私たち人類は、どうすれば存続できるのか?
希望は、どこにあるのだろうか?
たくさんのグローバル・アジェンダが、打ち上げ花火のように、登場しては、
ことごとく、はかなく消え去っていったのはなぜなのだろうか?


誰しもが大同小異抱いている素朴な疑問であり不安であろう。そんな疑問へのヒントになるかと、6月に出版されたばかりの『ザ・キルスコア 資本主義とサステナビリティーのジレンマ』を、さっそく、鎌倉市図書館から借りてきて、読んでいる。

原題は、「Der Kill-Score: Auf den Spuren unseres ökologischen und sozialen Fußabdrucks」である。

この「キルスコア(Kill-Score)」と言う、やや物騒な聞きなれない言葉は、先進国が選択してきた経済成長と豊かなライフスタイルがもたらした気候変動 廃棄物 過重労働 分断と孤独 紛争等を要因とし、その結果失われる人命の数を意味する。端的に言うなら、資本主義システムの犠牲者数である

著者は、ベルリン生まれのロンドン大学のヤコブ・トーメ(Jakob Thomä)教授[1]。欧州の独立系金融シンクタンク2°インベストメント・イニシアチブ(2DII)の共同創設者で、日本の金融庁や各国中央銀行のアドバイザーも務めた持続可能な金融ビジネス・政策の専門家である。

結局は皆、「より豊かな生活」をしたい。これは本音であろう。だから、「サステナブル(持続可能)な社会」という言葉には、どうしても、偽善臭が漂い、現実には多くのジレンマや矛盾、欺瞞がつきまとう。この欺瞞性を駆逐すべく、ヤコブ・トーメは、資本主義が生む膨大な犠牲と社会の致命的結末をあらゆるリソースを用いて「キルスコア」として数値化した。そして、その分析の結果、ヤコブ・トーメは、「10億人の命が今世紀末までに奪われる」と予見する。

ヤコブ・トーメは、こう我々に問いかける。「あなたは、一生の間に、何人を殺したか?」そう、問われて、あなたは、おそらく、不快感と違和感を抱きつつ、こう答えるだろう。「わたしは、殺人者でも死刑執行人でもない。誰1人殺していない。」と。

しかし、ヤコブ・トーメは、「いや、それは嘘だ。正しくない。明らかに、あなたは、人を殺している。ただ、その事実を、認識してこなかったに過ぎないのだ。自覚が足りないのだ。」と我々に迫る。なぜなら、我々は、持続不可能な消費、生産、投資を選択した結果、世界中の何人もの無辜な人々を殺してきたのである。

それが、いままで、あまりに間接的で、因果関係が曖昧模糊としていて明示されなかったために、我々の意識に顕在化していなかったにすぎないのだ。無意識と無自覚ほど怖いものはない。

彼は、この事実を、「キルスコア」によって数値化した。この画期的なスコアを明示的に示すことで、従来型のあいまいなサステナビリティーの欺瞞性を排除し、そのサステナビリティーの意義と必然性をより説得力あるものにすることで、我々に動かざる事実を衝きつける。

この「キルスコア」によって突き付けられた事実を眼前に、我々は、いやがおうでも、覚醒せざるを得ない。ヤコブ・トーメは、「キルスコアは、サステナビリティーの欺瞞を我々に突きつける。だがそこにこそ、持続可能な社会実現の可能性が見えてくる。」と喝破する。

ヤコブ・トーメは、ややアイロニーを込めて、こう言う。「私たちは、社会全体で、キルスコアを無視すると言う協定を結んでいる。そこには、原告も裁判官も被告もいない。」そして、こう続ける。「被告は、いまこそ、原告に向かい合うべきだ。裁判官に前に立つべきだ。」と。

キルスコアは、以下の5つのカテゴリー毎に分析考証が行われている。

「気候危機」
標準的な推計で8,000万人(2100年)、悲観的な推計では3億人に達する。ちなみに、1人の死者を出す温室効果ガスの量は、中央集計値で1000トンとしている。1人当たりの生涯に排出する温室効果ガスの量を平均年間11トンとし、平均寿命の82歳まで生きると仮定すると、生涯の排出温室効果ガス総量は、902トンとなり、ほぼ1人の死者を出す温室効果ガスの量と一致する。これは、1人の人間が、その生涯にわたる自己の消費行動の帰結として、1人の人間を殺していることを意味する。

「廃棄物」
プラスチック汚染と大気汚染を中心に、400~500万人/年。石油は、気候危機や大気汚染の元凶であるだけでなく、プラスチックの材料としても、キルスコアの主犯の地位にある。

「労働」
グローバルな生産とサプライチェーンがもたらす過重労働死が、職場での直接死で35万人/年、労働条件に起因する職場外での間接死が230万人。労働関連誌のトップは、過重労働、つまり、長時間労働への暴露である。今世紀末までの労働死は1億6000万人に達する。

「匿名消費」
他人と直接顔を合わせず買い物をする匿名消費は、社会的孤独の象徴。孤独は早死にのリスクを26%高め、現在英国人の150万人以上が、孤独が原因で死亡している。消費取引の3分の1がバーチャルな空間に移行し、人々は、人と接することなく、生きて行けるようになった。そして機械化により消費から人間的な要素を排除してきている。孤独は、人類全体を脅かす社会システム上の危機である。

「暴力・戦争・紛争」
人類が、古来繰り広げてきた死に至るゲームであり、その犠牲者は膨大な数にのぼる。戦争当事者として、戦争を引き起こし、直接あまたの人の命を奪うことと、その戦争当事者から石油ガス等を輸入することで結果的に資金提供し戦争を可能にしていることで、間接的にあまたの人の命を奪うこととは同根である。その意味で、人類は、みな戦争当事者である。

以上の、5つのカテゴリー毎に今世紀末までに奪われる命を合計すると、楽観的にみても5億人、このまま放置しておたら、10億人にものぼる可能性があると、ヤコブ・トーメは、結論つけている。そして、その直接キルスコアに加担した当事者だけでなく、すべての人類が、仮に殺人罪が成立しなくても、その罪と責任は依然として残る。我々は、誰一人とて、無罪ではない。

「消費とサステナビリティーの両立」という究極の難題に真正面から向き合い、「キルスコア」という「不都合な真実」を衝き突けることで、人類の姿勢を問う、本書の示唆する含意は深く重い。ヤコブ・トーメの世界観は、イングランドの詩人ジョン・ダン[2]の以下の説教の一節に通底している。

「誰がために鐘は鳴る」(John Donne)
人は離れ小島ではない 一人で独立してはいない 人は皆大陸の一部
もしその土が波に洗われるとヨーロッパ大陸は狭くなっていく
さながら岬が波に削られていくようにあなたの友やあなたの土地が波に流されていくように
誰かが死ぬのもこれに似て 我が身を削られるのも同じ なぜなら自らも人類の一部
ゆえに問う無かれ
誰がために弔いの鐘は鳴るのかと
それが鳴るのはあなたのため

[1] ヤコブ・トーメ Jakob Thomä 1989年ベルリン生まれ。ロンドン、ニューヨーク、パリ、ベルリンを拠点とする独立系非営利金融シンクタンク、「2°インベストメント・イニシアチブ(2DII)」の共同創設者。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院特任教授として教鞭を執る。日本の金融庁、イングランド銀行、ドイツ連邦銀行など各国中央銀行、EU機関のアドバイザーを歴任。金融システムのグリーン化のための世界的研究ネットワークINSPIREの諮問委員会メンバー。持続可能な金融ビジネス・政策の専門家として、Forbesドイツ誌の「30アンダー30(世界を変える30歳未満の30人)」に選ばれたほか、国際会議での講演も多数。ロンドン大学卒業後、北京大学で修士号を、フランス国立工芸院で博士号を取得。

[2] イングランドの詩人。後半生はイングランド国教会の司祭。
「誰がために鐘は鳴る」の英文原典For Whom the Bell Tollsは以下。

No man is an island, entire of itself;
every man is a piece of the continent,
a part of the main.
If a clod be washed away by the sea,
Europe is the less,
as well as if a promontorywere,
as well as if a manor of thy friend’s or of thine own were:
any man’s death diminishes me,
because I am involved in mankind,
and therefore never send to know
for whom the bells tolls;
it tolls for thee.
John Donne 1624 (published)