2022.11.9 掲載
以下に特に重要なティッピング・エレメンツについてMcKayらの論文を基に紹介しよう。
グリーンランド氷床崩壊
Greenland Ice Sheet(GrIS)
グリーンランド氷床(GrIS)の面積は173万平方キロメートル、氷の厚さは平均で1,515メートル、地球上の淡水の10%を占めていると言われる。全て融解すると世界の海面水位を7メートル上昇させるほどの氷がある。その一部では既に自己永続的フィードバックが働き不可逆的な氷床損失が起きており、これは遂には3.5メートルの海面水位の上昇を引き起こすと考えられている。McKayらによればティッピング・ポイントの最良評価値は1.5℃(0.8~3℃)である。グリーンランド氷床は普通6月から8月にかけて融解するが、2022年は9月初めに59.2万平方キロメートルの面積の氷河が融解していて科学者を驚かせた。これはグリーンランド氷床崩壊のティッピング・ポイントを既に超えていることを示している可能性がある。
南極大陸氷床
南極大陸は周知のように氷の大陸で全部融解すると海面水位を70メートル上昇させる膨大な氷を貯蔵している。東南極大陸氷床と西南極大陸氷床では氷の厚さ、安定性に大きな差がある。氷の平均の厚さは東南極大陸では2,638メートルに対して西南極大陸では1,781メートルである。この違いは氷床の下にある岩盤の標高が大きく異なっていることに由来している。東南極大陸では平均15メートルであるのに対して西南極大陸では何とマイナス440メートルでそのほぼ全域が海面下にあるのである。したがって氷床が岩盤に接地している線(接地線)が後退すると氷床不安定化への強い正のフィードバックが働くのである。西南極大陸のスウェイツ氷河の大崩壊は不可避であると考えられている。西南極大陸氷床崩壊により海面水位は5メートル上昇すると見積もられている。
東南極氷底盆地氷床崩壊
East Antarctic sub-glacial basins(EASB)
長年、東南極大陸氷床はきわめて安定と考えられてきた。東南極大陸氷床(EASI)のいくつかの氷底盆地、特にWilkes、Aurora、Recovery盆地の氷河は海氷崖不安定性(MISI=Marine ice cliff instability)によって影響を受けることが観測データやモデルによって示されている。MISIでは浮いている棚氷の崩壊によって氷河の海岸端に不安定な氷の崖が生じ、それが内陸へ急速に後退することで氷床損失が起こる。しかしこのプロセスがどれ程度重要なのかについては議論が続いている。
2022年3月15日からわずか2週間で東南極大陸の1200平方キロメートルのコンゴー棚氷が崩壊して科学者たちを驚かせた。当時大気の流れの影響で棚氷周辺の気温は12℃となり平年気温を40℃上回ったこともその原因の1つと考えられている。別の研究では1992~2017年に東南極大陸氷床は毎年平均して正味で50億トンの氷を失っており、地球温暖化の影響が既に及んでいると考えられている。McKayらはEASBのティッピング・ポイントの最良の評価値を3℃(2~6℃)としている。これは世界的に重要なCTPに分類されている。
北極、南極以外の山岳氷河消失
Extra-polar mountain glaciers(GLCR)
低緯度にあるアルプスの氷河は個々の質量バランス・しきい値と標高フィードバックを持っている。しかしいくつかのキーとなる地域ではある地球温暖化の水準において大規模な同期した氷河の消失が予想されている。ヨーロッパの山岳氷河は1℃の温暖化でピークウォーターとなり2℃でほとんど消失すると考えられている。1.5~2℃の地球温暖化でほとんどの山岳氷河は最終的に失われるだろう。アジアの高山の氷河は他の場所の氷河に比べて長持ちするが2℃でピークウォーターとなり南アジアに大きな影響を及ぼすことが憂慮される。McKayらは低緯度の山岳氷河を地域的なインパクトを及ぼすティッピング・エレメンツに分類している。そのティッピング・ポイントの最良の評価値は2℃(1.5~3℃)である。タイムスケールは200年(50~1000年)と評価された。
ラブラドル海対流崩壊
Labrador Sea Convection(LABC)
北西大西洋のラブラドル海の対流は温暖化によって引き起こされる階層化により突然崩壊することがいくつかのモデルで示されている。高緯度で冷却された塩分密度の高くなった海流は降下し深層海流を形成する。自己励起対流フィードバックで維持される2つの安定状態は深い対流がある状態と無い状態である。LABCはsub-polargyre(SPG、サブポーラー循環)の一部である。SPG崩壊はAMOC崩壊より早く起こる。SPG崩壊により北大西洋に地域的寒冷化2~3℃をもたらすが地球全体については0.5℃の寒冷化にとどまり、ジェット気流の北方への移動とヨーロッパに極端気象をもたらす。SPGのティッピング・ポイントは1.8℃(1.1~3.8℃)、タイムスケールは10年(5~50年)と評価された。
大西洋海流崩壊(AMOC)
Atlantic meridional overturning circulation(AMOC)、大西洋南北熱塩循環はグローバルコンベヤーベルトとも呼ばれ熱帯の熱を緯度の高い北方に運ぶなどの役割をしている。そのため北西ヨーロッパやアメリカ、カナダの東海岸の気候が高緯度にもかかわらず穏やかになっている。ところがグリーンランド氷床の融解により真水が北大西洋に注ぎ込まれることによって海流の塩分密度が薄まり深層循環が阻害され循環の弱化が指摘されている。AMOCは過去50年間で15%弱化したと報じられている。AMOCが停止すると大西洋北部は熱帯からの熱が供給されなくなるため地域的に寒冷化することが予想される。これが2004年に公開された映画“デイアフター・トゥモロー”のモチーフとなっている。今回の研究ではAMOCのティッピング・ポイントの最良の評価値は4℃(1.4~8℃)でタイムスケールは100年(15~300年)とされている。
アマゾン熱帯雨林枯死(AMAZ)
アマゾン熱帯雨林(AMAZ)には1500~2000億トンの炭素が貯留されており、歴史的に人間起源のCO2排出の強力な吸収源とされてきた。しかし1990年代以降、この吸収源は劣化しつつあり、気候変動に誘起された乾燥化傾向、干ばつ、南部や東部での森林伐採などにより全体として炭素の排出源になりつつある。
降雨は更に減少すると予想され、乾期も温暖化に伴い森林の南部と東部で長期化し、この傾向を悪化させる可能性が高い。1970年代以降、17%のアマゾン熱帯雨林が伐採され、2019年以来森林伐採は加速している。アマゾン熱帯雨林は平均して降雨量の3分の1、場所によっては70%をリサイクルしている。しかし森林を失うと自己励起型の乾燥化が生じ劣化したあるいはサバンナのような状態に変化してしまう。AMAZのティッピング・ポイントの最良の評価値は3.5℃(2~6℃)である。森林伐採の効果を入れれば、このしきい値は低下する。タイムスケールは100年(50~200年)と評価された。40%の枯死により300億トンの炭素が放出され、世界の平均気温は0.06℃(地域的には1~2℃)上昇すると見積もられている。Thomas LovejoyやCarlos Nobreらの研究によれば20~25%の森林伐採によりサバンナのような状態に変化してしまうとされている。
北方永久凍土崩壊
Boreal permafrost
永久凍土にはCO2やCH4として放出される膨大な炭素が貯蔵されている。その量は10,350億トンと見積もられている。永久凍土の融解は3つに分けて取り扱われている。
a)ゆっくりとした融解 gradual thaw(PFGT)
しきい値なしのフィードバック
b)突発的な融解 abrupt thaw(PFAT)
地域的にインパクトを与えるティッピング・エレメンツ
c)崩壊 collapse(PFTP)
PFATのティッピング・ポイントの最良の評価値は1.5℃(1~2.3℃)、PFTPのティッピング・ポイントの最良の評価値は4℃(3~6℃)とされている。
北方針葉樹林(タイガ)の枯死及び拡大
Boreal forest
アルベドと火災によるフィードバックがあり、2つのCTPを考える。
a)南端における突破的な枯死(BORF)
b)北端における突発的な拡大(TUND)
BORFとTUNDのティッピング・ポイントの最良の評価値はそれぞれ4℃(1.4~5℃)、4℃(1.5~7.2℃)である。BORFの50%の枯死で520億トンの炭素が放出される一方でTUNDの50%の拡大で310億トンの炭素が吸収される。
ティッピング・ポイントの気候政策上の意義
世界の平均気温が2℃上昇するとアマゾン熱帯雨林枯死や大西洋海流崩壊もしきい値を超える可能性がある(Possible)。ここで注意すべきはしきい値の評価は他のCTPとの相互作用を考慮していないことである。所謂カスケード(玉突き)作用を考慮するとしきい値の最良評価値が小さくなることが考えられる。そうすればアマゾン熱帯雨林枯死や大西洋海流崩壊のティッピング・ポイントを超えるのはさらに早まるかも知れない。
世界の平均気温がパリ協定の2℃目標を突破すると夏は北極海氷が消失し、陸上の炭素吸収源は炭素排出源に変わる。現在の各国の気候政策が改善されなかった場合2100年までに世界の平均気温が4℃上昇することもあり得る。3℃で大規模な永久凍土の崩壊、3.5℃以上でアマゾン熱帯雨林の枯死、4℃以上でタイガの移動、不確実性は高いが北大西洋海流崩壊、4.5℃以上で冬の北極海氷が消失する。今世紀中に起こる可能性は無いが5℃以上の状態が数世紀続くと東南極大陸氷床が崩壊して遂には海面水位は55メートル高くなる。このように見てくるとあらためてパリ協定の1.5℃目標の達成の重要性が再認識される。既に述べたように1.5℃目標は現状のように排出量が非常に多い場合は早ければ2020年代に突破され、2℃目標は2040年代に突破されてしまうのである。
ここで注意しなければいけないのは、世界の平均気温が一時的に1.5℃を超えて4つのティッピング・ポイントの突破がLikelyになったとしても直ちに氷床が大崩壊して海面水位が急上昇してくる訳ではないことである。新たな状態に移るには相当な時間がかかるためである。したがってその後急速に世界の平均気温の上昇を1.5℃よりも低下させることが出来れば最悪の影響を回避することができるのである。このような意味で人類にはまだ希望がある。
McKayらの論文が公表されると問題の重要性から様々なメディアで一斉に報道された。論文の筆頭著者のエクセター大学のMcKayはこの研究はGood First Step(最初の第一歩としては良い研究)だと述べている。ティッピング・ポイントモデルの相互比較プロジェクト研究(TIPMIP)を推進すべきだとも述べている。
2022年5月25日に「気候ティッピング・ポイント、不可逆性と社会、環境、経済への影響」についてスイスで会議が開催されベルン大学のThomas StockerはIPCCへティッピング・ポイントについての特別報告書の作成を提唱し、スイス政府がIPCCに提案した。IPCCの第7次報告書の作成作業の一環として行い、2026年までの公表を求めている。Stockerはティッピング・ポイントの科学はまだ未熟であると述べている。しかし過去15年間に公表されたCTP研究を総括した今回の研究は画期的でありティッピング・ポイント研究のティッピング・ポイントと評価する声もある。
人間社会は環境・生態系に依存している以上、環境・生態系の方がティッピング・ポイントを超えればその影響は人間社会の方に及ぶことは必至である。気候関連のティッピング・ポイントが大量移住や社会的混乱の引き金をどのように引くのかについても研究がなされている。気候のティッピング・ポイントに対して社会のティッピング・ポイントが問題である。気候がティッピング・ポイントを超える前に社会の方がティッピング・ポイントを超えるという説もあるが十分研究されてはいない。気候にティッピング・ポイントを超えさせないために社会の構造的転換を図ろうとする研究が行われている。9月12~14日には英国エクセター大学で「気候危機からのポジティブな社会転換へのティッピング・ポイント」を主題としたシンポジウムがTim LentonとJohan Rockstromによって開催された。
このティッピング・ポイントの表を見て気が付くのは、日本周辺にティッピング・ポイントが見当たらないことである。地球の気候システムがティッピング・ポイントを突破すればその影響は日本にも及ぶことは勿論であるが、日本はその気候状態の転換の現場からは離れているのである。これが日本人の気候危機に対する感受性を鈍らせている一因かも知れないと筆者には思える。
エクセター大学での討論では脱炭素社会への転換を促すポジティブなティッピング・ポイントについても議論された。さてOttoらは社会的ティッピング・ポイント(STP=Social Tipping Point)の候補と臨界的なしきい値としては次のようなものを挙げている(参考文献3)。
STPのタイムスケールについては次のように評価された。
社会的ティッピング・ポイントと引き金を引くために要する時間の評価
STPの事例としてはノルウェーにおける電気自動車の急速な普及がある。2020年に世界の新車販売に占める電気自動車の比率は世界では9%なのに対して、ノルウェーでは54%である。
そこで筆者は次のような気候危機突破の勝利の方程式を考えてみた。
気候ティッピング・ポイントの深刻さを共有して気候非常事態宣言を行う。気候非常事態宣言を公的に行うことによって組織のカーボンニュートラル実行計画を作成する。カーボンニュートラル実行計画を実施することによってグリーン成長を達成する。グリーン成長によって様々な社会のティッピング・ポイントを超え、社会の構造転換を実現する。
図式的にはCTP⇒CED⇒Carbon Neutral Action Plan⇒Green Growth⇒STPである。気候のみならず新型コロナウィルスの拡大による非常事態や戦争による非常事態もある。この複合的な非常事態を人類は希望を持って乗り越えなければならない。
【参考文献】
1. Updated assessment suggests>1.5℃ global warming could trigger multiple climate tipping points
David I. Armstrong McKay et al
Science, 9 Sept. 2022, Vol.377, Issue 6611
2. 温暖化地獄 山本良一著(ダイヤモンド社 2007年)
Tipping Points 温暖化地獄Ver2 山本良一著(ダイヤモンド社 2008年)
2℃ Points of No Return 残された時間 山本良一著(ダイヤモンド社 2009年)
3. Social tipping dynamics for stabilizing
Earth’s climate by 2050
Ilona M. Otto et al
PNAS, February 4 2022, Vol.117 No.5 p2354-2365