かつて、イヴァン・イリイチ(Ivan Illich)[1]は、こう喝破した。

「自立共生的社会(convivial society)は、他者から操作されることの最も少ない道具によって、すべての成員に最大限に自立的な行動を許すように構想されるべきだ」 と。

まさに、いま、世界が模索しようとしている新しい仕組みは、国家の枠や資本の魔力を超越したグローバル・コモンズの責任ある管理(Global Commons Stewardship)[2]に関する国際的に共有される知的枠組みの構築であり、これこそ、自立共生的社会を担保することに他ならない。

では、はたして、そのグローバルな知的枠組みの構築にとって鍵となるのは何だろうか。

それは、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)という3つのキーワードに集約される[3]

この頭文字を取って作られた言葉が「ESG」である。これは、他者から操作されることの最も少ない道具でもある。気候変動問題や人権問題などの世界的な社会課題が深刻な形で顕在化している今、企業が持続可能な長期的成長を目指す上で重視すべき「道標」がESGであり、ESGが、現下の人類社会システムが真に持続可能なものであるか否かの鍵となる。同時に、人間が産業資本主義的なしくみへの一方的な隷属から逃れることができ、自立的な人々が相互に共生しあう自立共生的な社会に繋がるドアーの鍵となる。

ESGに配慮した取り組みを行うことは、人間や地球環境を疎外してきた既成の手垢にまみれた価値観からの卒業を意味する。そして、すでに、世界中で、人類が今世紀半ばまでにPlanetary Boundaries(地球システムの限界)の範囲内での持続可能な開発を達成するための統合的なシナリオ経路や政策・ビジネスのガイダンスとなる指標等が、着実に準備されつつある。それが、「人間的な相互依存のうちに実現された個的自由」を担保する道であり、そして、それが、やがて人類が生み出した宿痾とも言うべき気候危機や戦争や格差等の矛盾を「止揚(Aufheben)」するまったく新しいパラダイムとなるであろうと信じたい。

いまや、世界中の資本は変質し、ESGを軸に動き始めている。そして、その証左として、企業独自の動きαと市場全体の動きβの2軸から構成されている企業の株価パフォーマンス評価にも大きな変化が顕在化している。その軸足が、従来の、個別企業の業績見通しや配当性向、設備投資と減価償却費のバランス等を見ながら株価パフォーマンスを追求してきた個別企業独自への注目ではなく、気候危機やジェンダー、人権、ダイバーシティー、所得格差、森林破壊、希少鉱物採取後の汚染問題等々のβの追求に移行してきているのである[4]

換言すれば、投資家は、貨幣的な利益尺度の呪縛から卒業し、いまや、各企業が社会や地球環境の持続性に合致した経営をしているかどうかで、企業への投資判断を行うようになってきている。そして、聡明な企業経営者の多くは、その世界の潮流を敏感に察知し、すでにESG経営に軸足を変えてきている。なぜなら、それが、唯一自社の長期的な持続可能性を担保できる方途だからである。かように、市場全体の動き、つまりβを追求することを鮮明にすることで、投資という行為自体が企業や国家の思考と行動を変えそれ自体が社会善となってきていることの意義は大きい。

 
[1]イヴァン・イリイチ(Ivan Illich)は、『コンヴィヴィアリティのための道具』の著者として有名な現代産業社会批判で知られるウィーン生まれの哲学者。1926年、父親はクロアチア貴族の末裔、母親はセファルディム系のユダヤ人という家庭に生まれた。外交官であった父親の任地や祖母のいるウィーンなどを幼い頃から転々とし、マルチリンガルな環境で育つ。過剰な効率性を追い求めるがあまり人間の自立、自律を喪失させる現代文明を批判。それらから離れて地に足を下ろした生き方を模索した。イリイチは、「一旦こういう限界が認識されると、人々と道具と新しい共同性との間の3者関係をはっきりさせることが可能になる。現代の科学技術が管理する人々にではなく、政治的に相互に結びついた個人に仕えるような社会、それを私は”自立共生的(convivial)”と呼びたい。」と延べ、人間が産業主義的道具やしくみへの隷属から逃れることができ、自立的な人々が相互に共生しあう社会を自立共生的(convivial)な社会と呼んだ。

[2]グローバル・コモンズ(Global Commons)とは、人類の生存に必要な大気・大地・森林・海洋などの地球環境や生態系、自然資源。 また、特定の国の管轄権が及ばない公海・宇宙・サイバー空間など、人類が協働して管理・保全すべき地球環境資産の意味。すでに、グローバル・コモンズセンター(Center for Global Commons: CGC;東京大学)は、2020年に、グローバル・コモンズ・スチュワードシップ指標(GCSi)を発表している。本指標は気候変動や生物多様性、土地利用変化などの地球環境システムの主要構成要素への負荷の増減実績、および各主体毎に設定する目標への達成度を定量的・定性的に評価したもので、各国の持続可能な人類社会に向けた社会・経済システム転換への貢献度を計測・評価し、その比較を可視化した世界初の総合指標である。

[3]自立共生的社会を疎外してきた従来の株主至上資本主義から、全てのステイク・ホールダ―を重視する「ステイクホルダー・キャピタリズム」へのシフトを促す鍵は、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)にあるとも言える。

[4]Jon Lukomnik(2021)”Moving Beyond Modern Portfolio Theory”

しかし、ここにきて、ESGの前途に困ったことが起きている。ロシアのウクライナ侵攻によって派生したエネルギー危機である。それでなくとも、気候危機等の地球的規模の深刻な危機が起きていると言われている厳しい状況下で、よりによって、ありえないウクライナ戦争という愚挙が勃発し、エネルギー危機が世界を当惑させている。[5]そして、残念なことに、その影響で、いま、「ESGの動きが逆回転し始め、2023年はESGにとって波乱の年となるかもしれない」との懸念が専門家間で囁かれ始めている。

気になるのは、国連やEUも現実路線に微妙に軌道修正を始めている点である。国連は、昨年2022年6月に策定したばかりの脱炭素に向けた新基準を9月に緩和。EUも2022年7月、天然ガスと原子力を「持続可能な活動」と認める方針を打ち出した。投資家も理想と現実のはざまで揺れ、過渡期の模索が続いている。かようなESGの逆回転リスクはとても大きく残念である。人道的な国際法違反に加え、かくも時代を逆回転させたプーチンの罪は重い。

しかし、1つ明らかなことがある。それは、脱炭素等のESG経営と企業価値創造はトレードオフではないと言うことである。

持続可能なやり方で、ESG経営と企業価値創造の両方を同時に実現していくことは十分可能であり、脱炭素に向かう世界的な潮流に対応し、それを前提にさまざまなリスクをマネジメントしていくことが、最終的に企業価値の持続可能性を担保する唯一の選択肢であり、近視眼的な目先の利益で右往左往し狼狽しないことこそが、企業家や投資家にとって非常に重要である。いまこそ、真のESGの実践に向けて真摯に人類が向き合っていると言えるのか否か、まさに、いま人類は試されているのである。

もはや、ウクライナ戦争ごときで、歴史は逆戻りしないであろう。真のESGの実践に向けた潮流に竿をさすべきではなかろう。着実に、決算報告書に環境負荷の公表をする企業も増えてきており、投資家等のステイク・ホールダ―は、こうした非財務情報を投資適格性の重要な判断基準として参照するようになってきている。

加えて、「気候関連財務情報開示タスクフォース(Task Force on Climate-related Financial Disclosures ; TCFD)」や「自然関連財務情報開示タスクフォース(Task Force for Nature-Related Financial Disclosure ; TNFD)」の基準は、世界中のすべての企業にとって情報開示の大前提となりつつあり、ガバナンス(Governance)、戦略(Strategy)、リスク管理(Risk Management)、指標と目標(Metrics and Targets)等の多角的な側面で「脱炭素」や「生物多様性保護」への貢献が求められる時代になってきた。

同時に、資金調達面でも、投資家の資金と企業の設備投資を「脱炭素化」に集中させるべく、持続可能性に貢献する経済活動を分類判別する「タクソノミー(taxonomy) 」が標準化し、環境に配慮した投資融資行動により、資金調達をする企業行動にも劇的な行動変容が起こりつつある。[6]もはや、この趨勢は不可逆である。


[5]米国では、共和党支持者の投資家が多い州では、ESG重視を掲げる大手運用会社との取引停止をほのめかしており、一方の民主党支持者の投資家が多い州ではウォール街により積極的なESG対応を求めているといった分断が進行している。ウクライナ戦争の派生たるエネルギー危機を契機に、大手金融機関は投資家から「踏み絵」を迫られている悩ましい実態が露呈しつつある。ESGのような道徳性や規範性を内包した動きを社会全体で推進するためには、世論を形成する中間層の賛同が重要で、中間層の金銭的・精神的余裕の有無が、今後のESG推進の行方を決めることになるとの分析もある。

 [6]タクソノミーは「分類」の意味。EUが独自に制定した「EUタクソノミー」は、持続可能な経済活動の体系化したもので、地球環境にとって企業の経済活動が持続可能であるかを判断する仕組みであり、従来不明確であったグリーン投資基準になっている。このEUタクソノミーにより、持続可能な経済活動をおこなう企業が明確化されるようになった。企業や投資家に対しては、タクソノミーを満たす事業、または投資関連の開示が求められるようになり、それにともない持続可能な経済活動への意識が高まり、グリーンな事業に舵を切りやすくなる効果と、グリーン事業への資金誘導が期待されている。

こうした世界の潮流の中、肝心の日本の実態はどうなのか。日本の現在地はどこなのであろうか。国ごとのSDGsの進捗情報を公表しているドイツのベルテルスマン財団と持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)は、日本について、厳しい評価をしている。特に環境分野、ジェンダー、不平等の是正等の項目でSDGsの達成に向けた努力が一層必要である(2021年版)と手厳しい。日本が掲げる2050年カーボンニュートラルを確実に達成するためには、企業等のトランジション活動及びそれを支えるトランジション・ファイナンスを、政府、金融機関、産業界、学術界、国民等のステイク・ホールダ―が一丸となって推進していくことが必要不可欠になる。

日本は早くからトランジション・ファイナンスの重要性を認識し、様々なイニシアティブを推進してきた[7]が、はたして、その産業部門への波及は道途上の感が否めず、情けないことに、いまだに、イノベーションのジレンマに拘泥し、過去の成功体験の亡霊の虜になっている企業経営者や緊張感が欠落した為政者も多い。2050年カーボンニュートラル宣言が画餅に帰することだけは、なんとしても避けたい。こうした不作為の罪の為、画餅リスクが日本に対するcredibility失墜を惹起し、あらゆる商機が日本からの逃避し、何千倍もの機会費用となって日本を襲い、気が付いた時には、時すでに遅しで日本沈没という愚かな結末は、避けねばなるまい。

はたして、世界から「周回遅れだ」と手厳しい評価を浴びている日本の脱炭素化やEVシフト、さらにはSDGsの実態改善に対して、ESG投資を軸としたファイナンスが、そしてESG経営が、いかに貢献できるか、これからが、日本にとっての正念場である。もはや、待ったなしである。いまこそ、日本は、謙虚になって自らの不作為の罪を自戒反省し、自分の頭で考え、自分の言葉で語り、自分の手で日本の未来を描き、自分の足で行動すべき時期に立っている。それが、唯一隷属状態から卒業できる道であり、明日の持続可能な明るい日本を築ける唯一の選択肢なのである。

すでに、非財務情報開示の整合性に関する義務化の流れもあると側聞している。霞が関も永田町も、いよいよ危機感を感じ、本腰を入れてきた感がある。日本は、いつまでも欧州モデルの隷従的な後追いではなく、主体的に日本の先進的なトランジション・ファイナンスの世界への力強い率先垂範と発信を期待したいものである。この新しいグローバルなパラダイム構築に果たす日本の役割は大きく、その責任は重いのだから。

かのイリイチは、こうも言っている。
「奴隷状態は、自分が自分の愚行に対して責任のある愚か者なのだということを、よろこんで認識することによってのみ打破されるのだ。」と。これ以上の的確なアドバイスはあるまい。


 [7]金融庁(2021)「クライメート・トランジション・ファイナンスに関する基本指針」同(2022)「金融機関における気候変動への対応についての基本的な考え方」等。