いよいよ広島G7サミットが開催された。

ウクライナのゼレンスキー大統領も急遽広島入りして対面でG7参加国首脳会議に参加した。そして特別参加する国連グテーレス事務総長やインドのモディ首相等とのアウトリーチ会合も実現した。大いに広く開襟して自由闊達に議論することは良い事であるが、果たして、その成果はいかばかりか。

一連のG7報道に触れ、ふとあの不朽の名作『風の谷のナウシカ』を思い出した。そして、ナウシカが生きていた、人類文明が崩壊した後の「永いたそがれの時代」の世界のことを空想した。

「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし。失われた大地との絆をむすばん」(漫画版) 

この言葉、宮崎駿ファンの方なら、ナウシカ を示唆する有名な台詞であることはご存知かと思う。あの不朽の名作『風の谷のナウシカ』の中で、風の谷に伝わる古くからの言い伝えとして僧正が述べる台詞である。

舞台は、「風の谷」と呼ばれる辺境の小国。海からの風によって、腐海の毒から守られている、人口わずか5百人たらずの辺境の村である。みな、心根が優しく、働き者で、ささやかな幸福を愉しんでいた。

規模も時代も違うが、ふと、いま住んでいる鎌倉を想起する。東京駅から横須賀線に乗って鎌倉駅で降り立つと、なぜか海から吹く風のせいか、自然の穏やかな空気の匂いがある。

そして、山奥の奥鎌倉にある緑に囲まれた自宅に戻ると、ほっとする。我が家の周りは風通しがよくて、内心では、東京の腐海の毒から守られている「風の谷」だと思っている。

この物語りが登場する時代は、「火の七日間」と呼ばれる最終戦争(アルマゲドン)で巨大産業文明が崩壊した後の「永いたそがれの時代」である。

「火の七日間」と呼ばれる最終戦争は、栄華を極めた人類文明が崩壊した大戦である。人類が築き上げた文明をわずか7日間で崩壊させてしまった戦争である。物語に特定の言明はないが、「核全面戦争」が想起される。

ナウシカのいる時代よりも1000年前の「火の七日間」が起きた世界は、高度な文明を誇っていた。ただ高度であるがゆえに地球への負荷も大きく、酷い大気汚染など環境破壊が進んでいた。そして、地球滅亡の手前まで来てしまっていた。つまり、文明によって世界は腐っていったのであった。それは、現下の我々の人類社会を描写していると考えてよかろう。

そんな人類文明が崩壊した後の「永いたそがれの時代」の世界にも、人々が穏やかに暮らすことができる場所があった。それが本作の舞台となる「風の谷」であった。
2つの大国トルメキアと土鬼(ドルク)が敵対する中、「風の谷」は同盟国としてトルメキアに追従していた。主人公のナウシカは、風の谷の族長ジルの末娘。森の毒に侵され病床に臥せているジルになり代わり、16歳のナウシカが国を治めていた。生き残った人類は、腐海が放つ猛毒と、そこに棲む巨大な虫たちに脅かされていたが、辺境にある「風の谷」は、酸の海から吹く風によって森の毒から守られ、のどかな農耕生活を送っていた。

「腐海」と言う聴きなれない森は、戦後生き残った人々が暮らす「風の谷」の近くにあり、旧世界の文明崩壊後に生まれまた多種多様な菌類によって形成されている巨大な森であった。腐海の菌類は「瘴気(しょうき)」と呼ばれる毒ガスを発生し、人間がガスマスクなしで腐海に入ると5分で肺が腐ってしまう。そして、この腐海を、昆虫に似た不思議な巨大生物「蟲(オーム)」が守っていた。腐海は次第に人間が住む領域を侵食していき、ナウシカが住む風の谷の人々も瘴気と蟲に怯える日々を過ごしていた。

実はこの腐海は、旧人類の遠大な計画のひとつで、旧人類たちが取り返しのつかないほど汚染した世界を、腐海は長い時をかけて浄化し続けていたのであった。巨神兵が焼き尽くした旧世界を腐海によって浄化することが目的だった。腐海は、人工的に造られた「浄化装置」であり、巨神兵も「裁定の神」として荒廃した世界を平らにするために創られたものであった。

ここで、気になるのが、現代の2023年の人類経済社会と、ナウシカが生きていた「火の七日間」と呼ばれる最終戦争で巨大産業文明が崩壊した後の「永いたそがれの時代」との距離感である。

正直、ナウシカの時代は、思ったほど、遠い未来のことではない。「火の七日間」と呼ばれる最終戦争は、現下の核戦争の危機を考えると、遠い先の話とは思えない。現下のウクライナ戦争の帰趨如何では、いつ「火の七日間」と呼ばれる最終戦争が勃発しても不思議ではないタイミングではないかとすら思える。

逆に言えば、現代の人類の生き方次第では、あの忌まわしい「火の七日間」は回避できると考える。つまり、その後のナウシカが生きていた「永いたそがれの時代」に至らなくてもよい「第2の道」の可能性が、まだ、いまの人類、つまり物語上の旧人類の我々には残されているのではないかと、微かな希望を感じる。

そんな文脈から、つらつらバックキャステイングして思考を巡らすと、現在開催中の広島G7サミットの意義もますます大きいと考える一方で、核保有国と核の傘下に依存している参加国から構成されているG7モデルというグローバルガバナンスの限界も感じている。G7参加国首脳参加者各位におかれては、ウクライナのゼレンスキー大統領やインドのモディ首相ともども、単なるロシアや中国包囲網等の近視眼的なゲームの理論のさや当てだけに留まらず、あの忌まわしい「火の七日間」に至らない最善策を企画する大局観とビジョンをもって、真摯に議論に臨んでいただきたいと切に思うが、方や、やや政治ショー的な皮相的風景を眺めていると、いささか刹那的な虚無感も感じている。

いまや世界は、すでに「黙示録(Apocalypse)の時代」に入っていると言えよう。その危機感ゆえ、元来の西洋式の線形の二元論的なユニヴァース主義の強迫観念で起動するグローバルガバナンスでは、もはや、「火の七日間」を回避し、人類の恒久的平和を担保できる「最適解」は創出できない時代に入っていると思える。西洋式の線形二元論から一定の距離をもつアジアにおける日本の真骨頂が、いまこそ問われているとも思っている。「ナウシカ」を世界に提示した日本への期待は大きいと考えている。