
「哲学者たちは世界を様々に解釈してきただけだが、大切なのはそれを変えることである」
(”Thesen über Feuerbach”[1])
[1] 「フォイエルバッハに関するテーゼ(Thesen über Feuerbach;1845)」では、フォイエルバッハの哲学は抽象的な人間一般という理解にとどまっており、人間は抽象的な存在ではなく、いつの時代でも、ある歴史的に規定された社会に暮らす具体的な存在であり、その具体的な現実社会に対する変革の働きかけ(実践)こそが必要であるとした。
1.「トランプ劇場」~ノーブレス・オブリージュを放棄した覇権国の悲劇の序幕
「世界経済は再びリセッションに陥るのでは」という懸念が、世界を席巻している。
つい先日「今日は『解放の日』だ」「4月2日は米国を再び裕福にするために我々が動き始めた日として永遠に記憶されるだろう」(Donald John Trump on 2nd April 2025)と自信をもって演説していたトランプは、いま、崖っぷちに立っている。その眼下には、奈落の底の闇がまっている。
トランプが、どんなにspeedyに政策を連射しても、市場の俊敏さのspeedと感応度の鋭さには到底かなわない。先日4月10日はダウ工業株30種平均が一時2100ドル安と再び急落しドル売りも進んだ。米30年国債利回りは一時25bp上昇し2023年11月以来の水準に上昇。今週の上げ幅は50bpを超えた。米国債の投げ売りに伴う金利急騰に慌てたトランプ米政権が相互関税の一部を停止した。朝令暮改のトランプ政策が生む不確実性や信認の低下がマネーの米国離れを誘っている。中国と日本はしばらく前から米国債保有高を減らしている。中国が関税への報復措置として米国債を売却している可能性もありうる。米国のアキレス腱が「米国債」であることが露呈した瞬間である。しかも、いま、トランプ政権は、176件もの訴訟を抱えている。同時に、全米1,500ヵ所でトランプ政権に反対する合計50万人ものデモが行われており、「トランプ2.0」の高関税、社会保障、教育等のあらゆる問題へ抗議が展開されている。まさに事態は異常事態である。このままだと、トランプの米国は、「Make America Great Again(MAGA)」ではなく、「Make America Worst Again(MAWA)」になってしまうであろう 。ノーブレス・オブリージュを放棄した覇権国の悲劇がそこにある。
いまや悲劇の序幕が上がろうとしている。スタグフレーション(stagflation)[2]の霧がたちこめる崖っぷちに立っている主人公トランプの足についている鎖には、米国民の人生が、そして、さらには世界中の無辜な市民の命運も繋がっている。トランプとともに全世界が心中するわけにはいかない。
トランプだけが奈落の底に落ちればいいという単純な話ではないのである。しかも、やり直しの効かない話なのである。まさに、我々は渦中にいる。一蓮托生である。
しかし、だからこそ、狼狽していても埒があかない。こうした状況下だからこそ「井戸の中の蛙」「群毛像をなでる」に陥らないためにも、一旦井戸から外に出て、この地球上で今起こっていることを俯瞰して、冷静にfactを観察することが肝要であろう。そして、これから起こるであろうことに対する解像度をあげてゆかねばなるまい。
「トランプ2.0」は、足元の株価急落と景気減速が示すように自国経済を困難に陥れ、物価高と景気悪化が同時に進むスタグフレーションへの加圧を続けている。まさに「自損行為」としか思えない愚策を性懲りもなく展開中である。今回の、「トランプ関税」に象徴される「トランプ劇場」の騒動は、ノーブレス・オブリージュを放棄した断末魔の覇権国米国の末期的症状にも見える。今、中国は125%まで米国に対する追加関税を引き上げ、トランプは中国に対する追加関税を145%まで引き上げている。いよいよ米中関税合戦もチキンレースの泥沼化の様相を呈している[3]。
以下の【図1】は米国の関税率推移(1890年~2023年+2025年予想)を示している[4]。この図から、今回の「トランプ関税」の水準が1930年代以降の最も高くなっている異常事態であることが明かである。

(出所)Tax foundation(2025)”Trump’s average tariff rate would be highest since 1937” 石原 順(2025)「トランプ関税の衝撃とトランプ・プットの時期」
(”Trump Tariffs: The Economic Impact of the Trump Trade War” April 4, 2025,By: Erica York, Alex Durante) https://taxfoundation.org/research/all/federal/trump-tariffs-trade-war/
1世紀前1929年に発生した米ウォールストリートの株価大暴落を機に世界経済は大不況に突入した。その時の米フーバー政権は翌年1939年に不況から自国産業を守るため「関税法(Tariff Act of 1930:Smoot-Hawley Tariff Act;スムート・ホーレイ関税法)」を成立させた。あれから、86年経過した。そして、いま、まさに、トランプによって、またあの関税戦争の悪夢が再現されようとしている。
以下の【図2】は、米国の25%の追加関税による各国GDPへの影響を示している。この図から、今回の「トランプ関税」のマイナスインパクトがいかに甚大なものになるかが明かである。トランプ関税を端緒とした貿易戦争の加速・激化から、「第三次世界大戦」への導火線になってしまうのではないかとの懸念も、あながち、杞憂だと一蹴できない状況にある。

(出所)木内 登英(2025)「トランプ関税の米国経済への悪影響」(2025年3月19日;野村総合研究所)
こうした中、ノーベル賞受賞経済学者のジョセフ・スティグリッツ(Joseph Stiglitz)氏は、「ドナルド・トランプ氏は世界経済にとって非常に大きなリスクである」と語っている[5]。同氏は、ガーディアン紙のインタビューで、トランプ大統領の下での経済に対し重大な懸念を示し、「それは、あらゆる意味で最悪の世界、いわばスタグフレーションのような状況を招く恐れがあります」「インフレと経済の弱体化が同時に進行する“スタグフレーション”に至るシナリオは十分に想定できます。インフレは起こるでしょうし、力強い経済成長を私は想像できません。なぜなら、トランプ氏がもたらす不確実性によって、世界経済が非常に大きな打撃を受けているのが見えるからです。」と述べた。トランプ大統領の変動的な政策が景気停滞とインフレが同時進行するスタグフレーションを引き起こすリスクがあると警告した[6]。そして、「ほぼすべての経済学者が、関税は物価を上昇させると考えています。物価の上昇幅がどれほどになるかは、為替レートの上昇幅によって多少左右されますが、為替の上昇が関税の影響を打ち消すほどには到底ならないというのが全経済学者の一致した見解です」とも語っている。また、同氏は、関税の変更が企業に将来の不確実性を抱かせ、どこに工場を設置し、拠点を置くべきかを判断しづらくすると述べた。加えて、政府契約や貿易協定が予期せず破棄される事例が増えていることから、アメリカは「投資するには恐ろしい場所」になっていると指摘している。
元財務長官のラリー・サマーズ(Lawrence Henry Summers)氏も、「歴史上最大の経済に対する自傷行為だ」と批判しており、ジョセフ・スティグリッツ氏以外にも、多くの識者が大統領の動きは誤っていると指摘している。
トランプは「金色」がお好きなようだが、トランプがめざしている「黄金時代(Gold Age)」は、自らを含めごく限られた富裕層だけを潤す一方、一般消費者が物価高騰であえぐことになる浅薄な「金メッキ時代(Gilded Age)」に終わる公算の方が大きい。「黄金」ではなく「金メッキ」である。
こうした批判にもかかわらず、トランプ氏は「短期的な痛みは貿易政策を再構築するための代償として価値がある」と主張している。「これはアメリカの黄金時代となるだろう!」とトランプは自身のSNS「トゥルース・ソーシャル」に投稿した。「痛みがあるか?あるかもしれない(もしかしたらないかもしれない!)。だが我々はアメリカを再び偉大な国にする。そしてそのために払うべき代償は、すべて価値がある。我々の国はいま、常識で運営されている。そしてその結果は、素晴らしいものになるだろう!!!」とまで言い切っている。厚顔無恥、もはや正気の沙汰ではない。
[2] スタグフレーション(stagflation)は、経済における状態の一つである。stagnation(停滞)とinflation(物価上昇)の合成語。経済活動の停滞(不況)・失業率が高い状態・物価の持続的な上昇が併存する状態を指す。「景気が上向くと消費が活発化し、物価が上がる」「景気が落ちこむと需要が縮小し、物価が下がる」という通常の流れとは異なる経済現象。このスタグフレーションという用語は、英国保健大臣のイアン・マクロード下院議員が、1965年の英国病、議会での演説の中で自国の経済状況を発したのが始まりとされる。
[3] トランプは、中国の習近平(シーチンピン)国家主席が先に折れることを期待して圧力を強めているとみられる。だが、米コーネル大学のチャン・ウェンドン助教(応用経済政策学・政策)によると、習氏はしばらく様子を見ている可能性があると分析している。チャン氏は「中国は『最後まで戦う』と表明しており、状況がさらにエスカレートするリスクもある」と説明。「2018〜2019年の貿易戦争以降、すでに中国は大豆などの農産物を含む米国製品への依存度を下げてきた。しかし今回は、米国に対抗して国内消費へ軸足を移そうとする中国指導部に対し、これまで以上に協力的な一般国民の後押しが寄せられている」「トランプ氏、中国とのチキンゲームに敗れるかもしれない。」と指摘している。
[4] 米タックス・ファンデーションは、戦後の1割程度から2%台に低下していた米国の平均関税率が今回、16.5%と1937年以来の水準に跳ね上がると試算している。1世紀前の1929年に発生した米ウォールストリートの株価大暴落を機に、世界経済は大不況に突入した。その時の米フーバー政権は翌年1939年に不況から自国産業を守るため「関税法(Tariff Act of 1930:Smoot-Hawley Tariff Act;スムート・ホーレイ関税法)」を成立させた。その結果、各主要国は自国の植民地や海外領土との間では特恵関税を設定することで市場・資源を確保する一方で、圏外諸国に対しては高い関税を設ける排他的な経済圏を構築し、共通通貨を用いた排他的な貿易体制の構築による世界的な「ブロック経済化」が進んだ。そして、こうした世界中の保護主義拡散が、結果的に、後の第二次世界大戦の一因となった。1929年の株式市場の大暴落を引き金に大恐慌に陥った米国経済は、8年後の1937年に再び悪化した。インフレを懸念するFRBが1936年後半から金融引き締め政策に転換したが、時期尚早だったために、米国をはじめとする世界経済は再びリセッション(景気後退)に逆戻りした。1937年に米国は深刻なダメージを受けた世界経済は、第2次世界大戦という極めて大きな代償(6000万人超の命が奪われた)を払ってようやく回復した。
(出所)Tax foundation(2025)”Trump’s average tariff rate would be highest since 1937”(”Trump Tariffs: The Economic Impact of the Trump Trade War”;April 4, 2025,By: Erica York, Alex Durante)
Trump’s Average Tariff Rate Would Be Highest Since 1938.Average Tariff Rate on All Imports, Historical Rates from 1890-2023, Projected Rate for 2024, Estimated Rate for 2025 Under Trump’s Imposed Tariffs. Note: Includes IEEPA tariffs on Canada, Mexico, and China (with USMCA exemptions); April 2 “reciprocal” tariffs; and steel aluminum, auto, and auto parts tariffs. Tariff revenue estimate uses an elasticity of -0.997 and a noncompliance rate of 8 percent.Source: US Census Bureau, Historical Statistics of the United States: Colonial Times to 1970, Part II; US International Trade Commission, “U.S. imports for consumption, duties collected, and ratio of duties to values, 1891-2023, (Table 1)”; Tax Foundation calculations. https://taxfoundation.org/research/all/federal/trump-tariffs-trade-war/
[5] ジョセフ・スティグリッツ氏は、ベンガルールのアジム・プレムジ大学で行われたインタラクティブ・セッションで、記者から「トランプ氏が北米自由貿易協定(NAFTA)に敵対的な態度をとり、中国を繰り返し「為替操作国」と呼んでいることから、彼が世界経済にとって最大のリスクであるかどうか」と尋ねられ、「ドナルド・トランプ氏は確実に世界経済にとって非常に大きなリスクだと思います。すでに彼がもたらした損害―つまり、不安定の影を落とすような発言―は、世界の金融や貿易システムに不安定さを生んでいます」と語った。アメリカの多くの経済学者や金融専門家たちは、かねてより、トランプ氏が、自由貿易に敵対的な姿勢がメキシコや中国を遠ざけ、貿易戦争の激化につながると公然と警告してきた。スティグリッツ氏は、「すべての大統領候補がTTIPやTPPといった新しい貿易協定に反対しています。これらの協定はアメリカ市民にとって良いものではなく、ヨーロッパにとっても良いものではないと私は思います」と述べすべての大統領候補が環太平洋パートナーシップ協定(TPP)や環大西洋貿易投資パートナーシップ協定(TTIP)などの新しい貿易協定に反対していると述べ、それらはアメリカ国民やヨーロッパにとっても良いものではないとした。
“Donald Trump very big risk for global economy, says Joseph Stiglitz “Nobel Prize winning economist Joseph Stiglitz was speaking at an interactive session in Azim Premji University of Bengaluru.Nobel prize-winning economist Joseph Stiglitz on Wednesday said presumptive Republican presidential nominee Donald Trump ‘is certainly a very big risk for the global economy’.“I certainly think he is a very big risk for the global economy. I think the damage he has done already by raising the spectre…represents a force of instability in global financial and trade system,” he told reporters ahead of an interactive session organised by Azim Premji University in Bengaluru.He was asked whether Trump could be the biggest risk to the global economy following his hostility towards free trade, including North American Free Trade Agreement (NAFTA) and his repeated comments labelling China as a currency manipulator.Many economists and experts on financial matters in the US have come out openly, saying if Trump wins the election, his hostile attitude to free trade would alienate Mexico and China in particular, resulting in escalation of trade war.Stiglitz said all presidential candidates have come out against the new trade aagreements,including Trans-Pacific Partnership (TPP) and Transatlantic Trade and Investment Partnership (TTIP) and these are not good for American citizens and Europe. “All the presidential candidates have come out against the new trade agreements – TTIP and TPP. Those new trade agreements are not very good for American citizens and I don’t think they are very good for Europeans,” he said.Stiglitz said most of the aspects is not about trade, but about the investment and intellectual property provisions.The real concern, however, would be if India goes back on its longstanding view on intellectual property provision that has access to generic medicines, which is important, he said.
[6] Ashleigh Fields(2025)”Nobel-winning economist Joseph Stiglitz warns Trump policies risk causing stagflation”(The Guardian. by Ashleigh Fields 2/18/25 )Nobel Prize-winning economist Joseph Stiglitz flagged major concerns for the economy under President Trump,claiming fluctuating policies put the nation at risk of stagflation.“It risks the worst of all possible worlds: a kind of stagflation,” Stiglitz, who served as chair of former President Clinton’s Council of Economic Advisers, told The Guardian.
https://www.theguardian.com/business/2025/feb/17/joseph-stiglitz-economist-donald-trump-policies-tariffs-stagflation-risk-us-investment
2.「マールアラーゴ合意(Mar-a-Lago Accord)」の愚
巷では、「トランプ関税」の次の「第2の矢」は、「マールアラーゴ合意(Mar-a-Lago Accord)」であると言われている。これは、トランプ政権がドル高是正を目論みである。トランプ大統領が重要政策を決める場所とされる米フロリダ州の別荘名「マールアラーゴ(Mar-a-Lago)」に因んで呼ばれている。1985年の「プラザ合意(Plaza Accord)」[7]に至る状況と似ていることから「プラザ合意2.0」とも呼ばれている。しかし、これは愚策であり、「Mar-a-Lago」はスペイン語で「海から湖へ」と言う意味だが「天国から地獄へ」とならないことを祈りたいところではある。
トランプは、米国の貿易赤字拡大の下で製造業が衰退することを憂い攻撃的な関税政策を推進している。貿易赤字の解消には、大幅に割高となった米国の実質実効為替レートの低下が求められる。そのためには大幅な金利引き下げか、外国為替市場における大規模な介入政策でドル安誘導を図る必要がある。ところが、関税率引き上げはインフレ率を高める。インフレ高進に対して米連邦準備理事会(FRB)は利下げを停止するか、利上げをせざるを得ない。そこで、トランプは、ブロックチェーン(分散型台帳)と金を活用した共通通貨創設構想を持つBRICS諸国に対抗し、基軸通貨ドルの地位を脅かす試みであるとして、過大評価されたドル高の是正に向けて国際協調を目論んでいる。この「マールアラーゴ合意」は、次の国際通貨システムへの布石なのである。
トランプ政権のドル高是正の目論みは、米経済諮問委員会(CEA)委員長候補に指名されているスティーブン・ミラン氏(Stephen Miran)[8]が昨年11月に執筆した論文『グローバル貿易システム再構築のためのユーザーズガイド(A User’s Guide to Restructuring the Global Trading System)』(2024年11月エグゼクティブ・サマリー)[9]が基になっている。
ミラン氏はこの論文で、「われわれは世界の貿易・金融システムを数十年ぶりの改革するとば口にある」と宣言し、「持続的なドル過大評価」に起因する経済的不均衡の解消と、国際貿易システム改革に向けたロードマップを提示した。
米国が経常赤字を計上してもドルが世界の基軸通貨であることからその価値が上昇し、米製造業の負担となっていると指摘。そこでドル高を是正するために、関税に続いて貿易相手国と「多国間協定」を締結してドル安誘導を図り、ドル売り介入によって外貨準備が減少した協定参加国には、残った外貨準備における米国債の満期を100年程度に長期化させ、米長期金利の上昇を抑制するべき、などと主張している。
以下の【図3】は、1973年から現在に至る半世紀にわたる米ドルの推移を示している。

(出所)Enda Curran(2025)” What a ‘Mar-a-Lago Accord’ Would Mean for the Dollar”(25th Feb 2025;Bloomberg)
(注)購買力平価ベースのドル指標
トランプの問題意識は、巨額な米貿易赤字の解消と米国製造業の復活にある。それなくして米国の黄金時代実現はないと考えている。
米貿易赤字の規模は24年に1兆2000億ドル(約179兆円)という過去最大を記録したが、この問題は、ドルの為替レートが歴史的に見て強含みで「ドル高」推移しており、この「ドル高」が、輸入品を相対的に安価にすることで米国の競争力を損なっていることにあると考えている。
一部のアナリストは、通貨の国内購買力などを考慮する経済モデルに基づき、現在のドルは過大評価されているとみている。ドルが世界の準備通貨である。他の国々はドルを買い続ける。その結果、ドルは過大評価され続ける。それが米国の製造業に大きな負担となり続ける。よって、トランプは、ドル高圧力の要因を減らす多国間協定が必要だと考える。
こうした危機意識から、トランプは、高額関税をかけて輸入品を減らし、「ドル安」にして、米国の輸出を急激に増やし、巨額な米貿易赤字を解消し、米国製造業の復活を果たそうとしている。米ドルへの過大評価とその影響に対する深刻な問題意識は、トランプの米政府が「ドル高」に対処する何らかの合意を他国と結ぶ動機になっている。それが、過大評価されたドル高の是正に向けて国際協調を目論む「マールアラーゴ合意」なのである。
いまから40年前の1985年のことであるが、先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)が、ニューヨークのセントラルパークと5番街に面した世界的に有名なプラザ・ホテル(Plaza Hotel)で開かれた[10]。そこで、このホテルの名にちなんだ「プラザ合意」と呼ばれる協定が、締結された。
当時も、いまと同じような高インフレ、高金利、ドル高状況にあった。ここで、米国とフランス、日本、英国、西ドイツ(当時)の間で各国通貨に対してドル安に誘導する合意が成立した。この協定は、ドルの大幅な上昇が世界経済に悪影響を及ぼしているという認識に基づいてまとめられた。
当時、ドル高が、インフレ抑制を目的としたボルカー米連邦準備制度理事会(Federal Reserve Board;FRB)議長(当時)の金融引き締め、レーガン大統領(当時)の減税や歳出拡大という積極的な財政政策によって加速していた。時の「ドル高」は自分たちの政策の帰結であったのにもかかわらず、米議員らは米国への主要な輸出国だった日本を保護主義だとし、責任転嫁し、対日批判を繰り返した。なんとも身勝手な話である点は、いまの米国にも通じる点である。当時の日本は、現在の中国とよく似た状況にあった。そして、米国の政策の責任転嫁の標的にされた。なんとも、米国本位の身勝手な話である。
結果的に、「プラザ合意」は、ドル安誘導に成功したが、しかし、その後の行き過ぎた円高を招く要因になった。また、さらにその2年後の1987年には「ルーブル合意」が結ばれ、ドル安の流れに歯止めをかけ、円高の抑制が試みられたが、結局、日本にとって、これらの合意が「失われた10年」として知られる90年代の経済停滞の一因になった。
以下の【図4】は、1985年9月の「プラザ合意」前後の各国通貨の対米ドル為替レートの推移を示している。「プラザ合意」以降、いかに円が急激に「円高」になっていったかが分かる。

(出所)檀上誠(2025)「トランプ関税の次は第2プラザ合意」(2025年4月4日)、IMF資料(1986)
中国にとっては、この「プラザ合意」の史実は、間違いなく、「他山の石」となろう。
思い起こせば、前職の国際通貨研究所にシニアエコノミスト時代に、中国の通貨当局者や社会科学院等の研究者とも面談したことが多々あった。当時、彼らが「プラザ合意」における日本の状況について強い関心があったことを思い出す。当時、彼らが、はたして、そこまで今日の米中関係を想定していたからかどうかは分からないが、いずれにしても、今日、中国経済がデフレ圧力や不動産危機、製造業の過剰生産能力に直面する中で、日本の「プラザ合意」の教訓は中国にとって決して見過ごせるものではないことは明らかであろう。そして、いま、中国政府や通貨当局は、現下の「プラザ合意2.0」とも呼ばれているトランプの「マールアラーゴ合意」に対して強い危機感をもって様々な可能性についてリスク・シミュレーションをしてるにちがいない。
それでは、はたして、「マールアラーゴ合意」は、いかなるものになり、いかなる影響を与えることになるのであろうか。
外国為替市場に介入して通貨を望ましい方向に誘導するという取り決めを盛り込むことも技術的には可能であるが、外為市場の取引高は1日当たり7兆5000億ドルと膨大なため、これは難しい。また、金利調整規定の設定も技術的には可能だが、あの1980年代の「プラザ合意」当時よりも中央銀行の独立性が高まっているため、この分野での誓約は問題視され得るので、難しい。なかなか簡単ではない。こうした中、米財務省が100年満期のゼロクーポン債を発行するのではとおの臆測も出ている[11]。また、米財務省が発行済み米国債の外国保有分を長期ゼロクーポン債に交換するという案もある。そして、いずれにせよ、何らかの形で実現するとしたら、今回のトランプの「プラザ合意2.0」は、おそらく、半世紀前の「プラザ合意」を凌ぐさらに強烈な仕掛けになる可能性は否定できまい。
そもそも、今回の「マールアラーゴ合意」が、誕生するのか、かなり疑問も多いが、まだ具体的にどのようなものになるかも含め、まだ五里霧中の感はある。いずれにしても、万が一、この構想が実現した場合、この合意に参加を拒否する同盟国は、安全保障が担保されなかったり、関税を課されたり、あるいはその両方の措置を取られる可能性がある。
しかし、トランプには申し訳ないが、結論から言ってしまうと、この「マールアラーゴ合意」は実現しない可能性がある。仮に強行成立させても、結果的にうまくいかない可能性が懸念される。なぜなら、前回の1980年代の「プラザ合意」当時と今では、状況が違っているからである。冷戦時代真っただ中にあり、西側諸国は、米国に対して一定の敬意をもっており、盟主米国を全員で支えようと一致団結して連帯した。しかし、今回は、欧州はじめ多くの西側諸国は、トランプの独善的かつ傲慢な態度に、米国への敬意の気持ちは減衰してしまっている。米国への信頼が、根っこから毀損してしまっており、自己犠牲を払ってまで米国を支えようといった動機が消えてしまっているのである。日本も、当事者である。半世紀前の「プラザ合意」の経験知を踏まえ、同じ過ちの轍を踏むことのなきよう、どんな事態になっても狼狽しないよう、次期国際通貨体制像を念頭に、用意周到にリスク・シミュレーションと万全の対応策準備をしておくことが、何よりも肝要であろう。
[7] 「プラザ合意(Plaza Accord)」は、1985年9月22日先進5か国(G5)財務大臣・中央銀行総裁会議により発表された対米貿易黒字削減合意の通称。その名は会議の会場となったニューヨークの「プラザ・ホテル」にちなむ。出席者は、米国財務長官ジェイムズ・ベイカー、イギリス蔵相ナイジェル・ローソン、西ドイツ財務相ゲルハルト・シュトルテンベルク、フランス経済財政相ピエール・ベレゴヴォワ、そして日本の竹下登蔵相であった。以後の世界経済に大きな影響を及ぼした歴史的な合意だったが、その内容は事前に各国の実務者間協議において決められており、会議自体はわずか20分程で合意に至る形式的なものだった。
[8] <Stephen Miran> Former Hudson Bay Senior Strategist Stephen Miran was Senior Strategist at Hudson Bay Capital. He currently serves as Chairman of the Council of Economic Advisers. Previously, Dr. Miran served as senior advisor for economic policy at the U.S. Department of the Treasury, where he assisted with fiscal policy during the pandemic recession. Prior to Treasury, Dr. Miran worked for a decade as an investment professional. Dr. Miran is also an economics fellow at the Manhattan Institute for Policy Research. He received a Ph.D. in economics from Harvard University and a B.A. from Boston University.
[9] スティーブン・ミラン氏(Stephen Miran) の論文『グローバル貿易システム再構築のためのユーザーズガイド(A User’s Guide to Restructuring the Global Trading System)』(2024年11月エグゼクティブ・サマリー) の和訳は以下を参照。
(概訳)アメリカ産業を世界に対してより公平な立場に置くためにグローバルな貿易体制を改革したいという願いは、何十年にもわたりトランプ大統領の一貫したテーマである。私たちは今、国際貿易および金融システムにおける世代的な転換の瀬戸際にあるかもしれない。経済的不均衡の根本には、国際貿易の均衡を妨げているドルの過剰評価がある。このドル高は、準備資産(reserve assets)に対する非弾力的な需要によって引き起こされている。世界GDPが成長するにつれて、アメリカが準備資産と安全保障の提供を賄う負担はますます重くなり、そのコストは製造業や貿易可能部門に集中している。このエッセイでは、これらのシステムを再構築するために利用可能なツール、それらを使う際に伴うトレードオフ(利点と不利益)、および副作用を最小限に抑えるための政策オプションについて整理を試みる。これは特定の政策を擁護するものではなく、貿易・金融政策の大きな変化が金融市場に及ぼす影響を理解することを目的としている。関税は政府収入を生み出し、為替調整によって相殺される場合、2018~2019年の経験に見られたように、インフレやその他の悪影響は最小限にとどまる。為替による相殺は貿易フローの調整を妨げる可能性があるが、関税は最終的に課税された国が支払うことになり、その国の実質購買力と富が減少する。また、得られた税収は準備資産の提供負担の分担を改善する。関税は国家安全保障の観点と深く関連して導入される可能性が高く、その実施の様々な手法についても論じている。また、アメリカの税制全体の中での最適な関税率についても検討している。一方で、他国通貨の過小評価を是正するための為替政策は、まったく異なる種類のトレードオフと影響をもたらす。これまでアメリカは多国間の枠組みを通じて為替調整を行ってきたが、多くの専門家が「通貨の誤評価に一国で対処する手段はない」と考える一方で、実際には一国でも対応可能な選択肢が存在する。このエッセイでは、多国間および一国による為替調整戦略の可能性と、それに伴う副作用を抑制する手段を紹介している。最後に、こうした政策ツールが金融市場に与えるさまざまな影響と、その政策導入の順序(シーケンス)についても検討している。
A User’s Guide to Restructuring the Global Trading System (November 2024 Executive Summary) The desire to reform the global trading system and put American industry on fairer ground vis-à-vis the rest of the world has been a consistent theme for President Trump for decades. We may be on the cusp of generational change in the international trade and financial systems. The root of the economic imbalances lies in persistent dollar overvaluation that prevents the balancing of international trade, and this overvaluation is driven by inelastic demand for reserve assets. As global GDP grows, it becomes increasingly burdensome for the United States to finance the provision of reserve assets and the defense umbrella, as the manufacturing and tradeable sectors bear the brunt of the costs. In this essay I attempt to catalogue some of the available tools for reshaping these systems, the tradeoffs that accompany the use of those tools, and policy options for minimizing side effects. This is not policy advocacy, but an attempt to understand the financial market consequences of potential significant changes in trade or financial policy. Tariffs provide revenue, and if offset by currency adjustments, present minimal inflationary or otherwise adverse side effects, consistent with the experience in 2018-2019. While currency offset can inhibit adjustments to trade flows, it suggests that tariffs are ultimately financed by the tariffed nation, whose real purchasing power and wealth decline, and that the revenue raised improves burden sharing for reserve asset provision. Tariffs will likely be implemented in a manner deeply intertwined with national security concerns, and I discuss a variety of possible implementation schemes. I also discuss optimal tariff rates in the context of the rest of the U.S. taxation system. Currency policy aimed at correcting the undervaluation of other nations’ currencies brings an entirely different set of tradeoffs and potential implications. Historically, the United States has pursued multilateral approaches to currency adjustments. While many analysts believe there are no tools available to unilaterally address currency misvaluation, that is not true. I describe some potential avenues for both multilateral and unilateral currency adjustment strategies, as well as means of mitigating unwanted side effects. Finally, I discuss a variety of financial market consequences of these policy tools, and possible sequencing.
<Stephen Miran>
Former Hudson Bay Senior Strategist Stephen Miran was Senior Strategist at Hudson Bay Capital. He currently serves as Chairman of the Council of Economic Advisers. Previously, Dr. Miran served as senior advisor for economic policy at the U.S. Department of the Treasury, where he assisted with fiscal policy during the pandemic recession. Prior to Treasury, Dr. Miran worked for a decade as an investment professional. Dr. Miran is also an economics fellow at the Manhattan Institute for Policy Research. He received a Ph.D. in economics from Harvard University and a B.A. from Boston University. Stephen Miran(2024)”A User’s Guide to Restructuring the Global Trading System”https://www.hudsonbaycapital.com/documents/FG/hudsonbay/research/638199_A_Users_Guide_to_Restructuring_the_Global_Trading_System.pdf
[10] ちなみに、まったくの余談ではあるが、トランプは、大統領に就任する随分と前に、このプラザ・ホテルのオーナーであったことがあった。しかも、このプラザ・ホテルが舞台となった映画「ホーム・アローン2」にはトランプ氏も登場し約7秒間出演している。クリス・コロンバス監督は、「トランプ氏はプラザ・ホテルでの撮影条件として自分を出演させるよう強引に求めた。」と2020年のビジネスインサイダーのインタビューで明かしている。
[11] スティーブン・ミラン(Stephen Miran)氏は、昨年2024年11月論文の中で、調査会社エクス・ウノ・プルレス創業者ゾルタン・ポジャール氏(元クレディ・スイスのアナリスト)が2024年6月の論文で提案した米国と軍事同盟国との合意に言及している。それによると、米国が安全保障を担保する見返りとして、同盟国はこの100年債の購入を義務付けられていた。
3.「トリフィンのジレンマ」と「グローバル・ミノタウルス」の位相
そもそも、「マールアラーゴ合意」の議論が出てくること自体は、基軸通貨国米国にとっては必然的なもので、想定の範囲内であった。しかも、今回が初ではない。半世紀前の「プラザ合意」がまさにそれであったことは上述の通りである。かくして歴史は繰り返されている。
この基軸通貨制度の破綻の必然性を説明するキーワードが、いわゆる「トリフィンのジレンマ(Triffin dilemma)」[12]である。
これは、国際的な準備通貨において、自国と国際社会の利害が対立してしまうジレンマである。貿易赤字縮小には「ドル安」が必要だが、基軸通貨国の地位を維持する上では「ドル高」の維持が望ましい。これは、基軸通貨国米国にとって矛盾に満ちたアンビバレントな課題である。結論から言うならば、一国の通貨を国際通貨の基軸通貨とする仕組み自体には無理があるという極めて本質的な問題提起である。これは、金ドル本位制の時代、1961年に、米経済学者ロバート・トリフィン(Robert Triffin)教授[13]が論じた米国の国際流動性供給と国際収支危機回避の両立不可能性を示した問題提起で、「トリフィンのジレンマ」と呼ばれている。
かつて、戦後の国際通貨金融制度は、「ブレトン・ウッズ体制(Bretton Woods System)」[14]と呼ばれていた。「ブレトン・ウッズ協定(Bretton Woods Agreement)」に基づいた国際通貨金融制度であった。この協定は、第二次世界大戦中の1944年7月1日から22日までアメリカニューハンプシャー州ブレトン・ウッズのマウントワシントンホテルで開催された連合国通貨金融会議(45ヵ国参加)で締結され、1945年に発効した国際金融機構についての協定である国際通貨基金協定と国際復興開発銀行協定の総称である。国際通貨基金(IMF)、国際復興開発銀行(IBRD)の設立を決定し、この2つの組織を中心とする世界の金融体制が構築された。
この協定が出来た理由は大きく分けて以下の2つであった。1929年の世界恐慌により、1930年代に各国がブロック経済圏をつくって二度目の世界大戦をまねいた反省。第二次世界大戦で疲弊・混乱した世界経済の安定化。上記2つの理由のため、具体的には国際的協力による通貨価値の安定、貿易振興、開発途上国の開発などを行い、自由で多角的な世界貿易体制をつくるために為替レートの安定が計られた。当時の米国は、大幅な貿易黒字国で、こうした体制を支える余力があった。
しかし、その15年後、1960年代に、この「ブレトン・ウッズ体制」にほころびがでてきた。ベトナム戦争が激化し、米国は巨額が戦費支出を余儀なくされ、同時に、大量の日本製や欧州製商品が米国市場に流入し、米国が慢性的な貿易赤字国に転落したのであった。その結果、10年後1971年8月15日に、基軸通貨国米国のニクソン大統領の下で金とドルの連携が断たれ金とドルの交換を一方的に停止し、固定レート制度から変動レート制度に移行した。その時点から、基軸通貨ドルは不換通貨として、糸の切れた凧のように漂流を始める。そして、その瞬間「ブレトン・ウッズ体制」が死んだ[15]。これが「ニクソン・ショック(Nixon Shock)」[16]である。
その時、「ニクソン・ショック」の張本人の1人であった連邦準備制度理事会(Federal Reserve Board, FRB)議長のポール・ボルカ―(Paul Adolph Volcker)[17]は、当時財務次官時代に各国との調整にあたったが、後日「安定した国際システムに必要な条件と、国家政策の運用の自由を確保することを天秤にかけて、米国を含む多くの国々は後者を選んだ」と総括していた。
この「ニクソン・ショック」は、魔法を生み出した。驚くことに、金による価値の担保もない不換通貨米ドルが「トリフィンのジレンマ」の矛盾を抱えながら、そのままイナーシャ(慣性)で引き続き基軸通貨として延命し、米国の貿易赤字を増やしながら、さらにドル支配が強まっていった。
米国の覇権を支えた基軸通貨米ドルの延命という光の陰には、米国労働者階級の貧困化という闇があった。米国の労働者階級の平均所得が現在でも1974年の水準も下回っている事情の元凶はここにある。1970年代には労働者組合潰しが加速し、それが、労働コストを引き下げると同時に企業の利潤率を引き上げ、世界中のお金を米国に吸収する立て付けができあがった。そして、その後、ウオール街にある一流金融機関に象徴される東海岸の富裕層と、GAFAM[18]に象徴される西海岸の富裕層がますます豊かになってゆく一方で、米国中部のラストベルト地域の多くの貧困層を増殖させ米国内の格差を加速させた。
米国は、強大な軍事力を担保に、基軸通貨ドルという「共同幻想」を武器にして、世界中から資金をかき集め、国家としての覇権を謳歌し、東西両海岸地域のエリート層をますます豊かにすると同時に、労働者階級の貧困化を加速させていった。すでに、今日の、「トランプ現象」の本質であり米国の分断の根源でもある貧困格差の元凶はこの時に始まっていたのである。「トランプ劇場」の下地は、すでにこの時にできていたのである。
歴史を少し振り返れば、いまから半世紀前のこの1970年代の「ニクソン・ショック」を号砲に「ブレトン・ウッズ体制」崩壊が始まった。そして、その後灰の中から、「グローバル・ミノタウロス(Global Minotaur)」という怪物が誕生した[19]。ミノタウロス(Μινώταυρος)は、ギリシャ神話に登場する半人半牛の魔獣・牛魔人である。その正体は米国資本主義である。
金融市場を通じて世界中から富を吸い続ける姿を、古代アテネに貢ぎ物を強要したと伝わる魔獣になぞらえている。「ブレトン・ウッズ体制」崩壊で自由な資本移動の素地が形成され、「ニクソン・ショック」によって金の呪縛から解放されたドルが自由を手中にし、その後の規制緩和により米国金融機関が債務を自由に増やせるようになった。その魔法で魔獣に息が吹き込まれた。金融部門が債務として海外から集める資金を原資に、米国は財政赤字と経常赤字を永続できるようになった。
そこでは、魔獣に仕える“侍女”たちが重要な役割を果たしてきた。“侍女”の1人は、「主流派経済学(mainstream economics)」[20]であり、自由主義イデオロギーとグローバル化を理論面で支えつつ、ポストや研究費という分け前を得ていた。もう1人は、グローバルサプライチェーンに依拠した「グローバル・ビジネス・モデル」であり、「比較優位(comparative advantage)[21]」と「低価格」という御旗のもと世界規模で低コスト労働者との差分を利潤として享受していた[22]。
こうして、「グローバル・ミノタウロス」の魔法によって、米国資本主義、とりわけ金融をはじめとする富裕層に富を導く魔獣の迷宮が築き上げられていった。そこには、基軸通貨国米国が「打ち出の小槌」たる「シニョレッジ(通貨発行益;seigniorage)」[23]を享受してゆく全体構図があった。
これは、傑出した米国指導層による周到かつ利己的な戦略によるものだとの説もある。これ以降、米国にとって弱くて強いドル、換言すれば「貿易政策における弱いドルと、為替レート政策における強いドル」というアンビバレントな課題が未解決のまま放置されたまま、基軸通貨「ドル」と言う一種の「共同幻想」が、欲望が欲望を生み出し、never-ending storyが続くことになった。
そして、そこに、「ヤルタ体制」崩壊後、ロシアと中国が、グローバル資本主義システムに参入。20億人もの大量の低賃金労働者がこの「グローバル・ミノタウロス」のグローバル資本主義市場になだれ込んできた。そして、その加勢もあって、さらに、「グローバル・ミノタウロス」は増殖し、内患を抱えた米国基軸通貨体制が、延命するばかりでなく、むしろ勢いをつけ肥大して行った。
そして、さらに、1970年代から、ヤルタ体制崩壊で失業した東西両陣営の大量の軍事関連分野で高質なコンピューターテクノロジーや高度な数学的知見を誇ってた優秀なエンジニア達が大挙してウォール街の一流金融機関にシフトする珍現象が起きた。コンピューターテクノロジーの「軍事工学」から「金融工学」への転身であった。そこで、その後の2008年の金融危機のトリガーとなったデリバテイブやオプション等の金融商品が進化発展し、金融市場における投機が加速し熾烈化し、さらに、「グローバル・ミノタウロス」を増殖させ膨張させていった。その結果、戦後、アジア通貨・金融危機、サブプライムローン問題、リーマンショック等、様々な深刻な国際通貨問題が頻発した。
いま我々の眼前で起こっている「トランプ現象」は、こうした「ブレトン・ウッズ体制」崩壊後に誕生した「グローバル・ミノタウロス」という怪物の断末魔の情景であるとも言えよう。
元々立ち上がり当初から「トリフィンのジレンマ」と言う持病を抱えながら、なんとかごまかしながら金融市場を通じて世界中から富を吸い続けながら財政赤字と経常赤字を無節操に継続してきた米国資本主義のイナーシャの魔法が解けて失効してきたことの末期的症状でもあるとも言えよう。
この長年の課題である基軸通貨国米国の米ドルが内包する非整合性問題を解決するために、今回、トランプ政権下で米大統領経済諮問委員会(CEA)の委員長に指名されたスティーブン・ミラン氏が新たな打開策として打ち出したのが上述の「マールアラーゴ合意」の伏線となった論文である。
この論文の骨子は、以下の4点である。
●通貨過小評価国への関税賦課、
●米国が提供する安全保障の傘の代価として米国債保有者への手数料徴収、
●米国による単独介入または協調介入、
●外貨準備保有国債の100年物米国債へのスワップ取引強制
などの、実に身勝手かつ一方的な政策メニューであった。
こともあろうか、米国の意向を無視して隷従しない場合には、安全保障の傘を外すぞと恫喝までしている。なんとも下品で横柄な政策である。知性の片鱗もないヤクザな独善的論法である。
むろん、これらの実に身勝手で論外な施策にはさほど実効性がないとの専門家の冷ややかな分析や批判も出はじめている。「米国債保有者手数料徴収」策は、外国政府の外貨準備としての米国債保有に手数料を課すことをミランは想定しているようではあるが、その場合には外国政府はドル建て外貨準備を米国以外のロンドンの銀行等のドル預金(ユーロドル)に移し、そこで当該銀行が米国債で運用するという迂回を行えば、手数料を回避されてしまうので、実効性がない。
特に問題は、米国が、終始一貫して「自国第一主義」に拘泥し、同盟国に対しては横柄な上から目線で恫喝すら辞さない言動を繰り返している品性の滑落にある。この大国としての品格と知性を欠いた恫喝的な政策や言動は、最終的に「パクス・アメリカーナ」と「ドル基軸通貨体制」の同時終焉への事実上のモメンタムを加速する。
その意味で、そもそも「マールアラーゴ合意」は、百害あって一利なしの自損的な愚策であり、米国へのアンチを増やすばかりで、成功はしないであろうとの専門家の意見も多い[24]。
もはや、どんなにトランプが往生際悪く、悪あがきしようと、「グローバル・ミノタウロス」という怪物の最後は遅かれ早かれ到来するであろう。そして、基軸通貨国米国の「パクス・アメリカーナ」の時代の終焉を意味する。これは、もはや、時間の問題なのである。
米国のベッセント(Scott K. H. Bessent)財務長官[25]は、80年前にスタートした「ブレトン・ウッズ体制」[26]の再編を目指すとして、「我々はある種の大規模で世界的な経済秩序の再編を迎えざるを得ない。(“We are going to have to have some kind of a grand global economic reordering” )」[27]と述べている。
一部の御用学者の中には、「トランプ政権は、今後4年で国際金融秩序全体を一変させる可能性が十分ある。米国の債務負担を劇的に再編する目論見は、関税を用いて国際貿易を刷新し、ドル安を誘導し、最終的に借り入れコストを引き下げるというトランプ政権チームのアジェンダ(政策課題)の一環であり、いずれも米国の産業を世界の他の国・地域とより対等な立場に置く狙いがある。ウォール街は、これに対して備える必要がある。」との穿った意見もある[28]。
しかし、このベッセントの起死回生策であれ、「マールアラーゴ合意」あるいは「第2プラザ合意」であれ、いずれも「自国さえよければ、諸外国がいかなる迷惑やリスクを被ろうとも構わない」とした誠に身勝手で自分本位な政策であり、西側諸国とは言え、その多くの国々から支持や賛同を得ることは困難が予想されている。世界に賛同者がいない本政策の実効性は、あまり楽観できない。西側諸国とて、自国の有権者の厳しい目もあり、背に腹は代えられないのである。それだけ、覇権国米国の神通力が減衰してしまっている何よりの証左である。もはや、この期に及んで、米国の思うように国際金融秩序全体を一変させるパラダイムシフトが実現するとは到底思えない。
トランプの大統領就任以来の過激な言動による「自損的愚策」の連発によって、世界各国からの米国への信任がこれだけ失墜し、急激に米国の威信が毀損しつつある。こうした中で、いかなる国も、もはや自国の犠牲を覚悟してまで米国を救済しようとする国家はおるまい。
米国主導の「ブレトン・ウッズ体制」以降第2次大戦後の貿易秩序の最大の受益者でもあった米国が、その国際社会における圧倒的な優位性が崩れた今、その体制の守護神としての役割を担い続けるだけの力も矜持もなくなってしまっている事は明白である。この期に及んで、現下の国際貿易金融秩序を壊し、米国にとってより「公正」な秩序を作り直すというミラン論文の論旨とトランプ政権の主張は、支離滅裂な最後の悪あがきにしか見えず、なんとも心もとく、説得力がない。
加えて、トランプが主張する「第二次世界大戦後に築かれてきた自由貿易体制はアメリカが搾取されるばかりの体制だった」という考え方には大きな疑問がある。生産工場を海外に移転して米国内の製造業の空洞化を加速させてきたのは個々の米国企業の合理的判断の帰結[29]であり国際貿易金融秩序が悪いのではない。いままで享受してきた便益を無視して被害妄想に陥っているにすぎない。米国が国内に抱えるようになった矛盾の原因を、すべてグローバル化や対米貿易黒字を抱える国々の責任とするのは、論理のすり替えである。それではアメリカの根源的な問題は解決しない。これほど身勝手な我田引水的な責任転嫁はない。そこにはもはや大国の矜持はない。これがノーブレス・オブリージュを放棄し、恥も外聞を捨てて自国本位に迷走している断末魔の米国の素顔なのである。
[12] 「トリフィンのジレンマ(Triffin dilemma)」は「トリフィンのパラドックス」とも呼ばれている。国際的な準備通貨において、自国と国際社会の利害が対立してしまうこと。エール大学のRobert Triffin教授が1961年に『金とドルの危機』で唱えた。米ドルが国際的な準備通貨であるためには、諸外国がドルの外貨準備を保有できるよう、米国は余剰流動性を供給しなければならない。このため、米国は経常赤字を容認しなければならないが、これは米ドルの信認を揺らがせかねない。米国が米ドルの信認を保つために経常収支を均衡させてしまうと、国際市場へのドルの流動性供給が滞る。結果、米ドルが準備通貨の役割を果たせなくなってしまう。このようなジレンマのこと。ブレトン・ウッズ体制が抱える矛盾を説明する目的で唱えられた。
[13] ロバート・トリフィン(Robert Triffin, 1911年10月5日 – 1993年2月23日)、ベルギー生まれで、アメリカで活躍した経済学者。国際金融論、とくに貨幣改革に関心をもった。ハーバード大学、IMF、イェール大学などで活躍し、イェール大学を退めた後はベルギーで生涯を終えた。
[14] 「ブレトン・ウッズ体制(Bretton Woods System)」とは、「ブレトン・ウッズ協定(Bretton Woods Agreement)」に基づいた国際通貨金融制度のこと。「ブレトン・ウッズ協定(Bretton Woods Agreement)」とは、第二次世界大戦中の1944年7月1日から22日までアメリカニューハンプシャー州ブレトン・ウッズのマウントワシントンホテルで開催された連合国通貨金融会議(45ヵ国参加)で締結され、1945年に発効した国際金融機構についての協定である国際通貨基金協定と国際復興開発銀行協定の総称。国際通貨基金(IMF)、国際復興開発銀行(IBRD)の設立を決定し、この2つの組織を中心とする世界の金融体制である。この協定が出来た理由は大きく分けて以下の2つである。1929年の世界恐慌により、1930年代に各国がブロック経済圏をつくって二度目の世界大戦をまねいた反省。第二次世界大戦で疲弊・混乱した世界経済の安定化。上記2つの理由のため、具体的には国際的協力による通貨価値の安定、貿易振興、開発途上国の開発などを行い、自由で多角的な世界貿易体制をつくるために為替レートの安定が計られた。国際通貨基金(IMF)については、イギリスのケインズ案とアメリカのハリー・ホワイト案が英米両国の間で討議され、ホワイト案に近いものとなった。その際、アメリカの米ドルを世界の基軸通貨として、「金1オンスを35USドル」と定め、そのドルに対し各国通貨の交換比率を定めた(金本位制)。この固定相場制のもとで、日本円はGHQ統治体制初期の輸出・輸入為替レートが異なる複数レートから、占領終了(1952年4月28日)後の日本のIMFおよび世銀へ加盟の翌年、1米ドル=360円(変動幅±1%)に固定された。
[15] 「ブレトン・ウッズ体制と崩壊」(国際通貨研究所)https://www.iima.or.jp/abc/ha/1.html
[16] 「ニクソン・ショック(Nixon Shock)」は、2種類ある。1971年にアメリカ合衆国のリチャード・ニクソン大統領が電撃的に発表した、既存の世界秩序を変革する2つの大きな方針転換を言う。1番目のものは、7月15日のショックで、「第1次ニクソン・ショック(ニクソン訪中宣言)」と呼ばれ、1971年7月15日に発表された。ニクソン大統領の中華人民共和国への訪問を予告する宣言から、翌1972年2月の実際の北京訪問に至る『新しい外交政策』をいう。2番目のものは、8月15日の「ドル・ショック」であった。本稿ではこちらを指す。第2次ニクソン・ショック(ドル・ショック)は、1971年8月15日に発表された、米ドル紙幣と金との兌換一時停止を宣言し、ブレトン・ウッズ体制の終結を告げた新しい経済政策をいう。両者を併せて「2つのニクソン・ショック」と呼ばれる。
[17] ポール・ボルカ―(Paul Adolph Volcker)は、財務次官時代、金とドルとの交換停止(ニクソン・ショック)から変動為替相場制への移行という金融の激動期で、各国との調整にあたった。その後、FRB議長に就任すると、当時の悪性インフレを抑えるため、産業界や労働組合などから反発を受けながらも、金融引き締め策を果敢に実施した。短期政策金利は一時20%にも達したが、インフレは抑制され、その後の米国経済の安定につながった。
[18] GAFAMとは、グーグル(Google)、アップル(Apple)、フェイスブック(Facebook)、アマゾン(Amazon)、マイクロソフト(Microsoft)の5つの米国IT企業の総称で、世界経済を牽引する超巨大IT企業(ビッグテック)群として知られている。
[19] Yanis Varoufakis(2011)” The Global Minotaur: America, the True Origins of the Financial Crisis and the Future of the World Economy”
[20] 「主流派経済学(mainstream economics)」は、第二次世界大戦後は、ポール・サミュエルソンの「新古典派総合」によって、ケインズのマクロ経済学国民所得理論とミクロ経済学の価格理論の総合が試みられ、強い影響力をもち、1950 年代から 1970 年代まで主流だった。新古典派統合が、1970年代のスタグフレーション現象の説明に失敗したことで、マクロ経済学のコンセンサスは崩壊した。代わって、ニュー・ケインジアンと新しい古典派(新古典派マクロ経済学)が出現し、マクロ経済学のミクロ的基礎づけを強調した。1980年代から1990年代にかけて、マクロ経済学者は、ニュー・ケインジアンと新古典派マクロ経済学の両方の要素を組み合わせた「新しい新古典派総合(New neoclassical synthesis)」を形成し、現在の主流派の基礎となった。新しい総合は、モデルを計量経済学的に検証する方法論的な問題に関する前例のない合意によって特徴付けられる。世界金融危機 (2007年-2010年)により、マクロ経済学におけるモデリングの失敗が露呈した。経済学の専門職は、伝統的に新古典派経済学と結び付けられてきた。しかし、ゲーム理論、行動経済学、産業組織論、情報経済学など現在の主流理論は、新古典派経済学の初期の公理とほとんど共通点がないとの指摘がある。
[21] 「比較優位(comparative advantage)」は、経済学者デヴィッド・リカードが提唱した概念。「比較生産費説」「リカード理論」とも呼ばれる学説・理論で、貿易理論における最も基本的概念である。アダム・スミスが提唱した絶対優位(absolute advantage)の概念を柱とする学説・理論を修正する形で提唱された。自由貿易において各経済主体が(複数あり得る自身の優位分野の中から)自身の最も優位な分野(より機会費用の少ない、自身の利益・収益性を最大化できる財の生産)に特化・集中することで、それぞれの労働生産性が増大され、互いにより高品質の財やサービスと高い利益・収益を享受・獲得できるようになることを説明する概念である。
[22] Yanis Varoufakis(2024)” Technofeudalism: What Killed Capitalism”
[23] 「シニョレッジ(seigniorage)」は、政府や中央銀行が通貨を発行することで得る利益、つまり通貨発行益のことを指す。
[24] 「マール・ア・ラーゴ合意に4つの疑問」①準備通貨としてのドルの役割と米国の慢性的な経常赤字、米国製造業の雇用と生産高の弱さの関連性についてのミランの分析は正確なか。米国は決して、雇用における製造業のシェアが低下している唯一の高所得国ではない。②提案されている新しい通貨合意によって米国は準備通貨の発行と製造業に関する目的を組み合わせることが最善なのか。もっと良い方法は考えられないのか。③この提案では目的と手段が複雑に組み合わさっているが、これについてトランプと合意できる可能性などあるのだろうか。④仮に合意が成立したとして、トランプはその合意を守り続けられるのだろうか。
The US president wants both to protect domestic manufacturing and hold the dollar as the reserve currency.If one is to understand this more sophisticated approach, one should read Miran’s “A User’s Guide to Restructuring the Global Trading System”, published in November 2024. The author states that “this essay is not policy advocacy”. But if it quacks like a duck, it is a duck. From a man in his current position, this must now be read as advocacy.(出所)Martin Wolf(2025)” Will anybody buy a ‘Mar-a-Lago accord’?”(Financial Times)https://www.ft.com/content/9fa4a76d-60bb-45cd-aba0-744973f98dea
[25] スコット・ベッセント(Scott K. H. Bessent) 1962年8月21日 -、現在、同国第79代財務長官。米国の投資家、ヘッジファンドマネージャー。キー・スクエア・グループ(Key Square Group)の創立者。ベッセントはドナルド・トランプの選挙キャンペーンの主な資金提供者の一人でもあった。
[26] Harold-James(2024)” As the IMF turns 80, its history holds lessons for future international risk management”(IMF)
https://www.imf.org/ja/Publications/fandd/issues/2024/06/Moving-To-Complexity-Harold-James
[27] ベッセント氏は財務長官として、米主導の世界秩序を壊そうとする中国やロシアに北朝鮮、イランなど「反米主義」諸国と一線を画した世界経済ブロック化による戦後ブレトン・ウッズ体制に匹敵するような世界経済再編を企図している。(出所)米WSJ紙11月25日電子版『Scott Bessent Sees a Coming ‘Global Economic Reordering.’ He Wants to Be Part of It(スコット・ベッセント氏「世界経済再編」の一助となる意向)』、トランプ次期政権の財務長官に就くスコット・ベッセント氏とソロス・ファンド時代から親交が深い旧知の有力国際金融筋から、「From Scott Bessent — Mar a Lago Accord (マール・ア・ラーゴ協定)と題する対外秘のメールが届いた。特筆すべきは冒頭、「Don’t underestimate the radical geostrategic ambitions of Trump 2.0.(トランプ2.0の過激な地政学的野心を過小評価しないで下さい)」と記され、「We are at a key geopolitical moment. I see the need for a grand economic reordering. Something going back to Bretton Woods or the Treaty of Versailles.(我々は重要な地政学的な瞬間におり、私は壮大な世界経済再編の必要性を見据えており、それはブレトン・ウッズやベルサイユ条約にまで遡るものかもしれない)とし、「The ultimate objective would be to create a new era of international cooperation, involving military and geopolitical partnership, balanced trade and consistency of national policies, to replace neo-liberal globalization(究極の目標は、新自由主義グローバリゼーションに取って代わる軍事的及び地政学的パートナーシップ、バランスのとれた貿易、国家政策の一貫性を含む新たな国際協調秩序時代の創出)」と喝破している点である。(出所)上坂郁(2024)「ブロック化へ世界経済「大再編」の予兆」
[28] Liz Capo McCormick(2025)“‘Mar-a-Lago Accord’ Chatter Is Getting Wall Street’s Attention”(Bloomberg)https://www.bloomberg.com/news/articles/2025-02-20/-mar-a-lago-accord-chatter-is-getting-wall-street-s-attention?embedded-checkout=true
[29] ちなみに、米国アップルはi phone生産の80%以上を中国に依存している。アップルは製品設計に集中して、組み立てはフォックスコンやペガトロンなど中国企業に任せる。これらはほとんどが中国に大規模生産施設を置いている。特に「i phoneの都市」と呼ばれるフォックスコン鄭州工場には数十万人の人材が投入され精巧な生産ラインとインフラを構築している。かつてこの構造はアップルの強みだった。20年以上鍛えられた中国生産生態系は超精密組み立て、スピーディな大量生産、低い人件費を全部満たしコスト削減と納期短縮に最適化されたシステムと評価された。関税爆弾が現実化すれば大きな打撃は避けられない。スマートフォンやPCなど核心IT製品が「相互関税」の対象から除外されたが、今回の決定はあくまでも「猶予」に近い。
4.基軸通貨国型国際通貨システムの終焉と資本主義のメタモルフォーゼ
ノーブレス・オブリージュを放棄した覇権国の「悲劇」を描いたとも揶揄されてる「トランプ劇場」の序幕が、いよいよ開かれた。
最後の悪あがきとも見えるベッセントの起死回生策であれ、「マールアラーゴ合意」あるいは「第2プラザ合意」であれ、いずれも、世界中の誰からも支持されえない新しい国際金融秩序構築が蹉跌した先に待っているのは、言うまでもない基軸通貨国型国際通貨システムの終焉である。もはや基軸通貨国米国の限界を示す事態に陥っていることは明白である。
今日に至る、国際通貨金融史を俯瞰すれば、過去の一連の国際金融問題や現在米国が直面している問題の背景には「宿痾」とも呼ぶべき「過剰流動性問題」がある。古くて新しい問題である。
米国は、基軸通貨国の米国は、通貨発行益を享受しつつ、直ちに赤字を解消しなければならないという緊張感を欠いたまま、兌換性のないドルを、際限なく世界に供給し続け、過剰流動性が拡大した。その結果、アジア通貨・金融危機、サブプライムローン問題、リーマンショック等、様々な深刻な国際通貨問題が次々と頻発したのであった。
その深刻な国際通貨問題に通底している根本原因について、中国の銀行業監督管理委員会首席顧問シェン(Andrew Sheng)は、先の国際金融危機を招いた原因は、過剰流動性(excess liquidity)、過剰なリスクテイク(excess risk taking)、過剰なリバリッジ(excess leverage) 、過剰な貪欲さ(excess greed)の「4つのe(過剰)」にあると分析している[30]。
この宿痾のごとき過剰流動性問題を生み出している現下のドル本位の変動相場制は、若干皮肉を込めて「システムなきシステム(non-system)」とも呼ばれた[31]。
そして、いまや米国覇権を支えてきた基軸通貨国型国際通貨システムの終焉期を迎えつつある。
現下の気候危機や戦争、貧困問題等、地球上の現下の諸問題の太宗は、資本主義システムに内包する宿痾から無縁ではない。一介の地球環境学者の視点からは、いままで、一種の生命維持装置(Life Support System: LSS)として機能してきた人類社会システムが限界にきて、もはや、不可避的なシステム疲労に陥っており、思い切ったパラダイシフトの期限が差し迫っているように思えてならない。このままでは、地球環境も人間ももたない、その持続可能性を担保し続けることは困難になってきていると痛感している。逆転の発想ではあるが、「トランプ劇場」の不毛な騒動が、世界中に衝撃を与え、各地で物議を醸しているいまこそ、「グレートリセット」の最後のチャンスかもしれない。
従来の思考習慣から卒業して、現下の基軸通貨国型国際通貨システムの終焉後の世界を念頭に、人類社会システムのOS(Operating System)を書き換えるチャンスなのかもしれない。
米国覇権を支えてきた基軸通貨国型国際通貨システムの終焉は、資本主義の「変身」を、すなわち「メタモルフォーゼ(Metamorphose)」[32]を、意味する。この「変身」が、実現したら、それ以降の世界の風景は、まったく違ったものになるにちがいない。
いままで、米国の金融覇権体制が世界を支配してきた。半世紀前の1980年代の経済の債券化、ビッグバン、「プラザ合意」等を通じた米英金融の自由化以来、米国と英国が金融を担い、その他の世界諸国は製造業を担うという役割分担ができあがっていた。米国金融の利益率が世界の製造業より高い状態が維持され、この差分によって米国覇権が続いてきた。この米国の金融覇権体制の仕組みは、米国が世界から商品を旺盛に輸入する替わりに、世界は対米輸出で儲けた資金を米金融界に預託し投資し、米国が資金面で世界を席巻する仕組みだった。
米国覇権が1980年代に金融化して以来、米金融は、世界から投資を集め続けるため、株高、債券高、金利低下を維持する必要があった。米国金融は40年間バブル膨張し続けた。米国金融の最盛期は1985年の金融自由化から2000年のITバブル崩壊あたりまでであった。その後はいろんな手段を駆使し延命期に入った。2008年のリーマン危機で債券化の延命が限界になった。その後は中央銀行(FRB)のQE(過剰造幣)や、米政府の財政赤字増加による注入等の当局による異次元な資金注入での延命策を繰り返した。公的な経済統計の算出方法を歪曲して、景気や雇用、物価を粉飾して金融相場の吊り上げを維持する策も横行・拡大した。米金融覇権を維持するため、当局と金融界、マスコミ権威筋が結託して株や債券の高値を演出し続けた。これら万策尽き、いよいよ高値が維持できなくなった。
このタイミングで、今年2025年1月、トランプが再登場した。トランプは今回、世界から米国への輸入品に高関税をかけることで、結果的に、米国の金融覇権体制を潰すことになった。専門家の中からは、トランプの高関税策によって、世界各国は、関税を取られ、その分、対米輸出の儲けが減る。連動して世界から米国への金融投資も減る。株高を支えていた構図が崩れる。株価の世界的な暴落が起こる。リーマン以上の金融危機が起こり、世界的な大恐慌がこれからしばらく続くことになるとの悲観論も出始めている[33]。トランプの高関税策は、米国の製造業を復活させる経済ナショナリズム策として打ち出されているが、製造業の復活は、成功するとしても何年もかかる。製造業の復活は無理だとの悲観論もある。トランプの高関税策に対して、世界各国は、米国に代わる輸出先を開拓しなければならない。リーマン危機やウクライナ戦争は、米欧系以外のBRICSなど非米側諸国に、米欧抜きで結束して発展していく道を歩ませた。それによって、世界経済は非米化が進んでいる。70億人以上の巨大市場である非米側が、これから米国に代わる輸出先になる。長期的に、世界経済は今より発展するが、それも時間がかかる。その間に、米国は凋落し、欧州の没落、中東の再編など、政治面での覇権構造の転換が進行する。
ここで、あらためて再認識しなければならないことは、第一次大戦から第二次世界大戦を経て構築された世界の「20世紀 米国覇権型秩序」から「21世紀 多極的世界秩序」への大きなシステム転換が今進行中であるということである。「20世紀米国覇権型秩序」の崩壊は、「ワシントン・コンセンサス」という名の新自由主義グローバリズムがその中枢が運動を停止してから始まっていた。すでにいまから16年前の2009年に、英国のゴードン・ブラウン首相が「ワシントン・コンセンサスは終わった」と言明している。「アメリカ・ファースト主義」を標榜するトランプが、機能不全を起こし腐敗が顕在化した従来型の「20世紀秩序」に”仁義なき戦い”を挑み、これによる世界秩序の流動化を加速したことが、結局「アメリカ・ファースト」ならぬ「アメリカ・ワースト」のシナリオとなってしまったことは皮肉であった。この「20世紀秩序」後の世界システムをめぐるグレート・ゲームは、核戦争の現実的脅威を世界中の人々に実感させたウクライナ紛争をもってほぼ終わりに近づいてきた感が強い。
今後の米国の帰趨に楽観は禁物である。20世紀米国覇権の「悲観シナリオ(U.S. Doomsday Scenario)」も十分あると覚悟しておいた方がよかろう。これは、米国の世界経済・金融・軍事・地政学の覇権的地位が、構造的に低下・崩壊する可能性を意味する。20世紀米国覇権の「悲観シナリオ」の主な構成要素としては、以下の5つの可能性が挙げられる。このシナリオの帰結として、米国は「世界の銀行」「世界の警察」「世界のプラットフォーム」としての役割を縮小し、国内ではインフレ・貧富格差・政治的分断が激化すると共に、国際社会では、中国や他の新興勢力による新秩序が台頭し、米国の影響力が限定的になり、「パクス・アメリカーナ」を終焉する。
●インフレ高止まりとスタグフレーション[34]
●米ドル基軸通貨体制の崩壊[35]
●米国の財政赤字・債務の信認崩壊・米国ソブリンリスク上昇によるデフォルト[36]
●同盟国の離反・影響力の低下[37]
●世界の多極化による複数覇権(multipolarity)による不安定性の増加[38]
今後、この上掲の「悲観シナリオ」の幾つかが、時間差を伴いつつ、矢継ぎ早に顕在化し、土砂崩れ的に、一気に米経済覇権体制、グローバリズムが解体され、世界経済の多極化が加速する可能性がある。そして、やがて、世界経済が、米覇権体制による米国依存の金融主導的なグローバリズムから卒業する。そして、非米化・多極化・実体経済の世界へのパラダイムシフトが始まる。
中でも衝撃度の大きさから特に深刻なのは、米ドル基軸通貨体制の崩壊である。すでにサウジアラビアが人民元決済を拡大したように非米諸国を中心に「米国ドル離れ」が加速しており、エネルギー・資源の国際取引においてドルが使われなくなり「非ドル化」が加速している。やがて欧州でも米国に距離を置く「戦略的自律(Strategic Autonomy)」を志向する動きがすでに顕著になりつつあり、西側同盟諸国も含め各国が貿易・資産準備に米ドルを使わなくなりドル需要が減退する。その結果、米国は「基軸通貨国」の座から転落し、米国はいままで既得権益でもあった自国通貨で借金ができる「覇権的特権(exorbitant privilege)」を失う「悲観シナリオ」が一気に顕在化する。
その一方で、次章で、詳細を後述するように、「米ドル基軸通貨体制」の対立軸ともなる「BRICs共通通貨創設構想」が「新しい次期国際通貨システム」の受け皿となるべく、着実に具体化しつつある。今後の世界情勢によっては、一気に、国際通貨体制の覇権の座が、現在の「米ドル基軸通貨体制」から「BRICs共通通貨体制」に移譲される可能性もあながち絶対無いとは断言できない状況になりつつある。「悲観シナリオ」の次に到来する「近未来シナリオ」も描かれつつあることについては、その実現可能性への評価はまだ百家争鳴の感はあるものの、自覚的である必要があろう。
好しにつけ悪しきにつけ、米国の覇権的繁栄をささえてきたのは、この米ドル基軸通貨体制の「魔法」であった。その「魔法」が消えれば、すべてのからくりは逆回転を開始し、いままで米国の持続的な繁栄を担保してきた要素が瓦解し始め、米国のソブリンリスクが低下し、ソブリンリスク格付けが下方に修正され、米国債は売り浴びせられ、米国の資金調達能力は急激に低下する。それに伴い、今まで、米国の多額の投資や大量消費を支えてきた海外からの資金の蛇口が急激に細くなり、急転直下、米国は長期金利高騰もレセッションに突入し、インフレ高止まりと不況のスタグフレーションの奈落の底に突き落とされることは必至である。
100年後の「世界史」の教科書には、この2025年の現代という時代が、「トランプ革命がオウンゴールによって、グレートリセットのスイッチを押したことによって、米国が覇権の座から転落し、新世界秩序を構築する転機となった時期」として記録されることになるのかもしれない。
むろん、これは、トランプ自身が画策したことでも望んだことでもないが、彼が結果的に起こした支離滅裂な「ちゃぶ台返し」が、畢竟、歴史の大転換のトリガーを引いたことになる。
その意味で、ご本人の自覚や心情はともかく、トランプは世界史に残る悲劇の主人公として形容されることになるのかもしれない。
そして、今年2025年は、世界の過去2回の大戦以来の画期的な出来事・覇権転換になったと評される重要な年になるのかもしれない。
[30] Andrew Sheng (2009)” Lessons from Asian Financial Experience”、 ―(2009)”From Asian to Global Financial Crisis: An Asian Regulator’s View of Unfettered Finance in the 1990s and 2000s. (New York: Cambridge University Press)、―(2011)” The Challenge of Large, Complex Financial Institutions”(Bretton Woods Conference;9th April 2011;Distinguished Fellow Asia Global Institute, The University of Hong Kong)
[31] IMF(2010)“Reform of the International Monetary System, or Nonsystem?”
[32] メタモルフォーゼ( Metamorphose)は、ドイツ語で変化・変身の意。ギリシア語メタモルフォーシス(μεταμόρφωσις)に由来する。なお、英語のメタモルフォーズ(metamorphose)は動詞形で、名詞形はメタモルフォシス(metamorphosis)である。
[33] 米国の経済的・政治的な状況に対して懸念を示して来たノーベル賞受賞経済学者のポール・クルーグマンは、特にトランプ政権の政策がもたらすリスクについて多々警鐘を鳴らしている。Paul Krugman (2025)“The Cost of Chaos: This is Getting Scary”― (2025)” Paul Krugman on Tariffs” ― (2025)” Democrats Shouldn’t Support Tariffs”
[34] トランプによる常軌を逸した高額関税は、インフレの元凶となり、同時に、米国消費者にとっては「消費税」と同じで、家計を直接圧迫し国内需要低迷に直結する。その結果、米国は、トランプによる常軌を逸した高額関税政策の副作用として、輸入インフレの高騰や国内供給の低迷によって長期停滞と物価高からなる「スタグフレーション」に陥る。さらに非米諸国を中心にサウジアラビアが人民元決済を拡大したように米国ドル離れが加速し、エネルギー・資源の国際取引においてドルが使われなくなり「非ドル化」が加速する。
[35] 非米諸国を中心にサウジアラビアが人民元決済を拡大したように米国ドル離れが加速しエネルギー・資源の国際取引においてドルが使われなくなり「非ドル化」が加速。やがて西側諸国も含め各国が貿易・資産準備に米ドルを使わなくなりドル需要が減退。米国は「基軸通貨国」の座から転落し、米国はいままで既得権益でもあった自国通貨で借金ができる「覇権的特権(exorbitant privilege)」を失い、債券価格暴落・ドル安進行・金利急騰という双子の赤字の爆発的が悪化し、米国の覇権は強制終了する。
[36] 中国等による保有米国債の大量売りが起こり米国債価格低落+長期金利高騰が起こり、米国へに信頼性が低下する。その結果、米国のソブリンリスクが上がり、海外からの資金流入が減少。結果として、政府支出削減と米ドル通貨乱発に追い込まれ、インフレが加速する。場合によってはハイパーインフレーションの懸念すらある。米国の格付けとソブリンリスク(2024〜2025年時点)は、S&Pが、「AA+(段階格下げ)」、Moody’sが「Aaa(最高位)」だが2023年11月以降ネガティブで、財政赤字・政治不安による下方修正懸念がある。また、Fitchは、「AA+(2023年に格下げ)」であるが、債務上限問題とガバナンス懸念があると分析している。いずれも、今後の「トランプ2.0」の状況次第では、さらに格下げのリスクは否定できない。
[37] 現状、劇的米国離反は露呈していないが、米国同盟国の離反や影響力の低下の可能性は既に議論の対象になりつつあり、同盟国で「戦略的自立」を志向する動きがすでに顕著で、中長期的に米国の影響力は相対的に低下しつつある。既にEUはウクライナ戦争では米国に協調するもののエネルギー問題や中国政策で温度差あり「戦略的自律(Strategic Autonomy)」を強調し始めている。 特にフランスやドイツは、米国依存から脱却し欧州独自の安全保障枠組みを模索している。また、米中対立に関し欧州は「米中の板挟み」回避を志向している。すでにBRICSに加盟しているサウジアラビアは人民元建て石油取引にも合意しており着実に米国離も始めている。依然として米国の強固な同盟国である韓国・日本以外では、ASEAN諸国やインドは、「非同盟的なバランス外交」を維持している。特に、インドはQUADに参加しつつ、ロシアから兵器購入・BRICS参加など自立志向強めている。
[38] 米中・米露対立だけでなく、世界の覇権構造が分散化し、グローバルな不確実性が増す。
5.「トランプ劇場」後のドル基軸通貨体制に代わる新国際通貨システムの地平線
~国際通貨金融問題是正と気候危機解決に資する異次元の「バンコール型国際通貨体制」の歴史的含意~
いまから16年前の2009年3月に、中国人民銀行周総裁は、国際通貨制度改革論を発表し、米ドルのような特定国の通貨に依存する現在の国際通貨制度の不安定性と脆弱性の問題を指摘し、国際通貨制度の抜本的改革を訴えた。彼は「トリフィンのジレンマ」を理由に挙げ、「1国家の通貨ドルがグローバルな準備通貨となるのは、不適切である」と主張した[39]。まさに正鵠を射た指摘である。
加えて注目すべき点があった。それは周が、かのケインズ(J.M.keynes)のバンコール(Bancor)構想に触れ、「先見の明有」と称し、基軸通貨ドルに代わる国際的な不均衡是正に貢献する新たな超国家的な性格を持つ国際通貨創設の必要性を説き、世界の流動性をコントロールできる国際機関の創設を求めたことであった。その深い洞察には、今日の課題解決への有益なヒントがある。
また翌年2010年には、IMFが、「Reserve Accumulation and International Monetary Stability」(IMF発表論文;April 13, 2010 )[40]で、グローバル通貨導入可能性に触れ、その通貨の名称を「バンコール(Bancor)」としたらどうかと提言した。すでにいまから15年も前から、「バンコール」復活論が議論の俎上にあったのである。
以下の【図5】は、このIMF論文に掲載されていた国際通貨システム(International Monetary System;IMS)を安定化させるための様々な構想・アイデアの進化形を示したものである。重要な点は、この図の一番右上に掲示されている通り、究極の国際通貨システム安定化構想として、「グローバル通貨(Global currency)」が掲げられている事である。論文の趣旨から考え、この「グローバル通貨」は「バンコール」復活を念頭にしていると推察される。

(出所)IMF(2010)” Reserve Accumulation and International Monetary Stability” Prepared by the Strategy, Policy and Review Department In collaboration with the Finance, Legal, Monetary and Capital Markets, Research and Statistics Departments, and consultation with the Area Departments Approved by Reza Moghadam(April 13, 2010)
「バンコール」は、1940年代にジョン・メイナード・ケインズが提案した、国際通貨制度のための超国家的な清算通貨(supranational currency)の構想である。第二次世界大戦後の経済再建と貿易拡大を支えるために提案された革新的かつ公平性を重視した国際清算制度を目指したもので、1国家の通貨を基軸通貨としてグローバルな準備通貨とすることは不適切であるとし、各国通貨は一定の比率で「バンコール」に固定される固定通貨制度構想であった。この「バンコール」は、実体のない帳簿上の通貨単位(virtual unit of account)であり、各国が貿易を行う際には、その個別取引の決済は、米ドルのような基軸通貨を使わずに、中立的な国際機関「国際清算同盟(International Clearing Union; ICU)」の帳簿内で、バンコール建で記録される[41]。各国通貨は一定の為替レートでバンコールと固定され、為替は調整可能な固定相場制(adjustable peg)で必要に応じて比率の見直しもできる[42]。これにより投機的な為替変動や通貨切り下げ競争を抑制できる仕組みであった。
このケインズが提案した「バンコール」構想は、「投機よりも生産と貿易」を重視するいたって健全な国際経済秩序を想定したものであったが、結局、残念ながら実際には採用されず、最終的には、米国が主導する米ドルを基軸とする固定相場制「ブレトン・ウッズ体制」が採用された。
現下の「トランプ劇場」に至る国際通貨制度の変遷とその経緯を俯瞰すれば、この「バンコール」復活構想が、もしもあの85年前にもう少し真摯に議論され、国際的プラットフォームに進化していたら、今日の「トランプ劇場」の不毛な混乱はなかったであろうと推察する。なぜなら、今日の「トランプ劇場」の本質は、基軸通貨国米国が、通貨発行益を享受しつつ、直ちに赤字を解消しなければならないという緊張感を欠いたまま、兌換性のないドルを、際限なく世界に供給し続け、過剰流動性が拡大させながら、巨額の貿易赤字を拡大してきた結果に過ぎないからである。
歴史に「もし(if)」はないとは言うが、もしあの85年前のブレトン・ウッズの会場で、「バンコール」が採用され、投機よりも生産と貿易を重視する健全な国際経済秩序を目指した中立的な国際通貨制度として実装されていたら、確実に資本主義の健全な姿へのメタモルフォーゼ(Metamorphose)[43]を起こしていたであろう。そして、我々が目撃している後の世界の風景も、まったく違ったものになっていたに違いない。
おそらく、「バンコール」の存在によって過剰流動性拡大も抑止され、アジア通貨・金融危機、サブプライムローン問題、リーマンショック等、様々な深刻な国際通貨問題も起こらなかったであろう。また、米国の巨額の貿易赤字もここまで膨張肥大化することもなかっただろう。米国史に、トランプも米国大統領として登場しなかったに違いない。
さらに言うならば、過剰流動性拡大に伴う、投機的マネーが跋扈するカジノ的資本主義の暴走も抑止され、その派生として起こっている抑止の効かない過剰消費・過剰生産・過剰廃棄に伴う気候変動問題も、もっと軽度で穏やかなものになっていたかもしれない。
既に前述したように、かつて1961年に米経済学者ロバート・トリフィン教授 が論じた米国の国際流動性供給と国際収支危機回避の両立不可能性を示した問題提起「トリフィンのジレンマ」を、あらためてここで引き合いに出すまでもなく、なんとか、矛盾を抱えながら騙しだましここまでかろうじて続けてきた米国ドルを基軸通貨とした従来型の国際通貨システム自体がもはやついに限界に来ていることは、明らかであろう。換言すれば、仮に、米国ドルの次の後継者として、中国元や欧州のユーロが基軸通貨のとなったにせよ、「1国家の通貨ドルがグローバルな準備通貨となるのは、不適切である」問題が解決することにはならない。主人公が変わっても、再び、同じ悲劇が繰り返されることになる。人類は、同じ過ちを、もう繰り返すべきではなかろう。
ここで注目すべきことは、「BRICs共通通貨創設構想」[44]の驚異的な具体化スピードである。いまや世界で一番健全で安定的な新たな国際経済秩序を真摯に考えているのはBRICs[45]諸国かもしれない。
その象徴的な動きは、既に3年前の2022年6月23日に北京で行われたBRICsサミットであった。このBRICs北京サミットは21世紀多極的世界統治システム時代の到来を象徴する機会となった[46]。
この会議で、非米諸国、特にBRICs諸国が、ドル基軸通貨体制からの脱却による「多極化」の方向性を選択することが確認された。そして、ブロックチェーン(分散型台帳)と金を活用した「BRICs共通通貨創設構想」[47]実現について意見交換がされた[48]。
そして、翌年2023年には、BRICSサミットで「ヨハネスブルグ宣言」[49]がされた。
それを受け、去年2024年10月22~24日、ロシアのカザンで開催されたBRICSサミットで、前回の加盟各国間で利用可能な決済プラットフォーム「BRICSブリッジ」の各国間での実装、使用、関連技術インフラ、規制の枠組み、導入・普及時期、金融機関やテクノロジー企業との協業等について議論がされた。すでに「BRICs共通通貨創設構想」も相当具体化していることがうかがえる[50]。
その他アジア諸国の一部もそれに追従する可能性もある。少なくともBRICs諸国間では、潤沢な資源とこれに裏付けられたバスケット国際通貨体制の下、相互支援と貿易を通じて、その他アジア諸国の参加も視野に、さらなる結束強化を図ってことになろう。
世界経済におけるBRICsのシェア[51]が拡大し、存在感を増している中で、「西側中心の国際金融秩序」に代わる新しい枠組みを模索する動きがBRICs内部で進んでいることは歴史的必然であろう。
そして、世界の政治経済の力が米国中心の一極集中から、多極化へ向かっているという意識のもと、BRICsは自らの地位を強化したいと考えている。
いま世界で、BRICs以外にも、様々な国際通貨体制構築の議論が始まっていると推察するが、実際その他に、どこにいかなるシナリオがあるのか、その内容はどうなのか等の詳細は不明である。
他方、西側では、本来であれば、前回の85年前の「ブレトン・ウッズ会議」の時のように、早い時期から、次のステージを視野に、資本主義の健全な姿へのメタモルフォーゼ を念頭に、健全で安定的な新たな国際経済秩序を目指した議論がされていてしかるべきであろう。
しかし、「第2ブレトン・ウッズ会議」の声は聞こえてこない。
不幸なことに、肝心の覇権国米国が、もはや存在感を消してしまっているのである。もはや、米国の国力も威信も減衰している。さらに、当の大統領が、「アメリカ・ファースト」を標榜し米国第一主義に拘泥し、国際通貨システムへの関心も情熱もまったくない。米国ベッセント財務長官の起死回生策や「マールアラーゴ合意」等の自国本位の政策には実効性に疑問もあり、西側諸国からは冷ややかな目で見られている。残念ながら、「第2ブレトン・ウッズ会議」開催どころか、G7で全球的視座で新たな国際通貨制度のグランドデザインを描こうとする機運すら微塵もない。
こうした中、西側欧米主導の世界秩序にいる日本等の西側先進諸国は、今後かなりの試練が訪れるであろう。特に日本は前途多難である[52]。
万が一米国が破産宣言したワーストシナリオも含む「悲観シナリオ」の場合、世界最大の米国債権保有国である日本は、凄まじい信用収縮を経験する。米国財政破綻の顕在化によって、ドル基軸通貨体制を前提に国債発行によって維持されてきた日本の財政金融システムは、事実上のリセットモードに入る。現在の国家財政規模を前提とした社会保障、教育関連等の各種の国家政策も予算上の裏付けを失う。ロシアから非友好国認定され、さらに中国脅威論を喧伝しつつ核を含む軍拡路線を進む日本が、いずれ日米安保の後ろ盾を失ったとき、BRICsにもすり寄れず、窮地に立たされることは明らかである。
はたして、日本政府は、上述の「BRICs共通通貨創設構想」の分析、その参加可否とシミュレーション解析、西側諸国における「悲観シナリオ」によって自国が被る可能性があるダメージについてのシミュレーション解析も含めて、こうした今後の世界秩序のシナリオ分析をどこまで緊張感をもってしているか不明である。本来であるなら客観的な裏付けデータを付して公開すべきであろう。
結論から言うならば、もはや、我々が考え検討すべきテーマは、ベッセントの起死回生策の採用の是非や、「マールアラーゴ合意」や「第2プラザ合意」の検討でも、後継の基軸通貨を中国元にするか欧州のユーロにするかを議論することでもない。基軸通貨論自体を封印し、まったく新しい世界共通通貨を軸とする国際通貨システム構築について、新しい視線で議論を開始することであろう。もはや、国際通貨システムパラダイムシフトは不可逆的に始まっているのであるから。
そして、いま日本政府にとって求められていることは、構想力と弾力性のある思考である。従来の対米隷属的な外交のイナーシャから離れ、人類史と広大な世界観を念頭に、いま日本が置かれている位相を俯瞰して、まっさらな頭で、もう一度、あるべきまったく新しい世界共通通貨を軸とする国際通貨システム構築について日本はどのように参画してゆくのかを考えることが急務であろう。
その思考の射程は広域に構え、かつ従来の地政学的な先入観や計算から一歩距離を置いて、今後の世界の恒久的平和構築や気候危機解決等の喫緊の人類共通の至上命題を念頭に、いま日本が誇る高度のイノベーションや有意な人材、圧倒的な資金力、教育等のアドバンテージを最大限生かして、最も世界の持続可能性に貢献できるプラットフォームとして、何が最善かを追求すべきであろう。
その中に、「BRICs共通通貨創設構想」への参加の検討すらも、排除すべきではないと考える。むしろ、積極的に参画して、西側も包摂できるようなシステム構築に向けて貢献すべきであろう。
加えて、その新しい世界共通通貨を軸とする国際通貨システム構築について議論する際には、我田引水で恐縮ながら、議論の材料として、不肖・古屋が兼ねてより提案してきた地球環境本位制に基づく世界共通通貨としてのグローバル炭素通貨(Global Carbon Money)構想[53]も重要なimplicationを持つと考えている。せっかく異次元の世界共通通貨を軸とする国際通貨システム設計をするのなら、ケインズの置き土産である「バンコール」という容器に、従来「外部化」して無視してきた地球環境要素を充填することで資本主義システムに「内部化」し、地球環境本位制に基づく新たな世界共通通貨を創造してほしいと考えている。単に、資本主義に内在している宿痾の治療のみならず、深刻な気候危機問題の抜本的解決策としても、二重の意味で実効性のあるプラットフォームの要件だと考える。この二刀流プラットフォーム創設の好機をのがすべきではないと考えている。
いずれにせよ、国際通貨システムを取り巻く環境は、風雲急を告げていることは確かである。
今後「第2ブレトン・ウッズ会議」が開催されるのか否か、これからいかなる形で具体化され浮上してくるのか、あるいは、このまま、「BRICs共通通貨創設構想」が先行独走し、世界のデファクトになって世界を席巻して行くのかは、誰しも分からない。五里霧中の感がある。
いや、むしろ、日本や欧州等の西側先進諸国は、不毛な米中対立の代理戦争の戦線から足を洗って、米国に呼び掛けてなんとか説得を試み、もう「米国勢」と「非米諸国」間の不健全な意地の突っ張り合いをやめて、いっそのこと、非米のBRICs諸国に呼び掛けて「BRICs共通通貨創設構想」を東西両サイドの共同作業に止揚(aufheben)して一緒に新しい世界共通通貨を軸とする国際通貨システム構築についての「第2ブレトン・ウッズ会議」を提案したらどうか。双方にとって、不毛な対立のコストとリスクよりも何百倍もの利益が、もたらされることは明らかであるからでる。
しかし、他ならぬ、「狂人(madman)」と揶揄されているあのトランプのことである、場合によっては、こうした突拍子もない「止揚案」を先取して、これから、さらに驚くべき大団円を演じるかもしれない。
ロシアへの急接近を呼び水として、ウクライナ戦争とイスラエル・ハマ戦争の解決との位相はあるものの、ひょっとすると、唐突に、まさかの「トランプの電撃的中国訪問」「トランプ習近平米中首脳会談」が実施され、米中首脳会談会見では「BRICs共通通貨創設構想に米国参入」「米中日ロ合作の第2ブレトン・ウッズ会議開催」の衝撃ニューズが年内にも世界中を駆け巡るという想定外の奇跡的逆転劇すらありうるかもしれない。
この逆転劇は、確実に「悲劇」を「喜劇」に転換するであろう。世界を覆っている暗雲を蹴散らすくらいのインパクトのあるメタモルフォーゼとなるであろう。そのくらいの芸当を、トランプならしかねないとも思っている。ここまで来たら、いっそのこと、世界全体を「ちゃぶ台返し」したらどうかとすら思う。
その際には、日本や欧州諸国を巻きこんで、米国側+非米側(BRICs等)の合同の「第2ブレトン・ウッズ会議」が年内にも開催されるかもしれないとまで「夢想」している今日この頃である。
トランプは、自前の「狂気」を、せっかくなら、こうした思い切ったメタモルフォーゼの起爆剤として使って欲しい。支離滅裂な滅茶苦茶をやるなら、そこまで徹底してほしい。
せっかくだから、今春訪米し、2回目のトランプ会談を予定してる石破総理は、この「奇策妙案」を手土産に、いきなり、日米首脳会談の席上で、この「米中日ロ合作の第2ブレトン・ウッズ会議開催」を率直に提言したらどうだろうか。
突拍子もないことを好きなトランプのことだから、ひょっとしたら案外前のめりに話に乗って来るかもしれない。そしたらしめたものである。これが成功したら、石破総理は歴史に残るだろう。
いささかトランプの毒気に煽られて、筆者も前頭葉が麻痺して筆が滑ってしまっているかもしれないが。どうか、「春の夢の寝言」として、ご海容を願いたい。
(end of documents)
[39] 国際通貨研究所(2010)「ポストクライシスの国際通貨体制を考える~基軸通貨の将来像とアジアの使命~」https://www.iima.or.jp/files/items/2067/File/OP_No21_j.pdf
[40] IMF(2010)” Reserve Accumulation and International Monetary Stability” (Prepared by the Strategy, Policy and Review Department In collaboration with the Finance, Legal, Monetary and Capital Markets, Research and Statistics Departments, and consultation with the Area Departments Approved by Reza Moghadam on April 13, 2010) https://www.imf.org/external/np/pp/eng/2010/041310.pdf
[41] たとえば、A国がB国から商品を輸入する場合、 代金決済は、米ドルのような基軸通貨を使わず、中立的な国際機関である国際清算同盟(International Clearing Union; ICU)の帳簿内にあるA国のICU口座がマイナス(赤字)となり、一方B国のICU口座がプラス(黒字)になる。その取引はすべて中立的な国際機関内で、バンコール建てで記録される。
[42] バンコールの本質は「中立的な会計単位」であり、金本位制とは異なる発想である。ICUは各国のバンコール建て貿易収支をモニターし、赤字・黒字を自動的に調整する。各国に一定のバンコール建て引き出し限度枠(overdraft facility)を設ける。黒字国と赤字国のバランス調整メカニズムは、不均衡の是正責任を赤字国だけでなく黒字国にも分担させる仕組みとなっており、赤字国は、引き出し限度を超えると通貨切り下げ、国内調整、もしくは支援措置を要請される。また、黒字国は、口座に一定以上の黒字を溜め込むと、金利課徴やバンコールの没収等のペナルティを受ける仕組みがあり、相互牽制が効く仕組みになっていた。
[43] メタモルフォーゼ( Metamorphose)は、ドイツ語で変化・変身の意。ギリシア語メタモルフォーシス(μεταμόρφωσις)に由来する。なお、英語のメタモルフォーズ(metamorphose)は動詞形で、名詞形はメタモルフォシス(metamorphosis)である。
[44] 「BRICs共通通貨」はBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)による米ドルなどの西側主導の通貨への依存を減らし貿易や金融取引における独立性・主権性を高めることを目的とした新しい国際通貨。いまから6年前の2019年BRICSサミット宣言ではすでに第10項において「加盟国で短期的な国際収支圧力を未然に防ぐためのメカニズムとして予備準備制度(CRA)を継続する重要性を強調。2018年実施テストランの成功に続いて必要に応じてリソースの要求に対応するための運用準備を確実にするためさらに複雑なテストランに取り組んでいる。CRAのマクロ経済情報交換システム(SEMI)の機能を歓迎。BRICs現地通貨債券基金の設立に向けた継続的な努力を歓迎。実際に運用開始を目指す。またCRAとIMFの協力も支援。
[45] 余談ながら「BRICs」の「s」が小文字である理由は、元の創設時の4か国の頭文字の造語「BRIC」のアイデンティティ(ブランド)を維持しつつ、追加された国(南アフリカ)を後付けであることを示すため小文字の「s」にした経緯がある。
[46] 第14回BRICs首脳会議「グローバル開発に関するハイレベル対話」は、2022年6月23日に中国の北京で、中国が議長国を務めた。新型コロナウイルス感染症の影響によりオンライン形式で行われた。この会合には、BRICsの5か国以外にもイラン、アルジェリア、アルゼンチン、エジプト、インドネシア、カザフスタン、セネガル、ウズベキスタン、カンボジア、エチオピア、フィジー、マレーシア、タイの13か国が参加した。ちなみに、BRICs(ブリックス)は、ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの頭文字をとった造語で、新興国5カ国の首脳会議を意味する。サミットでの主な進展は、通貨バスケット制に基づく新たな準備通貨の創設であった。米ドルへの挑戦を意味するこの通貨は、BRICs諸国の通貨を組み合わせ、貴金属に支えられている
[47] BRICS共通通貨は、ドルに依存しない貿易・投資の促進を目指して構想されているが、BRICS加盟国間の貿易決済や資本取引に使われることを主に想定している。特に、エネルギーや鉱物などの資源取引での活用が期待されている。その構成内容については、まだ具体的な公表もされておらず構想・検討段階ではあるが、3案ある。1つは、「バスケット通貨方式」で、各BRICS加盟国の中国元、ロシアルーブル、インドルピー、レアル、ランド等の通貨を一定比率で組み合わせて価値を決定する方式。国際通貨基金(IMF)のSDR(特別引出権)と似た仕組みである。もう1つの案は、「資源本位制方式」で金や資源に裏付けられた通貨。金(gold)やその他天然資源(石油、希少金属など)に価値を裏付ける形式が議論されている。ロシアが積極的に主張しており、金準備を基にした通貨への関心が高い。3番目の案は、「デジタル通貨方式」である。各国中央銀行が連携し、中央銀行デジタル通貨(CBDC)ベースの共通通貨を採用する構想や、ブロックチェーンやスマートコントラクトを活用した透明性・即時決済の仕組みも議論されている。この3種類の候補を1択ではなく、合成する可能性もあり、今後の帰趨を注目して行きたいたい。
[48] 「2022年BRICsサミット宣言」では、第42項で、「世界的な金融セーフティネットの強化に貢献し、既存の国際通貨および金融取り決めを補完するCRAメカニズムを強化する重要性を認識。CRA条約の改正を支持し、他の関連するCRA文書の改正の進展を歓迎。」明記。第43項で、「既存ワークストリーム(金融セクターの情報セキュリティーを含む)の下で継続的に作業していく重要性、および経験と知識を交換するためのプラットフォームとしてのBPTFの重要性を強調。決済トラックで、中央銀行がさらに協力することを歓迎する。CRAメカニズムの柔軟性と即応性を高める修正案の最終化を期待。2022年後半に5回目のCRAテストランが成功裏に完了することを期待。CRA・IMF間の調整の枠組みを改善するための作業を支持。合理化されたCRA研究プログラムの一環として、BRICS経済速報2022の開発が進展したことを歓迎。」とある。ちなみに、BRICsに予備準備制度(CRA)を設立する条約は、BRICS加盟国間で2015年7月に発効した。なお、CRAは、加盟国の短期的な国際収支悪化を防ぐために資金供与する金融セーフティネットとして機能する。すなわち、BRICs版の国際通貨基金(IMF)とも理解できる。CRAでは、BRICs加盟国の既存通貨やデジタル通貨での資金供与が検討されるようになった。そのため、ドル依存の低下を促進する側面もある。(出所)大久保 敦(2024)「BRICsサミット共同宣言に見るBRICs決済プラットフォームの取り扱い」(「独自の決済プラットフォーム創設を(BRICs)」内の図より。ジェトロ調査部大久保敦主幹;2024年9月27日)
[49] 2023年BRICsサミットの「ヨハネスブルグ宣言」の第45項では、財務相や中央銀行総裁に対し「現地通貨、決済手段およびプラットフォームの問題を検討し、次回のサミットまでに報告する」よう指示していた。(出所)”Johannesburg II Declaration”
(BRICs and Africa: Partnership for Mutually Accelerated Growth, Sustainable Development and Inclusive Multilateralism Sandton, Gauteng, South Africa Wednesday 23 August 2023)https://www.gov.za/sites/default/files/speech_docs/Jhb%20II%20Declaration%2024%20August%202023.pdf?fbclid=IwY2xjawJuWY5leHRuA2FlbQIxMAABHur55hWck2ogTZd7kvh22bTJGUBIf_q0eYbvZ_-sstZxQL9PqAOWb4PGQGJX_aem_pXfuTE_qVWnqilgc_zAVnQ
[50]「2023年BRICSサミット宣言」では、第44項で、「国境を越えた決済プラットフォームの相互連結を含め、決済インフラに関するBRICSメンバーによる経験の共有を歓迎。BRICS諸国間の協力を一層強化し、BRICS加盟国や他の開発途上国間での貿易投資の流れを促進するための決済手段に関するさらなる対話奨励を信じる。BRICSとその貿易相手との間で、国際貿易および金融取引にあたって現地通貨の使用を奨励する重要性を強調。BRICS諸国間のコルレス銀行ネットワークを強化し、現地通貨決済を可能にすることを奨励。」とある。また第45項では、「財務相および(または)中央銀行総裁に対し、適切な場合には、現地通貨、決済手段およびプラットフォームの問題を検討し次回のサミットまでに首脳に報告するよう指示。」とある具体化進捗が見える。
[51] BRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)は、インドと中国の成長がBRICS全体を牽引しており、人口ボーナス:インド、ブラジル、南アなどは今後も労働人口が増加傾向にある。人口は世界人口の約42%の約33億人を誇りBRICSが圧倒的で、これは将来的な消費市場・労働力供給力としての潜在力を持っている。世界経済における経済規模のシェアは、過去20年で大きく拡大しており、GDPシェア(名目GDPベース)は、まだBRICS(5カ国)は約 26〜27%とG7(米英仏独伊日加)の約 43〜44%に比較して少ないが、すでに、購買力平価(PPP)ベースのGDPで見ると世界全体の約33〜35%を占め、G7を上回っている。BRICSの強みは、エネルギー資源面では、ロシア、ブラジルが主要産出国。中国・インドは大消費国。農産物は、ブラジルとロシアが世界有数の輸出国。製造業は、中国が「世界の工場」として圧倒的存在感。テクノロジー面では、特にソフトウェア・スタートアップ分野のIT分野でインドが急成長している。(出所)IMF(2024)” World Bank 2024”等。
[52] 専門家の中には、日本は戦後60年にわたり自分で何も考えないで対米従属を選んできたと手厳しい分析もある。これは「自分で考える外交」を80年間やった結果、英米によって「悪の帝国」に仕立て上げられ、大戦争で滅亡の危機を味わった経験によるものであるとの分析である。「首相官邸・外務省・防衛庁はいずれも強大な米国への従属を前提とした戦略しか持っていない。米国は自国の覇権を弱める戦略をとっており、在日米軍も空洞化しつつある。周辺国との敵対戦略はいずれ破綻し、日本も中国を中心とした一極に協力しなければならないだろう。ただし、東南アジアでは中国人による政治経済の支配に反感があると考えられ、日本がアジアでの覇権拡大を進めることを歓迎するだろう。中国はますます誇り高く世界的に台頭してゆくのと対照的に、日本は何とか対米従属を維持しようと息をひそめ、自分から日影の存在を選び、米国の衰退に合わせて自国の身の丈を縮めている。もはや対米従属論者は説得力を持ちえない。」と手厳しい。
[53] 古屋力(2023)「「炭素通貨」は、気候危機と資本主義の共通解となりうるのか~ケインズのバンコールと地球環境本位制に基づく世界共通通貨誕生の含意~」(2023年6月2日環境・CSR情報サイト「ヴェイン」オンライン掲載)
―(2023)「ケインズの慧眼~幻の世界通貨バンコールの進化形「炭素通貨」の気候危機問題と資本主義問題の同時解としての含意~」、―(2019)『東アジア脱炭素経済共同体構想の意義とその実現可能性について―東アジア地域における炭素通貨と再生可能
エネルギーを軸とした「協働型コモンズ」構築の必然性と可能性についての一考察―』