実は、バックミンスター・フラーに最初に興味を抱くようになったきっかけは、むしろ、あの有名な「宇宙船地球号」ではなく、以下の不思議な言葉であった。

「芋虫の中には、それが蝶々にいずれなるだろうとわからせてくれるものなど、何もない」

考えれば考えるほどなるほどと思わずにはいられないこんな面白い分析をする人物ってはたしてどんな人なのかしらと、興味を持ったのであった。

確かに、我々が日常生活の中で目の前にするものが、はたして、今後どのように変化するかは、誰もが分からない。ものごとのポテンシャルは未知数だ。

10余年以上も大学で多種多様な学生諸君と向き合ってきて、その潜在力は面白いと常々思ってきた経験から合点がゆく。実に言い得て妙ではあるが。

人間って、実は、わかってるようで、何もわかっていやしないのかもしれない。ひとりよがりで、独善的な存在であろう。困ったものである。世界中の人々が、地球環境問題を「自分ごと」として考えて行動するには至たっていないのが悲しい実情だ。

芋虫をみて、それが蝶々にいずれなるだろうと想像する解像度を持ち合わせていないことが、人類にとって致命的な問題であろうし、気候危機の本質もそこにあろう。

「宇宙船地球号に関し際立って重要なある事実がある。
それは,それに関してどんな教科書もなかったということだ。」

これは、生涯、人類の生存を持続可能なものとするための方法を模索し続け、「宇宙船地球号」を唱えたかのバックミンスター・フラーの至言である。彼は、貨幣ではなく、人間の生命を維持・保護・成長させるものこそが富であると考えていた。

彼は、こうも言っている。
「自然は私たちに成功させようととても一生懸命試みてくれているが,
自然は私たちに依存はしない。私たちは唯一の実験材料ではない」

確かに、自然は私たち人類に試練を与えてくれるが、人類は人類のことだけしか考えない。気候変動の根本的な要因の根絶や現状への対応をするには、世界中のあらゆる分野の人々が力を合わせる必要があるが、なかなか、どうして、うまくいってない。

負の外部性問題やの共有地の悲劇の問題の解決のためには、外部性を「内部化」させる経済的手法を採らねばならない。いま国際社会では、特に、最も深刻な気候変動問題の解決のために、負の外部性の内部化をいかにしたら実現できるかが、喫緊の課題となっている。

明らかにティッピング・ポイント(Tipping Point:気候転換点)に接近しつつある人類にとって、いまが、人類全体で危機意識を共有し、カーボンニュートラル実行計画を作成して社会を挙げて実施しなければならない最後のチャンスかもしれない。次はなかろう。

はたして、人類が、芋虫の中にそれが蝶々にいずれなることを洞察できる解像度を実装できる日が来るのであろうか。すべては、そこにかかっている気がしてならない。

アフリカのエジプトのシャルムエルシェイクで開催中の国連気候変動枠組み条約第27回締約国会議(COP27)の帰趨も、それ次第だろう。