フィールズ」があった。その路面には、‘IMAGINE’の碑があった。絶えず人々が集う場所となっていた。そこを訪れたあの日も、寒空の下で、1人の若者が、アコースティックギターで「イマジン」を歌っていた。
Imagine there’s no Heaven、 It’s easy if you try、No Hell below us、Above us only sky、
Imagine all the people 、Living for today…
Imagine there’s no countries・・ It isn’t hard to do,、Nothing to kill or die for
「さあ想像してごらん みんなが、ただ平和に生きているって…僕のことを夢想家だと言うかもしれないね。でも僕一人じゃないはず。いつかあなたもみんな仲間になって、きっと世界はひとつになるんだ。(Imagine all the people, Living life in peace. You may say I’m a dreamer. But I’m not the only one.I hope someday you’ll join us. And the world will be as one)」
「欲張ったり、飢えることも無い。人はみんな兄弟なんだって、想像してごらん。
みんなが、世界を分かち合うんだって…(Imagine no possessions. I wonder if you can. No need for greed or hunger. A brotherhood of man. Imagine all the people. Sharing all the world)」
実は、このジョン・レノンの「イマジン」には、個人的な思い入れがある。本郷の勤務先大学で10余年間にわたり教壇に立っていた時代、毎年、地球環境学の初学者の学生諸君向けに、初回講義で、学生諸君に実際に「イマジン」を聴いてもらった。それを聴いた学生諸君に、率直な感想を書いてもらい、この歌詞について自由闊達に学生同士で意見交換してもらっていた。これは、毎年、一種の恒例儀式にようになっていた。
なぜ、毎年、地球環境学の初学者に、「イマジン」を聴いてもらったのか。それには、理由があった。「イマジン」には、地球環境を学ぶ学生にとって、すべてのヒントが凝縮していると思っていたからであった。ありがたいことに、10余年間勤務した大学は、結構おおらかで、シラバスさえしっかり企画・実施できていれば、教室で「イマジン」を流す等、その現場での教授法や内容は、教授裁量にゆだねてくれていたことは幸運であった。
当時、地球環境学の初回講義の冒頭で、いきなりジョン・レノンの「イマジン」聴かされた学生は驚いていたが、いまでもこの「イマジン」の洗礼を懐かしむ卒業生も多い。
この「イマジン」を聴くと、いまでも、ふと、ヨーコ・オノのこの言葉を思い出す。
「物事というのは自然に明らかにならなければいけないの。
それがベストなの。
何でも、いつかは明らかになる。
私たちがどれだけ賢くなるか、 それによるわね。」 (Yoko Ono)
このヨーコ・オノの言葉を、かつて、ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)は、別の言い回しで、人類の種の前途についてこう喝破した。
「人類の前途は二者択一だ。人類という種は消滅するであろう。しかし、絶滅ではない。それはあくまで消滅にすぎない。消滅の形は、二者択一だ。1つは、人類自身がもっている核や生物化学等の強大な力による自滅。もう1つは、人類という種のアップグレードだ。いずれにしても、この前途がどうなるかは、これからの我々1人1人の行動と意思にかかっている。」
はたして、ヨーコ・オノが問いかけているように、我々人類は、どれだけ賢くなれるのであろうか。あるいは、性懲りもなく、愚かなままなのであろうか。
ウクライナ戦争もガザの惨状も、一向に収まる気配もなく、いま、世界中で「平和」が綻び始めている。そして、「積極的平和主義」という欺瞞に満ちた詭弁の旗の下で、多くの好戦的な軍備拡張が着々と進んでいる。
第二次世界大戦以降の世界の平和は、核戦力の均衡の上に平和を成立させるという実に危ういものであり、その不安定な均衡の上に、今日の世界が依拠している。
そしてまさに、ロシアのプーチン大統領は、この期に及んで、核兵器での恫喝を隠さない。イスラエルのアミハイ・エリヤフ エルサレム問題・遺産相は、ガザ地区に核爆弾を投下することも選択肢のひとつだと述べ、物議を醸した。
核武装した武力を蓄え、軍事的に強力な国と同盟することによって平和が保たれると考える政治指導者が世界では後を絶たないのは、実に憂慮すべき深刻な事態である。
有史来、人類は、武力による平和はそれを使いたいという欲求にかられることになり戦争をより悲惨なものにしてきた忌まわしい過去から多くを学んでいるはずであるにも関わらず。
フランス映画不朽の名作「天井桟敷の人々」や「枯葉」というシャンソンでおなじみの20世紀フランス最大の民衆詩人と讃えられるジャック・プレヴェール(Jacques Prévert)の詩がある[6]。
「踊れ、すべての国の若者よ。
踊れ、踊れ、平和とともに。
平和はとても美しく、とても脆い。
やつらは彼女を背中から撃つ。
だが、平和の腰はしゃんとする、きみらが彼女を腕に抱いてやれば。
もしもきみらが戦争を欲しないならば、繕え、平和を」。
(Jacques Prévert ” Si tu ne veux pas la guerre, répare la paix”;1953)
ジャック・プレヴェールは、「君が平和を欲するならば、備えよ戦争に(Si tu veux la paix, prépare la guerre)」という危うい「積極的平和主義」を皮肉り、「君が戦争を欲しないならば、繕え、平和を(Si tu ne veux pas la guerre, répare la paix)」と訴えたのであった。
いまこそ、我々は、世界中で不可逆的な勢いの加速度をもって綻びつつある「平和」を繕うことができる最後のチャンスを迎えているのかもしれない。そして、おそらく、次のチャンスは、もうこないかもしれない。ジャック・プレヴェールの「枯葉(les feuilles mortes)」の冒頭の部分が、心に浸みる。
「あなたは覚えているかしら
仲が良かった幸せな日々を
あの頃は今日よりも 人生は美しく
太陽は明るかった」
Oh ! Je voudrais tant que tu te souviennes
Des jours heureux où nous étions amis.
En ce temps-là la vie était plus belle,
Et le soleil plus brûlant qu’aujourd’hui.
[6] ジャック・プレヴェール(Jacques Prévert、1900年2月4日 – 1977年4月11日)、フランスの民衆詩人、映画作家、童話作家。シャンソン『枯葉』の詞や、詩的リアリズムの映画『天井桟敷の人々』のシナリオを書いた。第一次世界大戦、第二次世界大戦、べトナムがフランスからの独立を目指したインドシナ戦争(1946~54年)、アルジェリア独立戦争(1954~62年)などフランスの数々の戦争に接した人生だった。戦争や破壊、抑圧に反対し、戦争の犠牲になる子どもや女性に対する同情を寄せ、貧しい人々に共感をもった。また、戦争の声なき犠牲者である動物や植物の味方をプレヴェールは自任していた。
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