ひょっとして、みなさん、「靴ひも理論」って、どこかで聴いたことがありますか。

もう随分と昔の記憶なので、これが、どこかの居酒屋で先輩から聴いた話なのか、どこかの本屋で立ち読みしてて奇遇に遭遇した話なのかも、その出所の記憶が定かではないのですが「靴ひも理論」というのがあります。

例の、有名な量子物理学者でカリフォルニア大学・バークレー校の物理学科長のジェフリー・チュー(Geoffrey Chew)の「靴ひも理論(bootstrap scheme)」とは、まったく別件です。彼の理論は、宇宙を部品の集合としてではなく、あらゆる部分が他の部分に相互に依存する、一種のダイナミックな織物として説明する考えですが、ここで紹介する「靴ひも理論」は、まったく異次元の笑い話です。よく、本郷で、講義の最中に、閑話休題で、学生諸君に「戯言」で話したことがある「小噺ネタ」の1つです。

ここで言う「靴ひも理論」とは、ざっというと、以下のような根も葉もない妄想話であります。
どうか、ご容赦の上、ご笑覧ください。

<靴ひも理論>
あなたに、こっそり、天に行ける方法を教えてあげる。
もし、あなたが、ひも付きの靴を履いていたとする。
いったん、両足の靴ひもをほどいて欲しい。
まず。右足の靴ひもを上に引っ張りあげてください。
そうすると、右足が上がるよね。
つぎに、左足の靴ひもを上に引っ張りあげてください。
そうすると、左足が上がるよね。
それを、右・左と交互に繰り返してゆくと、次第に、あなたは、どんどん、上昇してゆく。やがては、天まで届くほど高いところまで、ゆける。

むろん、この話は妄想に近いナンセンスな話であります。生真面目な性格の方は、「くだらない」と瞬時に憤慨するかもしれないけど、どうか、ご海容を。

でも、この「靴ひも理論」って、実は、現下の資本主義システムの本質を鋭く洞察している話に思えてなりません。資本主義システムの基幹エンジンである通貨の仕組みも、銀行の信用創造も、ドルを基軸通貨とする現下の国際通貨システム自体も、所詮、「靴ひも理論」にすぎないと思ってます。

さらに言うならば、人々が日ごろ追い求めている「幸福」自体も、大同小異、「靴ひも理論」を想起させます。大変失礼な妄想かもしれませんが、世界中で、79億人もの人類が、みなさん、大同小異、よせばよいのに、懸命に、自分で靴ひもを上に引っ張りあげて、1mmでも上昇しようと、もがきながら悪戦苦闘している気がしてなりません。

かのDaniel Cohenは、「獲得してもすぐに失われてしまう“幸せ”という目的を、絶えず課してくる社会のパラドックスを、どのように理解すればよいのだろうか。その答えはすぐに浮かんでくる。すなわち、人類はあらゆることに慣れてしまうので、幸せになれないのだ。」と喝破しました。

人間と言うのは性懲りもなく愚かな存在かもしれない。と、つくづく、思います。
幸福の基準が社会の平均になったら、人間はもっと上を目指すようになり、幸福の追求はエンドレスとなる。これを、客観的に観察すると、まさに、「靴ひも理論」の空しい幻想かなと思います。

さらに始末に追えないのは、人間は得ることの見通しよりも失うことへの嫌悪感のほうがはるかに強いので、つねに「不足」という心配から逃れられない。この切迫観念が、資本主義を起動し、戦争の動機を構成しているのかと思います。

資本主義の中核にある「経済成長」という「共同幻想」は、いまの境遇から這い上がれるという希望をみなに与えてくれるようにみえるが、それが一時的に人々の不安を和らげたとしても、その約束が実現されることは決してない。いわば夏の日に見る「逃げ水」のようなものであろう。と思います。

現代人は、このほとんど幻想とか悪夢と言ってもいい空虚なものに取り付かれて、疲弊した人生を送ってゆくリスクを抱えている。それは、おそらく幸福とは程遠いものであるに違いない。そして、実は、その空虚さに多くの人々は気づいている。そして、その空虚さをかき消すように、目先の消費行動でのささやかな至福感に逃避しようとしている。

こうして、この地球上の79億人もの人類が、多かれ少なかれ、「靴ひも理論」の幻想の呪縛に、支配され、結果、余計な浪費と不毛な徒労を重ね、どんどん、真の幸福から遠ざかり、その弊害として、不条理な戦争を起こし、地球環境を汚染・破壊し続けて、今日に至る。

そんな悲劇的な物語を想起します。