1. 気候危機と資本主義と民主主義の危機との相関

いまや、人類は、深刻な気候危機とともに、同時に、資本主義と民主主義の危機に直面している。この3つの危機は、同根である。相互に、抜き差しならぬ、深い関連がある。

資本主義の矛盾が、気候危機の不条理として表出している。もはや、気候危機を考える上で、資本主義と民主主義の危機について同時に考察することが不可避なのである。

肝心なのは、人類の幸福を担保するために必須不可欠な気候危機、資本主義、民主主義という3種の未知数からなる一種の「三元連立方程式」をいかに解くかである。このすべての方程式を同時に成り立たせる未知数の「共通解」を早急に解くことが、人類が直面している最優先の喫緊の課題である。なぜなら、この「解」が、現下の忌まわしいウクライナ危機をはじめとする世界中の紛争リスクやエネルギー危機、世界中で蔓延しつつある貧困問題、格差と分断のリスクの軽減、さらには、人類の平和的帰結に重要な貢献を期待できるからである。

しかし、問題なのは、この地球上の誰しもが、気候危機、資本主義、民主主義の各々の個別の一元方程式の解法にやっきになってはいるが、本来取り組むべきこの三元連立方程式の解法について、手をつけようとはしていないことである。理由は、難解だからか。あるいは、そういった視座が欠落してしまっているからだろうか。けだし、いずれにしても、この三元連立方程式への取り組みを放棄してしまっている不作為の罪は、極めて深刻で重い。下図 で一目瞭然ではあるが、深刻な事実が、人類の眼前にある。この地球上で、大量の二酸化炭素を排出している先進諸国は、その二酸化炭素等の温室効果ガス排出を伴う経済活動によって得た資金で温暖化防止のための緩和策(Mitigation)や、災害が起きたときの対策のための適応策(Adaptation)を行うが、貧困層の人々は、温室効果ガス排出にほとんど関わっていないのにもかかわらず、気候危機によって激化した災害や、高騰した食料に苦しめられていながら、対策に必要なの技術も資金もなくあえいでいる。そこに忌まわしく深刻な格差と不条理がある。

【参考図】温室効果ガス排出量と貧富格差

※1 Climate change is inextricably linked to economic inequality: it is a crisis that is driven by the greenhouse gas emissions of the ‘haves’ that hits the ‘have-nots’ the hardest. In this briefing Oxfam demonstrates the extent of global carbon inequality by estimating and comparing the lifestyle consumption emissions of rich and poor citizens in different countries. (出所)Oxfam (2016) “Extreme carbon inequality”

明白な事実から目を背けてはなるまい。少数の裕福な国や人々が無節操に化石燃料や原発などのエネルギーを湯水のごとく大量消費し、持続可能でない経済発展を押し進めて来た結果、気候変動とエネルギー危機が悪化している※2。そして、地球温暖化により異常気象や自然災害が多発加速し、とくに農業や漁業等天候や自然災害に影響を受けやすい生計手段に頼って生活する人が多い途上国で、気候変動による大きな被害をうけており、それが、死活問題となっている。特に気候危機による災害に対する備えが十分ではなく、ガバナンスも弱い地域では、ますます貧困化がすすんでしまっている。そして、それが、最も重要な人権課題の一つとなっている。生存や健康、住居や食料といった基本的権利に与える影響は甚大で、多くの人か今住んでいる場所からの移住を強いられている。女性や子供、老人といった特に貧困や周縁に追いやられた人々が気候変動の影響を受けやすい状況に置かれている。これらの深刻な気候危機の問題は、資本主義と民主主義の危機の問題と表裏一体であることの証左である。

2.気候危機と気候正義

気候危機によりもたらされた不公正な状況を直そうという考えを「気候正義(Climate Justice)」と呼ぶ。先進国に暮らす人々が、自分たちが化石燃料を大量消費してきたことで引き起こした気候変動への責任を果たし、この地球上のすべての人々の暮らしと生態系の尊さを重視した取り組みを行う事により、化石燃料をこれまであまり使ってこなかった途上国の方が被害を被っている不公平さを正していこうという考えである。地球温暖化の責任がほとんどない経済弱者や若い世代が、より甚大な被害を受ける不公正な状況を是正しようという呼び掛けでもある。こうした「気候正義」の背景には、以下3つの議論がある。

①汚染者負担原則 
環境の質を悪化させた者がその環境を回復させる責任を持ち、必要な費用負担すべきという考え。途上国にさほど大きな罪はなく、むしろ、温室効果ガスの排出量が多い先進国の人々が、より大きな責任を負うべきだと主張するもの。

②受益者負担原則 
ある者の行為から別の者が利益を得ているとき、その者は利益の分だけ当の行為について責任を負うべきだという考え。先進国は、産業革命以降、化石燃料を大量に消費・燃焼しながら、莫大な温室効果ガスを世界にまき散らしながら、多大なる利益を享受しつつ経済成長をして発展して豊かになってきたが、その一方で、途上国は、先進国に大量の労働力や資源を提供してきたわりに、その恩恵を受けていない。そればかりか、先進国による大量な化石燃料消費の帰結として、温室効果ガスによる気候危機の被害を、一方的に途上国が押し付けられてきた実態がある。したがって、先進国は、謙虚に自己責任を痛感し、それ相応の応分の負担を負うべきであるのは道理である

③支払い能力アプローチ 
問題解決能力の高い者が責任を負うべきだという考え。特に問題解決の有効性を重視する考えで、所得の多い富裕層、壮年・老年世代等の支払い能力の高いものが資金負担を負って責任を果たすべきだと言う考えである。

ちなみに、2021年に英グラスゴーで開かれた国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)では、この「気候正義」という言葉が、頻繁に登場した。会場内外で、途上国や環境団体が、温暖化を引き起こしてきた先進諸国に対して「気候正義」を反映した政策決定を促していた。次の国連気候変動枠組み条約第27回締約国会議(COP27)開催国は、アフリカのエジプトであり、先進諸国から気候変動の影響を受ける途上国への支援や協力のさらなる強化が重要議題となるであろう※3

また、単に国家レベルの動きだけではなく、気候変動の影響に取り組む際に企業の果たす役割も大きい。世界中で、志の高い企業を中心に、「気候危機」への積極的な取り組みが始まっている。自らの企業活動に伴う排出量の削減緩和策はもとより、企業のサプライチェーンにおける気候変動の影響を受けやすい人々への支援、さらには、政府に対しより強固な必要措置を講じることを求める公共政策上の責任追及等、主体的に「気候正義」を念頭にいれた行動を開始している。ちなみに、直近の朗報としては、2022年9月に、パタゴニアの創業者イヴォン・シュイナード(Yvon Chouinard)は、彼が約半世紀前に立ち上げたパタゴニアの所有権を手放し、同社からの全利益を、自然の土地と生物多様性を保護し、気候危機に取り組むプロジェクトや団体に寄付すると決定している※4。世界中の企業経営者は、彼の姿勢から多くを学ぶであろう。

※2 温室効果ガス排出トップ10の国だけで、世界の排出量の7割に相当する。国際NGO Oxfamの調査によると、世界の中で世界人口の10%に当たる裕福な人々が、個人消費による温室効果ガスの半分を排出している。Oxfam(2015)“Extreme Carbon Inqeuality, 2015″

※3 プレCOP27(2022年10月3日と4日コンゴ民主共和国のキンシャサにおいて開催)コンゴ民主共和国のイブ・バザイバ環境相は、アフリカにおいて温室効果ガス排出量は世界全体のわずか4%であるところ、多くの貧困層が存在すると述べ、途上国における石油・ガスを活用した経済成長と気候変動対策の両立のための支援を訴えた。また、国連のアントニオ・グテーレス事務総長は、会合にオンラインで参加し、温室効果ガスの排出が多い国から、気候変動の影響を受ける途上国への支援や協力に関する合意形成を呼びかけた。

※4 2022年9月14日付ニューヨーク・タイムズ紙によると、パタゴニアの価値は約30億ドル(約3,000億円)。パタゴニアの創業者イヴォン・シュイナードとその配偶者、そして成人した2人の子どもたちは、非公開である同企業の株式は今後、気候変動に焦点を当てた信託パタゴニア・パーパス・トラストと非営利団体のホールドファースト集団が所有する。同社は声明で「パタゴニアに再投資されなかったすべてのドルは、地球保護のための配当として分配される」と明かしている。(出所)The New York Times(2022)”Patagonia founder just donated the entire company, worth $3 billion, to fight climate change”

3. グローバル・サウスと気候危機

グローバル化によって被害を受ける領域ならびにその住民を指す「グローバル・サウス(Global South)」という概念は、必ずしも、厳密に南半球の途上国をさす意味ではないが、今日では、先進諸国を象徴する「グローバル・ノース(Global North)」と対峙する言葉として、国際政治等の学会のみならず、一般でも広く使われつつある※5。国連は、77の国と中国を、グローバル・サウスに分類している。

グローバル・サウスの定義は3つある※6。①冷戦後の「第三世界」に代わる呼び方を表す。資本主義のグローバリゼーションによって、マイナスの影響を被る人々や場所を指す。②地理で南に位置しているかに関わらず、豊かな国かどうかの境界線を表す。単に「サウス」ではなく、「グローバル」が付くことで、地理的には南半球に位置していても経済的に豊かな国との混同を取り除く。③南の国々の連帯を表す。グローバル資本主義の権力に対して、世界の“南”が互いに認め合い、自分たちの状況を共有するものとして、南のコミュニティーを意味する。

資本主義は、その自己増殖の属性ゆえに、人間だけでなく、地球環境からも節操なく貪欲に掠奪する。そして、問題解決を先送りしながら、負荷を外部に転嫁しながら経済成長を続ける。その最大の犠牲者が、他ならぬグローバル・サウスである。

グローバル・サウスが被った典型的な環境問題としては、プラスチックごみ問題がある。先進国からプラスチックごみの多くが途上国へ輸出されていることが問題となった※7。資源と言う名目で輸出されたが、グローバル・サウス諸国内では、必ずしも正常にリサイクルされてきたわけではなかった。野積みによる発火でダイオキシン発生など環境問題の他に健康問題や人権問題など様々な課題が浮き彫りになった。こうした問題により、中国は、すでに2017年に廃プラスチック輸入を禁止している。「バーゼル条約」は、廃棄物の国境移動を国際的に規制しており、こうした問題を受け、さらに2019年に改正され、2021年より、汚れたプラスチックを輸出する際には事前に相手国に了承を得る必要があることになっている。

とりわけ、グローバル・サウスが被る被害で深刻なのが気候危機である。グローバル・ノースの起こした気候危機のグローバル・サウスに対する責任は、深刻で極めて重い。この2022年夏、パキスタンでは、気候危機の影響で発生した異常なモンスーン豪雨によって、なんと、国土の3分の1が水没し、3300万人が影響を受けた。そのため、多くの死傷者が出た。そして、家畜の太宗を失い、多くの人々が、不健康で劣悪な環境に放り出されたままである。その被害の規模と悲惨さは、先進国の被った被害とは、けた違いで比べ物にならない。パキスタンはじめグローバル・サウスが毎年被っている被害は、国連が定める「生命に対する権利」「食糧に対する権利」「健康に対する権利」等の基本的人権を著しく蹂躙するものである※8。深刻なのは、これが人災であるという事実である。グローバル・サウスは、自らは、さほど気候危機の元凶たる温室効果ガスを排出してこなかったにもかかわらず、すでに気候危機のインパクトである熱波、干ばつ、洪水、作物の不作、人の移動の矢面に立たされており、不条理にも、多くのかけがえのない人命が奪われている。グローバル・サウスは、明らかな被害者である。そして、気候変動を引き起こしたのは、グローバル・ノースの先進国であり、その被害を受けるのは化石燃料をあまり使ってこなかったグローバル・サウスと将来世代である。この不公正を解消し、気候変動を止めるべきだ※9。いまや、グローバル・ノースの企業や富裕層の責任を追及し、気候危機の影響を最も受けるグローバル・サウスの人々や、移民・難民、人種マイノリティ、女性、障碍者、若者、貧困者、労働者、先住民等の弱者と共に「気候正義」の実現をめざすことが、人類共通の喫緊の最重要課題となっている。すでに、人権保護と持続可能な発展に気候危機が素深刻な悪影響を及ぼしていることに対しては誰しも異論がなく、世界各地で気候変動訴訟も起きており、基本的が現在そして将来の気候危機の影響で侵害されないよう、国が温室効果ガス排出削減策や適応策等の措置をつくことが義務化されており、また、国連は、人権理事会において、気候変動に関わる人権の促進と保護に関する特別報告者の任命を行う等、厳しい監視体制をひきつつある。もはや、気候危機とグローバル・サウスの問題は、深刻な人権問題であり、加害者であるグローバル・ノースの先進諸国は、自己の見苦しい正当化や責任回避に拘泥するのではなく、潔く、自己責任を認識し、企業にも行動変容を迫りつつ、毅然と気候危機への対策を遂行してゆかねばなるまい。

※5 ポスト冷戦後時代の国際開発研究の分野で、グローバル・サウスの台頭が注目されている。グローバル・サウスを含むG20加盟国は経済規模や二酸化炭素(CO₂)排出量で世界の約8割、貿易額で約9割、総人口は3分の2を占める。そしてG20では今年、インドネシアが議長国を務め、来年はインドが担う。今や、地球規模課題を解決するためには、グローバル・サウスを含むG20の協調は不可欠であり、グローバル・サウスが誰とどのように連帯するかが世界を大きく左右する。(出所)大野泉(2022)「台頭するグローバル・サウス(政策研究大学院大学(GRIPS) 教授)なお、グローバル・サウスの国家間の権力の非対称性も重要なポイントである。不平等は、北南関係に限定されたものではなく、南の国家間の関係にも浸透している。中国、ブラジル、インドなどのようにグローバル・サウス内における強力な経済と地域大国の出現は、すでに北によって疎外された国家の間で、新たな疎外と支配の問題を提起している。(出所)Stephen McGlinchey(2018)“International Relations Theory”(Lina Benabdallah)

※6 アン・ガーランド・マーラー准教授による定義。Anne Garland Mahler(2017)”What / Where is the Global South? ”(University of Virginia)”Global South.” (Oxford Bibliographies in Literary and Critical Theory)

※7 日本でも、プラスチックは、リサイクルするには人件費が高いことから、これまで主に中国などのアジア諸国に輸出されてきた。

※8 「人間環境宣言(Declaration of the United Nations Conference on the Human Environment)」いわゆる「ストックホルム宣言」がされたのは、いまからちょうど半世紀前の1972年である。その中の〈原則〉第1項で、「人は,尊厳と福祉を保つに足る環境で,自由,平等および十分な生活水準を享受する基本的権利を有するとともに,現在および将来の世代のため環境を保護し改善する厳粛な責任を負う」とし,環境に関する権利と責任を謳った。そして、この2022年7月28日に、国連総会で、「清潔で健康的かつ持続可能な環境への権利」を人権と認める決議を採択した。2021年10月に国連人権理事会が、清潔で健康的かつ持続可能な環境への権利を認める決議を初めて採択したことを受けた総会決議である。

※9 グローバル・ノースの経済とその経済成長は、グローバル・サウスの労働力と資源に完全に依存している。実態的には、植民地時代の延長である。グローバル・ノースは、気候の崩壊を引き起こしている過剰排出の90パーセント以上に責任がある。グローバル・サウスからの大量の資源のネットフローが生じており、これはグローバル・ノースの GDP の 25パーセントに相当する。これらの資源と能力は、本来であれば、グローバル・サウスにおいて、住宅、食料、医療などの地域の人間の必要を満たすために使用できたはずなのに、実際にはグローバル・ノースの資本によって着服・略奪されている。(出所)Jason Hickel (2022) ”The Global South has the power to force radical climate action”

4. 民主主義の危機

「民主主義が完璧である、あるいは万能であるとは、誰も思っていない。実際、民主主義は、最悪の政治形態であると言われてきた。これまでに試されてきた他のすべての形態を除けば・・・」と、いみじくも民主主義の本質を揶揄したのは、かの英国元首相チャーチルであった※10

デーモス(民衆)とクラトス(支配)という言葉に由来する民主主義は、元来、一部の独裁者によってではなく、ごく普通の人々が主役として、社会の大切なことを自ら決定する政治体制を指すが、それが、いまや、後退しつつあり、深刻な危機に直面している。

元来、人類は、その個々人の知識や技術等の能力や運や私的所有する資源に決定的な格差があり不平等な存在であった。それが、市場競争を伴う資本主義システムによって、強者と弱者の間の富の格差が、さらに拡大し顕在化した。そこで、深刻な不条理が蔓延した。弱者の多くは不満を持ち、疎外を感じ、不幸に陥った。こうした中で、人類社会は、その世界の太宗において、経済は、強者主導の資本主義、政治は弱者尊重の民主主義という2軸両輪で、相互に牽制しながら起動してきた。資本主義では、ごく少数の強者が、地球上の有限な資源と弱者から構成される労働力を活用して経済を牽引し、競争によって経済を発展させ、利益を生み、富を増殖させ、市場の複利の魔力で資本を増殖させ、私的所有権で、それを囲い込んできた。そして、それによって、人類の間に、圧倒的な富裕層と貧困層分断と格差と不条理が起きた。方や、民主主義は、異質な思想や利害をもつあまたの人々が平等に政治参加することを通じて、過剰な権力集中を抑止し、公正な普通選挙を通じて政治決定者を選び、行政の執行によって富の再分配を通じて、格差と不条理を解消する機能を果たしてきた。民主主義は、弱者たちの一種の嫉妬の正当化であるとの揶揄もあるが、暴れ馬の資本主義をなだめる機能を担ってきたことは事実であろう。

しかし、現下の民主主義の駆動装置たる選挙システム自体には、そもそも、致命的な欠陥があった。 選挙制度は、実に古典的な仕組みである。一般市民が政治に何を求めているかについてのデータを、どの政治家かどの政党かを投票によって収集して決める一種の情報収集・計算システムである。市民は選挙をする時には、誰に投票するか、どの政党を支持するか、自由な権利を有する。しかし、一旦選挙が終了し、当選者が議員となり権力を持ち、行政が稼働開始するや否や、立場は逆転する。市民は、自由を剥奪され国家や自治体に隷従する立場に追いやられる。しかも、一括的な政治公約を根拠に1人の候補者や政党を選んで投票する現下の選挙システムでは、物価問題や気候危機問題から原発問題や不妊治療問題に至るまで幅広い政治課題を、一括して1人の立候補者に託する仕組みであるが、民意を正確に政治に反映させることは事実上不可能である。これは、誰しもが疑問に思っていることであろうが、投票した政治家や政党が掲げた政策すべてに賛成しているわけではない。そこにミスマッチが起こる。なかば「白紙委任状」を無防備に立候補者に託するに近いのが実態である。加えて、政治家は、有権者に対して、得票につながりそうな耳触りのよい有権者にとってメリットを強調できる政策を開陳しコミットすることは喜んでするが、有権者にとって痛みを伴う未来のための改革や、いますぐ直接メリットを実感しにくいグローバルな政策については、及び腰になりがちである。往々にして、政策論議が、ポピュリズム的かつ近視眼的で、大局観に欠ける貧弱で低俗なものになりがちである。しかも、「公約、その場限りの原則」とか「一旦釣り上げた魚に餌を挙げない」と揶揄されるごとく、一旦当選した政治家は、選挙で公約した政策遂行への取り組み度合いと自由度には個人差があり、政策の不履行に対する市民からの追及もあまり厳しくないケースも散見され、任期中の政治活動は、結構奔放である政治家も多い。だから、国民の過半数が望んでもいないのに、政権の一方的な判断で、勝手にオリンピックや国葬が強行されたりするのである。これは一種の詐欺行為に近い。こんな選挙システムで、民意を正確に反映した政治が実現するわけはないのである※11。そこに民主主義の初歩的な綻びが見える。

国際政治に目を転じると、民主主義の崩壊は、さらに悲劇的ですらある。かつては、世界中で、いずれやがては、すべての国が民主的な国家へと向かうのではないかと楽観していた時期があった。1989年11月9日に冷戦の象徴ともいうべきベルリンの壁が崩壊し、同年12月には、地中海のマルタ島で、ゴルバチョフとジョージ・H・W・ブッシュが会談し、冷戦終結宣言をした。それ以降、今日に至る30年間は、民主主義への楽観的期待も纏いつつ、世界中が、恒久的な平和構築に向けた国際秩序造りに向って試行錯誤をしてきた。むろん、その間も、依然として非民主的国家群は存在し、各地で大同小異の紛争やテロはあったし、2016年の英国が欧州連合(EU)の離脱や、米国トランプ大統領誕生等、様々な懸念すべきやっかいな兆候はあったものの、なんとか、かろうじて、国連を軸とした恒久的な平和構築に向けた国際秩序造りに向け匍匐前進をしてきたのであった。

しかし、悲しいことに、その国際秩序造りへの期待は、2022年2月のウクライナ危機によって、脆くも打ち砕かれた。ロシアによるウクライナへの軍事力の一方的な行使による国境線の現状変更を目指した暴挙は、それを正当化をする余地はない。そして、ミゼラブルなことに、時代の歯車は大きく逆回転を始めた。冷戦終結時に米国が抱えた幻想にも似たリベラル覇権戦略への慢心と自己破壊的な過剰拡張によるグローバリズム経済は、先のリーマンショックで瓦解し、ついに、今回のウクライナ危機でのプーチンの暴挙は、こともあろうに、肝心要の民主主義も破綻させてしまった。国家の防衛ではなく、国家の拡大のための武力行使という禁じ手を臆面もなく使った独善的暴挙である。いままで試行錯誤しながら人類が地道に築き上げてきた恒久的平和構築に向けた民主主義プロセスが、かくも下劣で一方的なロシアによる侵攻で、もろくも瓦解しつつある。こともあろうに、国連の安全保障理事会では、ロシアに対してウクライナからの軍の即時撤退などを求める決議案が常任理事国ロシア自身の拒否権によって白昼堂々と否決された。民主主義の脆弱性が、プーチン大統領の暴挙によって露呈し、民主主義への危機意識が、一気に世界中を覆った。このプーチンの戦争は、前代未聞の核恫喝を伴う、おぞましい戦争犯罪による人道危機である。同時に、気候危機を加速させ、根深い深刻なエネルギー危機を引き起こした意味でその罪は三重に重い。加えて、独善的かつ一方的なプーチン大統領の暴挙によって、一気に民主主義の危機の衝撃を世界中の人々に与えた事態は、実に深刻である。「民主主義は繊細な花のように育てるのが難しい。独裁は雑草のように条件を選ばない。」という識者の言葉は正鵠を射ている※12。そして、国際政治とは、権力闘争が繰り返されてきた空間であったことも事実である。国家より権威において上位の国連が、実効的に展開できる強制力に限界があることも、そのため、国際政治空間が、ややもすると、無政府状態に陥ることもある。しかし、有史来、あまたの独裁専制国家の悲劇が物語ってる通り、征服によって勝ち得た状態は、長続きしないものである。暴力の力で強引に一つにまとめても、それをいつまでもつなぎ止めておくことができず、新しい統一体も瓦解していくのが必至だ。

むろん、杞憂なら良いのだが、近年では、ロシア以外にも独裁的な権威主義国家が増えつつあり、はたして、2500年前の古代ギリシャに源流をもつ民主主義が、ここにきて脆くも崩壊し、民主主義を蝕むこの病巣が、あたかも癌細胞のごとく、世界中に転移伝播拡大することにはならないのかとの懸念がある。現に、民主主義国家の数は、2005年の89カ国をピークに減少傾向になり、2021年には83カ国に減少してきているが、一方、参政権や報道の自由などに制限を加えている専制主義国家は、2005年には45カ国だったが、2021年には56カ国にまで拡大したとの実に残念な報告書もある※13。スウェーデンのヨーテボリ大学政治学部内にあるV-Dem研究所(V-Dem Institute)は※14、世界の民主主義の状況を説明するレポート『Democracy Report』を毎年発行しているが、民主主義的な国家ほど経済成長が低迷していることが明らかになっている。専制主義国家の国内総生産(GDP)は1990年には世界の6.2%にとどまっていたが、2021年には26.4%と急拡大していることは、無視できない深刻な事実である。加えて、耳に痛い話ではあるが、民主主義とコロナ死者数の間に、強い正の関係があるとの報告もある。民主主義国家ほど、経済失墜が大きかっただけではなく、コロナのダメージも大きかったのである。

いまや、民主主義は、人々の大切な命や富も担保できないほどの機能不全に陥っているが、とりわけ2010年以降顕著になった一部の政治家のポピュリスト的言動や、ヘイトスピーチ、政治的分断、保護主義的政策による自由貿易の縮小等々の様々な脅威によって、その存亡の危機にすらある。元来、政治家は、投票してくれる市民にとって痛みを伴う改革の即断即決が苦手であり、問題の先送りになりがちであり、大局観に基づく長期的視点にたった政治判断と行動が不全になりがちである。こうした短期的視点に囚われがちな主権者の緩慢で蒙昧な意思を忖度し、政治家自身が保身に逃避している民主主義国家の機動性の欠如と煮え切らなさが、民主主義の危機を招いていることは、明らかである※15

※10 英国のチャーチル首相が冷戦初期の1947年に下院で演説した一節。(International Churchill Society)

※11 「今の選挙民主主義は、詰んでいる」という声をよく。政治的無関心、政治不信を抱える人が増えてきているのは、時代遅れの制度に無意識に絶望している人が多いからではと、選挙制度の限界を喝破する識者も多い。そして、AIやプログラムを駆使して、世の中に分散している大量の意見や思想、考え方に関するデータを集約し、分析し、政治の方向性決めるという、選挙制度に代わるまったく新しいシステムへのパラダイムシフトや、社会で生じている「歪み」を、1つ1つ正してゆき、世の中全体の幸福度を高めてゆくための「マッチング理論」を考察している研究者も登場しつつある。(参考)小島武仁、成田悠輔他(2022)『天才たちの未来予想図』

※12 (出所)ユヴァル・ノア・ハラリ他(2021)『自由の限界――世界の知性21人が問う国家と民主主義』

※13 世界各国の民主主義の度合いを評価する米国の人権監視団体「フリーダムハウス」がまとめた2022年の年次報告書による。専制主義国家の国内総生産(GDP)は1990年には世界の6.2%にとどまっていたが、2021年には26.4%となっており、第一生命経済研究所の石附賢実マクロ環境調査グループ長は、「影響力は無視し得ない規模にまで広がっている」と指摘する。

※14 V-Dem研究所(V-Dem Institute)のV-Demとは、民主主義の多様性(Varies of Democracy)を意味し、世界中の民主主義を概念化して測定している。民主主義を、選挙、自由、参加、熟議、平等からなる5つのハイレベルな原則で区別し、これらの原則を測定するためのデータを収集し、分析し、世界の民主主義の状況を説明するレポート『Democracy Report』を毎年発行している。(出所)V-Dem Institute (2020)“V-Dem: Autocratization continues but resistance grows”

※15 民主主義の危機は、日本でも顕著である。ここ10年、意図的に選挙に勝てるタイミングで衆院解散が繰り返され、選挙に勝った後は、みそぎが済んだとばかりに、政権運営の評価や検証、反省や修正が十分になされない状態が続き、それが悪しき習慣化している。安倍政権時代の特定秘密保護法、安全保障関連法、森友学園問題、「桜を観る会」問題、アベノミクス等の看過できない諸問題の検証がないまま菅義政権に代わり、反対論も根強かった東京五輪・パラリンピックも強行開催。岸田文雄首相は、さらにその深く掘り下げた検証もなく、さらには、国民の過半数が反対している中で、安倍国葬を強行開催している。こうした一連の歴代政権与党の言動が、国民主権と民主主義を蹂躙していることは、火を見るよりも明らかである。

5. 気候危機と民主主義

「気候民主主義(Climate democracy)」という聞きなれない言葉がある。気候危機と民主主義は、不可分である。スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリ(Greta Ernman Thunberg)は、「民主主義の力で権力者が私たちの声を無視できなくする」と述べ、気候危機が政治そのものであることを説いた。自分たちには社会を変える力があるが、それを有効にするためには、健全な民主主義が前提となる。気候危機等、世界各地で進行中の環境破壊に対し、各国の政策決定において、肝心な民主主義が果たして有効に対処できるのかどうかが真剣に問われつつある。

気候危機を打破すべく、2030年までに温室効果ガスを排出半減させ、2050年までにカーボンニュートラルを達成することが不可欠である。そのためには、思い切って産業構造、利権構造に切り込み、石炭火力発電所の段階的廃止や、思い切った多消費産業の脱炭素型への移行が必要になる。同時に、抜本的な雇用システム移行が必須不可欠である。こうした社会全体の「公正な移行」を達成するためには、戦略的なプログラム、合意形成づくりが重要である。国家や地域の持続可能性や発展を展望し、脱炭素にブレーキをかけることなくむしろアクセルをかけながらパラダイムシフトを実現させるためには、予算確保や国の支援が不可欠であり、まさに、健全な民主主義に裏打ちされた政治の力が要諦となる。

もはや、気候危機問題の解決には時間的猶予がない。気候危機は、時間と利権とのたたかいである。人類の豊かで幸福な暮らしと持続可能な繁栄を担保するめには、一気にパラダイムシフトを実現できる政治の力が必要である。脱炭素社会(decarbonized society)を牽引する政治の力が不可欠である。脱炭素社会をつくることは苦痛でも負担でもなく、安定した社会と明るい未来につながる前向きな取り組みであると自覚して、ポジティブに率先垂範してゆく政治の力が、いまこそ必要な時期はない。

気候危機と民主主義について考える上で実に面白いのは、「気候市民会議(Climate Citizens’ Assembly)」の誕生である※16。欧州諸国や自治体が2019年から開催し、気候危機対策を議論し実践している※17。気候市民会議は、無作為抽出で数十人から数百人の一般人を選び、専門家からの協力を得て公共的問題を論じる政策形成の試みである。驚くことに、市民の直接参加と包摂性を促すべく、くじ引きで、年代や性別、学歴などが多様な社会全体の縮図ともいうべきグループを形成する。政策決定はもちろん、現状の分析と理解も政府に一任せず、市民が主体的の民主的意識をもって参加している。日本でも、こうした潮流が生まれる事例もあったが、残念ながら頓挫している※18。今後、大いに活発に拡大することが望まれる。

気候民主主義の実現は、難問山積である。なかなか簡単ではない本質的課題がある。中でも、特に大きな課題は、時間軸のギャップの問題である。政治家は、とかく短期的視点で視野狭窄に陥りやすい。温暖化問題より、票田への利益誘導や、支持者の冠婚葬祭の方に関心が高い政治家もまだ多い。民主主義制度では、わずか数年周期で選挙を迎えるが、数十年単位でその影響が明らかになる気候変動とはサイクルが合わない。長期的に一貫した方針で取り組むことは難しいのである。当事者の政治家にとっても、投票する市民にとっても、選挙の争点としてあまり気候危機等の環境問題は魅力的なテーマではない。環境問題は地球規模であり、一国だけでなく国際協調を視野に入れた政策が求められる点にある。加えて、化石燃料に依存する経済モデルに寄生して既得権益を手放したくない勢力が根強く存在している。厚顔無恥にも、ロビー活動に熱心で、再生可能エネルギーを軸とした脱炭素社会へのパラダイムシフトに対して強く抵抗・反対している。気候民主主義への途は遠く、眼前には、現実的な厳しい難問山積である。しかし、四の五の言わずに着実に前進するしかない。

※16 英仏以外でも、デンマーク、ドイツ、スコットランド、フィンランド、スペイン、オーストリア等の欧州諸国で「市民会議」の⽔平展開が、進んでいる。(出所)竹内彩乃(2022)「気候市民会議の欧州諸国への波及〜関係組織に着目した考察〜」

※17 英国では、2019年7月から、カムデンのLondon Borough of Camdenが、気候市民会議(Climate Citizens’ Assembly)を立ち上げて活動を開始している。(出所)森秀⾏(2022)「欧州における⽔平展開と垂直展開⽇本への教訓」(環境政策対話研究所理事地球環境戦略研究機関特別政策アドバイザー)

※18 実は日本でも、比較的早い時期に、気候市民会議の芽吹きがあった時期があった。2012年当時の民主党政権は、東日本大震災による原発事故を受けて「エネルギー・環境の選択肢に関する国民的議論」という「市民会議」で政策の青写真を描いた。だが、残念なことに、同年末の総選挙の結果、誕生した自民党の安倍晋三政権によって白紙に戻されてしまった経緯がある。

6. 資本主義の危機と再構築

すでに、資本主義は、自由貿易神話とともに、もはや、瓦解しつつある。存亡の危機に直面している。 「自由貿易・経済的相互依存が戦争を抑止する」という幻想の崩壊である。「冷戦」終結とソ連崩壊時に米国が抱えた幻想にも似たリベラル覇権戦略への慢心と自己破壊的な過剰拡張は、いまや、破綻している。そして、資本主義の宿痾とも言うべき大規模な環境破壊と気候危機、経済格差、社会システムの崩壊が、資本主義の危機を加速している。

民主主義・共産主義・全体主義という大きな物語が20世紀前半にあったが、第二次大戦で全体主義が廃れ、冷戦で共産主義が朽ちた結果、民主主義が生き残った。そして民主政治と自由経済が支配的制度になた。そして、グローバル化が加速し、人類は世界共同体に向かうはずであった。しかし、そうはいかなかた。どう考えても不健全で異常なのは、世界で最も豊かな50人が、世界中の下位半数のひとびとの資産合計を上回る莫大な資産を保有する一方で、60億人以上が1日16ドル未満の生活を強いられているという驚くべき現実である。そして、いままでさんざん大量の温室効果ガスを排出し、気候危機を起こしてきた加害者であるグローバル・ノースの企業や富裕層が、その責任を自覚せず、気候危機の影響を最も受けるグローバル・サウスの人々や、移民・難民、人種マイノリティ、女性、障碍者、若者、貧困者、労働者、先住民等の弱者に対して「気候正義」を実現することに及び腰で、不作為であることである。

資本主義の危機に対処するには、いまこそ、資本主義システムを再定義・再構築しなければならない。そして、同時に、機能不全に陥りつつある民主主義を、本来の姿に健全化することが急務である。おそらく人類に残された時間はあまり猶予がないはずである。これが最後のチャンスかもしれない。

資本主義システムを再構築するには、成長神話という幻想から目覚め、覇権の原理から卒業した新たな行動様式と思考方法が求められている。ハーバード・ビジネス・スクールのレベッカ・ヘンダーソン(Rebecca Henderson)教授は、気候変動に対し企業の役割とは何かについて研究してきた。彼女は、その課題は、真の民主政治と強い市民社会によって自由市場の調和が保たれるよう、社会のバランスを取り戻すことだと訴える。米国の有力財界団体のビジネス・ラウンドテーブルが「すべての利害関係者の利益」を重んじる方針※19を打ち出したことからも明らかなように、すでに、世界の有力企業の大多数は気候変動問題に対処し、誰もが世界の冨を分かち合うチャンスを得られるようにし、民主主義が寡頭政治や専制政治に屈しないようにしなくてはならない事を認識している。そして、資本主義の再構築は、企業が社会と一体になり、利益追求や株主価値最大化だけでなく、社会の繁栄や成功に貢献することであり、利益を上げながら公共問題を解決し、厚遇の仕事や良質の製品を提供することで、社会や環境の強化を目指すことであり、企業が自分たちの役割について広範なビジョンをもち、政府や社会と協働し、大きな社会問題に取り組むことで、資本主義は再構築できると説く※20

そもそも従来の株主資本主義は、株主価値最大化のみを追求することそのものが問題を生み出してきた。いまこそ、企業は、株主価値最大化への幻想から卒業し、共有価値の創造、共通の価値観に根差した目的・存在意義主導によるマネジメント、会計・金融・投資の仕組みの変革、個々の企業の枠を越えた業界横断的な自主規制、政府や国との協力が必要不可欠な時代に突入している。こうした再構築には企業に利益をもたらす経済合理性がある。政府と市場は互いを必要とし、企業は民主的で自由な社会を支える包摂的な仕組みを強化するために積極的な役割を果たすべきである。

なお、資本主義システムの再構築について議論する際に留意しなければならないことがある。議論の焦点は、企業か政府か、市場か民主主義か、という二者択一の問題ではないと言うことである。両者とも不可分に必須である。気候危機をはじめとする地球環境問題も、貧困格差問題も、政府なしには、そして企業なしには、解決はできない。自由市場存続のためには、民主的で透明な政府と、それを担保する健全な民主主義が必須不可欠である。古い考え方を変えることは難しく、変革を実行することは容易でないが、そこに、政府とそれを担保する民主主義の存在意義がある。資本主義システムのエンジンたる企業の行動に持続可能な人類社会構築に貢献するよう経済的インセンテイブを付与する役割が政府にはある。一方、資本主義システムの稼働装置である企業も、その重要な役割を担っている。そして、すでに、志ある企業の多くは、それを自覚し、政府を敵ではなくパートナーと見なし、社会を一握りの幸運な人だけのものにせず、すべての人のためのものにすることを目指して行動しつつある※21。そして、適正な利益を上げながら、気候危機問題や公共問題を解決しながら、世界で企業が果たすべき役割を果たそうと、いまも多くの企業が、人類共通の問題を解決しようと努めている。

※19 Business Roundtable(2019)“Business Roundtable Redefines the Purpose of a Corporation to Promote ‘An Economy”(AUG 19, 2019)

※20 レベッカ・ヘンダーソン教授は、資本主義再構築には経済的合理性があると説き、その再構築の実践の鍵として、以下の5点を挙げている。①共有価値創造、②目的・存在意義主導型組織構築、③金融回路見直し、④協力体制構築、⑤社会システム再構築、(出所)Rebecca Henderson “Reimagining Capitalism in a World on Fire”(『資本主義の再構築―公正で持続可能な世界をどう実現するか』)

※21 Rebecca Henderson(2020)” Reimagining Capitalism in the Shadow of the Pandemic”

7. アインシュタインとフロイトとの往復書簡の含意

いまから90年も前、1932年7月、ナチスが勢力を拡げつつあるドイツで、1人の物理学者が、1人の精神分析家に手紙を書いた。

手紙を書いたのは、当時すでに一般相対性理論を発表し、ノーベル物理学賞を受賞していたアインシュタインであった。受け取ったのは、同じくユダヤ人で、精神分析の大家フロイトであった※22

その手紙で、アインシュタインは、「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?(Is there any way of delivering mankind from the menace of war?)」と、フロイトに問いかけた。そして「なぜ少数の人たちがおびただしい数の国民を動かし、彼らを自分たちの欲望の道具にすることができるのか? 戦争が起きれば一般の国民は苦しむだけなのに、なぜ彼らは少数の人間の欲望に手を貸すような真似をするのか?」と問いかけた。それに対して、フロイトは返答した。「法といっても、つきつめればむき出しの暴力にほかならず、法による支配を支えていこうとすれば、今日でも暴力が不可欠である。」と。

フロイトは、こう考えた。そもそも人間には「生への欲動」「死の欲動」の2種類があり、それは単純な「善」「悪」と決めることはできず、どちらもなくてはならないものだと。そして、この2つの欲動は単独で活動するものではなく、混ぜ合わされ、時にどちらかが満たされるにはどちらかが不可欠ですらある。それが人間の本質であると。

2人の往復書簡では、国家の指導的な地位にいる者たちが、尋常ならざる権力欲を有している点に触れて。こうも喝破している。「いつの時代でも、そしてそれを後押しするグループがいる。金銭的な利益を追求し、その活動を押し進めるために、権力にすり寄るグループだ。戦争の折に武器を売り、大きな利益を得ようとする人たちが、その典型的な例だ。彼らは、戦争を自分たちに都合のよいチャンスとしか見ない。個人的な利益を増大させ、自分の力を増大させる絶好機としか見ないのだ。社会的な配慮に欠け、どんなものを前にしても平然と自分の利益を追求しようとしている。」と。往復書簡の行間には、暴力で全てが決する動物の弱肉強食の世界から、人間社会の成熟した「法に基づく支配」に至る過程に触れ、また、「法に基づく支配」から「暴力に基づく支配」へ歴史を押し戻そうとする動きへの深い憂慮と同時に、真の「法に基づく支配」を確立遂行することが困難であることへの当惑が垣間見れる。この生々しい危機感と憂鬱は、ウクライナ危機が勃発した現代にも、そのまま当てはまるであろう。

「法に基づく支配」は、人類の平和的帰結の鍵である。そのためには、民主主義が前提となる。暴力の源泉である「権力」をけん制し合う法に基づく仕組み、そして立法府を選択する民主的な選挙があって初めて「法に基づく支配」が成熟する。「数世紀ものあいだ、国際平和を実現するために、数多くの人が真剣な努力を傾けてきた。しかし、その真撃な努力にもかかわらず、いまだに平和が訪れていない。とすれば、こう考えざるを得ない。人間の心自体に問題があるのだ。人間の心のなかに、平和への努力に抗う種々の力が働いているのだ。人間には本能的な欲求が潜んでいる。憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求が!」とアインシュタインは悲観する。裁判というものは人間が創りあげたものゆえに、周囲のものからもろもろの影響や圧力を受けざるを得ない。何かの正当な決定を下したにしても、その決定を実際に押し通す力が備わっていなければ、法以外のものから大きな影響を受けてしまう。

国際的な機関が高く掲げる理想に世界中の諸国が共鳴し深い敬意を払い、しかも、その司法機関の判決に絶対的な権威があり、世界中の諸国に対して強いる権力を手にいれなければ、機能不全に陥る。司法機関というものは社会や共同体の名で判決を下しながら、正義を理想的な形で実現しようとしているが、その共同体に権力がなければ、その正義を実現できるはずがないのである。むろん、世界中の全ての国家が例外なく「法に基づく支配」に則り行動し、国内外地球上の全ての主体が自由、民主主義、法に基づく支配といったいわゆる普遍的価値観を尊重すれば、警察や軍隊はいらない。しかし、ウクライナ戦争を引き合いに出すまでもなく、我々が今目撃している現実はそのような世界からほど遠い。現下のロシアのような狂気に満ちた暴力的で独裁的な専制主義国家がある限り、それを制する機関は必要である。しかし、その肝心な国連安全保障理事会は、ロシアの拒否権発動の連発で機能停止に陥っている。

方や、こうした中、現下のウクライナ戦争の影響で、軍事費が世界中で急増することを懸念する識者は多い。そして「底辺への競争(Race to the bottom)」が加速し、軍事費増加のために、肝心の気候危機対策や、教育費やヘルスケア等、人々の人生や命・健康に肝心な予算が削られて行く※23。軍産複合体の一部利権集団には大歓迎であろうが、一般市民にとっては、百害あって一利なしである。

かような状況下、民主主義陣営とされる日本や欧米の多くの国にとって肝要なことは、一方的に正義論を振りかざして1国をつるし上げて一刀両断に断罪することで溜飲を下げることではなく、かつて自らが、忌まわしい帝国主義的な植民地政策を取ってきたという原罪を謙虚に認識することである。いまのロシアと同様に、かつて原住民から土地を問答無用に収奪してきた意味では同罪の忌まわしい歴史を持つという事実である。正義を振りかざしている自らが同じ穴の貉であった事実を、しっかり認識することである。こうした暴力に基づく恥ずかしい不名誉な黒歴史から目を逸らさず、正面から謙虚に向き合い、「民主主義」、「法に基づく支配」といった価値観を、一方的、独善的に権威主義的国家に押し付けるのではなく、我々の先人たちが苦難を乗り越えこうした価値観を普遍的と確信するに至った過程に思いをはせながら、人類の平和的帰結のデッサンを念頭に、粘り強く対話を継続していく必要がある。

それでは、はたして、人類の平和的帰結のデッサンを描くための究極的な解決方法はあるのだろうか。アインシュタインとフロイトの2人は「戦争を確実に防ごうと思えば、皆が一致協力して強大な(超国家的な)中央集権的な権力(国際機関)を作り上げ、何か利害の対立が起きたときにはこの権力に裁定を委ねるべきだ。それしか道がない。しかしこの道を進むには、二つの条件が満たされていなければならない。現実にそのような機関が創設されること、これが一つ。自らの裁定を押し通すのに必要な力を持つこと、これが二つ目。どちらか一方の条件が満たされるだけでは、戦争を根絶させるのは難しい。」と説く。そして、粗暴な暴力が克服されるには、世界中の諸国からの国際機関への権力移譲が必要であり、この国際機関を一つにつなぎとめるのは、参加国間に生まれる感情の絆、一体感であるとも付言している。

では、参加国間に生まれる感情の絆、一体感を生む鍵は、はたしてあるのか?さらに具体的に言えば、国連の安全保障理事会で拒否権を連発するロシアをはじめとする専制主義国家群を含めて、世界中のすべての諸国が異論なく賛成する鍵が、本当にあるのであろうか?それは、世界中のあまたの諸国のイデオロギーや利権を超越した「異論なく賛同できる共通項」でなければならないのだが、それは何なのか?

実は、その鍵は、確実かつ明白にある。それは、他ならぬ「気候危機」である。気候危機の前では、誰もが運命共同体であることに異論はない※24。誰もが中長期的な受益者となる「気候プラットフォーム(仮称)」を軸に、新たな国際組織を構築することが、ともすれば相互に対立し分裂しがちな世界中の諸国を束ねる希少な要となるであろう。この鍵は、90年前にアインシュタインとフロイトが相互に書簡を往来した時代にはなかった新たな鍵である。2人が、いま生きていたら、迷わず気候危機問題に真摯に取り組んでいたであろう。

実は、幸運なことに、すでに、その下地はすでにできている。気候変動枠組み条約を基盤とした「パリ協定」を始めとした粘り強い過去永年に及ぶ国際協調の実績がある。むろん、「パリ協定」には、ロシアも批准している※25。そして、現下のウクライナ危機が、「気候プラットフォーム」を加速させる、めったにないトリガーとなっている。なぜなら、ウクライナ危機を契機に、世界中の国々が、ロシアからの石油・天然ガスへの依存をやめ、脱化石燃料を梃子に、再生可能エネルギーを軸とした「脱炭素社会」へのパラダイムシフトを加速しているからである。しかも、戦争当事者たるロシアですら、世界有数の気候危機の被害当事者なのである。食料危機や永久凍土融解に伴う森林火災や感染症蔓延リスクの露呈等、多面的に、未来への不透明感に直面している当事者なのである。そして、主な外貨獲得手段が化石燃料依存であったロシアは、いずれ到来する「脱炭素社会」への対応準備が出遅れ気味でまったく不十分であり、再生可能エネルギーを軸としたエネルギーシフト後発国として、内心、大きな不安と焦燥に駆られている実態もある。広大なシベリアを含め、再生可能エネルギー潜在力が大きいロシアには、従来の化石燃料の後継者としての主力外貨獲得手段としても、再生可能エネルギーを軸とした「気候プラットフォーム」への参加は、合理的な選択肢でありうる。ロシアにとっても、「気候プラットフォーム」への参加は、失うものより得るものが多く、参加意義は、極めて大きいのである。それは、他のOPEC加入の産油諸国も同様である※26。いずれ早々に枯渇するであろう有限な石油等の化石燃料依存の一本足打法の脆弱な国家運営の限界は、当事者として重々承知しており、要は、いずれ到来する化石燃料依存の国家運営からの離陸のタイミングを計ってきた産油諸国にとって、自国にとって、明らかに経済合理性がある説得力をもった「気候プラットフォーム」のデッサンが見えてくれば、世界中の諸国家にとって異論はなく、参加は合理的な判断となろう。

したがって、人類の平和的帰結のデッサンを描くための究極的な解決方法の要は、ロシアを含め、世界中の国々に対して、明らかに経済合理性がある説得力をもった「気候プラットフォーム」のデッサンをいかに描く事ができるかである。

※22 ユネスコの前身たる、国際連盟の国際知的協力機関(International Committee on Intellectual Cooperation:ICIC)から「誰でも好きな方を選び、いまの文明でもっとも大切と思える問いについて意見を交換」してほしいと提案されたアインシュタインが、精神分析の大家フロイトに手紙を書いたもの。(出所)Albert Einstein, Sigmund Freud(1932)”Warum Krieg?” ”Why war? A letter from Albert Einstein to Sigmund Freud”、アルバート アインシュタイン, ジグムント フロイト(1932)『ひとはなぜ戦争をするのか』

※23 ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)は、「プーチンは正気を失い、現実を否定している。この戦争すべての基本的原因は、プーチンが頭のなかで空想を作り上げたことにある。」と、現下のウクライナ戦争におけるロシアの無謀な侵攻を糾弾すると同時に、ウクライナ戦争のように暴力が国家間の紛争解決手段となることを許せば、軍拡競争、ひいては核開発競争に歯止めがかからなくなってしまう。このような事態は人類の繁栄、将来世代のためにも何としても避けたいとし、今後の世界各国の軍事費増加への波及効果と市民の命・健康に肝心な予算が削られて行くへの懸念を表明している。(出所)ユヴァル・ノア・ハラリ他(2022)『ウクライナ危機後の世界』

※24 2022年4月4日には、気候変動に関する政府間パネル(IPCC: Intergovernmental Panel on Climate Change)の第3作業部会(気候変動の緩和)が第6次評価報告書が発表され、1.5度に抑える炭素予算はこのままの排出だと10年以内に使い切る点、急激で大規模な温室効果ガスの削減がなければ、1.5度は達成不可能になる点が強調され、気候危機への取り組みが不十分で緩慢である点が指摘された。このことは、もはや、この地球上で、同じ人類同士でウクライナ戦争のような不毛な争いをしている暇はないことを、全人類に衝撃をもって受け止められた。

※25 ロシア連邦政府は2019年9月23日、ニューヨークで開催された国連気候変動サミットに合わせ、パリ協定を批准したと発表した(2019年9月21日付連邦政府決定第1228号)。

※26 国際エネルギー機関(IEA)が2021年5月18日に発表した脱炭素実現への行程表を示したリポートがある。2050年までに二酸化炭素(CO2)など温室効果ガス(GHG)の排出を実質ゼロにする「カーボンニュートラル」(炭素中立)を実現するためには、世界各地の「石油や天然ガスを採掘する新規開発投資を中止すべきだ」と呼びかけている。これに石油輸出国機構(Organization of the Petroleum Exporting Countries:OPEC)参加国の2大産油国のサウジアラビアとロシアの閣僚がかみついた経緯があった。いずれ「脱炭素時代」の到来は覚悟しているものの、稼げるだけ稼ぎたい産油国の本音が垣間見れる。

8. 再生可能エネルギーという福音

世界中の誰1人とて幸福にしないこの不毛な戦争を起こさないためには、どうしたらいいのか。その解は、諸国家が、お互いの自由を一部放棄し、戦争の原因である腕ずくで何かを獲得する権利を不可能にすることにある。しかも、誰1人抜け駆けできない仕組みが大前提となる。そのためには、ロシアを含め、世界中の国々に対して、明らかに経済合理性がある説得力をもった新しいパラダイムのデッサンが必要となる。この仕組みから抜け出したら大きな機会損失を被ることが自明であり、それを一方的な暴力で破壊することがもはや不可能なような仕組みが肝要である。

かつて、長い人類史の中で、永遠平和構築の画期的な成功例が過去にあった。それは70年前に構築された「欧州石炭鉄鋼共同体(European Coal and Steel Community ; ECSC)」である。1951年欧州6か国が「パリ条約」を締結し、ECSCは1952年7月22日に発足した。超国家的な最高機関が石炭・鉄鋼業を共同管理し、独占を規制した自由で公正な市場を作る構想により、両産業の育成策を通じて、ヨーロッパの平和と経済発展を実現することをめざした超国家的機関であった。その後の欧州連合誕生の原点となった人類史上稀有で画期的な国際機関である。石炭と鉄鋼は国家が戦争を起こすのに欠かせない資源であることに着目し、あえて敵同士であった両国の間でこれらの資源を共有するというきわめて画期的なアイデアで、長らく敵対してきたフランスとドイツとの間での平和を強固にする目的で創設された。まさに、仏独の産業資源を共有化することで「脱国家」が戦争を完全に不可能とする政治的なイノベーションであった。その後、ECSCは、欧州連合に発展進化するが、その後、今日まで、欧州連合参加国間で一度も戦争は起きていない。なぜなら、参加国が、お互いの自由を一部放棄し、戦争の原因である腕ずくで何かを獲得する権利を相互に不可能にしてきたからである。この欧州ECSCの「超国家性(supranationalism)」が、人類の平和的帰結の新たなパラダイム創生の議論に与えてくれる含意と示唆は、とりわけ、今日の混迷した世界にとって、極めて深く重要である。

かつて、リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯爵は、「国家は人間の為に存在するが、人間は国家の為に存在するのではない。国家は手段であって、目的ではない。」 と喝破したが、いままで、幾度となく起こった忌まわしい国際紛争は、例外なく「国家」の名前で起こってきた。そして、その犠牲者は、いつも丸腰な無辜の国民であった。むろん、現下の恒久的平和構築や気候危機問題解決のためのプラットフォームは、あまねく国家を前提に構築されおり、国家それ自体のraison d’êtreを否定し、それなりに有効に運営されてきた国家機能を無下に全面否定することは簡単ではないが、こと今回のウクライナ危機のごとく国際紛争や、気候危機における「パリ協定」の目標達成の困難性を眼前に突き付けられる事態に及んでは、国家の呪縛からの卒業という思い切った選択肢を念頭にした新しい社会契約のアップデートの再検討が急務と言わざるを得ない。

さて、かつてのECSCの平和構築装置の鍵は石炭と鉄鋼であったが、はたして、現代における平和構築装置の鍵となるような、諸国家にとって必要不可欠な資源はあるのだろうか?それは、何だろうか?

そのヒントは、気候危機である。なぜなら、気候危機は、人類にとって共通の喫緊の最重要課題であり、いま世界中が最優先で取り込んでいるであるからである。誰もが気候危機の深刻な被害者であり、気候危機解決の受益者でもある。その気候危機の前では、敵も味方もないのである。だからこそ、ロシアも「パリ協定」に批准しているわけである。ストックホルム国際平和研究所のフロリアン・クランプ氏(Dr Florian Krampe)は、「気候変動は、様々な地域で紛争や暴動の原因となり人間の安全保障の問題になっている」と指摘している。その気候危機問題の解決策である脱炭素の早期実現を果たせる装置を盛り込んだ新たなパラダイムを創生することが、気候危機の早期解決のみならず、同時に、不毛な戦争を抑止し恒久平和構築にも資する大きな効果が期待できると考える。周知の通り、脱炭素の早期実現を果たす駆動装置は、再生可能エネルギーである。すなわち、かつてのECSCにおける石炭と鉄鋼に相当する鍵が、今や、再生可能エネルギーなのである。再生可能エネルギーが、平和構築装置の鍵なのである。

2021年にIEAが公表した「IEAロードマップ(Net Zero by 2050)」では、2050年の世界の電源ミックスの88%が再生可能エネルギーになるとの予測が公開されている。気候危機の最大原因であると同時に国際政治リスクから不安定性が懸念される海外依存の化石燃料の代替として、安全で無料で純国産の再生可能エネルギー導入を最優先で加速すべきであることは、もはや自明である。

有史来、人類にとって必要不可欠な化石燃料は、便利ではあったが、不幸なことに、国家間紛争の動機となり、投機対象となり、多くの悲劇を生み出してきた。しかし、実は、その悲劇は、地域偏在する特性をもつ化石燃料の特性ゆえに起こったものであった。つまり、仮に、化石燃料に地域偏在がなく、世界中のいたるところで、どの国でも豊富に採取できたとしたら、産業革命以降の忌まわしい死屍累々の戦争の太宗はなかったはずであった。逆に言えば、化石燃料以外のエネルギーで、地域偏在がなく、世界中のいたるところでどの国でも豊富に採取できる別のエネルギーがあれば、これから発生するかもしれない多くの戦争の悲劇をあらかじめ回避できるのである。再生可能エネルギーは、水力、風力、太陽光、地熱などの再生可能エネルギーは、世界各地に平等に存在し、その種類は実に多様で、どの国であっても相当の規模で自国自給可能である。自然現象として再生産され、枯渇することがなく、限界費用がゼロだ。よって、そもそも利益目的の輸出入の対象にならず、価格高騰も供給不安も起きない上に、小規模分散型の特性上、災害時のレジリエンス面でも強く、地域経済循環にも寄与する。つまり、そもそも「地産地消型」で「自給自足型」の再生可能エネルギーは、温室効果ガス削減に大きな貢献するのみならず紛争のトリガーにならないというその特性から、エネルギー安全保障に大いに資することで、持続可能な世界平和構築に大きな貢献を果たすことができる。脱炭素の鍵は、まさに化石燃料から再生可能エネルギーに100%エネルギーシフトを早期実現することにある。未来の鍵が脱炭素にあると考える理由がここにある。よって、気候危機の主犯であると同時に、戦争の原因となってきた化石燃料からの早期卒業と再生可能エネルギー100%の脱炭素社会実現が急務なのである。

9. はたして人類の平和的帰結のデッサンは描けるのか

いまや、時代は、「再生可能エネルギー」と「超国家性」という2つのキーワードを軸にして、新しいパラダイムシフトを実現する時期に来ている。再生可能エネルギーの特性に鑑み、ロシアも含め、世界中の諸国民が、再生可能エネルギーを軸とした気候危機解決装置の共同創設自体には異論はないはずである。世界中の英知を結集させて、資金を供出して、最先端の技術で、超国家的な「気候プラットフォーム(仮称)」を新設する。そこで、生み出されるエネルギー等のあらゆく便益は、参加する全世界の加盟諸国が、平等公平に享受できる。したがって、これをあえて破壊し侵略しようとする国家はいない。なぜなら、国際的評価失墜だけでなく、そもそも自国が享受する便益を損なうからである。

人類の眼前には、気候危機という一致団結して戦う共通の敵が登場している。まさに、気候危機と闘う武器である脱炭素を十分担保し得る新たな仕組み「気候プラットフォーム」が鍵になる。いまさら人類が身内同士で戦争している場合じゃないことを気づかせるほど、強大で難攻不落な気候危機という一致団結して戦うべき共通の敵を前に、人類は、手にしているお互いを殺し合う武器を一斉に放棄し、その持てるエネルギーと資源と英知と資金をすべて総動員して気候危機解決にための脱炭素に向けて注力する時期にいる。強烈な台風がすぐそこまで来ていていままさに屋根が吹っ飛びそうなの状況なのに、懲りずに居間で不毛な夫婦喧嘩をしていることなんて、ありえないことなのである。いまこそ求められるのは、諸国間の危機意識の共有と連帯であり、エネルギー資源ナショナリズムを超越した地球市民としての連携協働である。まさに、脱炭素を内包させた新次元のパラダイムシフトが有効に機能すれば、気候危機と国際紛争とに共通した病根を一気に解決でき、この2つの厄介な死に至る病を、一石二鳥に早期快癒させる処方箋になる可能性があるのである。

こうした超国家的な「気候プラットフォーム」の具体的な構想提言については、既にいくつか試論も公表されている※27。未来志向的な地球環境と人類との関り方の有効な仕掛けとして、資源の共有を通じ持続可能な恒久的平和を目指す「協働型コモンズ(collaborative commons)」※28構想がある。その具体的提言についての試論としては、「東アジア再生可能エネルギー共同体構想」がある。この共同体は、世界の脱炭素社会構築に向けたパラダイムシフトの潮流を視野に、東アジア地域における平和で持続可能な未来を希求して構想された協働型コモンズで、再生可能エネルギー(renewable energy)を軸とした「東アジア再生可能エネルギー共同体構想」と炭素通貨(carbon money)を軸とした「東アジア炭素通貨圏構想」と言う2つの未来志向的なプラットフォームから構成される構想である。国際秩序のあり方に決定的な影響力を持ちつつある世界最大の経済圏たる東アジアは、世界で有数の豊かな再生可能エネルギー源の潜在力に恵まれた地域でもある。この点に注目して、日中韓および他のアジアの有志諸国から、技術・資金・人材の提供を受け、共同所有・共同管理の気候プラットフォームを新設する。そして、近隣公海の洋上に、何万機にも及ぶ大量の浮体式洋上風力を設置する。この気候危機に対抗する新たなプラットフォーム新設によって、持続可能な恒久的平和を目指す仕掛けである。

再生可能エネルギー潜在力が世界中に分散しており、その適正な再生可能エネルギーの種類は、太陽光や太陽熱、風力ばかりではなく、地熱、水力、潮力、バイオマス等々、多様性がある。地球上の各地域で、適材適所にそれぞれ地域特性を活かした最適な構築が可能である。世界中で、それぞれの国々独自の地域特性を活かしながら、最も自国にふさわしい再生可能エネルギーを活用しエネルギーシフトを推進しながら、自国の脱炭素社会化を目指す。同時に、近隣諸国と連携して、公海上に大規模な浮体式洋上風力発電プラットフォームを共同出資で設置する等の再生可能エネルギープロジェクトを立ち上げて、超国家的な気候プラットフォームを設ける。そして、超国家的な気候プラットフォームの開発は、諸国家から拠出された資金を元手に、世界最高水準の技術と資源を投じて、同時並行的に構築が進んでゆく。そして、同時に、それを合理的に統合する国際組織が構築され、その国際機関に収斂させてゆく。

プロジェクトには世界最先端の技術を投入し、運営は各国から人材を投与し、共同で行う。すべての経営情報は透明性を担保しつつ共有し、その出資応分の電力や利益を各国が受益する。そこで得た世界最先端技術とノウハウは、自国に反映できるメリットもある。こうした地域ごとの気候プラットフォームが、世界各地で誕生する。同時に、それらの結集体(コモンキッチン)として国際機関を構築する。当該国際機関は、世界中に分散している気候プラットフォームが日々生み出している再生可能エネルギー量と温室効果ガス削減量、さらには事故事例や故障への対応事例等のメガデータをリアルタイムで掌握し、AIを駆使して高度解析し、その分析結果と提言を付加して、常時、世界中の気候プラットフォームに還元する。また、その国際機関の傘下には、「脱炭素社会研究所」を新設し、世界中の最先端の再生可能エネルギー技術と運営ノウハウの研究を行い、その成果は、無差別に、各地域の気候プラットフォームに供与し、必要に応じて、人材を派遣して、教育指導も行う。こうした国際機関と気候プラットフォームの好循環の連携が順調に進めば、さらに世界中の気候プラットフォームも拡大するであろうし、その技術ノウハウを活かした各国のエネルギーシフトも加速するであろう。

それを可能とするのは、むろん、全世界の諸国家にとって、共有の気候危機を打倒するという大義の他に、実際に享受できるメリットが大きく、失うものはないという魅力である。こうしたシステムへの信頼性を担保するのが透明性と公平性である。幸いなことに、再生可能エネルギーが生み出すエネルギー自体は一物一価であり、削減できる二酸化炭素等の温室効果ガスも、すべて一物一価である。IoTを活用して、瞬時に、世界中に地域ごとの気候プラットフォームのエネルギー産出量と、地球規模の温室効果ガスの全量把握と、炭素予算のリアルタイムな認識が可能となる※29。かくして、世界中で平等かつ公平に透明性が担保される形で評価・認識・確認できることが、超国家的機関という難解な組織構築を可能とする鍵となる。そして、やがては、この気候プラットフォームの集合体である戦略的国際機関が、既存の国連や世界銀行、IMF等と未来志向的に有機的結合をしてゆく可能性も大いにあろう。

いま、時代は、コロナ禍の気候危機時代にあり、主権国家の管轄を超えて人類全体が生存していくために必要とする大気や大地、太陽、海洋、水、気候、氷層界等の世界が共有している生態系そのものをさす「グローバル・コモンズ」の責任ある管理Global Commons Stewardshipができるまったく新しい仕組みが求められている。人類は、いまこそ英知を結集して、エネルギー、食料、資源循環、都市といった地球システムに大きな影響を与える社会・経済システムを大転換し、人類と地球が共に持続可能な未来を築く必要がある。いまから52年前の1970年に、G.ケナン(George Frost Kennan)が『フォーリン・アフェアーズ(Foreign Affairs)』に投稿した論文「世界の環境悪化を回避するために(To Prevent a World Wasteland)」において、環境保護を目的とする国家主権から独立した国際環境機関(International Environmental Agency ; IEA)創設を提唱している。そして、ベルリンの壁崩壊前夜、1989年の3月にオランダのハーグで開催された地球温暖化問題を協議したハーグサミットで採択された「ハーグ宣言(Hague Declaration)」は、喫緊のグローバル危機である気候変動問題に対する処方箋として、新たな効果的な意思決定と執行の機関として、国際司法裁判所の管轄に従う新しい国際機関創設を提言した。こうした動きは、Global Commons Stewardshipのまったく新しい仕組みを予言するものであったが、まさに、「脱炭素」化の世界の潮流等を背景に、Global Commons Stewardshipのための新しい超国家的な仕組みとして、ここで議論している脱炭素を内包させた気候プラットフォームによる新次元のパラダイムシフトは、気候危機打開の画期的な共同戦線であると同時に、極めて未来志向的かつ有効な恒久的平和構築装置となろう。

技術が大きく進歩し、グローバリズムの揺らぎを伴いながら、資本主義システムが制御できないほどに肥大化し、民主主義が空洞化し、無謀な戦争が人類の良識と文明事態を破壊しつつある今日、人類は協力を忘れ、分裂と敵対を選びつつあり、気候危機と資本主義と民主主義の3つの危機が、人類の運命を決する深刻な問題となっている。有史来、心ある人々がこの深刻な問題を解決するために真剣な努力を傾けられてきたが、グローバリズムの瓦解と専制国家の増殖の一方で、国連が事実上機能不全に陥っており、いまだ、こうした複雑解の解決策が見つかっていないのが悲しい実情である。

そんな現下の情勢下、気候プラットフォームによる極めて未来志向的かつ有効な恒久的平和構築のデッサンの試みは、決して絵空事でも不毛な空論でもなかろう。このデッサンが、ウクライナ危機を機に、かつて、カントも※30、そしてアインシュタインとフロイトも、ともに同じく、人類の行く末を憂慮し構想した永遠平和のための超国家的機関創設の下書きに彩りを与える、最初で最後のチャンスとなるかもしれない。

「文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができる!」 このアインシュタインとの往復書簡の最後を結ぶフロイトの言葉の含意は「希望」と同義である。その希望を担保する気候プラットフォームによる極めて未来志向的かつ有効な恒久的平和構築のデッサンの試みは、決して「反実仮想」ではなく「近未来現実」なのである。

※27 幾つかの試論や関連論文がある。(参考)Jeremy Rifkin(2014)” The Zero Marginal Cost Society: The internet of things, the collaborative commons, and the eclipse of capitalism、-(2019)” The Green New Deal: Why the Fossil Fuel Civilization Will Collapse by 2028, and the Bold Economic Plan to Save Life on Earth”、Fawcett (2010) ”Personal carbon trading: A policy ahead on its time?”(Energy Policy ; Environmental Change Institute, Oxford University)、西岡秀三(2011)、『低炭素社会のデザイン』(岩波新書)、西川潤(2017)『共生主義宣言――相互依存宣言』(コモンズ)、古屋力(2019)『東アジア脱炭素経済共同体構想の意義とその実現可能性について~東アジア地域における炭素通貨と再生可能エネルギーを軸とした「協働型コモンズ」構築の必然性と可能性についての一考察~』(アジア研究所共同研究プロジェクト)、古屋力(2017)「東アジアエネルギー共同体の意義」(アジア研究所平成26・27年研究プロジェクト「東アジア地域における環境エネルギー政策共同体の可能性に関する考察」)

※28 「協働型コモンズ」とは、共有資源と協働関係を規定する所有制度を意味し、現代型の「共有地(Commons)」であり、特定の集団の共通利益を高める形で参加する社会空間である。いまや全世界は、資本主義市場と共有型経済の両方から成るハイブリッドの経済体制「限界費用ゼロ社会」に移行しつつある。その鍵はIoTにある。人々は、IoTのおかげで、広範囲の製品やサービス、製造、またそれを共有する費用に対しても、ネットワークにつなぐことで、情報を扱う商品と同じように、効率性を高め、ビックデータや分析、アルゴリズムを利用して限界費用をほぼゼロ近くまでに減らすことが可能となる。IoTは、今後20年のうちに多くの経済生活の限界費用をゼロ近くに押し下げる可能性がある。ジェレミー・リフキンは、この新しい社会を、「限界費用ゼロ社会(The Zero Marginal Cost Society)」と呼んだ 。「限界費用ゼロ社会」における福音は「協働型コモンズ」の台頭である。Jeremy Rifkin(2014)” The Zero Marginal Cost Society: The internet of things, the collaborative commons, and the eclipse of capitalism

※29 むろん、IoTには、その取扱いについては、慎重なる警戒が必要である。歴史家ユヴァル・ノア・ハラリは、AIやIT技術を駆使した監視体制が正当化され、整備が加速して行く先に、AIが独走、市民一人ひとりに最適解を差し出し、本人に意識させない形で思考と行動を操作するような、「人間の自由意思を否定する未来」についての懸念を表明している。(参考)ユヴァル・ノア・ハラリ(2021)「コロナ禍と人類の危機」(『自由の限界――世界の知性21人が問う国家と民主主義』)

※30 カントの提言が、国際連盟創設の原点であったと言われている。Immanuel Kant(1795)” Zum ewigen Frieden”